邂逅 05
薄暗く、濡れた道を進んでいた。ところどころに松明が据えてある。
十分でない光源の中で、ユアン神経を研ぎ澄ませ、思案していた。どうすれば、アデルとブラックを捕えることができるのか。武器のないユアンが、ブラックに立ち向かうのは厳しい。アデルもまた、あのローブの下にどのような武器を隠し持っているのかわからない。
自分にナイフを手渡したシオンは、おそらく彼自身の縄にもすでに手を加えているだろう。ブラックがこちらにいる以上、あちらの敵など取るに足らない。心配することはない。
二人の合流を待てば、好機は訪れるかもしれない。しかし、その前にアデルが、この先に何を隠しているのかを知る必要がある。
そう考えて、無言のまま後に続く。しばらくすると、松明の光がなくとも洞窟内に自然光が差し込みだした。洞窟を抜けるのか? そう考えたとき、突然視界が開けた。
空が広がる。洞窟を抜けたのではなく、天井が存在しなかった。この窪地に特有の、地面が落下してできた場所、なのだろう。洞窟内を流れる川の源流が、驚くほど透明な湖を形成していた。太陽光が帯のように降り注ぎ、透明な水面できらきらと反射している。
こんな状況であるということも忘れて、一瞬、この場所の美しさに目を奪われていた。しかしユアンの瞳は、更に驚くべきものにくぎ付けになる。
「……どうして、ここに」
思わずユアンは呟いていた。信じられないものが、そこに存在していた。ルチカが悲鳴のような声を上げる。
「ドライグ!」
目の前、光射す湖のほとりで、三匹のドライグたちが横たわっていた。弱っているのか、顔も上げず、声も上げず、ただその黄金の目だけが人間の姿を捕えている。
「……おい、冗談だろ? 捕獲したのか?」
ブラックが信じられないといった様子で首を振った。
ルチカが青い顔をしてアデルを睨む。
「どうしてこんなところに。あんなに弱って、何をした!」
「弱っているんじゃないわ。弱らせてあるの。暴れたら手がつけられないじゃない。逃げられても困るし」
悪びれもなく冷笑するアデルに、ルチカは目を見開く。
「麻酔のようなものよ。抜ければそのうち回復するわ」
そのときドライグの一匹が、顔を上げて咆哮した。が、掠れた空気のような音が漏れるだけで、声が出ない。
「声帯はつぶしたの。声が出ては困るから」
事もなげに笑ったアデルに、ルチカはわなわなと震えた。
「なんてひどいことを」
「あら、あなたたちと何が違うっていうの? ドライグを操って戦うじゃない。人間のために、ドライグか傷つくのも厭わずに」
「お前もこの三匹を、使おうってのか」
ブラックの言葉に、アデルは嬉しそうに頷く。
「そうよ。このドライグに、トゥーレを襲わせる。いるはずのないところからドライグが現れれば、混乱は必至だわ。そこを本隊が叩く。トゥーレのドライグを足止めできれば上出来ってところね」
「どうやって手に入れた?」
「前の戦争のときにちょっとね」
アデルはルチカの方を振り返り、今一度艶やかに微笑んだ。
「娘を置いてきた代わりに、ドライグの幼体をいただいたの。役に立つ大きさになるまで、十年もかかってしまったわ」
「き、さま……」
怒りのあまり蒼白になるルチカ。構わずにアデルは続ける。
「ドライグを操る竜の笛、残念だけど使い方はわからなかったの。音が聞こえないんですもの。そこでルチカ、あなたの出番よ。さ、ドライグを飛ばしてみて。私にわかるように、使い方を教えなさい」
「……私が言うことを聞くと思うのか」
「そうね、そこで彼の出番ってわけ」
アデルはくるりとユアンの方を向いた。懐から、何かをとりだす。鞘に仕舞われた、長い錐状のもの。それを鞘から抜き取ると、一瞬で間合いを詰め、ユアンの至近距離へ。
一瞬の痛み。刺されたのだと知る。あまりに一瞬で、避けることはできなかった。首元から液体が流れる感触。赤い血が、じわりと衣服を染めていく。
「ユアン!」
血相を変えるルチカの声。アデルはくすりと笑った。
「私、毒を調合するのが得意なの。大丈夫、すぐには死なないわ。毒が全身に回るまで、一時間ってところかしら。言うことを聞けば、解毒剤をあげてもいいわ」
アデルはルチカを振り返り、こちらに背中を向けた。
その瞬間、ユアンは縄を斬り、後ろからアデルの首を羽交い絞めにした。持っていた仕込みナイフを、アデルの首に食い込ませる。
アデルは驚愕し、ユアンを振り仰いで目を剥いた。
「そいつの縄を解け」
ユアンはブラックに、顎で指示する。アデルは忌々しげに舌打ちをした。
「人の話を聞いていたの? 解毒剤がいらないのかしら」
「いらないね」
「何ですって?」
甲高い声を上げたアデルを無視して、ユアンはブラックを睨む。
「早くしろ」
「……自分の命は犠牲にするっていうのか」
「どちらにしても、俺を生かすつもりはないだろ」
ルチカの縄が解かれた。ユアンはルチカを見る。
「ドライグと一緒にここを出ろ」
「だめだ、ユアン」
「いいから、行け!」
叫びながら、ユアンはブラックを見ていた。この男が次にどうでるか。それで状況は変わる。アデルを見捨ててルチカに攻撃されると、まずい。だからこそユアンは叫んだ。
「トゥーレのことを考えろ! 早く行け!」
ルチカは慄いて、唇を噛みしめて一歩後ずさりする。それでもまだ動き出さない。ユアンは強く念じる。動け。選択を誤るな。行け。
「あなたの体に入った毒は、私のオリジナルよ。解毒剤も、他のだれにも作ることはできない。私を離さなければ、確実に死ぬことになる」
アデルの言葉を無視して、ユアンはブラックを睨みつけていた。アデルの首元に食い込んだナイフに力が入る。だがブラックは、まだ動かない。
「ブラック、何とかなさい!」
アデルはヒステリックな声を上げた。
「一歩でも動けば、この女は死ぬ」
ユアンがそう告げたとき、背後から声が聞こえた。
「ユアン!」
振り返るまでもなく、ラウラとシオンだった。目の前の状況に、二人は動きを止めて息を呑む。その手には、取り戻した武器もある。
ますます状況が悪くなったことに、アデルは大きく舌打ちをした。
「ブラック!」
アデルの叫びに、ようやくブラックは、やれやれと肩をすくめた。
「無理だな。諦めろ、アデル。お前はアスファリアの牢獄行きだ」
意外な言葉に、ユアンも内心で驚く。あれほど力のある男が、これくらいで諦めるとは思えなかった。
「……私を売って、自分だけ逃げようってつもり?」
奥歯を噛みしめたアデルを無視して、ブラックは何故かラウラを振り返った。
「終わりだ」
投降か? 急に態度を変えて何のつもりなのか。怪訝な顔をするユアン。ラウラが小さく息をついた。
「ああ、良くやってくれた」
言われた言葉の意味が理解できなくて、ユアンは目を見開く。ルチカも、シオンも、そしてアデルも同じだった。
「最後の最後に、そいつに毒を盛りやがった。あと一時間で、死ぬらしい」
「何だって」
ラウラがこちらを見る。ユアンにはまだ理解できなかった。しかし、自分が拘束するアデルが、真っ先に悟って、わなわなと震えだした。
「……騙したのね」
そうするとブラックはアデルを見て、勝ち誇ったような笑みを見せた。
「騙される方が悪い。そうは思わないか?」
アデルはぎりぎりと音が聞こえるほどに奥歯を噛みしめた。
「……ちょっと待って。一体、いつから?」
立ちすくんでいたルチカが、ようやく声を出す。信じられないという様子で首を横に振る。
「ブラックは、アスファリア騎士団所属の諜報活動員だ。ルチカがアデルの存在に気がつく以前から、ブラックはアデルに接近していた」
ラウラはさらりと言った。一同が驚きで言葉を失っている。シオンですら、知らなかった様子である。
「黙っていてすまなかった。峠でのことも。ブラックは盗賊として、完璧に振る舞う必要があった」
ラウラは簡潔に説明したが、説明などなくとも、察することはできる。誰にも知られず、味方さえも欺いて行動する。そうやって結果を出すのが、ブラックの仕事なのだ。すべては計算されていた。アデルの決定的な証拠を押さえるために。事実、アデルは疑いながらも、ブラックをここまで連れてきてしまった。
ラウラは手に持っていた剣の先を、アデルの目の前で止める。
「解毒剤を出すんだ」
「……出してもいいわ。私を逃がしてくれるなら」
事の成り行きにしばし呆然としていたユアンは、アデルの言葉に我に返る。ラウラを見据え、首を振る。
「駄目だ。解毒剤は、必要ありません」
ユアンは、アデルを拘束する力をこめた。
「ユアン、アデルを離せ」
ラウラの言葉に、ユアンは遠慮なく非難の目を向けた。
「まさか、逃がすとでも?」
「あのドライグたちが十分な証拠となる。アデルがいなくとも、フォワ公も言い逃れはできないだろう。今はアデルの確保よりも、きみの体を優先する」
「必要ないと、言っているのがわかりませんか」
ユアンは苛立って、アデルを連れたまま一歩後ずさる。
「ちょっと、いい加減にして」
「ユアン、これは命令だ」
そのときユアンの体に異変が起こった。突然、がくんと目の前が揺れた。世界がぐるぐると回りはじめる。目の前が急に暗く、色を無くしてゆく。四肢の感覚が失われる。
落ちる。それがわかった最後の瞬間に、ユアンは思った。
終わるのか、これで。こんな結果で、果たして皆が満足してくれるのだろうか。