7話 綾織りの縁
目に留めていただきありがとうございます!
空きの職を紹介するグレディアスに、虎太郎が提案したのは。
「1つ聞きたいのですが、就く就かないの前に、その仕事を見学することは可能なのですか?」
俺がそう切り出すと、グレディアスは考えるように少し首を捻った。
「ふむ? 試用期間みたいなものか?」
「いえ、職場見学程度の認識でいいと思います。要は今の仕事を続けながら、他の仕事も見て回りたいんです」
「また突飛なことを言いだしたな。確かに今のお前さんは職に就いているから何を選んでも自由だが、見学だと仕事に携われねえぞ? せいぜい訪問者に毛が生えた程度の説明しかされねえだろうし、それが職選びの基準になるもんかね?」
訝しげに首を傾げるグラディアス。
たしかに、ただの見学が職選びの情報収集として適切であるかと言われれば俺も首を傾げるところだが、俺自身〝万象命名士〟を辞める気はないので全く問題はない。
つまり、職場見学を利用して他所の部署の様子を感じ取るのが今回の目的なのだ。
働いている人たちの様子を見たり、可能なら交流したりするのが主な目的であるので、仕事内容をそこまで深く知る必要はないのだ。
職を斡旋してもらっている手前、そんなことを正直に話そうものなら大目玉を食らうだろうから言わないけれど。
ちなみに、現在もなお袖をぎゅうっと握りしめている手の主を見るなどという勇猛果敢な行動は取れるわけがないので、目線はグレディアスに固定である。断じて俺がヘタレだからではない。たぶん。
「〝万象命名士〟としての仕事にもようやく慣れ始めたので、早々に仕事を切り替えるのもどうなのかな、と思うんです。だからここは、転職したくなったときのために広く浅く情報を集めておこうかなと」
「……お前さん、自分で『今回は転職しない』って暗に言っていることに気付いてるか? ……まあ、お前さんがそのまま〝万象命名士〟を続けるんだとしたら、俺はこの仕事を別の転生待機者に割り振るだけだがな」
流石にあまりいい顔をされなかったが、もともと断るつもりだったのでそこは問題ない。
あとは、この『職場見学』という名の視察が許可されるかどうかだが。
「まあ、見るだけなら構わねえんじゃねえか? 仕事を教えるわけでもねえから、零細な部署でも負担にならねえだろ」
もっとも『下界環境補整塔』ほど零細な部署もねえけどな、と笑うグレディアス。〝万象命名士〟はそこまで人気がないのか。
「なら、お前さんは仕事に支障のない範囲で他部署を見て回ればいい。コネでも作っとけば、いざ欠員が出た時に優先して話が行くかもしれねえしな」
そう言って目を細める金髪の大男に、俺は「ありがとうございます」と頭を下げた。
グレディアスはまだ俺の職替えを案じているようだから少し後ろめたいが、これで各部署の様子を探る大義名分を得ることができた。
閃きから実った思わぬ収穫に、俺は内心ほくほくとしながらグレディアスの御前を辞するのであった。
「虎太郎は転職したかったんだね」
俺が己の失策に気付いたのは、それから僅か数十秒後のことであった。
袖を握ったまま離さないサリナルヴァに声を掛けると、小柄な上司はそんなふうに返してきたのだ。
「気付かなくてごめんなさい。私のことは、その、気にしないでいい……から」
見上げる瞳をゆらゆらと湖面のように揺らしながら、気丈に言葉を紡ぐサリナルヴァ。ここで本当に「そうっすか、わかりました」と気にしなかったら、決壊して泣き崩れてしまいそうな表情であらせられる。
どうしてこんな状況になっているのかと言えば、どうやら俺が転職に関して肯定的――とはいわないまでも、半肯定的なやり取りをしていたから不安でいっぱいになってしまったようだ。
本当に俺の言葉を信じない上司で嘆かわしい……と返したいところだが、俺がグレディアスの手前きっぱりと断らなかったせいでもあるので、如何ともしがたい。
如何ともしがたいが、グレディアスとのやり取りの最中に俺が彼女とのアイコンタクトを一切取らなかったせいでもあるのだろう。……なんか、それはそれで上司に転職の話を持ち出しづらかったが故に目を合わさなかったと勘違いされていそうだな。
とにもかくにも、涙腺どころか表情すら半壊しかけているこの上司にフォローを入れておかねばなるまい。
「だから、俺は〝万象命名士〟を辞めるつもりはないんですって。この提案だって、他の部署の様子を見られたらいいなあって、思い付きで言ってみただけなんですから」
「…………本当に?」
「本当ですってば」
「……まだ私の所で働いてくれるの?」
「勿論です。サリナルヴァこそ、俺がへっぽこ過ぎるからって捨てないでくださいね」
「それはない。……虎太郎を一人前にするって約束したから」
少し冗談っぽく言うと、不機嫌そうな瞳でそう返されてしまった。表情はまたぼうっとしたものに戻ってしまったが……まあ、泣くのを堪えた顔よりはだいぶマシだろう。
ともあれ、心配性な上司の誤解は解けたようだ。
そのことにほっと胸を撫で降ろした俺は――安堵のあまり、彼女が声を発するまで、この場にはもうひとつ問題があることに気付けなかった。
「ふうん。辞める気はないんだ」
川がせせらぐようによどみない声音に、俺とサリナルヴァはそろって身を固まらせる。
おそるおそるそちらへ目を向けると、声の主が青い瞳を細めて探るように俺を見つめていた。
「あ、アルミナ……いや、これは何というか」
「なに? ああ、下手に言い訳はしない方がいいわよ? またサリナルヴァが泣いちゃったら困るでしょ?」
そう言われてしまえば、俺は口を噤むしかなかった。たしかに、ここでまた転職を肯定するようなことを言えば、せっかく和らいだサリナルヴァの不安がまた上塗りされてしまうかもしれない。
とうの本人は「……泣かない」なんて可愛らしく反論しているが。ちなみに顔を赤らめたり口をとがらせていたりするのかと思いきや、予想を裏切る全くの無表情で呟いておられるのは確認済みである。表情が感情に追いついていない。1年待っても追いつかないだろう。
……逃避はここまでにしておこう。
正直、アルミナの存在を失念していたのは俺のミスだ。
考えてみれば当たり前のことだが、俺はこの館の内部をよく知らず、1度目に出る時はアルミナではない別の天界人の案内で、また今日訪れた時はそのままアルミナの案内で塔内を歩いた。
アルミナのことだ。帰りもそのまま案内するつもりでグレディアスの隣に侍っていたのだろう。
サリナルヴァの様子がおかしいことに気を取られるあまり、影のようについてくる彼女に気付くことができなかった。
(サリナルヴァをなだめるためだったとはいえ、もう少し言葉を選んだ方がよかったかな)
アルミナはグレディアスの次女であり、ここを拠点にしているということは『輪廻転生塔』の一員でもあるのだろう。
職に就いているから批難はされないとはいえ、見学の件も微妙にグレーな申し出だったのである。
そこに『〝万象命名士〟を辞めるつもりはない』と言質まで取られてしまったのだ。
これはどう切り抜けたものか、と内心頭を抱えていると、アルミナが腕を組んで睥睨するように俺を見た。
「正直に答えてもらうわ。先程の職場見学――いえ、観察?それとも偵察かしら? 何を企んでいるの?」
剣呑な雰囲気を纏い始めたアルミナ。もともと目鼻立ちがはっきりとした顔なので、迫力も並ではなかった。
……いかん。当たり障りのない答えを考えようとすればするほど思考が他所に逃げる。
エリシムールと言い争った時もそうだが、もともと頭を使うことが苦手だったとはいえ、こういう大切な時に的を射る言葉が返せない自分に何故もっと生前勉強しなかったのかと腹が立つ。この瞬間に言っても詮無いこととはいえ、さすがに悔しい。
って修正したそばからまた考えが逸れてるし。しかも、ずっと沈黙しているせいでアルミナの眉がしきりにぴくぴく動いてしまっている。このまま言葉を探そうとしてもいたずらに時間を消費するだけなのかもしれない。
だったら、もう正直に俺の考えを話すべきか。
そう結論に至った俺は、少し意識をして息を吸い込む。
「企む、なんて大それたことは考えていないよ。それに、『偵察』なんて穏やかじゃないことをする気もないし」
「無い無いの返事なんて求めてないわよ。どういうつもりで見学なんて言い出したのか教えなさい」
尚も青色の瞳ですごんでくるアルミナに、俺は自分が『職場見学』を閃いた経緯を正直に説明した。
サリナルヴァに、現象のプラスとマイナスのバランスについて教わったこと。
現象の規模や内容は、それを〝定義〟する人物に委ねるべきだということ。
そしてその人物が下界とどんなふうに関わっているのかは、所属する部署によって断片的には分かるが、詳しくは分からないということ。
見学という形をとって職場の様子を見ることができれば、その為人を知る良い機会になるのではないかと考えたこと。
「……それが〝万象命名士〟の仕事にどうかかわるのか、私には見えてこないんだけど?」
「たしかに、〝万象命名士〟は依頼者の現象を〝命名〟する仕事だから、依頼者を知ることは関係ないかもしれないけれど」
部署を見学したり話を聞いたりすれば、サリナルヴァが言うところの『匙加減を間違えてやらかす新米』を見分けることもできる。
とはいってもそれは理由の半分で、もう半分は『この〝定義〟をするこの人は、いったいどんな人なのか知りたい』という俺の純粋な興味に因るものだ。
〝万象命名士〟の仕事に直結することではないのかもしれない。
けれど、〝命名〟以外の面でも天界に暮らす人たちと繋がる縁になるかもしれない。
「俺は、命名士と依頼人としての関係だけじゃなく、天界の人と縁を深めていきたいと思うから」
俺が〝万象命名士〟を務め始めてから1週間あまりがすぎた。
その間に知り合った人は、もはや両手両足の指に収まりきらないほどになっている。
けれど、それはあくまで仕事上の関係で、という但し書きが付く。
だが、エリシムールと言葉を交わしたあの日。
『下界環境補整塔』の外に出たからウェルマの人柄にふれることができた。
命名士と依頼人としての関係だけだったら、仮令サリナルヴァから『ベテランの〝定義〟は適切』であるという発言を聞いた後であっても、あの優しい先輩のことを俺は今でも『甘いマスクをかぶりながら、土砂崩れで人を殺したがる少年』と誤解していただろう。
もしかしたら、今まで知り合った中にもそのように誤解してしまっている人がいるかもしれない。
そんな人たちともいろいろな形で縁を深めていくことは、決して無駄なことではないと思う。
……まあ、閃いた時はここまで考えていたわけじゃないのだけど。それでも、これが俺の正直な意見だ。
重い沈黙が続く。
10分……いや、まだ30秒ほどしか経っていないだろうか。
探るようにこちらを見ていたアルミナはすっと瞼を完全に閉じると、ひょいと肩をすくめて口を開いた。
「そんなに思いつめた顔をしなくても父には言わないでおいてあげるから、安心しなさい」
思いもよらないほどあっさりとした引き下がりに、俺はぽかんと呆けてしまった。
「……いいのか?」
「いいも何も、私はそこまで目くじら立てていたわけじゃないわよ? 立場上、貴方の真意を確認したかっただけで」
金髪をかき上げながら、私自身そんなに悪いことだと思っていないもの、と口元さえ緩めてみせている。
「正直、他の部署を見ることが何の役に立つのかいまいち解らないけれど。貴方は〝命名士〟を続けるわけだし、その見学とやらも仕事の邪魔にはならないんでしょう? まあ、あとは貴方自身の仕事にどのくらい支障が出るのかが問題ではあるわね」
「それなら問題ない。訪問が落ち着く時間帯を選べばいい」
横からサリナルヴァが意見を添える。アルミナは驚いて「支障が出ないのなら別にいいのだけれど」と言って、一旦言葉を切った。
「……『補整塔』責任者として、貴女は虎太郎の提案をどう思うの? サリナルヴァ」
「承認する」
反射ともいえる速度で言葉を返すサリナルヴァ。俺もアルミナも目をしばたたかせてその言葉の続きを待つが、白髪の上司はぼんやりとしたまま動かない。
……終わりかよ。
「コホン。まあ上司が認めるなら私も言うことはないわ。ところで、最初はどこの見学に行くの? 父が出した候補の中から選んでくれると嬉しいのだけれど」
一応メンツもあるしね、とアルミナ。
「そうだね、俺も他にどんな部署があるかなんてよく分からないし、その中から選ばせてもらいたいと思っているよ」
俺もそのつもりだったのでそう答えると、横から草のこすれるような涼やかな声が「待って」と割り込んできた。
「それは少し考えさせてほしい」
「あら。理由を教えてもらってもいいかしら?」
意外そうな顔でアルミナが問いを返す。
「これは職の斡旋ではなく、ただの見学。だったら、空きがある云々ではなく、理解を得られる相手のもとへ行った方がいい」
「ふうん、なるほどね。で、その相手って?」
「考え中。決まったら伝える」
「そう、わかったわ」
そう頷くや否や、話は終わったとばかりにアルミナは踵を返し、すたすたと歩いて行ってしまった。
「……相変わらずのマイペース。さすがアルミナ」
ぼそりと呟く上司に、貴女も大概ですけどねと思いながら笑みを返していると、廊下の遥か向こうから「おいてくわよー」と容赦ない声が聞こえてきた。
俺は慌ててサリナルヴァをせっつきながら、せかせか歩くアルミナを追いかけるのだった。
もとは単なる思い付きから出た、今回の話。
足を踏み入れるであろうまだ見ぬ部署では、どんな出会いが待っているのだろう。
そんなじんわりとした昂揚感に胸を弾ませながら。
イリーナベル「はあ。職場見学かあ」
ウェルマ「まさか職を替えるわけでもないのに見学に行く、なんて言い出すなんてね。虎太郎も新人として着実に暴走してるね、好い意味で♪」
イリーナベル「そうねえ。新人の子って、こっちが考えもしないことをしたりするわよね。前にうちに来た子は、たしか現象の正負について教えたことを納得しないで勝手気儘にやって、結局島一つ沈めたし」
ウェルマ「職に就いて4日で姿をくらました人もいたよね。すぐに見つかったけれど」
イリーナベル「他所からの伝言を伝え忘れて仕事が大幅に滞ったこともあったわねえ」
ウェルマ「僕たちもそうだけれど、本当に報連相って大事だよねえ。別に多くは望まないから、次の新人は普通のことが普通にできる人だといいなあ」
イリーナベル・ウェルマ「「はあ……」」(遠い目
アルミナ「……いったい何の話してんのよ、貴方たちは」
お読みいただきありがとうございました!