ヒーローと探偵――2.素敵なこと
お見舞いの次の日、教室に入ると妙に皆騒がしかった。何かあったのかと疑問に思っていると高野がハイテンションであいさつしてきた。
「よっす」
僕は自分の机に鞄を置いて、「やけに皆浮足立っているようだけれど、なにかあったの?」と高野に質問した。
「そりゃ、あと一週間で夏休みだからな。嬉しすぎてこうなるってもんよ」
確かに皆、夏休みにどこにいくか何をするかという話題で盛り上がっていた。僕としては宿題が出るからあまり好きではないというのが正直なところだった。外に出るのも苦手なので夏休みが楽しみという感覚はよく分からなかった。
僕は席に着き、鞄の中身を机の中に入れながら、昨日のことを思い出していた。
病室で、寝たきりの少女に、語り続けたあの時間を思い出していた。
たぶん、昨日は人生でもっとも言葉を発した日だろう。それほど濃密な時間だった。だから今の日常という時間がどうしようもなく薄く、脆いものに見えてしまう。
吹けば飛んでいきそうな、そんな軽い時間の中にいるように感じる。それが僕を再び不安の海の中に突き落としてしまった。
仮町や梨花と出会い、助けてもらって、何かを掴みかけていたのに、また元の場所に戻された気分だった。止まったマスにスタートに戻るとでも書いてあったのだろうか。
自分の人生はちっぽけで、生きている価値も無いに等しいものだとまた教えられた気分だった。僕の手札はブタであり、勝てる見込みなど万に一つもないと示された気分だった。
手札を変える勇気もない僕は、ただ茫然と黒板を眺めた。
「おはよ」梨花が僕の前に突然現れ、笑顔で挨拶した。自分の手札に絶望していた僕は弱弱しい声で挨拶を返した。
「なんだか元気ないね」
「ちょっと落ち込む出来事があってね」
「自分の能力の低さを痛感したとか?」
梨花はまた僕の心をあっさりと見抜いて見せた。そんな彼女のずば抜けた才能にはもう慣れたつもりだったのだが、また驚いてしまった。
「君はすぐに人の心を読むね。恥ずかしいからやめてくれよ」
「当たったんだ。私すごい」
僕がどれだけ驚いているのかは分からないようで、梨花は無邪気な笑みを浮かべた。
「昨日仮町の妹さんのお見舞いに行ってきたんだ」
「春ちゃんの?」
仮町と幼馴染の梨花は妹さんのことも知っているらしい。
「うん。でも、何も出来なかった」あの時間を特別だと感じたのは僕だけで、何かが変わったりはしていないのだろう。だから現に僕は、こうして自分の無力さを痛感している。
「いいじゃない、それでも。友達のためになにかしようって思ったんでしょ?だったらそれは、結果がどうであれ素敵なことだよ」
僕は月並みな慰めを言われて満足してしまった。自分の心がこう単純だと呆れてしまう。
僕はその日考えていた。ずっと思考していた。仮町がなぜ僕を春ちゃんに会わせたのかを、その理由を考えていた。けれどどうにも結論にたどり着くことが出来なかった。
そして僕は答えを考えることを諦めた。仮町に直接聞いたほうが早く確実だと思ったのだ。けれど、それは上手くいかなかった。
昼休み仮町の教室を訪ねたが、彼は今日学校に来ていなかったのだ。なんでも今日は、今日だけは妹の傍にいなければいけないと言っていたらしい。
そんな話を仮町のクラスメイトから聞いて、僕は自分の心が妙にざわつくのを感じた。