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探偵とヒーロー  作者: はち
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酸素とアルゴン――8.たった一つではない冴えたやり方

 雀ちゃんと別れ潟元さんの家に帰ろうとしたが、学校にカバンと弁当箱を忘れていることを思い出し、一度学校に戻った。

 教室にはまだ仮町が残っていた。


「よう、待ってたぜ」


 仮町は僕の弁当箱を丁寧にハンカチで包んでいた。


「食べたのか、僕の弁当を」

「食べずに出て行ったからいらないのかと思ってな」


 白々しいことを言う仮町を無視して、僕は教室を見回した。


「梨花は帰ったのか」

「事件の真相は教えてくれないし、土下座も見られんってぷりぷり怒って帰ったよ」


 仮町は僕の机の脇に置かれたカバンに弁当箱をしまい、そのカバンを僕に差し出した。僕はカバンを受け取ると溜息をついてから聞いた。


「君はあの二人の心の中を、あの日既に気づいていたんだね。僕が二日かかって気づいたことを、君は数十分で分かっていたんだ」


 僕はホームズを称賛した。


「俺とお前じゃ着眼点が違うってだけさ。数学者と物理学者の考え方は別物でも、天才であることに違いはないだろ」


 けれどホームズはそれを否定した。


「君と梨花もあんな感じなのか?」

「あそこまで親密な友情はねえよ。ただあいつは嘘をつかないからな。気が合うんだ」

「君もだろ」


 仮町は正直で、真っすぐだ。それが彼の印象だった。


「そんな君が嘘をつくんだ。そうした方がいいってことだよね」


 仮町は何も言わず、意味深な微笑みを見せて教室を出て行った。


 学校から十五分ほど北に向かって歩くと、閑静な住宅街がある。比較的高収入の家ばかりで、大きな洋風の家ばかりが建っている。潟元さんの家はその住宅街にある。しかし周りは洋風な家ばかりなのに、潟元さんの家は和風建築の平屋で、景観を壊しかねないほど目立っていた。それでも誰も苦情を言ってこないのは、その家がただひたすらに立派だからだろう。

 僕はそんな家の門をくぐり、玄関を開けて家に入った。靴を脱いで屈んで揃えていると、潟元价子さんが「おかえりなさい」と言って歩いてきた。僕は優しい言葉に感謝しながら「ただ今帰りました」と応えた。


「もっと元気にただいまって言って」エプロン姿で言う价子さんは四十過ぎの女性には見えなかった。その笑顔は若々しく、肌には生気が溢れていた。けれどそれは単に幼さがあるということではなくて、しっかりとした大人の女性の品格があった。


「ただいま」僕はぎこちない笑みを浮かべてそう言った。

「夕食の準備は済んでるから、早く来てね」


 僕は「はい」と答えて、キッチンへ向かった。この家の外観は純和風だが、キッチンは最新式で揃えられている。IHコンロが二つ並んでおり、オーブン、食器洗い機も下の棚に内蔵されている。

僕はカバンから空っぽの弁当箱を取り出して、ふたを開けて蛇口をひねり、中を水で浸した。後ろの方で价子さんが「ああん、そんなの私がやるから早く座りなさい」と唸っている。

 僕はキッチンを出てリビングの円卓に座った。円卓の上にはバランスのとれた和食料理が所狭しと並んでいる。


「美味しそう」僕は思わず呟いてしまった。价子さんは嬉しそうに微笑みながら僕の隣に座った。

 ほどなくして、書斎から京司さんがやってきた。京司さんは僕を見て「おかえり」と言った。京司さんは着物姿でこの純和風の家に合っていた。


 京司さんは作家であり、芥川龍之介のファンだ。ゆえに着物を着るのだといつの日か話していた。

 僕たち三人は両手を合わせ同時に「いただきます」と言って食べ始めた。

 食事の間、夫妻は学校のことを話題にする。それはもう定番になっていた。


「最近学校はどうだい?」煮魚の骨を丁寧に取りながら京司さんは聞いた。

 勿論盗撮疑惑をかけられていることなど言えるはずもなく、「大変充実していますよ」と答えるしかなかった。


 价子さんの料理は美味しかったけれど、今日推理してしまった真相のことを考えるとそれどころではなかった。


 僕は並べられた食事を綺麗に平らげ「ご馳走様でした」と言った。价子さんは笑顔で「お粗末様でした」と言った。僕は空になったお皿を重ね、再びキッチンに向かおうとした。


「だから、そういうのは私がやるって言ってるでしょ」

「皿洗いぐらいさせてくださいよ」僕がはにかんでそう言うと、价子さんは困ったような顔になる。

「いいからお風呂でも入ってきなさい」价子さんは僕からスポンジを取り上げるという強硬手段に出た。僕は渋々脱衣所に向かった。


 脱衣所に向かう途中京司さんと廊下ですれ違った。僕は「お風呂いただきます」と言った。

「何か悩みはないのかい?」腕を組み神妙な顔で僕に聞いた。

「悩みとはなんですか?」

「生きていれば悩みの一つや二つあるだろう。君は中々話してくれないからね。でも、私たち夫妻はいつでも話してほしいんだ」


 僕は少し考えた。きっと京司さんは僕が壁みたいなものを隔ててしまっていることを感じているのだろう。だからここでの僕の最良解は、なにか別の悩みを考えて言うことで、京司さんの心に満足感を与えることだろう。


「京司さん、正しい回答を求める人がいて、僕にはその回答が分かっている。しかし、それを言うことがその人の為にならないときは、どうしたらいいでしょう?」


 それは僕が一番悩んでいることだから、あながち嘘をついていることにはならないだろう。


「私なら、その子がなぜ回答を求めたのかを考えるかな」


 その瞬間、心の中で何かが光った気がした。暗闇の中で、選択肢を失い止まってしまった僕に差し伸べられた一筋の光だった。


「なるほど、分かりました。ありがとうございます」


 そう言うと、京司さんは満足そうに笑った。


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