小さな親切
パカッギシッ、パカッギシッ。
小気味よい馬の蹄音と荷車の車輪の軋む音が交互に土道に響く。幾度も踏みしめられた土道は、馬の足跡と車輪の轍を物言わずに受け入れる。
「スゥ……スゥ……」
道の周囲は短い草花で覆われた草原で、燦々と照らす太陽を遮る日陰は何一つない。
荷馬車の積み荷に被せられた麻布、その上に寝っ転がっていた青年は日焼けしないように頭に上着を乗せ、暖かな日射しと涼やかな風を全身に浴び、気持ち良さそうに寝息を立てる。
快適な旅路を行く荷馬車は道なりに闊歩するのみ。
それから30分ほど、小さな土煙を巻き上げながら順調に進み続けると、やがて道の材質は土から石畳みへと変化し、車輪や蹄の音がより硬質に強調されていく。道のサイドには背の高い街路樹も植えられていて、時々荷馬車に日陰を造り始めた。
綺麗に舗装された道路は、街に近づいてきたのだろうことを想起させる。
「ふむ、そろそろかな……」
御者は馬に繋がれた手綱を捌き、馬車のスピードを落とし始めた。
その証拠として御者の視線の先には、堅牢な門と高い塀に囲まれた家々の軒並みが見えてくる。
門の前では6人の兵士がフルフェイスの鎧に身を包み、槍を片手に門の中へと入る人々の荷物を検閲したり、他愛ない世間話に花を咲かせていた。
ここは穏やかな気候に恵まれた、《王領モリノティス》という国の王都――――の隣町である《リンハンス》。
王都がすぐ隣なだけあって活気もあり、南に行けば海が、北に行けば山脈が、西に行けば豊かな草原がと、地形的にも恵まれた街であり、王領モリノティスにとって他国との重要な交易の拠点として数えられる街だ。
「もう少し前に、もう少し……はいストーップ」
門に近づいてから兵士が身振り手振りで馬車を誘導し、やがてカラカラカラと音を立てて回る車輪がピタリと止んだ。
頭が若干禿げた少し小太りの、いかにも中年真っ盛りですという風貌の御者が席から降りて、兵士と積み荷について話し込んでいる。
彼らにとってこの町は王都への通過点ではなく、最終的な目的地のようだ。
「……ん? 上に誰か乗っていないか?」
「あぁいけない、忘れてた忘れてた……」
御者は禿げた頭を照れ隠しに掻きながら、荷車に乗り合いしていた青年に声をかける。
「おーい兄ちゃん! 着いたぞー!」
「ン……んああァ……んー着いちゃったか……」
積み荷の上で睡眠を貪っていた青年は、日射し避けに頭に被せていた上着を振り解いて着直した。髪の毛はこの国では珍しく黒髪だが、ショートヘアに幼さを残しながらも人の良さそうな顔つきで髪の色はそこまで気にならないだろう。
彼は積み荷の中身が硬かったのか、軽く肩と背中を解し、地面から大人二人分の落差がある荷車からヒョイと降りた。パッと見は中肉中背だが、地面に難なく着地したことから、足腰を中心に鍛えられているのがよくわかる。
しかし彼の表情は浮かない顔で、どこか後ろ暗さを感じさせる雰囲気を醸し出していた。
「ども、ありがとうございました。大事な商品の、積み荷の上に相乗りさせてもらっちゃって」
「ハハハ、気にすんない。相乗りは一度や二度じゃないんだ」
「そうなんですか?」
「あぁしょちゅうさ。それに積み荷なら平気さ、ちょっとやそっとで壊れるような材質の材木は運ばんよ」
「だったらいいんですが……。あ、少ないですけど、お金」
青年はペコリと御者に頭を下げ、上着のポケットから何枚かの銅硬貨を取り出し、御者に差し出した。銅硬貨は彼なりの誠意の表れ、乗り合い賃だ。
しかし御者はそれを制し、彼の手の内から小さな銅貨一枚だけ抜き取ると、開きっぱなしの青年の掌をギュッと握らせた。
「お前さん、まだ若ぇのに《冒険者》になるんだろ? だったらその前祝いだ。受け取っておけ」
「……大成したら百倍くらいにして返しに来ますんで」
「ハハッ! 言うじゃないか、楽しみに待ってるよ!」
「僕、セノディアって言います。覚えといて下さいね」
「おう、頑張れよ」
「そちらも、お元気で」
御者は『セノディア』と名乗った青年がなぜ冒険者を志したのか、そんなバックストーリーに微塵も興味を示さず、むしろ前途ある若者に幸あらんと餞別まで施し、手を振って馬車に乗り込みそのまま街の中へと消えていった。
「……良い人もいるもんだなぁ」
御者の豪快気質に充てられたらしく、さっきまでのどこか後ろ暗い雰囲気もどこへやら。セノディアは中年の御者に内心感謝しながら門番の横を通り過ぎて、賑やかな街へと入った。
ここから彼の長い旅路が、今、始まる――――。
「あーちょっと君、君、止まってくれ」
「あ、はい、僕ですか。え、中入るのに身分証明が必要なんですか? 証明するもんが無いと金取るの? マジ?」