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05. 青いリボン

 カゼッリ伯爵家のアウレリオ卿を、我が家に招待し、食事を振る舞う運びになった。要は、家族同伴のお見合いだ。


 二頭立ての立派な馬車で時間通りに現れたアウレリオ卿は、仕立てのいい服を身につけた、端正な容貌の男性だった。

 黒に近い紫紺の髪に、紫がかった青い目をしている。


「はじめまして。カゼッリ伯爵家の嫡男、アウレリオと申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 アウレリオ卿は、マルキオン家に到着すると、柔らかな笑みを浮かべて丁寧に挨拶してくれた。


 長身で、腰回りがスラリと引き締まっている。着痩せしているが、肩幅は広く、凛々しさを感じさせた。落ち着いた振る舞いが、非常に洗練されていた。服装にしろ、彼自身にしろ、派手さは無いのに思わず目をひく華がある。


 社交界にデビューして数年たつけれど、これほど静かな存在感がある人は、思い出せない。


 私と両親は、緊張に顔を強張らせた。兄はというと、不満そうに眉をひそめている。いくら本人の希望に添う相手とはいえ、オリヴィエラを南部貴族へ嫁がせたくないのが、家族の本音だ。


 コルツァーニ公爵家が関わると、意志疎通できなくなる両親と兄。だけど今日は、私と同じくオリヴィエラを心配している。久し振りに昔の家族に戻ったような、不思議な感覚に戸惑った。


「やれやれ。南部の御曹司というから、どれ程の傑物かと期待していたのだが、俺の思い過ごしのようだ。案外、凡庸でいらっしゃる」


 ぎこちない雰囲気の中で食卓についた私たち家族は、兄の失言にひゅっと息をつめた。いくら気が進まない縁談だからといって、無礼を働いていいはずがない。


「ご期待に添えず、残念です。少々、興味があるのですが、どのような男が来ると想像されたのか、うかがってもかまいませんか?」

「ふん。血生臭い南部貴族を束ねる御仁だ、簡単に熊でも殺しそうな蛮族を想像していたんですがね」


 あまりの失礼さに、血の気が引いた。両親は凍りつき、オリヴィエラは兄をにらみつけた。侮辱されたはずのアウレリオ卿だけが、平然としている。鷹揚にうなづいた彼は、天気の話でもするように口を開いた。


「熊なら仕留めますよ」

「えッ!?」


 全員が声を揃えてギョッとする。アウレリオ卿は、そんな私たちを、微笑ましそうに見つめていた。


「時々、熊が出ますし、鹿を間引かねばなりません。自然が豊かな分、環境が厳しい側面もありますから、銃が扱えないと一人前とは見なされないのです」

「な、なんだ……狩猟の話か。俺はてっきり、拳でぶん殴って殺すのかと」

「ははは、さすがに無理ですね。ただ、熊は猟銃で倒すにしても、コツが要るんですよ。ところで、狩猟は嗜まれますか?」

「狐狩りなら、何度か」

「いいですね、狐狩り。ここから近いのは、中西部の狩猟地でしょうか。あの辺りは、秋口になると美味しい果樹が採れるそうですよ。まだ行ったことはありませんが、いい所だと聞きました」

「中西部? ああ、あそこは葡萄が有名で……」


 妹の心配と南部貴族への敵がい心から、喧嘩腰だった兄が、話題を引き出されていく。いつの間にか、二人は普通に歓談していた。驚くほど和やかに、会話が弾んでいる。


 まるで、手品のような光景に、私とオリヴィエラが顔を見合わせる。そんな私たち姉妹へ、アウレリオ卿は優しい目で問いかけた。


「素敵なリボンですね。色を分けて、目印にされているんですか?」


 注意深く相手を見ている。けれど、少しも不快に感じさせない。アウレリオ卿は、そんな不思議な人だった。あれだけ張りつめていた雰囲気が、簡単にほぐれていった。




 つつがなく食事を終えて、アウレリオ卿は帰宅した。姉の部屋で、アウレリオ卿の手腕について語り合う。なんと彼は両親の了承を得て、オリヴィエラと観劇に行く約束まで取り付けていったのだ。


「あんな御方もいるのね。すっかり彼のペースになってしまったわ」

「ジルベルト卿と比べて、どうだった?」

「……男性を比較するなんて、失礼よ」

「ふふっ。言えないのが、答えかしらね」


 後ろめたさに口をつぐむ。私は、アウレリオ卿との食事が、楽しかった。ジルベルトを褒め称える食事とは違う。久しぶりに、和気あいあいと食事らしい食事をとった気がする。


 ジルベルトが豹変して以来、彼との食事は辛いことしか思い出せない。あら探しと嫌味ばかりで、どんな贅沢な御馳走も、砂を噛むような気分だった。


 イヴァノが亡くなってからは、家族の食卓も暗く気詰まりで、オリヴィエラを介助しながら軽食で済ませてきた。


「わたしの代わりに、あなたが観劇へ行ってね、フランチェスカ」

「突然、何を言いだすの!?」


 あり得ない姉の言葉に目を見張る。オリヴィエラは悪びれることなく、首を傾げた。


「わたしの代役になって欲しいと、お願いしているだけじゃない。どんなふうに過ごしたか、後で教えてくれたら問題ないでしょ」

「だ、だめよ。アウレリオ卿をだますなんて!」


 首を横に振って、必死に断る。けれど、姉は譲歩しなかった。


「あなた、協力すると約束したわよね。なんでもすると言ったくせに。わたしをだますのは、平気なの?」

「それは……」


 オリヴィエラが目を細めて、じっと私を見つめてくる。


「そもそも、不貞を続ける婚約者に操立てなど、不要ではなくて? 婚約を解消して欲しいと訴えてきた、あなたの行動はだたのポーズ?」

「どうして知っているの……」


 ジルベルトとの婚約を解消しようと奔走していたとき、姉は失意で寝込んでいた。心配をかけたくなくて、これまでオリヴィエラに話したことはない。


「使用人はどこにでもいるし、全て見聞きしているわ。お喋りなメイドたちが、わたしの耳になってくれたのよ。忠誠心とは無縁の下級使用人は、小遣い稼ぎができるなら、何でもするみたい」

「そう……」

「使用人を信用し過ぎないことね。そんなことは、もういいわ。こっちへ来て」


 オリヴィエラに手を引かれ、うながされるまま、姿見の前に立つ。姉の細い指がリボンを外し、青いリボンを私の髪にあてがった。


 耳元に唇を近付けて、オリヴィエラがそっと囁きかけてくる。


「ただ、観劇に行って、戻るだけ。それだけよ、フランチェスカ。難しく考えないで」


 体型が戻ってきた姉と、少しやつれている私が、鏡に映っている。私たちは以前と変わらず、同じ人間のようにそっくりだ。


 久し振りに息を吹き返した、明るい食卓を思い出す。喧嘩腰の兄へ媚びることなく、自然に態度を軟化させた、理知的な青い瞳が頭をよぎった。今日、初めて会った人だというのに、胸がざわめく。


 誰かを欺くなんて、いけないことだ。嘘をついて、いいはずがない。だけど、知り合ったばかりで、互いのことを知らない、今だけなら。


「一度だけなら……いいわ」


 男性に対して貞淑であれ、欺くなかれと育てられたはずなのに。いったい私は、何を言ってしまったのだろう。

 鏡越しに、満足そうに微笑むオリヴィエラを、途方に暮れて見つめていた。




 数日後、アウレリオ卿が我が家を訪ねてきた。オリヴィエラの部屋で、私たちは目印のリボンを取り替える。


 一度だけ。

 今日だけです、神様。


 心の中で、弁解を繰り返す。罪悪感を覚えるほど、姉の代役として出かけることに、ワクワクしていた。


 婚約してから五年間、私の人生はジルベルト一色だった。かつては、それが幸せで満足していた。けれど、酷い仕打ちが始まった二年前からは、自覚していた以上に苦しかったのだと気が付いた。

 どこで何をしていようと、ジルベルトの気配から逃れられない。そんな毎日に、窒息しそうになっていた。


 束の間だけでも、逃げ出したいと思うほど、私は卑怯な人間だったらしい。


「本日は、よろしくお願いいたします。それでは、さっそく参りましょうか」

「は、はい」


 青いリボンをつけて、オリヴィエラになった私は、差し出された腕に手を添える。


「いってきます、お父様、お母様、お兄様、……フランチェスカ」

「ふふ、楽しんできてね」


 白いリボンをつけたオリヴィエラが手を振った。私自身に見送られ、馬車に乗り込む。こうして私は嘘をつき、アウレリオ卿と観劇へ出かけたのだった。


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