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「んー、じゃ、こういうのはどうかな」
小麦粉を卵と牛乳で溶き、砂糖を混ぜてグルグル。油を敷いたフライパンで丸く両面を焼いて完成。
切り分けてジャムを付けて、うん、いい感じ。
「タチアナ、前にも言ったと思うけど、口を開けて待ってるのってはしたないと思わない?」
「欲望には勝てませんので」
ほら、隣でシーナさんも真似してるし。なんならコーディも。つか、屋敷の女性陣が並んで待ってるって、ちょっと引く。
「これ、一体なんですか?」
「んーと」
要するにパンケーキ。似たようなのはあるけど、ラードで焼くよりさっぱりしているのでこれならどうだろうか?
「レオナ様」
「ん?」
「貴族向けの店をもう一軒用意するか、従業員を倍にするかしてください」
「え?そこまで?」
「ええ。現状ではこの油、大量生産できませんので、クレメル家の店で出すのがせいぜいですが、間違いなく予約殺到です。油の量産体制もそうですが、人手が全く足りなくなります」
平民向けのお店の準備だけでも手一杯なのに、そこに上乗せはさすがにちょっと厳しいか。
うーん、どうしよう。あ、そうか。ちょっと違うけどこれに挑戦してみよう。
色々と野菜――主に根菜――を用意してキノコも少々。あとは肉でいいかな、とりあえず。それらを浅い鍋……が無かったのでフライパンに敷き詰めて、ハーブを散らし、油でちょっとひたひたにしてからそのまま煮る。
アヒージョもどきの完成です。
前世ではこの手の料理は見たことあるけど食べたことはなかったので、記憶を頼りに再現。普通は魚介類を使うらしいけど、無かったので肉で代用。あと、油も本当はオリーブオイルだけどね。
うん、悪くない。
「フム……これなら店で出せますが、これはこれで大忙しになりますよ」
「うん、後回しにしましょう!」
まだ色々軌道に乗ってないからね。
方向性さえ示せばあとはクラレッグさんがいい感じに仕上げてくれるのでお任せしておく。ただし、徹夜は禁止で。そろそろ強制的に休ませないとマズいかも。
こうして数日を過ごした頃、コーディが東部語をどうにか日常語レベルでマスターできたので、改めてプラーツへ向かうことにした。少しやつれているけど、もう少し頑張ってもらおう。あと、特別手当として給料を少しだけ上げたら不思議な顔をされた。なんでも、役割――セインさんのような執事、使用人トップとか、クラレッグさんのような料理人――に準じた給与以外に支払われる手当というのは普通はないらしい。つまり、日本では一般的だった通勤手当とか、家族手当とかそういう考えもないし、資格手当なんて考えもない。
「レオナ様、コーディだけ特別扱いのようになってしまうのではないかと」
「そうね。だけど、出自が出自だから」
「なるほど。金払いの良い雇い主を裏切ることはないだろうという考えですか」
「ええ」
特別手当がないとした場合、コーディの給与はぶっちゃけ元の教会の暗部だった頃とあまり変わらない。まあ、あちらはあちらで出来高制だったらしいので、それなりに稼げていたらしいけどね。では不当に低いのかというとそうでもなく、貴族家の使用人見習いとしては普通の水準。だいたい、街の食堂で働き始めたくらいよりやや多いくらいと思えばいいかな。
そう、単純に金額でいうと安すぎる。
だけど、この屋敷に住んでるぶんには家賃も食費もかからない。部屋は一番狭いといえ、普通に借りようとして借りられる広さではないし、着る物だって貴族家の使用人として恥ずかしくない水準の者を着られる。食事は言わずもがなだ。つまり、貴族家で働くって、まわりが思っている程給料は良くないんだけど、衣食住はほとんど賄えてしまえるので、出費はほとんどゼロ。というか、決まった休日という概念がないので、使うタイミングがほとんどないので貯まる一方。それが貴族家の使用人。コーディの場合、教会で普通に仕事をしているのであれば貴族家同様に衣食住が全て賄われるけど、暗部の場合はそうならないらしくて、実は結構厳しい生活をしていたらしい。要するに、暗部の仕事をこなさないと生きていけないくらいに。それと比べれば天と地程の差があるんだけど、そこに私は「通訳のお仕事ご苦労様」という飴をぶら下げた。これで頑張ってくれるなら安いものだと。
ちなみに当家の使用人としては一番長い付き合いになるタチアナは看板――毎回私が壊して回っている――だとか水を入れる瓶――先月も二箱見つかったので私が全て粉砕した――だとかで散在しているのでほとんど蓄えがないらしい。そして、給与を上げてくれと要求しているのだけれど、この人、どこまで神経が太いのだろうか。一部の言動にさえ目をつむれば優秀なのにねえ。
「なるほど、では順調ということですね」
「ええ、おかげさまで」
プラーツへ到着し、ディガーさんたちから色々と報告を受けた。
ラガレットから持ち込んだ食料の配布はどうにか完了。ラガレット本国からも順次輸送……はさすがに面倒なので、帝国を飛び越えた国と取り引きしてしのぐ予定。黒麦が収穫できる頃まではなんとか保ちそうだとのこと。
それまでに蓄えが全て吹き飛ぶらしいけど、それは仕方ないとしておく。こちらからもできる限りのことはするしね。それに……これから潰すダンジョンから私が可能な限り持ち帰ることにもしているので、なんとかなる……といいな。
「ダンジョンの方はハンターギルドを通じて既に閉鎖しております。一部のハンターから反発が出ていますが、領主命令で押し通しています……が、その……」
「言うこと聞かないのがいるのね」
「はい。ハンターに指示が出せるのはより強いハンターだけだ、と」
「はあ……命あっての物種なのにね」
「そうですな。どうしましょうか」
「うーん、とりあえずまた少ししたらプラーツに来るから、文句があるならその時に、と。私より強いという自信がある者だけかかってきなさい、と通達して」
「は?」
「力こそ全てとか言う脳筋は力で黙らせるのが一番よ」
なんていうのも脳筋発想だけどねえ。
ダンジョン関連はこんなところかな。まだダンジョンには行かないしね。ただ、近いうちにダンジョンへ向かうのは確定してるし、そのとき他のハンターがいると邪魔なので本日より立ち入り禁止という命令は出しておいてもらう。
「文句があるなら、私がダンジョンへ入る日に相手をするから、と」
「その……レオナ様に勝てるならダンジョンに入ってよい、と」
「ええ」
わかりました、とディガーさんが命令書に書き添える文面はこれでいいかと見せてくれたので了承……いや足りないな。
「一応、私が手加減しないとどうなるか、書き添えておいて」
「ええと……何と書けば」
「そうね、私に挑むなら、この前ここに来てたドラゴン、アレを尻尾つかんでぶん投げるくらいできてからにした方がいい、と」
「レオナ様、それって不可能って事ですよね?」
「コーディ、世の中広いのよ。そのくらい出来る人がいるかも知れないじゃない」
「私もフェルナンド王国内のことくらいしか知りませんが、そんなことができ……る……人……何人かいそうですね」
主に侯爵家の方々。相手をさせられるドラゴンが気の毒かも。
「となると、何人かは挑んできそうですが……」
「そうね、私、デコピンでドラゴンの頭を吹き飛ばせるから、まともな墓に入るつもりの無い者だけ来なさいと」
「わかりました」
コーディの顔色が悪いけど、とりあえず放置しよう。




