第8話 守りたい笑顔
楓に告白してから、一週間が過ぎた。優希はしばらくの間、北山家に住むことに決めた。
そして、楓との関係性はというと何も発展していない。
それどころか、お互いの気持ちを知ってから、距離が離れた気がしないでもない。あの時は、気を違ってくれたのだろう。
優希は悔やんだ。なぜあの時、彼女に気持ちを伝えてしまったのか。発作的なものだと思う。ああ、言わなきゃ良かったな。
どうしても楓を再び振り向かせたかった。どうしようと頭を抱えていた頃、ちょうど海外ドラマを見て思いついた。男性が女性に告白するシーンで、男性は百本の薔薇を抱え、告白していたのだ。
これだ、と思いついた。と言っても、本当に百本の薔薇をプレゼントするわけではないが。とりあえず、彼女にプレゼントを贈ろうと決めたのだ。
しかし、お金を一銭も持っていない。プレゼントを買うお金どころか、自分の小遣いすらないのだ。優希は働き、世話になっている彼らにお返ししようと決意した。
自分を雇ってくれるところを探した。飲食店やアパレルショップなどの接客業、工場や倉庫などの軽作業。とりあえず、何でも良かった。しかし、どれも即採用してもらえず、連絡がなかった。理由は分からない。ただ、優希に迷いがあったのかもしれない。
朝になり朝食を摂るために、こたつテーブルの端っこに座った。テーブルを囲んで座る皆がキラキラと輝いて見え、劣等感に押し潰されそうだ。
「はあ」優希は溜め息をつく。
「どうしたの? 溜め息なんかついて」声を掛けるのは、横に座る雅。
「いや、別に」
「もしかして、また面接落ちたの?」脳を覗いたかのように見透かされる。
「多分。って、いうかどうして知ってるの?」
「楓が言ってたから」
「そう」
「あ、そうだ。良かったらさ、うちで働いてみる? この前、後輩が辞めちゃって人手が足りないんだよね」
「そうなんだ。雅ってどんな会社で働いてるんだっけ?」
「水産加工だよ」
「水産加工? 私にできるかな?」
「うん、大丈夫。誰でも最初は初心者だし、いきなりやれなんて言わないから」
「いいの?」
「うん、川口さんに聞いてみないと分からないけどね」
「川口さん?」
「社長よ」
「なるほど、分かった。ありがとう」北山家にはお世話になりっぱなしで頭が上がらない。
いつの日か彼らに恩返しをしなければならない。恩を返しきれるだろうか。
「良かったね」楓は微笑みかける。
「うん」
「そうだ、働くなら体力つけなくちゃね」
「まあ、そうだね」
「一緒に散歩でも行こっか」
「わかった、支度してくるよ」楓に駆り出されて、散歩に行くことになった。
近くにある、広い公園を歩く。楓と二人きりで過ごすのは、一週間ぶりだ。
先に歩く楓の姿はいつ見ても、愛くるしい。横並びで歩くのも愛おしい。何をしていても、彼女は可愛いのだ。
「似合ってるよ、その服」楓はこの前、優希とのデートで買った服を身に着けていた。
「ホント? ありがとう。優希も似合ってるよ、また一緒に買い物行こうね」
「給料が入ったら、今度は私が払うから」
「フフッ。ありがとう、楽しみにしてるね」楓は笑顔をこぼす。
守りたい笑顔。彼女と一緒にいれば、何でもできる気がしてきた。
――ん?
左手に生暖かい感覚が走る。離さないようにがっしりと握られているようだ。楓の右手。彼女は手を握ってきた。
これは一体どうゆうことなのか、これが楓の答えということなのか。分からない。
優希は動揺を隠しながら、握り返す。
楓の顔を見て反応を確かめるが、恥ずかしがっているのか目も合わしてくれない。
「散歩なんて久しぶりだな」
「そうなの? 私はたまにするかな。嫌なことがあった時とか」
「そうなんだ」
「東京でもしなかったんだ?」
「まあね、別に引きこもってるわけじゃないけどさ」
「私も東京に行ってみたいな。ご飯はおいしいし、観光する所もいっぱいあるもんね」
「行ったらいいよ、案内してあげるよ」
「でも、私……行けないし……」
「え、どうして?」
「だって、ほら……」
――楓!
突然、彼女の名前を呼ぶ男の大声が耳に届く。二人は思わず、振り返る。
あの男は誰だ。なんて考えていると男は駆け寄って来た。
迫りくる恐怖に足がすくむ。楓は優希の手を握りながら、背後に立った。
「楓じゃ……ないのか?」無精ひげを生やした中年の男は手が届く距離まで近づいてくる。
「恐い……」楓がボソッと声にする。優希は近づいてくる男の恐怖に耐えながら、待ち構えた。
「誰ですか?」優希は男に対して睨みつけた。
「ほら、俺だよ。忘れてしまったのか……?」楓の握る手の力が強くなる。そして彼女は腕を引っ張った。
「逃げるよ」
「あ……」楓は繋いでいた手を離し、逃げ出す。
「すまない。人違いだったよ」男は後ずさりしてボソッと声を漏らした。
優希は時々、男の姿を確認しながら、楓の後ろを追いかけた。
残された男は茫然と立ち尽くしている。
男は動かないのに、楓はどこまでも走り続けた。優希も必死に追いかける。
「はあ……はあ……」何メートル走っただろうか。男の姿が確認できない程、遠くに逃げると、楓は膝に手をついて立ち止まっていた。
楓に追いつき、話しかける。
「今の人……誰?」
「分からない……不審者かも……」
「でも、楓の名前……」
「知らないよ……怖い」楓は肩を震わせて、怯えていた。
「大丈夫。私がいるから、私が守るから」怯える楓の背中を摩りながら、肩を抱き寄せる。
「ごめん、ありがとう」二人は息を整えた後、寄り道せず真っ直ぐ家に帰った。