私が生きる意味
拙い文章だが、自分のこれまでの半生とその中で見い出した生きる意味を書かせて頂いた。
良ければ最後までお読みいただきたい。
私が生きる意味を考えた事は人生で2度あった。
1度目は、小学校高学年の頃。
私は先天的な発達障害である「ADHD」(注意欠陥多動性障害)の注意欠陥優勢型だったのだが、自分も親も担任も知らず過ごしていた。(知ったのは社会人になってからだった。)
この障害は知的な遅れは無いのだが、人よりもボーっとするのび太くんタイプとすぐにカッとなって手を出すジャイアンタイプに分かれる。(私はのび太くんタイプ)
その為、小学校の頃の私は人と同じことをする事が極端に苦痛で、クラスの皆と一緒に行動できなかった。
もちろんクラスでの私の立ち位置は「はみ出した奴」として扱われ、「はみ出した奴」の末路は無視や汚物扱いだった。
当時はクラスの担任も発達障害についてしっかりとした知識の無い人間が多く、私の行動は担任の理解を越えており、担任さえも味方してくれなかった。
そして、私の親もその担任からの話を鵜呑みにして、私の「虐められている」という訴えは聞いてもらえずどこにも吐き出す事ができないストレスを抱え続け、一度は死のうかと考えた。
この時「自殺してどうなる」で書いた夢枕に立たれるという経験をした。
当時見たのはもちろん死神では無く、私の曾祖母だ。
彼女は私に対して何も言わずただ、心配そうに見つめているだけだった。
彼女のその視線から私は、自分を心配してくれる人が居る事、死んだら誰にも会えず、誰とも話せなくなるという事を知り、そしてそれを恐怖して死ぬ事を諦める事になった。
その後色々あり、その時の体験を自分なりに「親への迷惑」や「自分を心配してくれる人への思い」として身に刻み持ち直す事ができた。これが1度目の私の生きる意味だった。
この体験をしてから少し経った中学生の頃、私は「三国志」と出会った。
最初は横山光輝の作品だったのだが、劉備がどんな苦境に陥ろうとももがきながらも周りに助けられ、1つの国のトップに上り詰めた事に感動した。
それから三国志関係の本や漫画を手当たり次第に読み漁り、数年後「蒼天航路」の劉備に私は出会った。
その劉備は今までの劉備と違い飄々としており、風の向くまま気の向くままというまるで雲の様な描かれ方をしていた。
そして、その劉備が「長坂の戦い」で必死になって生にしがみつき、子どもすら追い落として生きようとする姿に2度目の生きる意味を見い出したのだ。
折しもこの作品を読んだ時期にTOKIOによってカバーされた「宙船」の歌詞も相まって私は、自分が死ねば誰かが笑う。なら私が生き続けて自分が笑う為に寿命で死ぬまで生にしがみついてやろうと思えた。
生きる事は戦いだ。
生きて生きて生き抜いて、最後に私は笑う為に今日も生き続けている。
最後までありがとうございました。
私は正直今、少しだけ死の誘惑にかられています。こう言えるうちはまだまだ大丈夫ですが、いつ奈落へと沈み行くかわかりません。
そんな恐怖を少しでも自分のこれまで感じた生きる意味を書く事で奮起させたいが為に書きました。
読み難い文章ではありますが、最後まで読んで頂けた事本当に感謝します。
そして、これを自分の決心に変え、また明日から気持ちを強く持って生きたいと思います。
最後まで本当にありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします。