地球の重力と彗星の引力――12.彗星の話
「僕の両親が死んだあと、僕は今とは違う人に引き取られたんだ」
仮町の妹さんが入院している病院へ向かう道中、僕は隣を歩く仮町に身の上話をすることにした。それは僕の謎を解いてくれた仮町に対する、感謝であり礼儀であった。
「僕を最初に引き取った夫妻は会社を経営していた。父親は一人息子に将来自分の後を継がせるべく、とある教育を施そうとした。その教育には僕が必要だった」
語り出すと思い出す。小さい頃の記憶を。それは僕を暗い気持ちにさせた。
「その教育っていうのが大昔の帝王学みたいなものだったんだ。笑っちゃうよね」
僕は平気そうに微笑んでみせた。しかし仮町は、僕のその言葉だけで何かを察したらしく、物悲しい目つきで僕を見ていた。
「僕は必要最低限の衣服と食事だけ与えられ、彼は全てを与えられた。自分が絶対的な勝者であると教えられ、他の者が敗者であると叩き込むための教育、それが片桐家に必要とされているものだった」
夫妻の息子はどんな時でも僕の上に立ち、僕は下にいた。僕はそれを受け入れ、当たり前のものとし、欲を捨て、世界を外側から見るだけにした。
「そんな生活が八歳まで続いた。八歳になった日四年ぶりに潟元夫妻が現れて、僕を引き取ってくれた。その日から僕は――僕になった」
誰かに虐げられるために生まれた存在――ではなくて、どうなるかは自分次第で、選択の自由を与えられた人間になった。
それは多分、単純な救いとは違っていた。今でも僕は昔のほうが選択を悩まない分、楽だったと思うことがあるからだ。
「彗星みたいだな」仮町はズボンの両ポケットに手を入れ、気障な歩き方をしながら呟いた。僕は彼の言っていることを理解できず、不思議そうな顔で彼を見た。僕の頭の悪さを見かねて彼は答えた。
「ほら、お前の話だと潟元夫妻は四年ごとに現れたんだろ?一定周期でやってくる彗星みたいじゃないか」
彗星という突飛な発想は多分、この前の謎解きの延長戦だろう。重力だとか無重力だとかガガーリンだとか、そういう宇宙的な話から彗星という言葉が出てきたんだ。
「その表現は、結構気に入ったよ」僕がそう言うと仮町は嬉しそうに笑った。そして立ち止まると、前方を指さした。「あれが病院だ」指の方向には白い大きな建物があった。
僕はその大きさに心をざわつかせた。大きな病院ということはつまり、仮町の妹の容体が芳しくないことを物語っていたからだ。
「そういえば、君の妹さんの名前はなんて言うんだ?」
僕の質問に彼は悩んだ様子で黙り込み、ふっと一瞬悲しそうな顔を見せた。
「名前は、春。男にも聞こえる名前だって言わないでやってくれ。あいつそうやってからかわれるのを嫌ってたから」
僕はその時、彼の表情が寂しそうだったことが気になって、過去形で表現されていることに気が付かなかった。
「お前があいつの彗星になることを祈るよ」
そんな台詞を、僕は鼻で笑った。
「僕はそんな物にはなれないよ。良くて流れ星、宇宙のごみだよ」