6話 グレディアス再び
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新章突入です!
新米〝万象命名士〟として日々を送る虎太郎の元へ、懐かしき人物から連絡が届く。
その人物とはいったい……!?(白々しい
天界。
人界を超えた場所にあるとされるその世界は、下界から仰ぎ見ればその神聖さを感じずにはいられない場所である。
ただ、あくまで地上人が思い描く『天界』は空想の産物であるため、その期待にそぐわない部分も多少見受けられる。
例えば、天界人には翼がないとか。
花畑が広がっていないとか、無上の自然に囲まれた楽園でないとか、無上の幸福にあふれた場所でないとか。
ようするに、人間が憧れるような幸福に塗れた世界ではない、という辺りが、特に顕著だ。
そう考えると、仏教の『六道』の考え方が割と真に迫っているのかもしれない。
かの世界では、天道に暮らす人でさえ喜怒哀楽の煩悩から解き放たれていないとしているのだから。
そんな想像をするのも、俺がこの天界に訪れてから感じている感覚の中に、『この地に住んでいる人たちは地上の人間とそう変わらないのではないか』というものがあるのと無関係ではないのだろう。
まず、アルミナ。
俺がこの場所に招かれて2番目に会った天界人であるが、この女性は丁寧な物腰と気安い人間に接する態度といった2つの顔を使い分けている。
人に応じて接し方を使い分けるというのは、とどのつまり相手の印象の良さに合わせて自分を使い分けているということ。
多少強引な解釈だが、その奥底に自分の印象の向上、または相手の中に取り入ろうとする慾があると考えれば、これほど人間らしい態度はないだろう。
例えば、サリナルヴァ。
あの上司は、最近分かったのだが……というよりも、付き合いが短いのに分かってしまったのだが、と言った方が正しいのだろうか。表情と内面が一致していないように見える。
俺がエリシムールと応対した時の後などまさにそうなのだけど、あの上司は喜怒哀楽が、下手したら生前の俺よりも豊かかもしれない。つまるところ、人間らしい感情に惑乱されているということだ。
ウェルマは……まあ俺の知り合いの中では一番天使だろう。
エリシムールは……衝撃的過ぎてよく解らない。うん。
そんなふうに今まで出逢ってきた人間を鑑みると、天界人も地上人とそんなに変わらないような気がするのだ。
……とりあえず、なぜ俺がそんなことをいきなり論じているのかというと、現在目の前にいる御仁も『余計な仕事を増やすな』と人間臭い台詞を俺にぼやいていたなあということを思い出したからなのだが。
正面には、しばらくぶりに見る金髪の美壮年――グレディアスの姿。
相変わらずどっしりと構えていながら気負いを感じさせないような雰囲気は、俺が天界に初めて来たときのことを思い出させてくれた。それほど日が経っているわけではないのに、少し懐かしい気分だ。
そして俺の隣には、『下界環境補整塔』責任者にして俺の上司、サリナルヴァが佇んでいる。ちなみに、グレディアスの隣には彼の息女アルミナが控えている。
なぜこんな奇妙な取り合わせの人間が集ったかというと、事の発端は1時間ほど前に遡る。
あれは、最近では日課になっていたサリナルヴァからの手解きを受けている時のことだった。
「――だから、下界への〝命名〟はプラスのものだけではダメ。それに応じたマイナスも必要」
「はあ、だから都合の好い〝命名〟だけじゃなくて、エリシムールの時みたいな災害を象ることも必要なことになるのか」
俺の発言に、サリナルヴァがぼうっとした表情のままこくりと頷く。
太陽が中天から少し降り始めた頃、訪問者が途切れた頃合いを見計らって、小柄な上司が俺にレクチャーを始めてくれた。
エリシムールとの一件があってから、サリナルヴァはこうして空き時間にも〝命名〟についての研修を行ってくれている。
一気にすべてを詰め込むわけではないが、参考にしやすいよう触り程度には耳に入れておこうという方針なのだろう。内容としてはそれほど詳しくないので、訪問者から掘り下げた内容の話を持ちかけられたらどうしようもないが、おかげで少しは相手の都合も理解できる、というくらいの知識がついてきている。
ちなみに今回の講義は、エリシムールにも言われた『下界に都合の好いだけの〝命名〟は失策である』という内容だ。
平たい話が、サリナルヴァがエリシムールの災害の〝定義〟を2つ返事で承諾する根拠はどこにあるのか、という話でもある。
先日はケジメのために彼の〝定義〟のままに〝命名〟をしたが、実のところ内心では納得しきれていなかった。
そういう意味では、今回の趣旨は俺の胸のわだかまりを解消するよい機会になるのだろうが、悲しいことに、俺は上司の話を聞いても、マイナスの必要性について理解が及ばないのであった。
「……虎太郎、あまり納得してない?」
そして上司にも感付かれていた。
悄然として頷くと、サリナルヴァは「気にしなくていい」と言って、俺の目にラピスラズリの視線を合わせてきた。
「正負の天秤は、意識しない人間にとっては想像しにくいのが普通。例えば……コーラは好き?」
「へ? まあ好きか嫌いかと言われれば好きですけど」
質問の意図が解らず疑問符を浮かべる俺に、サリナルヴァは少し唇を緩めた後に言葉を続けた。
「喉が乾いた時のコーラの美味しさは格別。でも、潤された後のコーラは、むしろ無駄にお腹が膨れて苦痛」
「……ええと、つまりどういうことですか?」
「『喉が渇く』ほど『コーラは美味しい』。つまり、不満があることによって初めて幸福を感じることができる」
尚も首を傾げる俺に、サリナルヴァは変わらぬ調子で補足する。
「幸福しかない状況に幸福は存在しない。だから潤された時のコーラは苦痛」
「……ああ、なんとなく理解できました。過ぎたるは猶及ばざるが如し、ということですね」
コーラという嗜好品で考えるから訳が分からなかったのだ。どちらかというと、『食事』に置き換えた方がイメージしやすいのかもしれない。
空腹における『食事』、これは言うまでもなく至福の時だろう。
現代日本ではイメージしづらいかもしれないが、飢餓にまで至った状態ではたとえ嫌いな食べ物でも好物のごとく美味しく食べることができてしまうのだ。
だが、これが満腹――それも、決壊寸前まで収めた胃袋となればどうだろうか。
嫌いな食べ物は言うに及ばず、好物でさえ口に入れることを拒むはずだ。なにしろ、どれが決壊への最後通牒になるか分からないのだから。
ことそんな緊急時においては、幸福の種である好物でさえ憎たらしく感じてしまうだろう。
不幸があるからこそ『幸福』を感じられる。幸福しかない世界では、幸福が『不幸』の種になりうる。
サリナルヴァが言いたいのは、きっとそういうことだろう。
そう感じ取ったことを伝えると、白髪の上司は「正解」とだけ告げて眠たげな瞳で見返してきた。瞼が落ちかけていて今にも眠ってしまいそうな表情だが、その奥をよーく見るときらきらと輝く光が見える……ような気がする。たぶん。
「でも、その禍福の匙加減が難しい」
サリナルヴァが言うには、何の現象をどのくらいの規模で〝定義〟すればよい塩梅になるのか計算するのは相当骨らしい。
何せ、下界には人類だけでなく、その他の動物や植物、細菌類、生息地で細かく分ければ陸棲に水棲、水棲にしても淡水生と海水生、さらに表層部と深淵部というように、分類方式1つ取っても水田の籾を数えるような話なのである。その中から何をどの程度〝現象〟に巻き込むのかを考慮し、決定したのが、訪問者が持ち寄ってくる〝定義〟なのだという。
適当な場所に現象をぶっこんで解決☆、というわけにはいかないようだ。
ウェルマもそんな面倒な計算をしたうえで〝定義〟をしていたのだろうか。そうだとしたら、悪いことをしちゃったな。
「天界では、下界の万象を幾つかに分割して、それぞれの『塔』で管理している」
ここ『下界環境補整塔』は下界へ及ぼす現象について統括管理する部署であり、エリシムールの『天秤塔』なども同様に下界の万象の1つを管理しているとのことだ。
「だから現象の〝定義〟は、本来彼らの専門分野。任せた方が、間違いはない」
「……でも、それだとやっぱり〝万象命名士〟はただの承認機関、ということになりますよね?」
「そうとも言えるし、そうとも言えない」
ぼうっとしたような表情の上司から、どっちつかずな答えが返ってきた。
どうでもいいけどそういう答え方好きですね、サリナルヴァ。
「ある程度仕事に慣れてきた新米は、自分の腕を過信して時々匙加減を間違える。それを正すのも私たちの仕事」
「その、匙加減を間違えている人の見分け方は?」
「慣れ」
簡潔に答え、そのまま口を閉じるサリナルヴァ。
……え、終わり? いやまあ、『慣れ』だったらそれ以上の答えようも詳しくしようもないのだろうけどさ。
口数の少ない上司によって話が終了してしまったので、俺は別の質問をすることにした。
「それじゃあ、他の『塔』?はどんな仕事をしているんですか? 例えば、エリシムールの『天秤塔』とか」
「『天秤塔』は感情を取り扱っている。詳しい仕事については、秘匿されていることもあって十全に説明できない」
…………。
会話のキャッチボール終了。
「……ほ、他にはどんな『塔』があるんですか?」
「縁のある部署は、天象管理、地象管理、転生管理など。でも、仕事の内容については『天秤塔』と同じ。詳しくは知らない」
「仕事の内容を秘匿することで、各部署の独立性を保っているということですか?」
権力や仕事を分立させることは、別に珍しいことでもない。日本だってすべての政務を総理大臣が行っているのではなく、内閣府という形で、それぞれの部署を担当する大臣がトップとして据えられているのだから。
俺の言葉にこくりと肯定するサリナルヴァ。それはつまり、それぞれの『塔』の役割を教えることはできるが、それ以上の内容は説明できないということだ。
少々消化不良のような気もするが、思い返してみれば生前でも、『ここは製菓会社だが製法は門外不出』とか、『この部品メーカーは独自の技術を取り入れている』などというのはよくあった。乱暴な譬えだが、似たようなものだろう。
各部署の役割については後である程度教えてもらえるとのことなので、そこで今回の研修は終了、するはずだった。
「あら? もしかしたらお邪魔だったかしら」
川のせせらぎのようによどみない声音。
聞き覚えのあるどころではないその声の出どころを追うと、いつ入って来たのか、金髪長身の女性が部屋の入り口付近の壁に背を預けて立っていた。
「アルミナ? いや、ちょうど今研修が終わったところだけど」
「そう。なら丁度いいわ」
俺の返事に、アルミナは壁から背を離して微笑んだ。
「父が貴方を呼んでいるの。今から私と『輪廻転生塔』へ来てくれる?」
そんな経緯で、俺はアルミナの父グレディアスが統括する部署――『輪廻転生塔』を訪れていた。
ちなみに、呼び出されたのは俺だけなのになぜサリナルヴァもいるのかというと、館を出る時に彼女が「私も……いく」とぼんやりした面持ちで宣言し、そのままくっついてきたのためである。
俺たちがグレディアスの膝元に畏まると、金髪の美壮年は相変わらずの軽さで「よく来たなあ」と陽気な声を上げた。
「10日ぶりくらいか! いやあ、意外と元気そうだな、虎太郎」
思えばこの御仁と顔を合わせるのは天界に来て以来だなと頭の片隅で考えながら、俺は美丈夫に言葉を返す。
「……おかげさまで。でも、『意外と』ってどういう意味ですか、グレディアス」
「なに、お前さんは自殺を経て天界に来た人間だからな。下界の時のようなノリで死のうとされても困るんだよ」
そう言って、グレディアスは茶目っ気を出して微笑んだ。もっとも、それに反応した我が上司はぎゅっと俺の袖を握ってきたが。
グレディアスの言葉を真に受けているのだろうか。
「今のところはそんな気持ちに至っていませんよ。ところで、なんで俺は今日、呼び出しを食らったんでしょうね」
袖を握りしめるサリナルヴァに気を遣いつつ、俺は今日ここに訪れた本題を尋ねた。
するとグレディアスは俺を見、俺の隣に目を向け、再度俺に目を戻したあと、ゆっくりと口を開いた。
「お前さんが就けそうな仕事の空きが何件か出たんだがな」
ビクッと袖を握る手が震えた気がした。
「そうですか。どんな仕事でしょうか」
「ああ。下界の幸不幸を調節する仕事と、天象を管理する仕事だ」
「そうですか」
そう口にした途端、服の袖がきゅっと握られた気がしたが、俺の上司は何を心配しているのだろうか。俺は『〝万象命名士〟を辞めるつもりはない』と伝えた気がするのだが。
上司からの信頼がないことに若干の寂しさを感じつつも、俺は断りの返事をしようと口を開きかけ――「まてよ」と思い直す。
(各部署の仕事内容は表層だけ知られていて、深いところは秘匿されているんだったよな)
1時間前の講義の中で交わされた言葉を思い返す。
消化不良ではあったが、仕事内容を知ることが目的ではなかったので不満だったわけではない。
そう、目的は仕事内容を知ることではない。
(これをうまく使えば、他の部署の様子を実際に目で見ることができるかも……!)
閃いた考えに胸を高鳴らせながら、俺は断りの代わりに質問を投げかけた。
イリーナベル「新章突入よ!」
ウェルマ「……ああ、新章に入っても僕たちは後書き要員なんだね」
イリーナベル「今回はグレディアスが管理する『塔』の名前が明らかになったわね。ウェルマの部署も私の部署もこの章で明らかになるのかしら?」
ウェルマ「そうかもね。もしかしたら、新しい部署の名前もいろいろと登場するかも――」
イリーナベル「ストップ!」
ウェルマ「!?」
イリーナベル「フラグ立てないでよ……。もし私たちの出番がなくなったらどうするのよ……」
ウェルマ「ご、ごめん! ま、まあ、これをきっかけに虎太郎にはいろいろ天界のことを知っていってほしいね!」
イリーナベル「そうね。私たちにもっと出番…こほん。私たちとももっと友好を育ててくれると嬉しいわね」
ウェルマ(イリーナベルが出番に飢えておかしくなってる……)
お読みいただきありがとうございました!