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探偵とヒーロー  作者: はち
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ヒーローと探偵――15.帰る場所

「あとは僕に任せてくれ」そう告げて僕は梨花と別れた。


 格好つけてみたものの、僕は次に何をしたらいいのか分からなくなっていた。というか、そんなことよりも傷が痛かった。一応僕が眠っている間に応急処置は済まされていたようだけれど、目に見える部分の絆創膏は赤く滲み、剝がれかけていた。特に口元に貼られているものは、片側が剥がれてしまい付いている意味がなかった。


 こんな姿を見られたら、潟元夫妻になんと言われるのだろうか。こんなぼろぼろになって、こんな遅くなってどんな反応をされるか予想もつかない。


 僕は仮町のことよりも、怪我の痛みのことよりも、ただそれだけが気がかりだった。

 潟元夫妻がどんな反応をするのか、それだけが不安だった。家に帰ると人がいて、おかえりと声をかけてきて、僕を見てしまう。そんなことで悩む日が来るなんて、思ってもいなかった。


 そんな普通の悩みを、普通という幸福を得る日が来るだなんて思ってもいなかった。

 僕は恐る恐る家のドアを開けた。ドアの音に気づいてすぐに价子さんがやって来た。僕の姿を見て、いつもの「おかえり」という言葉も失っていた。その後ろから京司さんが現れて、玄関にいる僕に向かってゆっくり歩いてきた。


 歩く度、京司さんの着物の袖がゆらゆらと揺れ、それがなんだか無性に怖かった。

 京司さんは勢いよく右手を掲げ、僕の頬まで持ってきた。引っ叩かれると思った。でも京司さんは僕の頬に軽く触れるだけだった。僕は驚いて、がっちり閉じていた瞼をゆっくりと開くことしか出来なかった。


「ばかもの……。今までどこにいたんだ。電話にも出ない。そんなにぼろぼろになって……、何があったんだ。どこにいたんだ」


 京司さんはかなり慌てていた。慌て過ぎて、同じ質問を二回している。

 僕の頬に触れている右手が震えていて、その振動がなぜか消えそうなほど弱くて不安になった。

 僕には分からない。目の前の人間がなぜこんな様子を見せるのか。僕には理解できない。


 なぜこの人を見ると、こんなにも胸が苦しくなるのか。


「さあ、とりあえず上がって。ご飯食べて、ちゃんと絆創膏貼って……それから……それ――から」


 价子さんの取り繕われた笑顔は綻び始め、涙を流してしまった。

 僕はその姿を見ることが出来なくなって、ただ黙って俯いてしまった。


 それからはなんだか、意識が朦朧として、世界が霞がかっているように見えた。リビングのソファで座っていると、价子さんが救急箱を持ってきて絆創膏が剥がれてしまった箇所を貼り直してくれた。でも僕は、お礼を言えないくらい落ち込んでしまっていた。


「何があったの?」


 价子さんが兎みたいに真っ赤な目で聞いた。


「なんて言ったらいいのか、因縁つけられたってやつですかね」

「どんな奴?相手は知り合い?私がやっつけてやる」


 价子さんは歯をぎりぎりと噛み締めて、怒りの形相になっていた。


「どうして電話に出なかったの?」价子さんは上目遣いで睨みを聞かせ、傷口に消毒液をかけながら聞いた。消毒液が染みる痛みのせいか、价子さんからさっきとは違う怒りを感じた。


 電話に出ないことを怒る彼女のような怒りだった。


「えっと、その」僕は制服のポケットを慌てて調べた。上着右のポケットから画面が粉々になった携帯電話が出てきた。


 あの不良に暴行を受けたとき壊れてしまったみたいだ。ボタンを押しても反応がない。


「まあ、でも帰ってきてくれてよかった。心配してたのよ。この家が嫌でいなくなったんじゃないかって」

「え?」

「あの人もね、ずっと気が気じゃなかったのよ。自分のせいでいなくなったんだって嘆いていたわ」


 僕は固まってしまった。そんなことはあり得ないからだ。夫妻のせいでいなくなるなんてあり得ないことなのに、潟元夫妻はそう思っていた。


「そんなことはあり得ないですよ……」


 感情を言葉にしてみたけれど、それはなんだか薄っぺらく、軽くなってしまった。この言葉が本当なんだと伝えるにはどうしたらいいのか分からない。

 僕は今日大事なことを教わった。友達の偉大さを、暴力の痛みを、人の手の優しさを、そして――言葉の力無さを知った。どんなに思っても、伝える術は言葉しかなくて、それは不完全としか形容できないほどおざなりなものだ。


 言葉は脆く、軽く、心を込めるのには足りなすぎる。

 だから僕は、泣いたんだ。

 潟元夫妻にとんでもない勘違いをさせて、不安にさせて、迷惑をかけた。なのに、それを取り去ることが出来ない。僕は無力で、無価値で、どうしようもない。


 それがこんなに苦しいなんて。それを知ることがこんなに悔しいなんて。僕は理解していなかった。いや、見ようとしていなかったんだ。自分に興味が無いと諦めて、周りさえ見ないようにしていた。

 でも、僕にはこうして心配してくれる人がいて、頼ってくれる友達がいる。いつまでも皮肉屋を気取っているわけにはいかない。


 僕は涙を拭いて、普段使わない表情筋を無理矢理引き上げて、にっこりと、仮町みたいに笑った。

 すると、价子さんは優しく僕の手を握って「ご飯にしましょ」と言った。


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