ヒーローと探偵――13.夢への扉
それは一瞬のことだった。
一瞬、瞬きの時間僕の背中は押され、前のめりに倒れた。反射的に手を地面についたが、結局腹と膝と顔を打ち付けてしまった。口の中に鉄の味が広がった。どこかが切れて血が流れたみたいだ。
僕は恐怖で塞がれた目をゆっくりと開いた。
「よう、元気か」後ろから声が聞こえた。妙に挑発的な、薄ら笑いを浮かべているような男の声だった。
倒れたまま顔だけ後ろを向かせて見ると、本当に笑っていた。しかし、いややはりと言うべきか。その笑顔は嘲笑的で、僕が口から血を出して痛がっているのを楽しそうに見ていた。
男は黒髪の制服姿だった。その制服は僕のものと同じだった。
「元気じゃないよ。君に転ばされて、あちこち血が出ている」見知らぬ男に僕はそう言いながら、僕は制服の砂埃を払いながら立ち上がった。
「お前、あいつの友達なんだろ?」男はにやにやと笑いながら僕に言った。
「あいつって、仮町のことかな」
僕は目の前の人物が誰なのかを考えていた。はっきり言ってあまり友好的な雰囲気ではない。嫌な予感がした。
「そうだ。で、そいつは今どこにいる」そんなこと僕が聞きたいくらいだ。
「分からない。仮町になんの用なの?」
「色々と因縁があってな、お礼参りに行くんだよ」口角を不気味に上げて、男は言った。
その言葉で男が誰なのか分かった。梨花の一件の時、校舎裏でタバコを吸っていた不良先輩だ。あの時この男は天野くんという生徒を脅し、不登校にさせた。それを知った仮町は男とひと悶着を起こした。因縁とはそのことだろう。
「知らねえなんて嘘なんだろ?黙っていると為にならねえよ」男は僕の胸倉を掴んで持ち上げた。
でも、知らないものは知らないのだからしょうがない。何を言っても無駄だと思って何も言わず黙っていた。
男は僕を殴った。何度も、頬に腹に、体中に暴行を加えた。不毛な暴力を繰り返し、僕の体中に痛みが走った。
「はあ、はあ、そうやって黙ってるのが友情の証か?下らねえ」男は息を切らしながら、地面に横たわる僕に向かって、そう吐き捨てるように言った。
僕の頭は朦朧としていた。思考が上手く働かず、なぜか手を伸ばしていた。ゾンビのような動きで手を伸ばす僕に驚いたのか、男は後ずさった。
そして男の右足を掴んだ僕は――言った。
「なにが友情の証なんだよ。教えてくれ。僕はあいつに褒められたいから助けたいのか?梨花に認められたくて幻滅されたくないから協力しているのか?分からないんだ。教えてくれよ!」
言葉は止まらない。ダムが決壊し、中の水があふれ出るように、僕の言葉は勢いを増し続ける。
「助けたいんだ。救いたいんだ。そばにいたいんだ。でも、それがどこから来ている感情なのか分からないんだ。僕はどういう人間なんだ?分からないんだ」
僕は良いやつだから助けたいのか?
そうじゃなくて、やっぱりただ良いやつだと思われたいだけなのか?
「正義って一体、なんなんだ――」
そして、僕の体から力が抜けた。手は男の足から離れ、完全に体重を地面に預け、その場に倒れこんだ。
頭がぼおっとする。何も考えることが出来ない。もう既に痛みさえ消えていた。
夢を見ている気分だった。優しくて、綺麗な夢だ。誰かが僕の手に触れてくれる夢。
僕はそれに溺れていく。