地球の重力と彗星の引力――1.涙の謎
朝目が覚めると泣いていた。よく覚えていないが多分、事故のことを夢に見たんだろう。僕は事故のことを夢に見ると、なぜか泣いてしまう。
血だらけの両親や、両親の葬式のことを夢に見ても泣いたりなんてしないのに、事故の瞬間を思い出すとなぜか泣いてしまう。いつものことなので特に気にはしなかったけれど、流石に高校生にもなって泣いてしまったことが少し恥ずかしかった。
そんな話を昼休みに仮町に話すと、彼はとても不思議がった。
「事故の瞬間なんて一瞬のことだったんだろ?そんな一瞬を思い出したくらいで泣くのは変だな」なぜか彼は深刻な顔をしていた。けれど、変な悩みを相談されて、真剣に言葉を返すのは彼らしかった。
「別に悲しいとかいう感情は無いんだ。なんていうか、ただの生理現象みたいに涙が出るんだよ」
「排泄みたいにか?」
食事中の下品な発言に僕は動じなかった。彼のそういうところにもすっかり慣れてしまったのだ。
仮町は菓子パンを食べながら僕の話を聞いていた。彼は四月の一件以来、こうして昼休みには僕のいる教室に来て一緒に昼食をとる。時々僕の弁当のおかずを狙ったりするので、最初はそれが目的だと思っていた。しかし最近は、こんな風に会話をするために来ているのではないかと思っている。
その後も色々話したが、結局涙の謎は解けなかった。
五限目は体育だった。内容はサッカーで、僕はキーパーを任されゴール前に棒立ちしていた。運動はあまり好きじゃない。だからみんながやりたがらないキーパーを引き受けた。運動量が少ないから楽でいい。
僕は意味もなく、なんとなく、空を見ていた。快晴で雲一つなく、見ているだけで気持ちが良かった。
そして、事故の起きた日もこんな風に快晴だったことを思い出した。同時に両親が死んだ瞬間を思い出した。
父は病院に向かう救急車の中で亡くなったらしく、僕が目覚めた時には死んでいた。
しかし母は、僕が目覚めた時はまだ生きていた。包帯で体を隙間なくぐるぐる巻きにされた姿でベッドに横たわっていた。そして目覚めることなく死んでしまった。その時僕は母の近くにいて、ベッドサイドモニターの波形が、平坦になる瞬間を見ていた。
そんなときのことを思い出しても、僕は悲しい気分にはならなかった。もう昔のことだ。それに僕は小さくて何が何だか分からなかった。だからそのことで自分を冷たい人間だと卑下することはない。
けれど、だからこそ、事故の瞬間を思い出すと泣いてしまうことが不思議だった。
「危ない!」高野の叫び声が聞こえた。僕は視線を空から正面に移した。
ボールが僕の顔面に向かって飛んできていて、回避不可能な距離にあった。ボールは物理法則にのっとって僕の顔面に衝撃を与え、僕は倒れこんだ。
晴天の空が、僕の顔を覗き込む生徒や先生の顔で埋まっていく。僕はボールが当たった鼻先に触れた。鼻血が出ていた。ボールを蹴った高野が頻りに謝っていた。僕は「大丈夫。ぼおっとしていた僕が悪いんだ」と言って立ち上がった。校庭脇のベンチに座り、先生に貰ったポケットティッシュで鼻を押さえた。
僕は痛みで滲んだ涙を拭いながら、涙の謎を考えていた。