2話 万象命名士
目に留めていただきありがとうございます。
天界で仕事をすることになった虎太郎。万象命名士とは何なのか。
「まずは、お前さんの上司となるサリナルヴァの所に向かってくれ。仕事内容については奴から聞いた方が早いし、よく解るだろう」
〝万象命名士〟とは何ぞや?と問うと、そんな返事がきた。
業務説明の怠慢じゃないだろうか?
そう苦言を呈すと、「お前さんは何か? 人事部の人間に経理部の仕事を詳しく説明しろと、そういう理不尽なことを言う人種か?」と金髪の大男が肩をすくめたので、それ以上の追及はやめておいた。その態度にカチンと来たけど、これ以上続けても実入りはないだろうし。
さすがに悪いと思ったのか、男は俺に案内役を付けてくれるという。
まあ、いくらなんでも、北も南も判らない場所で適当に地図を渡されて放り投げられたら俺だって断固抗議するが。
そんなわけで、俺はさっきまでいた建物の外で、案内役とやらを待っていた。
袖を通しているのは、大男と同じようなゆったりとした白い布製の服。天界での装束として男から貰ったものだ。なかなかにさらさらとした肌触りで、手足を動かすと布がこすれて気持ちがいい。シュリ、シュリという衣擦れの音も、風鈴の音のように涼やかだ。
そんな心地よさを感じつつ、天界の風景を見渡してみる。
俺の天国のイメージといえば――他の人はどうかは知らないが――足下が雲でできていて、空は光り輝いており、色とりどりの花々が咲き乱れている、といったものだった。
しかし、俺の足元には雲ではなく継ぎ目のない真っ白な石が広がっており、等間隔で同様に真っ白な建物が立っている。写真で見たヨーロッパのサントリーニ島の建物に少し似ているかもしれない。空の様子は現世と変わらず、太陽が中天に鎮座し、雲がその下をゆったり泳いでいる。ちなみに見える範囲では、花畑どころか花は一輪も咲いていないようだ。
「まあ、天国ってそもそも人間の想像だしなあ」
「人間の想像ですか、興味深いですわ」
「え?」
独り言への返事に驚いて振り返ると、そこには金色の髪と青い目をもった少女がいた。
年頃は20歳に届かないくらいだろうか。俺とあまり差がないように見える。背は俺よりも指一本分ほど高い。服から覗く手足は細く伸び、程よく引き締まっているようだ。ゆったりとした服のせいで胴部分はよく判らないが、おそらくモデルのような体形であるのだろう。
「あの、私の顔に何かついていますか?」
不思議そうな少女の声で、ハッと我に返る。いかんいかん、少しガン見しすぎていたようだ。
「いえ、なんでもありません。貴女が案内をしてくださるという方ですか?」
「はい。グレディアスが次女、アルミナと申します」
「グレディアス?」
「先程まで貴方がお話されていたのは、私の父ですわ」
そう言われて、さっきまで向かい合っていた金髪の大男を思い浮かべる。そういえば名前を訊いていなかった気がする。
……向こうが俺の名前を知っていたからうっかり自己紹介を忘れていたが、世話をしてくれた人間の名前を訊かなかったのは少しばかり失礼だったかもしれない。
そう思って頭を下げると、アルミナさんは「気になさらないでください」と言って微笑んだ。
「死んだあと天界で目が覚めて、気が動転してしまっていたのもあるのでしょう。それをとやかく言うほど、父は狭量ではありませんわ」
ここに来たばかりの人にはよくあることなんですよ、と笑うアルミナさん。俺だけではないというところに少しだけほっとしたが、次に会った時にはちゃんと謝っておこう。
「そう言ってもらえると助かります。あ、俺は諏桜虎太郎っていいます」
「虎太郎ですね。道中よろしくお願いしますわ。あと、そんなに畏まらなくても、虎太郎の話しやすい口調でお話してくださいね」
「わかった。こちらこそよろしく、アルミナさん。君も砕けた口調で喋ってくれると嬉しいな」
「はい……うん、わかったわ、虎太郎。私のことも、アルミナって呼び捨ててね」
「うん、アルミナ」
「よし。じゃあ自己紹介も済んだところで、早速行きましょうか」
そう言って、アルミナは地図を広げて俺に渡してきた。そうして白く細い指で地図中の建物を差し、「ここが現在地で、今から行く方角はこっちね」と示すと、すたすたと歩いて行ってしまった。
(はじめは物腰の柔らかな人だと思ったけど、口調が変わると印象も変わったように見えるもんだなあ)
げに恐ろしきは女性の演技能力か。
そんな失礼なことを考えつつ、俺は慌ててアルミナのあとを追いかけるのだった。
体感時間で15分ほど歩いただろうか。継ぎ目のない真っ白い道の上を、同じく真っ白い建物を幾つも横目に見ながらあちらこちらと曲がったのでまったく距離感がつかめなかったが、いつの間にか俺とアルミナは一つの建物の扉を前に立っていた。
まるで城のように俺たちをどっしりと待ち構えていたその建物は、外見からいえばそれほど特徴らしき特徴はない。白亜のように真っ白に輝く壁が四方を囲っており、所々に光を取り込むためか窓がはめ込まれている。人間界の窓のように二枚の窓枠がスライドできるようになっていることから、空気を入れ替える目的にも使われているのかもしれない。ここまでは、道々に構えられていた他の建物と大差はない。
唯一異なる点があるとするなら、他の建物は屋根板が水平に設えられているのに対し、この城は六角錐型の槍のような青竹色の屋根が天を衝くように掲げられているのだ。……いや、天界にいるのに天を衝くって表現はどうかと思うけど。
「ここがサリナルヴァの館よ」
そう言ってアルミナは俺の持つ地図を覗き込み、印をつけるように現在地を指で囲う。
「入りましょ」
そう言ってすたすたと歩き始めるアルミナの数歩後ろについていく。ここに辿り着くまでに気付いたことだが、このアルミナ、脚がとても長い。指一本分ほどしか背丈が変わらないのに、歩いているうちにぐんぐん離されてしまうのだ。おかげで俺は、はぐれないように少し早歩きをしなければならない有様なのである。断じて俺の足が短いわけではない。……多分。
そんなことを考えながら、カルガモの子のようにアルミナの後を追いかけること数分。俺の息が少し上がってきたころにアルミナは一つの扉の前に立ち、「少し待っていて」と言って一人で室内へ入っていった。
軽く腿を揉みほぐしながら所在なく立ち尽くしていると、少しして扉が内側から開かれた。半身を出して手招きするアルミナに促されるままに足を踏み入れた。
「貴方がグレディアスの文にあった新人」
草がこすれるような涼しい声が耳に届く。そちらへ目を向けると、書類の積まれた机を背にこちらを見つめている人物と目があった。
そこにいたのは、グレディアスに引けを取らぬほど大柄な女――ではなく、小柄な少女だった。顔立ちからして12,3歳くらいだろうか。透き通るような白髪を肩口で切り揃えている所謂おかっぱ頭で、それが一層少女の幼く見せている。
天界に来てからグレディアス、アルミナを含めまだ数人しか人間(?)と会っていないが、軒並み俺よりも身長が高い人ばかりだったため、少し驚いてしまった。
「私はサリナルヴァ。ここ『下界環境補整塔』の責任者」
そう言うと口を噤み、エメラルドのような緑色の瞳でじっとこちらを見つめてくる。「次は貴方」と促されていることに気付き、俺も慌てて口を開いた。
「俺は諏桜虎太郎といいます。グレディアスさんから〝万象命名士〟について説明を受けるように言われてきました」
「わかった。虎太郎、もう少しこっちに来て」
「はい」
上司となる子だから丁寧な言葉遣いを心掛けているが、年少に見える子に敬語を使うのにはなんだか違和感を覚えてしまうな。
サリナルヴァさんから1mくらい手前の場所で止まると、少女は白髪を揺らして半歩こちらに近づいてきた。
「〝万象命名士〟は、現象に名前を付ける仕事」
「現象、ですか?」
「そう」
相槌を打つと、サリナルヴァさんは先程のように口を閉ざし、ラピスラズリの瞳でじいっと俺を見上げてくる。これはあれだろうか、俺が質問をするのを待っているのだろうか。
不思議に思っていると、何やら俺の目にここではない別の場所がぼんやりと映りだした。
思わず「うわっ」と驚いて目をこすると、サリナルヴァさんから「動かないで」と手を掴まれて下ろさせられてしまった。
混乱は収まらないがどうやらサリナルヴァさんが何かしているのだという思考に行きついた俺は、目の前で徐々にはっきりしてくる風景に注意を向けてみた。
どうやら俯瞰映像のようだ。まず目を引くのは、まばらに点在する濃い緑色の林。それに沿うように建てられた住居の屋根は、木か枯草のようなもので葺かれている。どう見ても、辺り一面真っ白な天界の映像ではない。熱帯地方のどこかだろうか。
しかし、何というか目が疲れる。何に譬えればいいのだろうか。そう、画面が2分割されたテレビのように分かれて見えるのではなく、2つの映像が重なって見えるイメージといえば解りやすいだろうか。サリナルヴァさんの顔とどこかの風景とが合わさって見えるのだから、見にくいことこの上ない。ならば目を閉じれば風景に集中できるかと問われればそうでもない。なぜなら、さっき目をこすった時、サリナルヴァさんの姿と一緒に風景も遮断されたからだ。どうやら頭ではなく、目に直接働きかけているようだ。
「今見せているのは、2年前の下界の様子」
サリナルヴァさんの朴訥とした声が耳に入り込んでくる。何故2年前?と訝しく思っていると、突然映像がぐらぐら揺れ出した。
いや、映像が、というのは語弊があるか。そう見誤るくらい、眼下では林や家々が大きく揺れているのだ。
その様子を見て、俺はふと何かが頭を掠めるような感覚を覚えた。
2年前。熱帯地方。揺れ。……そういえば、たしか一昨年の10月に、東南アジアの赤道近くの国で大きな地震があったような……
「2年前の10月3日午後2時頃。東南アジア東部の国で地震が発生。甚大な被害を齎したこの地震は『シヴァの試練』と〝命名〟された」
そう。たしかこの地震についてニュース番組では『東南アジアを襲った断層型地震』という名称で取り沙汰されていたが、何かのワイド番組で「『シヴァの試練』という別称で呼ぶ人もいる」と耳にしたことがある。
「でも、それ名付けたのって下界の人間ですよね」
「違う」
サリナルヴァさんが間髪入れず否定する。
「天界の〝命名士〟がそう呼称したから『シヴァの試練』という名称が下界で使われた。人間にできるのは現象を分類するくらい。現象を命名する頭はない」
そう言って、サリナルヴァさんは瞼を閉じた。途端、霧が晴れるかのように視界から俯瞰風景が消える。
「今の地震は1つの例。地震以外にも現象は無限に存在する。その現象を命名し、何が起こるのかを確定させ、下界へ放つ。それが〝万象命名士〟の仕事」
「……つまり、下界に災害をまき散らせ、と?」
今の地震の映像を思い返して身構えるように尋ねると、サリナルヴァさんは感情の読めない表情で「そうとも言えるし、そうとも言えない」と答えた。
「実際に現象を引き起こすのは、貴方ではなくそれを願った者。その現象を確定し、解き放つのが〝命名士〟」
「片棒を担ぐことに変わりないじゃないですか。悪いですが、そんなこと俺にはできそうにありません」
俺は拒絶の意志を込めて首を振った。
俺は自殺をして天界へ来た身である。けれど、別に俺を取り巻く世界が憎くてそうしたわけじゃない。ただ、生きていくのがどうしようもなく苦しくなっただけだ。
俺のいない世界なんて壊れてしまえ、なんて自棄を起こす気もなければ、逃げまどい命を散らしていく人間達を見て愉悦に浸るほど腐ってもいないつもりだ。逆に罪悪感でどうにかなってしまうかもしれない。
なるほど、グレディアスさんが目を逸らしながら紹介するわけだ。
そんな俺を見ても、サリナルヴァさんは表情を崩すことなく「貴方は少し思い違いをしている」と草のこすれるような声で呟いた。
「求める者から聞き入れ、現象を確定し、下界へ放つのが貴方の仕事」
「……それはさっき聞きました」
「つまり、いくら現象を求めても、虎太郎が許可しない限り、それが下界へ放たれることはない。規模を決定するのも、求めた者ではなく虎太郎。〝命名士〟は、そういう仕事」
即ち、地震などの災害を起こすか起こさないか、規模を大きくするか小さくするかといった裁量の権限は、〝現象命名士〟に与えられているということだろうか。
下界に対する天罰や自然災害を起こすかどうかは、俺の判断に任せられている、と。
それは、とても心を圧迫される仕事かもしれない。
けれど俺は、サリナルヴァさんの言葉を聞いて自分の中にある拒絶感が薄らいでいることに気付いた。
権限が俺にあるということは、つまり、そういった未曾有の災害を少しでも減らせるということだ。
10年で5回ある災害を、10年で2回に減らせるかもしれない。もしかしたら、ゼロにすることだって可能かもしれない。
災害を受ける人たちからすれば、回数なんかさほど問題ではなく、災害に遭うか遭わないかが最重要なのだろうが、その災害の予兆を事前に感知できる俺としては、少しでも減らせることに越したことはない。
なにより、そういった超常的な力を得ることに少なからず胸が高鳴っていた。
(グレディアスさんが言葉を濁したように、たしかに心労の多い仕事かもしれない)
だけど、もしかしたらそれほど悪い仕事ではないのかもしれない。
「虎太郎、貴方のような人に、この仕事を受けてほしい」
感情の読めない、平坦な声音を向けてくるサリナルヴァさん。そのラピスラズリの瞳は先程までより強い光を放っており、どこか必死にも見える。
(どのみち、これ以外に空いている仕事なんてないんだもんな)
グレディアスさんは、別の仕事が見つかるまでの繋ぎとして〝万象命名士〟を紹介してくれた。
それまで頑張ってみよう。
「分かりました。受けます」
「そう」
そっけない返事だったが、一瞬彼女の目が見開かれたのを俺は見逃さなかった。
「じゃあ、虎太郎。これからよろしく」
「はい。よろしくお願いします、サリナルヴァさん」
こうして、俺はサリナルヴァさんの元で働くことが決まったのだった。
お読みいただきありがとうございました!
8/20訂正
「~。それが〝現象命名士〟の仕事」 → 「~。それが〝万象命名士〟の仕事」
いろんな所が現象命名士になってるorz