二人は昔を振り返り
ファンタジー世界での『冒険』というのは、何もモンスターと戦うだけではない。魔法や剣を極めたり、宝を探したり、未開の地を踏破したり、新たな国を興したり、それらもまた冒険と呼ぶに相応しいだろう。
「ハァ……。出鼻挫かれたな……」
晴れ渡る空、白い雲、家々の屋根では小鳥が囀り、王都の隣町であるリンハンス街はメインストリートを中心に活気に溢れている。
爽やかなお昼時。街のとある店へと歩を進めるセノディアもまた、冒険者になるための『冒険』として第一歩を踏み出したのだが、その心は空の色と同じブルーだった。
彼は過去何度かリンハンスを訪れたことがあるのだが、基本は両親が付き添い、入り口でも今までは両親が対応していたので入町時の身分証明制度を知らなかったのである。
文字通りの門前払いをされそうになった彼は渋々お金を払って街の中に入ったが、そのせいで彼の所持金は銅貨三枚と大銀貨一枚にまで減ってしまった。証明できなければ突っ返されるよりマシと言えばマシなのだが、痛手と言えばまた痛手。
通貨の金額は【銅貨<銀貨<金貨<白金貨】となっており、銅貨一枚で1Gの価値がある。日本円にしたら1G=10円のレート換算になるだろうか。ちなみに印刷技術が未熟なため、この国では紙幣は流通していない。
それぞれ同種の硬貨百枚につき一つ上の貨幣に繰り上がる仕組みとなっている。
また、それぞれの硬貨に一回りサイズの大きな《大硬貨》があり、それらは通常の硬貨の十倍に換算される。大銅貨ならば10G――――つまり銅貨十枚分、大銀貨なら1000G――――銀貨十枚分という具合になる。
さて、彼が門前で要求されたお金が銀貨一枚だがこれは銅貨百枚分の100Gにあたり、決して安いとは言えない金額だ。
なにせ、街のレート通りにパンとスープで一食済ませようとしたら大銅貨三枚――――30Gはかかる。一日三食朝昼晩と考えると、たった一日で銀貨一枚は減る計算だ。飯代だけでこれなのに、宿代も追加となると一日持つかどうか怪しい。
彼の手元に残された全財産を叩いても、この一日を野宿にすることなく、一般市民の生活水準に届くかどうかと聞かれれば厳しすぎるが、それにしても元手が足りないのは彼の落ち度としか言いようがない。
(もう少し貯めてから来れば良かったかも……。勢い任せに飛び出して来るんじゃなかったなぁ)
そうして無駄に凹みながらセノディアは、目的地である食堂前で足を止めた。しかしまだ中に入らない。
というのも、彼はここでとある人物と待ち合わせをしていたからだ。勿論、電話やメールなんて便利な物があるわけないので通信手段は手紙である。その手紙にはしっかりと『今日の午後0時に《銀鍋亭》に集合!』とだけ書かれていたのだから差出人は待つ以外にない。まさかもう中に入っていないよなと、油と調味料の香ばしい匂いの誘惑に耐えつつ、開いていた窓から顔を店の中に覗かせたが――――。
「あっ、いたいた! セノー!」
「お」
背後から呼ばれたに彼は反応し、すぐに顔を窓から引っ込めた。
声のした方角へと目を凝らすと――――いた。声の主はあそこだ。30mほど離れて雑踏に揉まれているがすぐに見つかった。
何故なら、良くも悪くも声の主が目立ちすぎたからだ。
絹糸のようにしなやかだが、日に輝く金髪を短髪に切りそろえられた、中性的な顔立ちの爽やか王子様系イケメンが、声の高い少年ボイスで「セノー!」と名を呼んで手を振っているのが見える。服装こそは一般庶民のソレだが、まるで絵本から飛び出てきたかの様な王子様は、男女問わず人々を魅了してしまう笑顔を振りまいて、周囲の人々が視線を注ぐ中でも気にせず一直線にセノディアの元へと駆け寄った。
セノディアの待ち人こそ、まさしくこの美少年だった。セノディアは彼と会えた嬉しさから少しはにかんで、「よっ」と軽く手を振る。
「久しぶり、アトリア」
「久しぶり! セノ!」
セノディアは、身長が少し小柄な美少年をアトリアと呼んで手を差し出した。アトリアはその手を掴み、嬉しそうにブンブンと上下に振る。尻尾があれば、それもちぎれんばかりに振っていただろう。
二人は従兄弟の関係にある。歳はセノディアが二つ上の17歳で、アトリアは15歳になる。二人の家族は別々の村と町に住んでいる
が、新年が明けると二人の家族は必ずこの街で行われる新年祭を見に来るし、冬にはセノディアが暇になるのでアトリアの家に遊びに行きと、そこそこ頻繁に顔を会わせているがのだが、それでも二人は再開できた喜びを分かち合っていた。
「セノ、また背伸びた?」
「そう言うお前は縮んだか?」
「そ、そんなことないもん! 毎日牛乳飲んでるし、ストレッチだってやってるし……!」
「『もん』ってお前『もん』て。それにお前ん家アレじゃん、ウチと違って農家じゃないから体も細いままだしさ。ほら、腕とか腰回りだってめっちゃ細いし」
「もーいいじゃん身体の事は! そんな意地悪言うとコレあげないよ?」
アトリアがそう言ってカバンから取り出した紙袋からは、《銀鍋亭》から漂う匂いとは別の、小麦の焼かれた匂いがセノディアの胃を擽る。アトリアの実家はこことは別の街でパン屋を営んでおり、セノディアに手土産として持ってきていたのだ。
「もしかしておじさんのパン持ってきたの?」
「うん、セノによろしくって。あ、セノの好きなチーズパン持ってきてるからね。勿論今朝焼きたての」
「おーマジか。サンキュな」
昼食をここで済ませようとしていたセノディアは、喜び勇んでグッとガッツポーズをした。アトリアは嬉しそうに笑うセノディアに釣られ、フフフと華が咲いたように笑う。御機嫌な二人は、《銀鍋亭》から一度離れて近くの噴水広場に歩いていく。その広場には、この町の新年祭がある度に通っていたので、場所はよく知っている。 二人は広場のベンチに腰を降ろすと、紙袋からパンを取
り出して噴水を眺めながら食べ始めた。アトリアは上品に千切って食べ、セノディアは少し荒々しくかぶりつく。空腹を満たすこと
で頭からスッポリと財布事情が抜け落ちた頃、噴水をボケーッと眺めながらセノディアが語り出した。
「それにしてもさ」
「うん」
「よくおじさんに反対されなかったな」
「うん?」
「《冒険者》になるってさ」
「うーん……」
そう、二人がこの街に来た最大の理由。
それは年間死亡率一位(国調べ)を誇る、文字通り死と隣り合わせな職業《冒険者》になりにきたのだ。
《冒険者》とは、文字通り冒険をする者を指すのだが、一般的に流布されている職業知識としては、危険極まりないモンスターを退治する人々だと認知されている。しかし絵本や御伽噺などで必ず登場するため子供を中心に人気があり、夢を見る若者は後を絶たない職業だ。
「家でパン作ってりゃいいのにさ」
「うん……」
反面、アトリアの実家はとある町でパン屋を営んでいる平和な職種。
両親はともに温厚な性格で、それはそれは従兄弟であるセノディアをアトリアと同じくらい可愛がってくれていた。しかし父親の方は『アトリアと危険な場所に行くな』だの、『アトリアを一人にするな』だの、やたらとアトリアに関する警告が多かったのも確かだ。
それを思い出したセノディアは、「放任主義である俺の親とは大違いだな」と冗談交じりに苦笑いした。
だがそれこそセノディアが今回疑問に思っている箇所でもある。
前述した通り死亡率の高い、生か死かの二択が常に迫られる冒険者を、何故アトリアの両親が了承したのかと。
だって安心安全に営業できるパン屋を継げばよくない?
「そもそも何で冒険者になろうとしたのさ」
「僕は……まぁそうだね、実家を継ぐ前に身体作りと社会貢献を兼ねてかな……」
(セノが冒険に出るっていうのなら着いていかないとね)
アトリアは本心を隠しつつ心の中でぺろっと舌を出した。
彼が冒険者になった理由、それはセノディアが冒険者になるから自分も着いていこうとしただけだったりする。一見すると意思決定に主体性が無さそうだが、それはまた別の話。
彼はセノディアが予てより冒険者になりたがっていたのは知っていたので、こういう事態を想定し、親には『セノディアが冒険者になるなら自分もなる』と数年前から抜け目なく説得し続けていた。
こうした成果が実ったからなので、ある種計画的と言えば計画的だ。しかしそれは本心を晒すことにも繋がるので内心に留めておく。
「ふーん……。色々考えてんだな」
「そういうセノは実家継がなくて済んでよかったじゃん」
「まぁね」
セノディアの実家はアトリアと違い、ココノ村という小さな集落で農業を営んでいる。これが、彼の実家が冬になるとやることが無くなって暇になるから、アトリアの実家に遊びに行く大きな理由だ。
セノディア一家は、四人の核家族でこぢんまりとした一軒家に住んでおり、上にかなり年の離れた兄がいるのだが、今から五年前、兄は家督を継がずに遠くの町に出稼ぎに行ってしまった。
家から長男が消えたもんだからセノディアは当時12歳にして否応なしに農家を継がなくなってしまったのだが、これまたある日突然、兄が出稼ぎ先から嫁を連れて戻ってきたのだ。
それも見た目麗しい田舎には相応しくないお嬢さんと、4歳にもなる小さな女の子を連れて――――。
半ばできちゃった婚で女を家に連れてきた兄と、堪忍袋の緒がブチギレた両親の喧嘩もそこそこに、結局は兄が大人しく「将来家督を継ぐから許してくれ」という約束を交わし土下座もして、適当な落としどころで決着は付いたのだが、これによってセノディアは晴れてフリーの身となった。
そのまま農業を手伝っても良かったのだが、折角自由になったのなら昔から夢見ていた冒険者になってやろうじゃないかと一念発起し、僅か一週間前に、冒険者として旗を上げる主旨の手紙をアトリアに送ってこの街にやってきた。
――――というエピソードがセノディアにはある。
逆に言えば、こちらはアトリアと違って計画性が殆どなく杜撰。冒頭での種金が足りない理由に大きく繋がる。
その事情を、セノディアの手紙から少しだけ囓っていたアトリアは、千切ったパンを口に放り投げながら続けた。
「昔から『冒険者なりたいなー』ってぼやいてたもんね」
「まぁ……ボンヤリと、冒険者になれたらいいなくらいだったけどね。ようやく辛かった農業も好きになってきたタイミングだったから迷ったんだけど……。つーかさ、話を元に戻すけど、アトリアはおじさんに反対されなかったの?」
「勿論お父さんには反対されたけど、『セノと一緒にいるなら』って条件付きでお母さんは背中を押してくれたよ。それに釣られてお父さんも渋々って感じ」
「ほーん」
「まったく……お父さんは過保護だよ、過・保・護! 僕だって今年で15になるのにさ……。聞いてよセノ、今日だって家出るのにお父さんに引き留められて1時間も無駄にしちゃったんだよ!」
「まぁ、そういう親がいたっていいじゃん。それだけお前が大事にされてるって証拠だよ」
「でもさぁ、僕だって好きな服が欲しいのに『お前にそれはまだ早い!』って反対されたりして……! 聞いてよ、今日僕がセノの為にパン焼くときも『慣れてないでやると火傷すると危ないから』ってぷりぷりしてさ、セノの為にもう少し焼きたてのパン作りたかったのにさ! これだって僕の手作りじゃなくて、お父さんのパンなんだよ? 僕のやることに一々口出しするの勘弁してほしいんだよね。大体さ、お母さんにだって――――」
父親に対して鬱憤の溜まっていたアトリアは、ここぞとばかりにセノディアにぶちまけ始める。それを適当に相づちして聞き流しながら、子供を持つって大変なんだなぁとアトリアのおじさんに少しばかり同情をした。ついでに父親になって帰ってきた兄にも。
そうして愚痴を聞きながら、パンを食べ終わったセノディアは手を叩いてパンくずを落として立ち上がった。
話に夢中だったアトリアは置いてかれると思ったのか、慌ててパンを口に突っ込んでふごふごしながら「ご馳走様」と昼食を終わらせる。
立ち上がったセノディアの視線の先はただ一つを見据えていた。
「よし、腹も膨れたし行くか。《冒険者ギルド》」
「ふぁい。モグモグ……」