脱引きこもり宣言
ゆっくりと瞼を上げると、私の自室だった。まだ熱が高いのか、頭が重い。
ふと、右手が暖かいのを感じ目をやると、私の手を握ったまま、エマがベッドに寄りかかるようにして眠ってしまっていた。
何となく久しぶりな人の温もりな気がして目がうるうると潤む。
「…お嬢…様…?」
私が少し身じろいだ事に気がついたのかエマが目を覚ましたようだ。
「…!お目覚めになったのですね!良かったです…!お嬢様、今、何か飲み物を持ってきますねっ」
そう言って立ち上がろうとしたエマの手をぎゅっと握る。
何となく行かないで欲しかった。
私のよく知らないこの世界が怖かったし、寂しかった。
思考落ち着いてきたら、殺されるかもしれないと言う事実がとてつもなく恐ろしかった。
きっと熱のせいで思考力が鈍くなっているだけ。そう言い訳をしてエマの手を離さないように力を込める。
何か言わなければ…そう思うのだけど上手く言葉が見つからない。
そんな私を見て、少し驚いたように目を見開いた彼女は優しく笑い、またベッドの横に膝をついた。
「もう一度おやすみ下さいませ。お嬢様がお眠りになるまでここにいますわ。」
そう言って、空いている方の手で、私の顔にかかった前髪をそっと除けてくれた。
なんて優しい人だろう。どうしてメーシャはそんな彼女の事を蔑ろにし、必要最低限の関わりしか持たなかったのか。
記憶が戻る前の自分に呆れながらまた、深い眠りに沈んだ。
次に目が覚めた時にはもう窓の外はオレンジ色に染まり、日の傾いてきたころだった。
起き上がり自分のおでこに手を当ててみる。少し熱いが熱はだいぶ下がったようで体も楽になっていた。
起きたら全部夢だった。
なんて事を願っていたけど現実はそんなに甘くなかった。
「どうしよう…」
この世界で生き抜いて見せるとは言ったもののいい案が思いつかない…
ゲームスタートがロレン16歳の時だから…あと、6年…短くて5年以内には私は殺される予定のはずだ。
タイムリミットは5年。
それまでに何かアクションを起こして毒殺を回避しなければ…!
どうする?逃げる?逃亡する?…いや現実的じゃないよね…。だってこの世界での私は7歳で、貴族令嬢。
まさかその年の子供を雇う住み込みアルバイトなんて無いだろうし、まず見つからずに逃亡出来るかすら怪しい。
すぐに連れ戻されて終わり、もしくは途中で賊に襲われて人生の終わり。
あ、じゃあ早々に結婚でもしてこの家を出るか…?今7歳だけど12歳近くになれば婚約ぐらい…。いやいや、お爺様がそんな適当な婚約を許すわけないし、私は今引きこもり令嬢だ。出会いの場もつても無い。…それにこのゲームにまともな人物はいるのか………。
ぐるぐると思考を巡らせてもいい案が浮かばない。
だって私は引きこもり令嬢であって何をする力もない。
「…あれか、もう、殺される前に、殺す…」
思考が迷走してきた頃、ふと顔をあげると大きな鏡が目に入った。
そこには暗い顔をしているであろう長いウェーブした黒髪のお化けのような自分が写っている。
「…あ!!!!!これだ!!」
そうだ、私はなんとなく殺される。
引きこもりの、従兄弟が邪魔だったからだ。それなら脱引きこもりをして、利用価値があると思ってもらえばいいんだ…!!!
私は利用価値あります。どこの家とでも婚約します。ロレン様と家のために生きます…!そうアピールをすればきっと殺すなんて思わないはず!
私、天才か。
思い立ったら即行動だ。
私はベッドから降りてドレッサーの引き出しを開ける。
脱引きこもりと言っても具体的に何をすればいいかよく分からないが、まずは形から入ろう。そう、何事も形から入ること大切。
気合いを入れて、震える手に力を込める。
「よし…」
ジャキッ―――
ハラハラと落ちていく黒い髪。
恐る恐る目を開けるとパッツンになった前髪から現れたのは…
「へ、美少女すぎん????」
そう、今までに見たことのない美少女が現れた。
前髪が隠していた青い瞳はこぼれ落ちそうなほど大きく、肌は真っ白、唇と頬は薄く色ずいている。
流石にロレン様の従兄弟だし、そこまでブスではないと思っていたけれど…。
え、やばくない?可愛すぎない?(自画自賛)
メーシャちゃんリアル天使じゃん(自画自賛)
何この儚げな雰囲気をした鬱み溢れるロリは(自画自賛)
攻略対象を作り出す遺伝子やばい。
ロレン様を作り出した遺伝子やばい。
思わずドレッサーの鏡を握りこんで、まじまじとそこに映る少女を見つめる。
目をこれでもかと見開いた驚き顔の美少女がこちらを見つめている。
「尊すぎか」
いやいや、こんなことしてるひまじゃなかった!ふと我に返り時計を見る。夕食までは少し時間がある。
時間が経つにつれて決心が鈍りそうだ…。
そう思い、恐る恐る自分の部屋と廊下を繋ぐ、その私を守ってきた扉を開ける。
隙間からチラリと廊下の様子を伺う。
しんと静まり返るそこに人の気配は無い。よし、異常なし。
そろりそろりと久しぶりの廊下を歩く。
この時間、ロレン様は御自身のお部屋にいるはずだ。
流石にまだ本人に会う勇気は無いので、エマかお爺様を探してみよう。
そう思い足を進めるが使用人達が沢山いて思うように進めない。
いちいち、物陰や曲がり角に身を隠し、気配を消す私はまさしく特殊部隊員。
なんか楽しくなってきた。
侍女たちが去ったところで
「…異常なしです隊長!」
と、ノリノリで言ってみる。
「それはよかった。それで、君は迷子かな?」
は?
独り言を言っていたはずなのに返事が返ってきた。
誰かが私の後にいる。
恐る恐る、ギリギリと首を後ろに向ける。
「お爺様のお客様かな?お嬢さん。」
そこにはにこやかなスマイルをしたロレン様が立っていた。
サラサラとした金髪から除く青い瞳。まさしく童話に出てくる王子様。
「ひっ…」
思わず顔が引き攣る。
お前、なんで、ここにいる。
「え、あ…」
声が上手く出ない。だってこの子、数年後に私を殺す子だよ。
「迷子になっちゃったの?」
何も言えない私を心配そうに見ている。私がメーシャだって気がついてないんだ。
だめだ、さっき決めたはずだ。
髪だって切った。生まれ変わらないと。そう、何か何か言わなければ。
「あ、あのっ!」
「ん??」
いきなり大声を出した私を不思議そうに見ている。
「わ、わ、私!引きこもり辞めますの!!!!!!」
「は?」
それだけを大声で言い捨てて振り返り、全力でダッシュする。
私は前世も引きこもり。加えてコミュ障。そんな私が普通に人と話せるわけがなかったんだ。の ってなんだ の って。
長い長い廊下をひたすら走る。
え?令嬢がそんな事してはしたないって?
知るか!後ろには殺人鬼だぞ!?
これを逃げずしていつ逃げ…
「ぐふっ」
思いっきり誰かにぶつかった。
「メーシャ…!探したんだぞ!?!?」
顔をあげるとお爺様がいた。
額にうっすらと汗をかいていて息も乱れている。言葉の通り私を探していたのだろう。
「あぁ、無事でよかった。それに、その前髪はどうしたんだ!?誰かにやられたのか!?」
がしりと肩を掴みガクガクと振られる。やめてくれ。
「お嬢様!!!!」
今度は後ろからエマの声がかけられる。
「お嬢様がお部屋に居られないから一体どこへ行ってしまわれたのかと思い…!っ!?!?そのお髪はどうなされたのですか!?まさか誰かに…!?」
悲痛な叫び声が響く。
大の大人2人に詰め寄られる。ひぇ。
なんでどっちも誰かに前髪を無理矢理切られたと思ってるんだ。
「あ、あの…」
「あぁ、可哀想にお嬢様…。どこのどいつか知りませんがそのような酷いことをした輩をすぐに連れてきてお嬢様の前に跪かせて差し上げますわ…」
真顔で怖いことを言うエマはいつものエマじゃない。
「ち、ちがくて…」
「そうだよ、メーシャ。ごめんな、私の力が及ばないばかりにお前にこんな苦労をかけて。…どこのどいつだ…解雇…それだけじゃ生ぬるい…裁判…いやいっそこちらで制裁を…」
2人とも目が死んでる。いっちゃってる。
「あの!お爺様!エマ!聞いてください…!」
このままじゃまずいと思って大声をだす。
同時にぐるりとこちらを向いた2人。
怖い。顔怖い。
「ち、違うんです…前髪は自分で切ったんです!」
「お嬢様が…?」
コクリと頷く。
「私、このままじゃいけないと思って…。このままじゃきっとお爺様たちに迷惑がかかって(私殺されます)…だから…立派な令嬢になって(利用価値を示そうと)…」
そこまで言うとお爺様に思いっきり抱きしめられた。ぐふっ…苦しい。
「あぁ、メーシャはなんていい子なんだ。だが君を迷惑だなんて思ったことは無いよ…。だがメーシャがそう思ってくれたのなら私はそれを支えよう」
その隣ではエマが『お嬢様…ご立派になられて…』と泣いております。
どういう状況なんだこれは。
私を抱きしめながら泣いているお爺様と、それを見ながら泣いているエマ。
そして、いつの間にか騒ぎを聞きつけた使用人たちが集まってきてみんなして鼻をすすっている。
『あぁ、ご両親を無くされた悲しみをお乗り越えになったのね…』
『旦那様良かったですわね…』
『えぇ、本当に。メーシャ様もご立派になられて…』
『メーシャたん天使…』
なんだこのシュールな空間は…。
そして最後のやつ。
どのタイミングで話を切り出そうかと考えていると、
「いったいどうなされたのですか?」
そこによく響く声が割り込んだ。
「あぁ、ロレンか。メーシャがね、私のために部屋から出てきてくれてね。」
半分正解。まぁ、お爺様が嬉しそうだから理由はそのままにしとこう。
「メーシャ…?」
ロレン様の瞳が、お爺様の腕から開放された私を捉える。
「今日からメーシャとも一緒に生活を送ることになるからな。2人とも仲良くするんだよ」
嬉しそうに言うお爺様。孫2人が揃ったことが嬉しそうだ。
メーシャの前に来たロレンは体を屈ませ、高い目線を合わせ、
「僕はロレン。今日からよろしくね、メーシャ。」
そう言って手を差し出した。
「よ、よろしくお願いします、ロレン様」
恐る恐るその手に手を重ねる。
周りの者達は皆微笑ましそうにその様子を見ていた。
ボーン―ボーン―
その場に夕食の時間を示す時計の音が響いた。
「あぁ、もうそんな時間か。それでは夕食にしよう。今日は家族皆が揃った夕食だからね」
ロレン、メーシャおいで。
そう言ってお爺様は食事に向かわれた。
「僕が案内するよ」
きっと場所がわからないよね。と、親切に、その握られた手を離すことなくダイニングルームまで案内された。
きっと今、利用価値査定が行われている…。そう思うと倒れそうな程の緊張が襲ってきた。
その後、最低限にしかわからない食事マナーを駆使し、なんとか食事を終わらせ、今日は体調がまだ優れないと、食後のティータイムのお誘いをお断りした。
なんとか自分の部屋に戻ってきた頃にはもうへとへとで倒れるようにベッドに身を投げる。
「…疲れた…」
今日1日は目まぐるしすぎて引きこもり上級者の私にはきつかった。
「ふふっ」
でも、少し嬉しいこともあった。
お爺様には迷惑だと思われてるかも知れないと心の底では少し思っていた。
可愛い娘の子供だから私を仕方なく引き取ったのではないかと。
だけどお爺様もエマも私のことを大切に思ってくれていた事が伝わってきた。
屋敷の使用人も引きこもり令嬢なんてと思っているのではないかと、部屋から出るのが怖かった。
でも違った。きっとそう思ってる人はいるかもしれないけど、全員が全員そうではなかった。
あと5年。
そのタイムリミットまでに私は、利用価値を見出させるか、婚約をして家を出るか。
「よーし!」
頬をペちりと叩き、気合いを入れる。
「頑張るぞ!!」
これからの不安と少しの嬉しさを胸に、私は目を閉じた。