姉弟と事件――9.潜入捜査
僕は職員室に向かっていた。道中仮町がどうやって調べるのか、その方法を考えてみたが、やはり最初の地道に聞いて回ること以外思いつかなかった。僕は意味のない考え事を停止させ、職員室のドアをノックした。
「失礼します」
職員室には昼間ほど教師はいなかった。残っている教師もほとんどはパソコンと睨めっこをしていた。その姿は普通の会社員と変わらず、教師という職業もまたサラリーマンだと言うことを示していた。
僕は担任の森本先生を探した。先生は職員室の角に設置されている喫煙室の中で煙草を吹かしていた。僕が喫煙室の扉の前に立つと、中にいる先生は僕に気づいた様子で目を見開いた。僕は扉を少しだけ開いて「どうも」と声をかけた。
「お前か、どうした?こんな時間に」
時刻はもう午後四時を回っていた。部活動に所属していない僕はもう帰るべきだった。だから先生は少し怪訝な表情をしている。
「大したことじゃないんです。ちょっと忘れ物をしまして」
先生は煙草の火を念入りに消して「どこに何を忘れたんだ」と聞いて喫煙室を出た。
「先週の化学の時間にシャーペンを忘れたみたいなんです。理科室に」勿論嘘だった。先週化学の授業があったのは本当だが、シャーペンは忘れていなかった。
「ああ、そうか。鍵が欲しいんだな」先生は自分の机に向かい、引き出しから小さな鍵を取り出して、例の縦長の金属箱へ差し込んだ。そして回して蓋を開けると、そこにはずらりと七個鍵がぶら下がっていた。
「あれ?全部盗まれたんじゃないですか?」箱の中はL字のフックがつけられており、全てのフックに鍵がぶら下がっている。
「予備だ。こういうのにはちゃんと合鍵が用意されてるもんなんだよ」先生は気怠そうにそう言って、僕に鍵を放り投げた。僕は慌てて手を前に出し、それをキャッチした。
「それでいいんだろ?」投げ渡された鍵には『理科室』と書かれたテープが張り付けられていた。どうやら今日張り付けたようで、テープはかなり新しいものだった。
「ありがとうございます。一つ聞いてもいいですか?」先生は無精髭を擦って欠伸をしてから「なんだ?」と答えた。
「その箱自体の鍵は前から先生が持っていたんですか?」
「いや、昨日までは鍵はかかっていなかった。今日の職員会議でな防犯の為に鍵をかけることになった。んで、野暮用で遅くまで残っている俺がとりあえず今日鍵を任されたんだ。これでいいか?」
「はい。ありがとうございます。鍵はどうしたらいいですか?」
「用事が終わったら返しといてくれ」これまた気怠そうに言う先生を見終えてから、僕は職員室を後にした。
僕は一旦教室に戻り、カバンからノートを取り出して白紙のページを一枚千切り、ボールペンを胸ポケットに入れて理科室に向かった。
理科室に入った後ノートに箱の中にあった鍵の種類を箇条書きした。そしてしばらくノートを眺めていると、仮町が理科室に入って来た。
「よう、そっちはどうだった?」明るく軽快に彼は言った。
僕はノートを仮町に向けて言った。
「一応分かったよ、あと事件当時あの箱には鍵はかかってなかったらしい」
「つまり誰にでも出来たってことか」
「君のほうはどうだった?」と言っても、あまり期待は出来なかった。僕に任された仕事なんて小学生でも出来る単純なものだ。でも仮町がやると言ったのは簡単なものではない。少なくとも単純な仕事ではない。執拗な聞き込みと会話力を要するものだ。一時間かそこらで成果が上がるようなものではない。
「あの時校舎に残っていたのは三年B組の高原千佳と同じクラスの松野鷹、そして一年C組の天野哲夫の三人だけだ。ま、人から聞いただけの情報だから確証はないけどな」
僕は口をあんぐり開けて、悠々と語る仮町に驚いていた。この短時間でどうやって調べ上げたのか、僕の頭では分からなかった。
「どうやって」僕は呆然と言った。すると仮町は恍けたように「ん?」と唸った。
「何をどうすれば一時間かそこらでそこまで調べられたんだ?」
「それは俺の力じゃねえよ。小鳥沢先輩のところに行って、各クラスの五人ずつに聞いてもらったんだ。『避難の時いなかった奴はいたか?』って」
小鳥沢先輩、僕は自分の脳に検索をかけた。そしてすぐに思い出した。彼女は入学式の日、僕の連絡先を聞いてきた人だ。結局は僕がLINEとやらをやっていなかったから教えることができなかったが、その出来事は印象に残っていた。彼女は僕以外の全生徒とLINEとやらですぐ連絡できる。四月はそのおかげで僕が盗撮犯として疑われたわけだが、今回は僕たちの力になってくれたようだ。
「なるほどね。その先輩もよくまだ校舎にいたもんだね」もう時刻は四時半になろうとしている。普通なら帰っている時間だ。
「先輩は新聞部らしくてな。一階の部室にまだ残ってたんだよ」
僕はなんとなく彼女が全ての生徒の連絡先を知りたがった理由を理解した。喜々として僕の連絡先を聞いてきたあの様子は、ゴシップ好きの記者のようだった。
「じゃあ君のことだ。先輩に今の三人の情報も聞いてきたんだろ?」僕はニヒルを気取ってはにかみ、とびっきり格好つけてそう聞いた。
「もちのろんよ」仮町はサムズアップを僕に見せつけ、格好つけて言った。
「三年生の二人組はいわゆる不良だな。世間様に反発するのが格好いいと思っている考えの浅いやつさ。警報ベルが鳴ったとき火も煙も見えなかったから、高笑いをしてどこかに消えたんだってよ」
僕は想像した。梨花が皆を救おうと必死になっている中、教室で楽しそうに笑う二人の生徒。腹立たしい、ただ怒りが沸き起こり、何かを壊したい衝動に駆られる。
「じゃあ後の一人、一年生の方は?」
「それが、避難の時いなかったことは認めたが、何をしていたのかは話してくれないときてる」
「それは……」
それは、疑わしいと思わざるを得ない。
「明日その天野君に話を聞いてみよう」僕はそう提案したが仮町は首を横に振った。
「そいつ、事件の次の日から学校に来てないんだ。多分明日も来ないだろうよ」
僕の思考はそこで止まってしまった。次の一手が浮かばなかった。けれど彼は違った。仮町はそのとき即座に、間髪入れずに平然と次の一手を指した。
「今日そいつの家に行ってみるか」
その大胆な言動と行動力は、僕と彼の明確な違いを表していた。僕なら飛ぶかどうかさえ迷ってしまう高いハードルを、彼は階段を一段飛ばしで上るみたいに軽々と軽やかに飛び越えていく。
僕はその姿に嫉妬しながら、ただ憧れた。