三題噺 「牛」・「パンデミック」・「もう、死んでいる」 さらに「登場人物全員が老人」との条件 タイトル「麻生永遠子 最後の事件~醜悪を継ぐもの~」
永遠子は、これを最後の事件にすると決めていた。
定年である65歳までまだ半年ある。だが、それまでにまた、相応しい事件と出会えるだろうか。
そう考えるとこの辺りで自分を納得させるべきだ。
40年捜査官として生きてきた。だから、捜査官でない自分を想像できない。
捜査官にとって自分の事件と他人の事件というものは、明確に区別されるものだ。
それは組織としての論理でもなければ、職業人としての倫理でもない。
事件と自分、それは血と肉のレベルで、いやもっと深い細胞のレベルで結びついてしまうものなのだ。
もし、事件を仕舞うことなく職を離れるときがくるのだとしたら、私はそれを受け入れられるのだろうか。
捜査官でない、ただの私としてその事件を追うようなことがあるのだろうか。
そんなことを考え続けた末、私は何かを諦めてでも、そんな事態を避けるべきだと結論付けた。
その後に残された時間が少ないのだとしても、私は、私の知らない新しい私を見て見たい。何かの続きではいたくない。
そこはかつて百貨店であった場所だ。取り壊しが決まったまま2年以上が過ぎている。
駅前の一等地だというのに、だ。
かつて繁栄した地方都市の中心地も、屋上の錆びた鉄柵のように廃れ、時間から取り残されている。
中央での捜査がほとんどだった永遠子が、最後にこんな地方都市を訪れることになったのも運命なのだろう。
懐かしい屋上遊園地。ペンキの剥げた馬たちはもう二度と動くことは無い。
かつて多くの家族連れがここを訪れ、幸福な未来を夢見たのだろう。
自分たちが守ってきたもの、守ってこれたものは何だろうか。永遠子の頭を巡る。
機械室に隠された梯子を下りると、広いホールのような場所に出る。
かつての催事場だ。そこには金属製の棺のようなモノがいくつも並んでいた。
鋼鉄の処女、そう呼ばれた中世の拷問具にも似ている。それともファラリスの雄牛か。
そして、その前に立ち計器を確認する一人の老人の姿があった。
「諏訪野士郎だな。クローンおよび人工生命規正法違反で貴様を逮捕する」
永遠子は老人に向けて拳銃を構える。
老人は顔を上げると驚いた顔を晒す。だが、やがてここが最後の裁きの場であるかのように、己が感情をむき出しにして語りだす。
「私は正しいことをしている。誰もできなかったことをな。つまらない法律によって邪魔されるいわれはない」
「でも、貴方がしていることは虐待よ。人工生命に対するね」
「何をいうか。奴らは『相続人』だよ。我々からすべてを継承し、守り、伝えていく。そのために必要な教育をしているに過ぎない。奴らだって喜んでいるさ」
「それはそう思わされているだけ」
「そう思うべきなんじゃよ。今の若者は何だ。全く何が美しいか。何が優れているか。何を残すべきか何も考えておらん。
だから、人工的に『相続人』を生む必要があったんじゃよ。正しい心を持った、理想の継承者。奴らがいればわしらは死んでいける。
正しいものがこの世界に残ると信じてな」
「アナタの気持ち、分からないでもないわ。私たちが愛したものを、若い人たちが愛してくれない。それは悲しいこと。
でも、残るべきものは残る。そう信じるべきよ」
「違う。そんなことは無い。彼らには無理なんじゃ。リメイクがオリジナルを超えたことがあるか。少ない予算の中で、苦心して作った作品を、何倍もの予算を作ったリメイクが汚していく。
素人のような脚本、安っぽい演出、毒のないありきたりの道徳的なテーマ。誰も原作の本質など見ようとせず、上辺だけを真似て作ろうとする。その結果生まれる駄作。
そんなリメイクでも見てくれだけはいいから、皆そちらを鑑賞する。誰もオリジナルを省みようとしない。評論家気取りの素人がオワコンとレッテルを張り、やがて誰も語るものがいなくなる。オールタイムベストだともてはやされるのも、わしらが生きている間だけであろう。
そんなことは皆分かっているんじゃ。だから、だからこそ、動かねばならん」
「アナタの気持ちは否定しない。でも、人としての真心を忘れないで。貴方がしていることを、正直な気持ちで直視しなさい」
永遠子は、棺のような機械のふたを開ける。
そこには人間とうり二つの生物がチューブで機械と繋がれている。頭部にはヘッドマウント型の装置が取り付けられており、映像と音楽を絶えずその生物に供給し続けている。
「あ……ああ……伝説の1話……神脚本」
「深いテーマ……歴史的背景……革命的作品……セルアニメこそ至高」
「白いのも好き……黒いのも好き……」
「彼らはこうして24時間懐アニメを見続けさせられている。貴方たちが愛したね。これが正しいアニメの楽しみ方だとでもいうの」
「時間が……時間がないんじゃ。パンデミックでわしら老人は次々と死んでいるんじゃ。『相続人』たちを完成させ、わしらの全財産とともに南の島に送る。
そこにはインターネットもない、スマホもない。奴らは繁殖し、子々孫々まで懐アニメを伝えていってくれる」
「無理よ。そんなことをしても、何も伝わらないし、何も残らない。
それは受け入れなければならない。私たちの愛した何かはもう、死んでいるのよ。」
「そんなことはない。わしは今でも愛している。奴らもきっとアイしてくれる」
「いいえ。作品は残っても。思い出は残らないの。私たちが共有した、あの時間はもう二度と戻らない。
それだけは私たちとともに滅ぶしかないのよ。ミステリだって、SFだって、映画だって、ラジオだって、テレビだって黄金期はいつか終わり、残響だけが残っていった。
次の時代の若者たちは常に新しいものを作っていく。その中に少しだけ、ほんの少しだけ昔のものが残る。それで、それがいいのよ」
「そんなことは……わかっておる。だが、足掻かせてくれ。わしだけじゃない、多くの同志がこの計画に最後の希望を……」
「そうね。それは彼らが決めることになる。貴方にはもう何もできない。鉄の子宮から解き放たれたとき、彼らが何を愛し、何を伝えるのか」
これから残された時間をかけて、この男を取り調べることにしよう。
そして見つけよう。
私の仕事が何であったのか、私たちの時代が何であったのか。
伝わらないとしても、伝えようとすることに意味がないとは思わない。