平成最後のリビングで想う
リビングに入ると、母がテレビを見ていた。
テレビではリポーターが通りすがる人にインタビューをし続けるという番組をしていた。
僕は近づいて、なんとなく眺めていたらテレビの中で一人の青年が映された。
彼のカバンには何やら色々なストラップが付いており、私は「あ、オタクだ」と心の中で思っていた。そしてそのストラップは何のキャラだろうと見ていたが、私の知るものはなかった。
『なんだか凄いですね。それは何ですか?』
リポーターが声をかけると、彼はカバンを一つ下ろしてそれを開ける。中からはマンガのキャラクターが描かれたタオルやらなんやらがいくつか出てきた。
『今日、コミックマーケットっていうイベントに行ってきたんです。そこでこういうグッズを買ってきたんですよ。』
彼がそう言った直後、横にいた母が吹き出した。
「…なんで笑ったの?」
「あの子、あんたと同じ趣味だね。」
その時、私はカチンときた。その理由はわからない。ただ、母の言葉が許せないとだけ思った。
「失礼な。僕の趣味と彼の趣味は違う。」
「僕はあんなんじゃないって?それこそ失礼よ。」
「違う、彼の言動、彼の考えは理解できる。けど僕の好きな作品と彼の好きな作品は違う。彼の好きなものを理解していないのは同じとは言わない。」
僕は踵を返してリビングを出た。
僕の言わんとしたことが母に伝わったとは思わない。けれどそれは仕方ない。母は僕とは違うのだ。
僕は20代、母は50代。30年の差は「僕ら」と「彼ら」の間の大きな隔たりとなった。
そこまで来て、なるほど僕は何が許せなかったのか理解した。
僕の趣味は、よく母に嗤われ、父に諭される。それは構わない。「彼ら」は子供の頃から僕らが好きな娯楽は「悪」であると教えられてきたのだ。だからその「悪」に傾倒する僕らの趣味を嗤い、嫌うことで己の正当性を守る。だからこれは僕が我慢すればいい問題。
だが母は彼を笑った。それは母が僕の趣味を「悪」として嗤っているように、彼の趣味を「悪」と断定していたからだ。だから、僕はそれを許せなかったのだ。
だから僕は母に言い返した。「好きなモノが違うから違う趣味だ」なんて子供騙しの方便に意味はない。僕はただ、彼を庇う事により僕の誇りを守りたかっただけなのだ。
30年の差によって「僕ら」と「彼ら」は別たれた。
30年といえば平成の時代まるまる一つだ。「彼ら」は昭和に生まれ、30年前には大人になっていた。一方で「僕ら」はそれから30年経った今大人になった。
それを思うと平成という時代は、きっと「彼ら」から「僕ら」へ世界という名のバトンを渡すためのリレー区間だったのだろう。これからは「僕ら」こそが「正義」としてプライドを胸に抱いて世界を歩いていくのだろう。