地球の重力と彗星の引力――6.母の涙
父の涙は見たことがないが、母の涙は見たことがあった。四歳の頃の記憶なんてほとんど覚えていないが、潟元夫妻に会ったことと母の涙は憶えている。けれど、どうして泣いていたのかは思い出せない。
人間の記憶は不思議だ。四歳というと初めて映画館に行った年でもあるのだが、そのことはほとんど忘れてしまった。憶えておけることとそうでないことの違いはなんなんだろう。僕はよく考えるがよく分からない。
母はよく笑う人だった。僕がへそを曲げたって、母が笑って話しかけてくると僕もつられて笑ってしまった。僕はそれをずるいと思いながらも、嬉しかったんだ。
そんな母が泣いていた時、僕は手を握っていた。震える母の手は温かくて柔らかくて、優しさが伝わってきた。そうすると、涙を流しながら母は笑った。
その時、僕は自分が不安だったことに気づいた。母の涙を見て僕が怖かったことを知った。だからその時、母の笑顔を見たとき僕は安心して嬉しかった。
母の涙を思い出した日の夜、僕はまた夢を見た。事故の夢を。
後部座席に乗っている僕は、慣性の法則に則って前に飛んだ。シートベルトを着けていなかったのだ。