プロローグ
冷たく、灰色の空間――――。
そこは部屋のようでもあり、洞窟を大きなスプーンでくり抜いたような空洞のようでもあった。
ただ各所に木製の机や椅子されており、奥には六つの人工的な石柱が石碑をぐるりと取り囲むようにして立てられている事から、何者かが意図的に作りだした空間であることが窺える。
「どーすんだ、アレ……」
石室の中、疎らに点在する背の低い机に身を潜めている青年は冷や汗を垂らした。
まさか、生まれて初めてのダンジョンアタックだから意気揚々と入り込んだ最下級ダンジョンで、いきなり『極悪モンスター』とご対面するとは思っていなかったからだ。
そんなのと戦う想定はしていない。指先から肘までしかない小振りの手斧と、極めて殺傷能力の高いミスリル制のナイフ、それに一般的な木弓しかない。
しかし青年は取り乱すこともなく、物音を立てないように慎重にしながら、机の下にいながらもいつでも逃げられるように姿勢を正した。冒険者たるもの、いついかなる時であっても冷静でなければならない。
――――特に、他のメンバーがパニックに陥っているのであれば。
「ハ、ハハ……」
青年と同様、すぐ隣の机で身を潜める、軽装の鎧に身を包んだ快活そうな風体の金髪美麗少年も、今は顔を引き攣らせて苦笑いしている。その顔からは血の気が殆ど失せており卒倒寸前。腰に携えた剣もカタカタと音を立てて奮えていることから、その恐怖度合いが知れる。
「う……うぅ……。私達、ここで終わるんでしょうか……!」
ちんまりとしたゴスロリチックな服装をした幼女も、彼らから少し離れたところの椅子を盾に、小さな体を更に丸めて身を潜めていた。先端部に青い宝石の埋め込まれたロッドをお守りのように握りしめ、プルプルと全身を小刻みに震わせて涙目になりながら、『極悪モンスター』に気づかれないよう小声で嘆いた。
その『極悪モンスター』は――――。
「グルルウゥゥ……」
硬質的な煌めきを放つ鱗を備えた巨躯、一つの羽ばたきで藁葺き屋根なら容易く吹き飛ばしてしまう雄大な翼、鉄鋼など粉々粉砕してしまう先鋭な牙、頭部には雄々しくも禍々しく湾曲した二本の角――――。モンスターを危険度別にランクで分類すると、取り分け上位に位置するドラゴン種・《飛竜》が部屋の中央に鎮座していた。
彼らが居座っているここは、鍾乳洞と溶岩窟の入り交じった洞窟タイプの『最下級ダンジョン』に分類される迷宮で、洞穴生物の中で最も弱い最弱モンスターしかいないエリアに区分される。
それを踏まえて『制空の覇者』とも呼ばれる《飛竜》が狭い洞窟内を彷徨っているのは、どう考えても理屈に合わなかった。
「グガウゥ……」
飛竜は居心地が悪そうに翼を伸び縮みさせる。部屋はそこまで大きくないが、飛竜の翼を広げて走り回れるくらいの広さだ。しかし飛ぼうとすると、一度の羽ばたきで天井に頭をぶつけてしまうだろうことも容易に想像できる。
絶妙な間取りだ。
「ね、ねぇセノッ……!」
金髪少年は恐怖と興奮に奮える手を必死で抑え、一番近くに隠れている青年に話しかけた。
「それで……どうするの……? まさか飛竜が出てくるなんて思わなかったけど……」
「俺だって予想できねーっつの。普通、飛竜って渓谷とかにいるイメージなんだよな」
金髪少年が指示を仰ぐという事は、この青年がリーダーなのだろう。
だが、リーダーの青年からすれば計画も何もあったもんじゃない。行き当たりばったりで、こんな桁外れに強いモンスターと出くわすなんて想像だにしていない。飛竜に見つからないようにするので精一杯なのが現状だ。
「――――てかあれ、飛竜こっち向いてない?」
しかしそんな努力も虚しく、飛竜が鎌首をもたげて青年の方を向いた。それに気づくやいなや、青年の頬に汗が一筋流れ落ちる。飛竜は声の所在に既に気づいており、青年と少年が身を潜めていた机に射程を合わせてゆっくりと口を開けた。
牙と舌の奥に見える黒い空間が、赤く染まって熱を帯びていく――――。
「やっべぇ……《ブレス》だあああぁーッ!!!」
「逃げろー!!」
この世界で、童話や御伽噺の敵役でお馴染み《ドラゴン》という種族のモンスターを知っているならば、誰もが一度は耳にしたことのある能力の一つ、《ブレス》。その名から察せられる通り『息』なのだが、『全てを焦土と化す災厄の吐息』だ。
飛竜はドラゴン種に分類されるモンスターなのでさも当然のようにこれを撃ってくるのだが、飛竜は元々空を飛ぶのに特化したドラゴン種であり、主な攻撃方法は機動力を生かした空中からの奇襲。《ブレス》自体の威力はそこまででもない。
だが、それでも農村くらいなら5~6発で簡単に焼き払われてしまう火力を誇る、ドラゴン種の名に恥じない《ブレス》を放ってくる。ただ純粋なドラゴンであれば《ブレス》一発で小さな街が半壊するので、まだマシと言えよう。
「モミジちゃん『アレ』よろしく!」
金髪少年とリーダーの青年の二人は猛ダッシュで、杖を手にプルプル震えるゴスロリ少女――――モミジの元へと走った。
「――――……を遮断せよ! ヒ、《ヒートウォール》!」
「ガアアアアアアァァァー!!」
命からがら、二人が幼女の元に滑り込むほぼ同時に、飛竜の口から勢いよく解き放たれた熱線が狭い石室を埋め尽くす。
しかしタッチの差でゴスロリ幼女が詠唱を終え、お守り代わりに抱きかかえていた杖で地面をコツンと叩いた。すると半透明な壁が三人を半円状に囲い、今頃は身を焼き尽くしたであろうはずの火炎が見えない壁によって中州のようなセーフティゾーンが生まれる。
「た、助かったぁ……。ありがとうモミジちゃん……」
「い、いえ、これくらいおやすいご用です。ハ……、フゥ……フゥ……」
「わわ、モミジちゃん凄い汗!」
ゴスロリ幼女のモミジは《ヒートウォール》という、不可視のバリアで炎を完全にシャットアウトする魔法を使い凌いだが、彼女の額や腕にうっすらと汗が滲み、発動したばかりだというのにもう肩で息をしている。金髪少年はハンカチで彼女の額に浮かぶ汗を拭いた。
部屋を焼き尽くす火炎の熱がそうさせていたが、大半の理由は《マスタリー》と呼ばれる固有の方式と、彼女が駆け出し冒険者であることが原因だ。
「ハァッ……フゥッ……」
《ヒートウォール》は持続し続けてる時間に応じて魔力を消費する『トグル式』の魔法なのだが、モミジはまだ展開したばかり。にも関わらずここまで摩耗しているのは、今まで生きてきた中で感じたことのない独特の『緊張感』がそうさせていた。
スキルを発動させるイメージとしては簡単で、細い管に水を注ぎ込んで流すのを《魔力》とし、管の先に複数の器がある。
その器が《スキル》だ。
管を通して魔力を注ぎ込み、器を満たせば選んだ《スキル》が発動する図式なのだが、モミジは《ヒートウォール》の器に魔力を注ぎすぎていた。
ゆっくりと、器の中が干からびてしまわないように少しずつ魔力を流していれば充分なのだが、『器を空っぽにしたら仲間が死ぬ』というプレッシャーから、潤沢にあるはずの魔力が空になってしまうほどの、器の許容量を超えた魔力を《ヒートウォール》に注いでしまっているのだ。
それだけ流せば強度も増すし持続時間も増えるのだが、強度は元から申し分ないし、魔力を流し込んでいればその間だけ発動し続ける『トグル式』なので魔力は無駄に浪費されるだけだ。
だがこの無駄なプロセスも仕方がないと言えば仕方がない。ランクが幾つも上のモンスターと対峙して緊張するなというほうが無理な相談だ。
「モミジちゃん、落ち着いて……」
「は、はい……。フゥ……すいません、気を遣わせてしまって……」
異変に気づいた金髪少年が幼女の肩に手を載せて宥めた。それによって少しは呼吸が落ち着き本調子を取り戻しつつあるが、使ってしまった魔力は戻ってこない。依然として危険な事に変わりはないのだ。
『何か困ったことがあったら相談しろや』
ダンジョンに潜る前に受け取った、先輩冒険者からの有り難いアドバイス。それを今になって思い出したリーダー格の青年は、まさか飛竜を相手にしたときの対処方なんて教えてもらえないよなと自嘲し、とにかく前向きな思考を維持しながら嫌なイメージを掻き消した。
(――――ふぅ、考えろ、考えるんだ俺、ここからどうする……! どうすれば助かるんだ……!)
このままの状態が長く続かないことは誰が見ても明らか。足掻かなければ焼死は必然。青年は息を整えて作戦を練るが、そもそも飛竜が最下級ダンジョンなんかにいるなよと内心で悪態づいた。
『そこに、貴方の秘密が――――』
ただし、どれもこれも甘言に唆された自分の蒔いた種なのだが――――。