12. 弔鐘
晴れ渡った空に響く、物悲しい弔いの鐘。姉の喪服に袖を通して、自分の葬儀へ参列している。
祭壇の前に置かれた棺には、オリヴィエラが静かに横たわっていた。姉は私の名前で呼ばれ、早すぎる死を悼まれている。私たちの入れ替りは、家族にさえ話していない。
若い女性が亡くなると、美しい衣装で埋葬される。オリヴィエラの亡骸には、繊細なレースをあしらった白いドレスを着せていた。
衣装を選んだのは、姉妹の私。天国のイヴァノの元に旅立つ姉へのはなむけだ。化粧をほどこしたオリヴィエラは、幸せな夢に微睡む花嫁のようだった。
「その本は、フランチェスカに持たせてやらなくていいのか、オリヴィエラ」
私の手には、あの童話の本がある。心配そうに尋ねる兄へ、少し悩んで返事をした。
「迷ってしまって、ここまで持って来ましたが、やめておきます。あんなに穏やかな顔をしているのに、靴跡がついた本など、持たせたくないわ」
「そうだな。き、綺麗な、物だけ、棺に入れようか」
「はい」
うつむいた兄が、目元を拭った。私もぐっと息をつめ、ハンカチで涙を押さえる。
帽子についた黒いベールが、泣きはらしたまぶたを隠してくれた。
本と一緒に置いてあった遺書は、捜査のために警吏が持ち去った。写しをくれたが、事件性は無いと判断されたので、原本は後日返してくれると連絡があった。
遺書には、婚約者から虐げられていた『フランチェスカ』の嘆きが、詳細に綴られていた。寝込んでいた姉が回復し、介抱の手が空いたとき、発作的にある薬草を手に入れたのだと。
どれだけ『フランチェスカ』が訴えても、ジルベルトの浮気は止む気配がなかった。婚約解消を提案しても拒まれていた。将来について悩んでいたところ、契約によって家族が縛られていると、偶然知った。
卑劣な人間の伴侶になるのは耐え難く、ついに生きる希望が消えてしまった――――それが、オリヴィエラが用意した『フランチェスカ』の死の真相だ。
セレーネの名前は、どこにも書かれていなかった。直接の原因は、浮気ではなく契約書だと、はっきり記されている。私を馬鹿だと言ったくせに、オリヴィエラだって、随分なお人好しだろう。
検死の結果、姉の命を終わらせたのは、ソムヌスという植物だと判明した。昔は麻酔として使われていた薬草で、睡眠を促し、体を弛緩させる効果がある。しかし、摂取量を誤ると眠ったまま亡くなってしまうのだ。
現在でも、肩こりや腰痛に効く薬草として少量ずつ販売されている。
警吏は『フランチェスカ』の遺書に偽りがないか裏付けをとった。白いリボンの貴族令嬢が、ソムヌスを買いに来ていたと、数軒の薬草店で、証言がとれた。
オリヴィエラは、私とアウレリオ卿が出掛けた後、白いリボンをつけてソムヌスを集めていたらしい。
「うぅっ……」
姉の決意に、胸の痛みがぶり返す。私たち家族を、どうあっても守ろうとしてくれた。そして、これだけ周到に準備しておきながら、フランチェスカとして初恋に身を捧げるか、オリヴィエラとして自由になるのか、選択を委ねてくれた。
マルキオン家は『フランチェスカ』の死を、薬草の誤飲事故として公表した。けれど、誰の目にも自死なのは明らかだった。内々に弔いを済ませることになり、今日は親戚以外の参列を断っている。
葬儀の前に、イヴァノの父ジャンネッリ子爵と、デッシ男爵夫妻に連れられたセレーネ、そしてアウレリオ卿が、お悔やみを言いに来てくれた。
彼らは『フランチェスカ』の死を悼み、静かに教会から立ち去った。
ひっそりと葬儀が進行していく。何事も無く葬儀を終えようとしていると、教会の外から喧騒が聞こえた。
葬儀を中断し、様子をうかがう。やがて、いぶかしむ私たちの前で、教会の扉が開かれた。
「フランチェスカ」
物々しい部下たちを従えた、ジルベルトが現れた。万一、彼が乗り込んで来た場合に備えて、教会の外に護衛を立たせていたはずなのに。
先ほど聞こえたのは、ジルベルトを追い払おうとして制圧された、護衛たちの騒ぎだろう。
「何故、来たんだ! 親戚だけで見送ると、知らせを送ったはずだぞ!」
兄が声を荒げても、ジルベルトは振り向きさえしない。一直線に棺へ歩み寄り、横たわる遺体を呆然と見下ろしている。
「そんな……嘘だろう? いやだよ……、あんまりじゃないか……」
へたりこんで、棺にすがったジルベルトが、掠れた声で呟いた。
「僕はね、君さえいれば良かったんだ。他の女なんて、ただの当て馬にすぎなかったのに。不器用な愛し方しかできなくて、君を苦しめ、追い詰めてしまった。誤解させて、すまなかった。ゆるしてくれ、フランチェスカ。こんなにも君を愛しているのに、僕を置いていかないで」
弱り果てた姿をさらし、懺悔する婚約者。初めて恋をした人が、私の死を嘆いている。しかし、心は一切、動かなかった。
「いったい、どういうつもりなの……」
困惑しすぎて、目眩がする。どこまでも自分本意なジルベルトに、失望が悪化した。
葬儀を台無しにしてまで、愁嘆場を演じるのが、彼にとっての謝罪なの?
不器用な愛し方が、あの仕打ち?
怒りを通り越して、戦慄を覚える。まったく理解できなかった。
「はは……はははっ、そうか分かったぞ。僕のフランチェスカが、死ぬなんておかしいと思ってたんだ」
棺にすがっていたジルベルトが、突然、笑いだした。とうとう気が触れたのだろうか?
警戒している私たちの前で、ふらふらと彼が立ち上がる。ゆっくり振り返ったジルベルトは、遺族席にいる私をぼんやり見つめた。
「きっと、君たちは、入れ替わっているに違いないよ。フランチェスカが、僕を置き去りにして、死ぬわけがないんだから。ねえ、フランチェスカ、君なんだろ? オリヴィエラのふりなんか、やめるんだ」
「!!」
思いがけず核心を突かれて、凍りつく。真相を知らない兄は、険しく顔を歪めていた。
「……もし、亡くなったのが、オリヴィエラだったとして、それがどうした?」
拳を握りしめた兄が、怒りにかられて低く唸る。
「どちらも俺の妹だ、大事な家族なんだぞ。わざわざ葬儀にやってきて、本物だの偽物だの、まだ因縁をつけるつもりかよ。不幸続きで、オリヴィエラだって限界なのに。本当は、悪かったなんて、これっぽっちも思ってないんだろ。あんた、ちっとも変わらないな!」
怒鳴りつける兄は苦しそうだ。ジルベルトを非難しながら、自分自身を責めている。
「俺たちのせいで、こうなったんだ! 死んだ後まで、フランチェスカを苦しめるな。もう妹たちに関わらないでくれ!」
「お兄様……」
激昂した兄は泣いていた。憔悴しきった両親も、深く傷つき、涙を流している。ジルベルトだけが、遺族の痛みなどおかまいなしに、ヘラヘラ笑っていた。
「隠したって無駄だよ、フランチェスカ。さあ、僕と一緒に帰ろう。結婚式など後回しでかまわないよね。先に夫婦になってしまおうか」
「この野郎ッ!!」
殴りかかろうとした兄が、ジルベルトの部下に拘束された。驚いて止めようとした両親まで、乱暴に抑え込まれてしまう。
「何をするの!? 私の家族を放しなさい!」
「だめだよ、フランチェスカ。僕らの愛を邪魔するんだもの、手荒く扱われて当然だろう?」
距離をつめてくるジルベルトから、後ずさる。常軌を逸した振る舞いに、寒気がした。床にねじ伏せられた兄が、必死に声を絞り出す。
「逃げろ、オリヴィエラ。俺たちにかまうな!」
突然の異常事態に、参列者たちが動揺している。たとえ大貴族だろうと、許されざる暴挙だった。
もっと粗野な時代でさえ、葬儀で狼藉を働くのは唾棄すべき行為だと、忌避されていた。念のため教会を警護させていたが、ジルベルトが現れたとしても、中に入れろと押し問答になる程度だと思っていたのだ。
悔しさが込み上げる。私の考えが足りなかった。セレーネを毒牙にかけて、平然としていた恥知らずだ。常識にとらわれて対応してはいけなかったのに。
屋内には、ジルベルトの部下たちが散らばっている。不用意に走り出せば、すぐ囚われてしまうだろう。慎重に後退する私へ、ジルベルトが迫ってくる。
「さあ、フランチェスカ。僕と来るんだ」
「私はオリヴィエラよ! あっちへ行って!」
捕まえようと伸びてきた、ジルベルトの手。夜会の前に、万力のように手首を締め上げた、恐ろしい手が近づいてくる。
「触らないで!」
よみがえる苦痛。暴力への恐怖に、かたく目を閉じ、体を縮める。他にすがる物はなく、童話の本をギュッと抱き締めた。
その時、落ち着いた声が、間近から響いた。
「いい加減にしてくれませんか。私の婚約者へ、無体な真似は許しませんよ」
ジルベルトへ警告を発する、堂々とした男性の声。信じられない気持ちで、恐る恐る目を開く。広い背中が、視界をふさいでいた。
「あ……ああ……、戻って来てくださったのね……」
教会から帰ったはずのアウレリオ卿が、私の前に立っている。頼もしさに、胸が震えた。




