姉弟と事件――6.推理作家の敵
夕食は中華だった。それはいいがなぜか价子さんが「にーはおー」と言いながらご機嫌で料理を運んでいた。僕は運ぶのを手伝いながら价子さんに続いた。でも「にーはおー」とは言わなかった。
「手伝ってくれてありがとう」价子さんは僕にお礼を言った。僕は「いえ」と答えて席に着いた。价子さんは僕の素っ気ない返事に不満だったのか、目を薄めて微笑んでいた。
「そういえば、学校でボヤ騒ぎがあったんだってな」京司さんは麻婆豆腐をふうふうと冷ましながら言った。
「よく知ってますね」京司さんに話した覚えが無かったので僕は驚いた。
「消防署に知り合いがいてね。昨日街中でばったり会ったときに聞いたんだ」
「でも、大したことじゃありませんよ。誰かの悪戯だったみたいです」
「ああ、確かにあのボタンは押したくなっちゃうわよね」价子さんは悪戯という言葉に反応したのか、嬉しそうに言った。僕は今日ボタンを眺めた感想として「そうですね」と答えた。
「犯人は捕まったのかい?」
「いえ、目撃証言とかもなくて、そもそもなんで押したのかも分からないんです」
奇妙な学校の事件話はそこで終わり、話題は日常生活のことになった。
「そういえばあなた、立花さんが今日中にメールして欲しいって電話で言ってたわよ」立花さんというのは京司さんの担当編集者だ。東京に住んでいて、京司さんと連絡を取るときはメールか電話を使う。しかし、京司さんは携帯電話を携帯しない。家の中でも外に出るときも身に着けることがない。だから大抵立花さんは固定電話にかけてきて、价子さんに伝言を頼む。
「多分、あなたの携帯にはストーカー並みの着信が残ってるでしょうよ」价子さんは嫌味っぽく意地悪な口調で言った。京司さんの携帯電話不携帯症には、价子さんも悩まされているのだ。
「しょうがないだろ。作家にとってハイテクは敵なんだ」
それは京司さんの口癖だった。
「昔、ミステリー作家は登場人物を孤島や屋敷に閉じ込めるだけでよかった。なのに今はハイテク機器が邪魔をする。閉じ込めたって携帯で助けが呼べるし、インターネットで簡単に色んな情報を得られてしまう。それを封じるにはわざとらしい工作が必要になる。腹立たしい」
京司さんはアガサ・クリスティの大ファンであり、中でも「そして誰もいなくなった」を愛してやまない。かつては京司さんの意見をよく理解できなかったが、中学生の時その小説を読んでからは理解できた。あの物語の中にハイテク機器が登場したら、意味がなくなってしまうからだ。しかし――
「それとこれとは話が別です。せめて外出するときは持っていて欲しいのよ」
まあ、もっともな意見だった。この話題になると、夫妻は決まってこの会話をする。これで何度目か分からなかった。僕は気まずい雰囲気に耐えきれず、急ぎ目に料理を口に運んだ。
「こ、公衆電話でいつもかけてるじゃないか……」
「公衆電話はハイテクじゃないんですね」价子さんはくすりともせず、冷めた目で京司さんを見ていた。
「あ、そうだ。君も夏休みに入ることだし、旅行でも行こうか」わざと話題を逸らしたのは明らかだった。でも价子さんはぱあっと顔を明るくした。
「いいですね。どこか行きたいところあるかしら」手をぱんと叩いて嬉しそうに僕に聞いた。
僕ははしたなく料理を口に運んでいたところだったので、驚いて喉を詰まらせてしまった。ウーロン茶を飲んでから、考えてみた。
でも浮かばなかった。
僕には行きたい場所なんてなかった。
そうして急に、寂しくなった。行きたい場所すら言えないなんて。
「じゃあ」
僕の沈黙で何かを察したのか、ただ気まぐれだったのかは分からないが、价子さんは優しく微笑んで言ってくれた。
「お盆だし、ご両親のお墓参りに行きましょう」
その言葉にはそうすべきであるとか、それが当然であるとか、そういう世間の強制力のようなものはなかった。優しく道を示してくれているような、そんな言葉だった。
「はい……」僕は弱弱しく、だがはっきりとそう答えた。