ヒーローと探偵――12.よくある話
それから僕は、僕の頭は、酷く虚しい作業を強いられた。浮かんでしまった愚かな考えを忘れるという行為を繰り返し試みた。何度も僕はおまじないみたいに、忘れろと頭の中で唱え続けた。
けれど、忘れろと願うたび、その懇願の回数分、推理に確信を持ってしまう。おぼろげだったパズルはより鮮明に組み合わさり、今では一枚の絵画のようになっている。継ぎ目はなくなり、それが真実なのだと認めざるを得なくなった。
意味のない思考の断片を抱えて悩んでいると、ちょうど六限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。机の上に置かれたノートには授業の内容が一切書かれていなかった。
先生はホームルームで夏休みに気をつけることを淡々と述べた。
そうか、そういえば明日から夏休みなんだっけか……。
僕はカバンに教科書をしまって、帰る準備をしている梨花の元へ行き「ノートを写させてもらえないかな」とお願いした。梨花は快くそれを受け入れてくれた。僕は彼女の机に白紙のノートを置き、その隣に梨花の綺麗な字が書かれたノートを広げた。梨花の前の席を拝借し、ノートの写しを始めた。
「ひーくんの居場所、どこか見当ついた?」
僕と向かい合って座る梨花が、頬杖をついてそう聞いた。僕は首を小さく横に振った。
「そっか、明日から夏休みなのにどこ行ってるんだろうね。あのバカは」
その言い方は優しく穏やかで、仮町の話をしているのに仮町が行方不明なのを忘れてしまいそうだった。
「一緒に色んなところ行こうと思ってたのに」残念そうに、悲し気な顔で梨花は言った。
「それは悲しいね」
「なんで他人ごとなの?君も一緒に行くのにさ」
「えっ、聞いてないけど」
「言わなくても分かるでしょ。友達なんだから夏休みどこかに行くのは当然よ」梨花は呆れ顔だった。僕を心底馬鹿にしているみたいだ。
そんなこと言われたって、友達なんて今までほとんどいたことないんだから、そんな常識は知らなくて当然だろ――なんて言葉は恥ずかしくて言えなかった。
でも君は、僕が言えない恥ずかしいことだって、平気で言えてしまうんだよな。
僕はそんな風に誰かに本音を話すことはできない。そういうリミッターをかけられた機械のように、僕の言葉は出てこない。梨花の今の言葉を喜んでいるのに、それを表に出すことをどこかで拒んでしまう。
「どうしたの?」梨花に声をかけられて、自分がぼおっとしていることを知った。
「えっ?」
「なんかぼおっとして私のほうを見てさ」
「いや、なんでもないんだ」
本当は言いたかった。
君がどれだけ凄い人間なのか、伝えたかった。称賛したかった。
君が信じなくたって、笑って僕の言葉を流したって、言いたかったんだ。
でも言えなかった。
だって僕が言いたいこの言葉は、君の為じゃなくて、僕の為だってことを知っていたから。
君を褒めて称えることで、君に良い人間だって思って貰いたいだけなんだ。君に認めてもらえれば、僕はなにかになれるんだって妄信しているんだ。
そう、よくある話だ。親を亡くして、愛してくれない人に育てられたから、承認欲求が強すぎるんだ。
不幸な自分に酔っただけの、愚かな人間なんだ。
だから僕は最初からきっと、君たちに関わるべきじゃなかった。この下らない自己満足の為に、利用しようと思って、それだけでも最低なのに結局利用しきれなかった。中途半端で、馬鹿みたいだ。そう思うと、この数日間仮町のことを気にかけていたことが恥ずかしくなった。
僕は多分、仮町を助けることで彼に認めて貰いたいだけなんだろう、と分かってしまった。
「ねえ、聞いてもいいかな?」ノートの写しはあと一行というところまできていた。僕はその一行を書きながら、彼女の顔も見られないまま聞いた。
「なに?」
「君はどうして、そんなに仮町を助けようとしているの?もし、仮町がそれを望んでいなかったらどうするんだ?実際そうだから電話にも出ないんだったら――」
「だったら?なに?」僕の愚問を彼女は一蹴した。「関係ないよ。そんなの」
「ひーくんは私を助けて、一番の友達になった。だから責任を取ってもらうの」僕が勇気を出して顔を上げると、そこには無邪気で意地悪な女の子の顔をした梨花がいた。
「責任?」
「そう、責任だよ。私の友達になって、私の心にいながら私に気に掛けるな、なんて、そんな理不尽は許さないよ」
僕は色々と考えた。さっき自分の中に浮かんだ自己否定の言葉も含めて、もう一度彼女の言葉を考えた。どう答えればいいのかを必死に思考した。
そうして悩んだ末、僕の口から出たのは、
「そうだな」
という掠れた声だった。
でもそれが本音だということは、嘘を見抜く彼女ならきっと分かっていたはずだった。
だけどそれ以上のことは出来なかった。梨花は今日も仮町を探すと言って帰っていった。僕はもう彼らと関わる気力をすっかり失ってしまって、ついていくことはなかった。
僕は梨花と別れ、一人家へと向かっていた。その足取りは重く、気を抜くと地面に沈んでいきそうな気がした。
僕は空を見上げて、心に溜まっている何かを捨てるように息を吐いた――その時だった。
僕の背中に、衝撃が走った――。