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コンコン
「お嬢様、マリアンナです」
「入れ」
音も無くリリィの前に立ち、今日の報告を始めるマリアンナ。文字の読み書きを教えようとしたが、腕が固まってるから書くのは断念したと。それはまあ予想通り、見ればわかる。だが、その先は……
「以上です」
「……ふう」
最初に見たときから、普通じゃ無いと感じていた。体が弱いのは仕方ないとして、問題はその頭の中身。子供っぽい無邪気さがあるようで、どこか大人びている。そして、とても賢い。本人は十五歳だと言っていた――十歳くらいにしか見えないのだが――が、教会すら無いような村の十五の娘とは思えないほど賢い。しかもおそらくは……いや、これ以上考えても仕方ない。次にどうするか、だ。
「マリアンナ、明日の予定だが……」
とりあえず急ぎで必要なことを伝えて、今日はこれで終了と告げる。今の報告を受けたことで、仕事が増えた。しかし、この仕事はマリアンナの手を借りるわけにいかない。私にしか出来ないことも多いのだから。
翌日の朝食のあとは、いわば算数だった。計算問題のたくさん書かれた紙を見て、計算結果を答える。これ、計算ドリルとかそう言う物だね。前世では子供の頃からソロバンとかやってたし、実はそこそこの桁数でも暗算でだいたい計算できるので、計算記号さえわかればあとはすいすい解ける。手の包帯が取れたら自分で答えを書きたいな。
昼食のあと、マリアンナさんが少し包帯を解いて中を確認。これなら外せると判断し、薬を全部流して綺麗になろうと言うことで風呂場へ。服を脱がされ、包帯を解かれて、洗い場へ。自分で洗えると、お湯を出してもらったあとはマリアンナさんを追い出した。すごく悲しそうな目をしていたけど、手足が自由に動かせるなら自分でしたい。……ここ数日、お手洗いもマリアンナさんにアレコレされていて恥ずかしいんだから。
丁寧に石鹸を泡立てて薬を洗い流す。おお、玉の肌。これが若さね、と感動してしまった。髪も洗い流したけど、そろそろ切った方がいいかな。今まで適当に切っていただけだから長さバラバラのボサボサ。マリアンナさんに頼めば綺麗に整えてくれるかな?
綺麗に洗い流したところで一度全身を確認。鏡がないので見える範囲だけど。
ここへ来てからの食生活のおかげか、少しだけ肉付きが良くなって……無いね。そんなに急には変わらないよ。前も後ろも上から下までストンと一直線。服を着せるのも脱がすのも簡単な、手間のかからない体型です。
とりあえず、体が冷える前に上がり、体を拭いてもらおうとしたら……マリアンナさんが硬直してる。
「あの?」
首を傾げて見つめてみた。
「どうかしましたか?」
「はうっ」
「えええっ!」
いきなり五体投地された。
どゆこと?
「マ、マリアンナさん……ちょっと、あの……起きてください。あの……」
「出来ません。ここ数日の、私の至らなかった言動についてお許しをいただくまでは!」
は?お許し?至らなかった言動?何のこと?
「もー、なんだかよくわかりませんけど、私ですか?私が何かしたんですか?」
「いいえ、レオナ様は何も。この私が未熟で不心得だったことを深く反省し、謝罪する他ございません」
呼び方が『様』に変わったよ。
「あーん……えーと、マリアンナさん、何も失礼なことなんてありません。私にいろいろ良くしてくださって、感謝してます。本当に」
「……お許しいただけるのですか?」
「許すも何も、ここに来てからお世話になりっぱなしじゃないですか。むしろお礼をいくら言っても足りないと思うくらいです。ですから起きてください」
「ありがとうございます」
なんだかよくわからないが、何とか起き上がり……なんかすごく丁寧に体を拭かれた。そして、もう歩くのに問題は無いのだけれど……抱き上げられてリリィさんの執務室へ。いつもよりも早足で。
「何だ、慌てて」
「お嬢様、火急の用件です。不躾ですが失礼します」
ノックの返事も待たずに飛び込んだ。何なの一体?
「何ごとだ?」
「こちらを」
下に降ろされたので、レオナさんの方を振り向く。当然だが見上げる感じで小首を傾げて。
「はうっ」
本日二度目の五体投地です。って、マリアンナさんまで一緒に!どうしたらいいんですか?
何とか宥めて起き上がってもらい、今まで通りにして欲しいと頼み込む。全部敬語とか話しづらくて仕方が無い。
「では本当に、レオナ様なのですね」
「様は余計ですが、レオナです」
「……マリアンナ」
「はい」
「いろいろと問題が大きくなったんだが」
「ですから、最速でお嬢様にと」
「ここまで誰かに会ったか?」
「いいえ。絶対に誰にも会わせてはならないと確信しましたので」
「よくやった。だが、今後が困るな。これから先ずっと、誰にも会わずに、と言うわけに行かない」
確かに今までもマリアンナさんに連れられているときにいろいろな人とすれ違っている。衛兵の詰め所だし、騎士団の一部隊が滞在しているのだから大勢の人がいるのは当たり前。
今回誰ともすれ違わなかったのは、ただの偶然だと思ったのだけど、違ったらしい。
「えっと……どういうことなのでしょうか?」
「ん……その……なんだ……顔を隠しておかないとならない、と言うことなんだが……」
「顔を隠す?」
「はい、レオナさ……レオナちゃんの顔を誰かに見られるのは問題になる、そう言う判断です」
マリアンナさん、どういうことですか?顔を見られちゃマズいって、意味がよくわかりません。
「顔を隠せばいい……あ、そうだ」
アイテムボックスから仮面を取り出した。
「これでどうでしょうか?」
仮面を付けてみせると、リリィさんとマリアンナさんの表情がいろいろおかしくなった。
「言いたいことが多すぎて、何から言えばいいのか……」
「ほへ?」
「レオナちゃん、それ、どこから出したのですか?」
「どこって……あ」
いきなり手首が消えて仮面を持って現れたらびっくりしますね。
「おおおお、女の子には、ひひひ秘密がいっぱいああああるのです!」
「マリアンナ」
「はい」
「すぐに出かける。準備を。連絡はこちらからしておく」
「かしこまりました」
マリアンナさんが「失礼します」と抱き上げられ、そのまま執務室をあとにする。何が何だかよくわからないが、されるがままでいよう。あ、仮面はそのまま着けっぱなしでと言われた。
寝泊まりしている部屋とは違う方向へ進み、外へ出ると立派な馬車が止まっていて、そのまま乗せられる。マリアンナさんは御者台へ座ったようだ。
しばらくするとリリィさんが馬車の中へ。向かい合わせに座り、馬車が走り出す。御者も出来るとはマリアンナさん、さすがです。
窓もあるし外の様子を見たかったのだが、「今は止めて欲しい」と言われたので大人しく座っていることに。数分も走らずに馬車が止まり、リリィさんに抱き上げられながら外へ。
「教会?」
「そうだ」
リリィさんは短く返事をすると、そのまま階段を上って中へ。前世では日本から出ることが無かったのですが、テレビとかで紹介されているようなヨーロッパの教会みたいな感じ。中に入るとすぐに礼拝堂になっていて……って、人がぞろぞろと出ていく?追い出されてるような感じがするけど何だろう?
マリアンナさんが修道服――とかそういうのでしょう、多分――を着た人にいろいろと話をしています。あ、何か重そうな袋を渡した。お布施?