3話 拾う現象 捨てる現象
目に留めていただきありがとうございます。
万象命名士として歩み始めた虎太郎。さあ、どんな現象を命名する?
「こんにちは、サリナルヴァはいる?」
「イリーナベル。今日は何?」
「うん。そろそろ北天にオーロラを敷こうかと思って。〝命名〟をお願いしたいのだけれど」
「分かった。でも、それなら新人に経験を積ませたい。虎太郎、こっちへ」
「了解です、サリナルヴァ」
返事をして、俺は早足で上司の元へ向かう。
『下界環境補整塔』、通称サリナルヴァの館を訪れてから2日が経った。仕事についての説明を聞いた翌日、俺は上司であるサリナルヴァの隣に立ち、実際の〝命名士〟の仕事を見学させてもらった。
それらを経ての今日。〝命名〟の手解きを受けたのち、サリナルヴァはこうして俺に幾つか仕事を回して経験を積ませてくれることになった。
「あら、見たことがない顔ね。もしかして、新しく天界に来た人?」
「はい。諏桜虎太郎といいます。一昨日からこちらでお世話になっています」
「まあ、そうだったのね。私の名前はイリーナベル。それじゃあ、私の〝命名〟よろしくね、虎太郎」
そう言って、イリーナベルと名乗った女性はにこりと微笑んだ。俺もそれに軽く笑み返して話を続ける。
「承りました、イリーナベル。それではまず、現象を〝定義〟していただけますか?」
そう促すと、イリーナベルは「わかったわ」と言って、赤紫の瞳で俺の目をじいっと見つめ始めた。次は俺が喋る番……というわけでは勿論ない。
〝万象命名士〟が現象を〝命名〟するためには、当たり前だがまずはその現象がどんなものであるのかを明確にイメージできなければならない。「奄美大島の南東から北西へ時速20キロで吹く風を起こしたいのですが」と言葉で言われても、よほど想像力が逞しくない限りは「はあ?」と返すしかないわけである。
ならば、どうやって相手に正しく伝えるのか。
答えは簡単だ。
『明確にイメージできるよう伝えたい』のならば、『自分の持つ明確なイメージをそのまま相手に伝えればよい』のだ。
……うん。それができたら苦労はしないよね。その通りです。
しかし、たしかに現代日本でそんな「花とは何かと問われたら、花と答えます」的な答えをほざこうものなら鼻で笑われることは必定なのだが、この天界にお住まいの方々はそんなトートロジーをこともなげにおやりあそばされているのである。
即ち、『自分の持つ明確なイメージ』をテレパシーのように相手に届けることができるのだ。
〝万象命名士〟についての説明を受けるとき、サリナルヴァが俺の目をじっと見つめることで俯瞰映像を伝えてきたが、すべての天界人があれと同じ力を使えるらしい。
ちなみに説明を受けている際、俺は彼女のことを敬称を付けて呼んでいたが、呼び捨てで呼べと言われてしまった。なんでも、天界人にとって名前は神聖なものであり、余計な言葉を付けると名前の響きに雑音が混じってしまうため、「~君」や「~さん」は勿論、「~先生」「~様」と付けるのも好まれる呼び方ではないのだそうだ。
敬称が不快なもの扱いされていると聞いたときの俺の驚きは、それはもう大変なものであった。グレディアス、アルミナ、サリナルヴァと、ここに来るまでの人すべてに失礼な呼び方をしていたと明かされるなんて、寝耳に水もいいところだろう。
……そういえば、みんな初めから俺のことを呼び捨てにしていた気がする。もっと早く教えてくれたっていいのに。
おっと、話を戻そう。
天界人が自分のイメージを伝えるためには、相手の目を――正確には瞳をじっと覗き込む必要があるらしい。
イリーナベルがじいっと俺を見ているのは、そのためだ。
見つめられる側からしたら、美女に見つめられて嬉しい反面、気恥ずかしくても目を逸らせないといういたたまれなさに耐えなければいけないのだが。
20秒ほど落ち着かない気持ちを味わっていると、段々とイリーナベルの姿が希薄になり、代わりに藍色の空にたなびく玉虫色のカーテンが見えてきた。
地球では大半の人間が写真を見ればその名を思いつくであろう有名なプラズマ発光現象、オーロラだ。
「ありがとうございます。それでは、〝命名〟を始めるので、イメージはそのままでお願いします」
「わかったわ」
イリーナベルの返事を聞きつつ、俺は眼前に広がるオーロラのイメージに意識を集中させた。
オーロラを広く見渡しながら、眼前にぼんやり見えるイリーナベルの瞳と視線を結ぶように見つめる。すると、イリーナベルの赤紫色の瞳の中に、ゆらゆらと玉虫色のカーテンが躍っている様子がはっきりと視認できるようになった。
その瞬間を逃さずに、俺は〝命名〟を遂行するための言葉を紡ぐ。
「『さるべき業縁によりイリーナベルより生まれ出でし因果の理、その定義を〝万象命名士〟諏桜虎太郎が確定する。疾く下界へ渡り、天上の音律を以て約束されし運命を現出せよ』」
言霊を口にするにつれ、イリーナベルの瞳の中にあるオーロラのイメージが、その瞳と同じ赤紫色の輝きを放つ。
そしてその光量が最大まで達し、瞳全体まで広がったところで、締めの言葉を放つべく口を開く。
「『イリーナベルが〝定義〟する現象を『北極点のオーロラ』と〝命名〟する』」
俺が言葉を結ぶとともに、ぱあ、と赤紫色の光が弾け、花火のように燐光が四散した。
「終わりました。これでイリーナベルの〝定義〟した現象は、下界に顕現しているはずです」
燐光を見届けて一息ついた後、俺はイリーナベルに向けて微笑みかける。
イリーナベルは「ありがとね」と俺に笑みを返し、サリナルヴァと二言三言交わして去っていった。
「随分さまになってきたわね」
さばさばとした声。
目を向ければ、壁際で金髪青瞳の女性が楽しげに口を緩めてこちらを見ている。
「アルミナ。どうしたの?」
「どうしたのとはご挨拶ね。虎太郎が今日から〝万象命名士〟として活動すると聞いたから、父の代わりに様子を見に来たのよ」
そう言って肩をすくめると、アルミナはすたすたとこちらに歩を進めてきた。
「それで、調子はどう? いきなり問題を起こしたりしてないわよね?」
戯れ半分に聞いてくるアルミナに、笑みを浮かべながら頷きを返す。
「ああ、うん。サリナルヴァが何人か俺のほうに振ってくれたんだけど、今のところは問題なく済んでいるよ。むしろいい人ばかりで、少し安心していたところだ」
そう、驚いたことに、いい人ばかりなのである。これが、ここ2日間で俺が最も驚いたことであった。
〝万象命名士〟の説明を受ける際、サリナルヴァは俺に例として2年前の大地震を持ち出した。だから俺は、てっきり『現象』とは地震や竜巻などの『災害』とイコールだと思い込んでいたのだが、蓋を開けてみれば先程のイリーナベルのようにオーロラを〝定義〟する人や、虹を生み出す人、その他にも多種多様な幻想風景の〝命名〟を依頼する人がおり、俺は認識を改めさせられることになった。
(そういえば、サリナルヴァは『現象』とは言ったけど『災害』とは一言も言ってなかった気がするしな)
勿論、中には天災の〝命名〟を持ち込む人もいたにはいたが、どれもそれほど悪い人には見えなかった。というか、どう見ても普通の人だった。
根暗な僻み野郎が呪いを振りまきそうな形相で詰め寄ってくる状況を想像していただけに、俺は内心安堵の息をついているのだった。……いやまあ、イメージについては100パーセント俺の勝手な妄想であるのだけれど。
そんなふうに自分の浅慮さを反省していると、それを感じ取ったのかアルミナが「いい人ばかりか。確かに、悪人なんてのはいないわね」とひとりごち、ついで別の訪問者と応対しているサリナルヴァのほうへ視線を向けてぶつぶつと独り言を呟き始めた。
「……、……はサリナルヴァ。……、……、イリーナベルは虎太郎。なるほどね」
「ん? 何?」
名前を呼ばれた気がしたので聞き返すと、アルミナに「いえ、こっちの話よ」とそっけない言葉を返された。
「それよりも、次の〝命名〟依頼者が来たみたいよ。頑張ってね、新米〝命名士〟さん?」
アルミナの視線を追うと、確かにサリナルヴァの方から一人の少年が近づいてきていた。
「うん。ありが……あれ?」
教えてくれた礼を言おうとアルミナへ視線を戻すと、彼女はいつの間にか壁際へ向かってすたすたと歩いて行ってしまっていた。
(初めて会った時の丁寧な印象が嘘みたいだな。……それとも、こっちが素なのかな)
女性ってよく分からないな、なんて幾分失礼なことを再び考えつつ、俺は新しい訪問者に応対すべく顔に笑みを張り付けるのだった。
少年は、名前をウェルマというそうだ。
茶髪黒瞳の凡庸とした顔立ちながらも、見た人10人中10人の胸が温かくなるような、柔和な笑みを浮かべた好感の持てる少年だった。
俺も、互いの簡単な自己紹介を終えて他愛もない世間話で談笑するほど、自分より5歳ほど年下に見える彼の人柄を好ましく思っていた。
それも、彼の持ってきた案件が話題に上るまでではあったが。
「どうしても〝命名〟してもらうわけにはいかないのかなあ」
人好きのしそうな笑みに幾分困った色をにじませ、ウェルマが何度目か分からない言葉を口にした。
それに対し、俺も何度目か分からない答えを告げる。
「はあ。申し訳ありません。ウェルマの〝定義〟する土砂崩れは人間に対する悪影響が大きすぎるので、許可はできません」
「それなら、……このくらいの規模でどうかな。これを通年で3回。僕としては、この〝定義〟で許可をもらえると嬉しいんだけど」
ウェルマのオブシディアンのような黒瞳から、新たなイメージが送られてくる。最初に提示されたものよりもだいぶ軽度なものに変更されてはいるが、それでも俺は首を縦に振ることはできなかった。
確かに、規模は小さくなっている。それにより、交通障害や作物被害については、広く絶望的なレベルのダメージから、最悪でも深刻程度のレベルのダメージくらいにまで落とされており、かなり妥協をしたように見える。だが、仮令少なくなったとはいっても、人家が土石流に呑み込まれるイメージはさながら鍋底にこびりつく焦げ跡のように、〝定義〟から除かれることはなかった。
(それに少ないといっても、1回で見ればの話なんだよなあ)
確かに初めに提示されたイメージからすれば、人的被害の規模は半分未満に抑えられている。だが、そこに予定回数を掛け合わせれば、最初の〝定義〟とほとんど変わらない犠牲が生まれる可能性は決して低くはなかった。むしろ、悪くハマッてしまえば当初よりも膨れ上がる可能性すらある。
これでは、いったい何のために『現象』の規模を小さくしているのか分からない。
(〝定義〟が通るように妥協しようとはしているんだろうけど)
災害レベルを下げても、頻度が増えたせいで犠牲者が増えるとあっては本末転倒だ。
埒が明かないので、俺は試しに自分側から『現象』の条件を申し述べてみることにした。
「ウェルマ。1つだけ、規模を変えることなく〝命名〟を実行できる案が浮かんだのですが、提案してもいいですか?」
「うーん……わかった。言ってみて」
ウェルマが頷くのを確認してから、俺は自分の意見を伝えるべく口を開いた。
「はい。例えば、海に面した斜面を崩す、とか、岩山の崖を崩落させる、とか、鉱山のくぼみに雪崩を起こす、なんてどうでしょう。そう言った条件であれば、最初に示していただいた〝定義〟に従って〝命名〟しようと思います」
途端、ウェルマが眉をひそめて渋面を作る。
「それは……でも、それだと生物的な贄はあまり見込めないよねえ?」
当たり前だ。そもそも、そういう意図で人がほとんど住んでいないような場所を例に挙げたのだから。
というか、トータルの犠牲が減らないのは、もしかしなくともそっちが『現象』を起こす主目的だからなのだろうか。人当たりのいい顔をして、意外ととんでもないことを考える坊ちゃんである。
(それはさておき、生贄がメインだと気付いていることがバレればまた面倒なことになりそうだ。ここは知らんぷりして話をまとめてしまおう)
そう自分の思考に区切りを付けた俺は、腕を組んでうんうん唸っているウェルマを畳みかけることにした。
「俺が譲歩できるのはこれが限界です。それか、もっと程度の小さい『現象』に小分けして〝定義〟していただくか。……大きな犠牲を払うことになりそうな『現象』を、俺は〝命名〟したくありません」
――求める者から聞き入れ、現象を確定し、下界へ放つのが貴方の仕事。
サリナルヴァから聞いた言葉を胸に、俺は自分のスタンスを目の前の少年に告げる。
黒瞳の青年は途方に暮れたかのようにより一層眉根を寄せて唸っていたが、やがて諦めたように溜息をつき、苦笑いの表情を作った。
「………………わかった。今回はそれで構わない。君の条件を呑むから、〝命名〟をお願いするよ」
そうして、おれはようやく災害についての〝命名〟も無事に済ませることが叶った。
去り際にウェルマが「君のように優しい人には〝命名士〟は大変かもしれないけれど、僕は応援しているよ」と皮肉だか何だかわからない言葉を残していったが、俺はあえてそれを額面通りに受け取った。
〝命名士〟として、俺は1つの災害を未然に防ぐことができたのだ。
確かに、〝命名〟を行う上での意見の折衷は大変だろうし、災害のイメージを目の当たりにしなければならないという点ではメンタルだって削られるだろう。
だが、実際に災害を防げたという経験は、俺の中で確かな達成感と自信に繋がっていた。
これも、2日前に〝万象命名士〟の立場の強みを教えてくれたサリナルヴァのおかげだろう。
〝命名〟の余韻で心が少し高揚していた俺は、感謝の想いを伝えるべく上司の姿を探した。
だが、さっきまでしか目の届くところにいたはずの小柄な姿が見当たらない。
「サリナルヴァなら、所用があるから少し席を外すって言っていたわよ」
いつの間にかサリナルヴァと入れ替わるように立ち尽くしていたアルミナに問うと、そのような答えが返ってきた。
彼女が戻ってくるまでの間、訪問者を待たせておく役目を任されたらしい。
「すぐ戻ってくるらしいし、そんなに絶え間なく人が訪れるわけじゃないから大丈夫よ」
アルミナが軽く肩をすくめる。
「まずは御疲れ様。その調子で続けることができれば、まず間違いなく下界に美しい光景を増やし、顕現する災害を少なくすることが叶うでしょうね」
そう言って青色の瞳を細めるアルミナ。その中には労いの色が見て取れた。他にも何か別の感情も込められているように感じたが、何なのかはよく分からなかったので深く追及はしなかった。
(アルミナの言うとおり、俺が頑張ればその分世界に安寧を届けることができるかもしれないな)
そんな未来を改めてイメージさせてくれたアルミナに礼を言い、さてサリナルヴァが戻るまで何をしようかと思考を巡らせかけた時、
――ガアンッ!
部屋の扉が轟音を立てて吹き飛ばされた。
そう見紛うほど乱暴に開けられた扉から、巨人のような足音を立てて1人の男が上がり込んできた。
男は驚く俺とアルミナの眼前で止まると、地響きのような声で用件を告げる。
「〝万象命名士〟はどこだ?」
男の名はエリシムール。
この荒々しい巨漢との遭遇がのちに俺の考え方に大きな影響を及ぼすことになることを、このときの俺はまだ知る由もなかった。
ウェルマ「僕たち、今後もちゃんと出番があるのかな」
イリーナベル「貴方はいいわよ。私なんて『赤紫色の瞳の女』としか描写がないのよ……」
ウェルマ「だ、大丈夫だよ! 『美女』ってちゃんと書いてあるから!」
イリーナベル「災害扱いされないオーロラ女に何の話題性があるっていうのよぅ。どうせ後から登場する美女美少女の陰に隠れて、ビジョビジョになって溶けていくのよ私は……」
ウェルマ「あ、ああ……い、イリーナベル! 飲みに行こう! ね! 今日は僕がおごるから!」
イリーナベル「ぐすん」
お読みいただきありがとうございました!
8/17訂正
これも、2日前に〝現象命名士〟の立場の~ → これも、2日前に〝万象命名士〟の立場の~