表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

09. 男爵家へ

 先触れを受けたデッシ男爵夫妻は、不安そうな面持ちで、私たちの到着を待っていた。屋敷に到着したセレーネが、両親にすがりつく。家族の姿に安堵したのだろう、堰が切れたように激しく泣きじゃくった。


「ごめんなさい……お父様、お母様……うあぁぁ!」


 夜分に着の身着のまま主家から戻り、謝罪を繰り返すセレーネに、男爵夫妻は青ざめている。明らかに平静ではない娘を、彼らは追求しなかった。


「セレーネ、もう大丈夫だよ。私たちが、そばにいるからな」

「そうですとも。何があろうと、お父様とお母様は、あなたの味方よ」

「うあ、ああぁ!」

「……セレーネを寝室に連れていってくれるかい。私は、お客様と話があるからね」

「はい、あなた」


 取り乱す娘を夫人に任せた男爵は、私たちを応接室へ通してくれた。

 手短に挨拶を交わし、デッシ男爵へ経緯を説明する。


「近頃のジルベルト卿は、セレーネさんと寄り添って、愛を囁いておりました。憶測ですが、私を嫉妬させるために、恋人のふりをして欲しいと彼女に頼んでいたのだと思います」

「うちのセレーネが、そんな軽率な頼みをきいたとおっしゃるのですか?」

「ええ。メルチェーデ様も兄君へ協力されているご様子でした。二人がかりで説得されては、断りきれなかったのでしょう。恋人のふりをするうちに、ジルベルト卿へ惹かれたセレーネさんを、私には責めることができません」


 好きになってはいけない人に、惹かれる気持ちを知っている。いけないと分かっていても、心は揺れ動くものだから。

 しかし、一線を越えるかどうかは、当人の選択にかかっている。


「今宵、私たちは夜会に出席しておりました。そこで、メルチェーデ様から、ジルベルト卿が誰かと庭園へ向かったと揶揄されて……、それから……」


 庭の暗がりで見た光景が、頭の中から消えそうにない。


 ジルベルトが女性を侍らせて、口説く姿なら飽きるほど見てきた。移り香のような、火遊びの痕跡も。

 けれど、生々しい情事を目の当たりにしたのは初めてだ。


 口元をおさえて、嫌悪をこらえる。胸が悪くなり、とても説明どころではなくなった。


「この先は、フランチェスカ嬢に代わって、私がお話しします」


 アウレリオ卿が後を引き継いでくれた。


 彼は事実を誇張せず、隠すこともしなかった。ジルベルトとセレーネが関係を持ったことや、ジルベルトはセレーネを愛人にするつもりだったことを、淡々と伝えていく。


「セレーネさんは、ジルベルト卿から結婚を望まれていると誤解されたのです。公爵家のご兄妹から、ずっと側に置いてあげるとそそのかされて、体を許してしまったと言っていました」


 経緯を話し終えると、応接室は重苦しい静けさに包まれた。

 うつむいているデッシ男爵は、紙のような顔色で、膝の上に置いた拳を固く握りしめている。


 どれだけ、そうしていただろう。遠慮がちなノックが、沈黙を破った。


「あの、旦那様……」


 応接室に現れたのは、デッシ家の執事だった。異様な空気にたじろぎながら、用件を口にする。


「こんな時間だというのに、また先触れが参りました」

「どこからだ」

「コルツァーニ公爵家のジルベルト卿です。当家へ使者を遣わしたので、応対するようにと」

「……っ!」


 額に青筋をたてた男爵が、怒声を上げた。


「ふざけるなっ!! (おご)った若造の使者になど、誰が会うものかっ! 我が家を訪ねてきたら追い払え、居座るようなら銃を使ってかまわん!」

「か、かしこまりました」


 震えあがった執事が退室する。ふうふうと肩で息をつく男爵は、憤怒の形相だ。


 デッシ男爵は紡績業で財を築き、国内外の有力な商人たちと友誼を結んでいる。交渉する機会が多い彼は、明るい人柄で知られていた。

 そんな彼が、怒り狂っている。恐ろしいというより、痛ましかった。


「……お見苦しい姿をさらしてしまいましたね。どうやら私には、気付け薬が必要なようだ。皆様も、いかがですかな?」


 ブランデーを持ってこさせると、男爵はグラスを煽った。私と姉は辞退し、アウレリオ卿だけが、お酒を受け取る。


「娘は……、セレーネはね、ようやく生まれた一人娘なのです。つい甘やかしてしまって、家を継がせるには頼りなく、悩んでおりました。そんな時、コルツァーニ家から行儀見習いに出さないかと、声がかかったのです」


 婿入りを狙う男たちが愛らしいセレーネに群がるのは、成人前から予想されていた。おかしな男性に騙されて、娘が食い物にされはしないかと不安を覚えていたという。これといった縁談相手が見つからずにいたときに、行儀見習いの件がまいこんだのだ。


 良縁に恵まれるよう、立派な淑女として教育を施してくれるという話だったそうだ。責任をもって預かると言われたらしい。

 信じて娘を託したデッシ男爵に、落ち度はない。行儀見習いとして預かった貴族には、令嬢が間違いを起こさないよう、目を光らせる義務がある。


 保護を請け負った側の人間が、未熟な少女を毒牙にかけた。本来、いさめるべき主人が、セレーネをたぶらかしたのだ。

 あれほど、セレーネだけは巻き込むなと釘を刺してきたのに、私の忠告はジルベルトたち兄妹へ届かなかった。


「ご存知ですか。コルツァーニ公爵夫妻は、メルチェーデ様をムシュカ王国の王室へ嫁がせようと、折衝に駆け回っておいでなのです」

「え? ですが、それは……」


 私とジルベルトの婚約は、力を持ちすぎた公爵家の調整という意味もある。メルチェーデを他国の王室へ嫁がせるのは、まるで逆の行いではないか。


「愛娘にねだられて、折れたのですよ。くくっ……外遊されていた第三王子殿下に、一目惚れしたんだとか。大変、張り切っておいでです。セレーネをそそのかした小娘の、純愛を叶えるためにね」


 強いお酒とやるせなさで、男爵の目が赤く充血している。


「フランチェスカ嬢には、娘が申し訳ないことをいたしました。見捨てられて当然の状況で、当家へお連れいただいた温情には、感謝しかありません」

「いえ、私だけでは、きっと阻まれてしまいました。アウレリオ卿と姉のおかげです」


 辛辣ではあっても、オリヴィエラが事実を伝えた。姉がジルベルトの真意を暴いたからこそ、セレーネは私についてきたのだ。

 そして何より、アウレリオ卿の助力なしに、ここまで辿り着くことはできなかった。


「アウレリオ卿とオリヴィエラ嬢にも、謝罪と感謝を」


 今はただ、セレーネに寄り添って欲しい。軽率さの報いにしては、大きすぎる痛手を負った少女に。


 私たちは、やりきれない気持ちを抱えて、デッシ男爵家を後にした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ