焼けゆく魂 01
春に新たな騎士団員を迎え、既に半年が経った。
この半年、目立った事件はおきていない。
騎士団は、そしてアスファリアは平和であった。
にもかかわらず、騎士長であるラウラ・アズルにはこの半年間、気がかりでならない案件があった。
ユアン・ラングハート。
春に入団した彼は、ラウラにとって特別だった。
ユアンの父、ユリアス・ラングハートは、ラウラにとって無二の存在であった。
先のラグーン戦争の際に齢三十で命を落とした、敬愛する、今は亡き友。
ラングハート家といえば、何人ものアスファリア騎士長を輩出した名門である。
ユリアスと同じくユアンも、ラングハート家の特徴である黒い髪と黒い瞳をした、それは美しい人間であった。
またラングハート家の男は、総じて長身で痩身の者が多いという。
ユアンも例に漏れず、その身体的特徴を受け継いでいる。
痩身とはいってもひ弱な印象はなく、すらりとしなやかな筋肉がバランスよくついている。
つまりユアンは、ラングハート家の外見上の美徳、かつそれをさらに洗練させたものを、全て集結させて生まれてきたようなものだった。
彫刻を彷彿とさせるユアンの端正な顔立ちは、どこか冷ややかな印象を与えるにも関わらず、人々の、とりわけ異性の目を強く惹き付けていた。
四十を過ぎ、壮年となったラウラにとっては、人間の価値は外見で決まらないことくらい、百も承知だ。
だがユアンと同じ世代の、特に若い娘たちにとっては、美しい容貌はそれだけで十分な魅力を持っていることも、ラウラは知っていた。
騎士団本部の回廊を通り過ぎようとしたとき、ラウラの耳に荒々しい声が届いた。
「ユアン、待て!」
ラウラは立ち止まる。
聞き耳は趣味ではないが、この際仕方がなかった。
何度も人づてに耳にしたユアンのトラブルの現場を、ようやく押さえることができそうだ。
「悪いな。先約がある」
いかにも気乗りのしない声。
その先約とやらが真実であろうがなかろうが、呼び止めた声の主に従ったとは到底思えない。
「待ってくれ、ユアン」
三人目の声が聞こえた。
「君と話がしたいんだ。急いでいるというのなら、できるだけ早く終わらせる」
「……ニコラス、助祭」
助祭と呼ばれた相手なら、ラウラもすぐに思いあたった。
ニコラス・ロヴェル。
中性的な容貌をした、非常に優秀な人物だ。
若干十八歳で、アスファリア大聖堂の助祭に叙任された。
ラウラも何度か言葉を交わしたことがある。
驚くほど聡明な若者だ。
「あなたのようなお方が、わざわざ何のご用件で」
皮肉がたっぷりと込められたユアンの声。
答えたのはニコラスの方ではなかった。
「お前、サラと寝ただろう」
「やめるんだ、ルイス! 暴力に訴えてはいけない」
ラウラは、回廊を曲がり、三人の姿を確かめる。
ニコラスに制止されていたのは、今年入団したルイス・セイラーだった。
三人の年齢は同じ。
つまり学校を一緒に卒業した、顔見知りである。
しかし友というには、雰囲気が悪すぎる。
少し離れていたためか、三人はラウラに気がつかない。
ユアンは自分の胸倉に掴み掛かっていたルイスの手を払いのけながら、冷ややかな視線を投げかける。
「寝た女の名前なんて、いちいち覚えてないんだ」
「何だと!」
ルイスは思わず手を上げかけたが、ニコラスがそれをさせなかった。
一方のユアンは、ちらとも動じずに冷たい眼差しをルイスに向けていた。
「女を寝取れられた恨み言か。それくらい、一人で言いにこいよ」
ユアンの言葉に、ルイスが怒りのあまり顔を蒼白にすると、ニコラスが代わりに口を開いた。
「違う。僕が勝手にルイスについてきただけだ」
「それは友達思いなことで。手の掛かる友達を持つのも大変だな。すぐ暴力に訴える。猿の方がまだ理性があると思うぜ」
ユアンの辛辣な言葉に、ニコラスは目を見開いた。
力なく首を左右に振り、信じられないという様子で呟いた。
「よくもそんなひどいことを。君には、罪の意識というものがないのか」
その言葉に、ユアンはいよいよおかしいといった様子で、せせら笑った。
「さあ、考えたこともなかった。罪か。面白いことを言う。だったら言わせてもらうが、付き合っている男がいるくせに、簡単に他の男と寝る女はどうなんだ。そっちの方がよっぽど罪深い。ルイス。お前は、そうは思わないのか?」
ルイスは怒りのあまり、体を小さく震わせていた。
「黙れ。お前の周りにいる女と、サラを一緒にするな」
ぎりぎりと歯を鳴らせるルイスの言葉を、ユアンは一笑に付した。
「同じだよ。違うと言うのなら教えてくれ。誘ってきたのは向こうなんだぜ」
「嘘だ!」
ルイスは悲鳴を上げるようにして叫んだ。再びユアンに掴み掛かる。
「サラはそんなことしない、お前がたぶらかしたんだ! そうだろう、そうだと言え!」
「そう信じたいのなら、信じればいい。本人に聞けばいいことだ」
忌々しげに再びルイスの腕を振り払い、ユアンは強引に話を切り上げる。
ルイスの低い唸り声が響いた。
「きさま、地獄に落ちろ」
「ルイス、そんな言葉を口にしてはいけない!」
ニコラスは小さな悲鳴をあげ、再びユアンに向き直る。
「ユアン、今すぐに告解を」
「……何だって」
「罪の告解を。今なら間に合う。すぐに教会へ行こう」
ニコラスの真摯な眼差しに、ユアンは唖然としていた。
「君の魂がゆるされ、救われるように僕も祈る」
ユアンは言葉を返すことすら忘れているようだった。
呆然と彼を見つめるユアンに、ニコラスの声は更に熱を帯びる。
「行こう、今すぐに。そして告解を」
しばらく目を見開いてニコラスを見ていたユアンは、やがて意識を取り戻したように、ゆっくりと口の端を上げた。
「……息が止まるかと思った。面白すぎて」
ニコラスが目を見開き、体を強張らせるのを眺めながら、ユアンは限りなく冷淡に微笑んでいた。
「あいにく、神は信じていないんだ。これまでも、これからも」
見る間に表情を歪め、ニコラスは胸に手を当てる。
服の下にある何かを強く握った。十字架なのだと、その形から推測できた。
ああ、神よ。
ニコラスはそう呟いた。
「告解をしなければ、君はゆるされない。魂が救われない。それで本当にいいのか!」
まるで自分が地獄に落とされ、罰せられることを恐れているかのように、ニコラスは悲痛な叫びをあげた。
さっきまでユアンの表情にあった冷たい笑みが消える。
「……告解をすれば、罪がゆるされ、魂が救われるというのか」
ユアンは無表情に、酷く冷めた声で、それを否定する。
「そんなこと、ありえない」
ニコラスは力なく首を振っている。
彼を説得できない、己の無力さを嘆くように。
代わりにルイスが、いよいよ限界だといった様子で、ニコラスの前に立った。
「もういい。こんな奴と、話そうと思ったのが間違いだったんだ」
「話そうと思った、だと? よくそんなことが言えるな。初めから喧嘩腰だったのはお前の方だ」
「うるさい!」
次の瞬間、ルイスは腰の剣に手をかけていた。
それが抜かれた瞬間、ラウラは叫ぶ。
「そこまでだ!」
三人ははっとしてこちらを向く。
ラウラの姿に正気に返ったルイスは狼狽し、ユアンも小さく舌打ちをした。
「ラウラ様……」
「ルイス、剣を戻すんだ。団員同士の私闘は禁止されている。知っているだろう?」
「……はい」
「悪いが話は聞かせてもらった。少しユアンと話がしたい。ここは預けてくれないか」
そう提案すると、ルイスは不満げに表情を曇らせた。
「……ルイス。ラウラ騎士長の言う通りに」
ニコラスが言うと、ルイスも諦めたようだった。
「……わかりました。失礼します」
最後にユアンを激しく睨みつけるのを忘れずに、ニコラスに伴われてルイスは去った。