第1話 荒波に揉まれ行き着いた先
地元を離れて、長旅に出た。何もかもが嫌になり、とぼとぼと薄暗い夜道を歩く。
ある夜、ついに心を決めた。所持品を全て処分し、草木をかき分けながら、崖まで足場の悪い道を進む。
日は沈み、外の光は月と星だけ。
進めば進むほど、視界は狭くなる。
七月だと言うのに海風が強く、寒い。
寒さに耐えながら、一歩ずつ前に進む。崖の最先端までたどり着いた。
崖下を足が滑らないようにそっと覗く。余りの高さに恐怖で背筋が凍りついた。
――やっぱり、無理だ。
怖気つくとその場にしゃがみ込んだ。じっと海を眺めた。
その日は波が荒く、岩場に打ち寄せた波音がバシャーンと聞こえる。
静かだ、波音以外に音は聞こえなかった。
履いていた靴を脱ぎ、きちんと揃えてその場に置く。目を閉じ、深く息を吐いた。
崖を蹴り、手を大きく開いて海に飛び込んだ。
重力に引っ張られ、見る見るうちに崖から離れていく。
――バシャン。
海面に体を打ちつけ、着水した。
海水は冷たく、さらに体温が吸い取られていく。
荒波に揉まれ、もう岩壁には手が届かない。
「サヨナラ」身体に残る力を振り絞って、星空に最後の言葉を告げた。
身体の力を抜き、瞼を閉じる。
そしてゆっくりと海底に沈みながら、意識を失った。
*
――息してる! 生きてるよこの人!
意識が朦朧とする中、耳元で若い女性の声が聞こえる。
――大丈夫ですかー? 聞こえますかー?
女性は肩を叩きながら、声を掛け続ける。
瞼を開けようとすると眩しさを感じてまともに開けられない。
ここは天国か、地獄か。なんて考えながら、目に手を当てた。
雲一つない青空が見える。
天国や地獄にも青空があるのだろうか。
「やっぱり生きてるよ?!」側にいた女性は確かめるように他の誰かと話した。
覗き込む女性と目が合う。
ちょうど同い年ぐらいの若い黒髪の可憐な女性だった。
ゆっくりと首を動かして彼女の言葉に反応した。
「大丈夫ですか? 話せますか?」
「はい」聡は乾いた喉を無理矢理開けて、返事をする。
「どこか、痛いところはありますか?」
「……ない」首を振ると、ゆっくりと体を起こそうとする。
「動かないでください、急に動いたら……」
「大丈夫ですから」彼女の言葉を遮るように発し、起き上がる。
目の前には人気の無い海岸、澄んだ海が穏やかに波を打っていた。
どうやら砂浜に打ち上げられたようだ。
しかし、自分がなぜここにいるのか、理解できなかった。
「ここはどこですか?」
「ここは日本の福井県ですよ、分かりますか?」
「福井県……何しにきたんだっけ?」目覚めたばかりで頭が混乱しているのか何も思い出せなかった。
「あなた、名前は?」
「名前は……奥仲優希」聡は咄嗟に噓をつく。
寝ぼけていたからというわけではない。
強い意志があった。
「奥仲優希?」聡は、小刻みに首を縦に動かした。
「晃、やっぱり通報しなくていいかも」女性が背後向けて、誰かと話す。
聡は、後ろを振り向いた。
「え? もう電話しちゃったよ?」声がする背後にガッチリとした男性が携帯電話を持って立っている。晃というらしい。
「早く切って」
「分かった」晃は携帯電話を操作し、ポケットにしまい込んだ。
「私の名前は楓、北山楓あそこにいる彼は、晃。私の兄だよ」
「そうなんですか」
「あなた、家は近く?」優希は黙ったまま、横に首を振った。
「ここにいたら暑いから、うちに来て冷たい飲み物でも飲んで休憩しませんか?」優希はうつむいたまま、反応を示さなかった。
「ほら、行こ?」楓はニコッと輝く笑顔を見せる。
――可愛いな。
何て思いながら、無意識に頷いてしまった。
このままここにいても仕方ないので、彼らについていくことにした。
優希はゆっくりと立ち上がる。
足の裏に砂浜の熱が直で感じた。
「大丈夫? 歩ける?」
「大丈夫です」
「砂がいっぱいついてるよ」楓は優希の背中についている砂を払った。
「すみません」彼らの後ろをついていき、五分ほど歩けば、北山家に着いた。
田舎の街並みに一際目立つ大きな土地で、それをぐるりと囲う塀がある。
敷地には庭があり、庭木が植えられていた。
建物は二階建てで屋根には瓦が敷かれている。
佇まいは立派でどっしりとしていた。
もう一度、砂を払って玄関に入る。
「先にシャワー浴びてね、家の中が汚れちゃうから」
「うん」優希は風呂場に一直線に向かった。
濡れた衣服を脱ぎ捨て、浴室に入る。
頭皮や身体についた砂やゴミをシャワーで流した。
お湯だけだと不快感が残ったので、シャンプーとボディーソープを借りて全身を洗う。
浴室にはグレープフルーツの爽やかな匂いが漂った。
全身をすっきりと流し、浴室から出た。
浴室から出ると、着替えが置いてあった。
薄黄色のTシャツに黒のスウェットパンツ。
おそらく、楓のだろう。女の子っぽい。
服を身に着けて、適当な扉を開けて居間に入った。
「さっぱりした?」楓と目が合うと、声を掛けられた。
居間には、大人数が囲えるこたつテーブルや茶色い座椅子、大型の薄型テレビなどがあり、どれを見てもやはり高価そうなものばかりが置いてあった。
優希はテレビが見えやすい場所に座る。
「お茶か、水か、ジュースがあるけど何がいい?」
「お茶でいいです」楓はコップにお茶を注ぐと優希の前に置いた。
「ありがとうございます」
「あ、そうだ。お腹空いてない? この前、近所の人に果物の詰め合わせもらったんだよね」楓は、冷蔵庫をゴソゴソと探し始めた。
楓が手に取ったのはリンゴだった。
「リンゴ、嫌い?」お腹を空かしてた優希は、ツヤツヤとした真っ赤なリンゴを見て、喉から手が出そうだった。
楓は目の前でリンゴの皮を剥く。リンゴは食べやすいように切り、皿に乗せられて出てきた。
「食べていいからね」楓は一切れを手でつまみ、自分の口に入れた。
「いただきます」楓につられて、優希もリンゴをかじった。
口の中にリンゴの果汁が広がる。甘くて美味しい。
あまりの美味しさにもう一口、頬張る。
「ここには二人で住んでいるの?」優希は、この家には二人しか気配が感じなく、気になった。
「まさか。五人で住んでるんだよ。両親と私たち。あともう一人、私たちの姉がいるの。雅っていうんだけどね」
「三人兄弟か、羨ましい」
「うん、優希は兄弟いないの?」
「うん、一人っ子だからね」
「そっか、寂しいね」
「まだ何か食べる? お菓子もあるよ?」楓は嬉しそうに棚を探る。
優希は甘えて、チョコレートを頂く。
「ねえ、どうしてあんなところにいたの?」彼女は優希のことが気になるのか、事情を聞こうとする。
「分からないです」あの日のことは、はっきりと覚えている。
しかし、初対面の人にいきなり話せず、優希は隠した。
「え? 覚えてないの?」
「……うん」
「そっか、覚えてないならしょうがないよね」楓は考える仕草を見せながら、言った。彼女はさらに続ける。
「今夜はうちに泊まっていいからね」楓の言葉は全てを見透かしているようだった。
「え、そんな助けてもらったのに、悪いです」優希は慌てて遠慮する。
「気にしなくていいの。体調が悪い人を見過ごせないから」
「……分かりました。お世話になります」優希は楓の言葉に甘え、一晩だけ世話になることにした。
――ピンポーン。
楓と会話していると家のチャイムが鳴った。