潜入調査 06
後を追ってきた兵士たちが人込みを無理に押しのけようとしているのか、背後で人の声が上がっている。
「ユアン、こっちだ」
ルチカはするすると人混みの間を縫っていく。
ずらりと飲食店が軒を連ねる大通りに出る。追手はまだ諦めていないようだった。しつこい奴らだと、ユアンは舌打ちをする。
ユアンは進みながら、あたりを見渡す。軒先で楽しそうに談笑しながら食事を取る人々。家族、恋人、友人。様々だ。
ユアンは咄嗟に前を行くルチカの二の腕を掴んだ。驚いてルチカはユアンを振り仰ぐ。
「どうした? 立ち止まってる暇は―」
「ローブを脱げ。客に紛れる」
言いながらユアンは料理店と料理店の間の路地に入り、ローブを脱ぎ捨てる。
ルチカもあたりを見渡してユアンの考えを理解をすると、同じくローブを脱いだ。
路地にも人の流れがあった。彼らは談笑しながら、またはパンに挟んだ肉や飲み物を口にしながら、二人の横を通りすぎていく。
ユアンはルチカを見る。ローブを脱ぐ前の彼女は、フードを深く被っていたせいもあって、兵士たちからすれば性別不詳のはずだ。背丈は女としては平均的だが、あれだけの鮮やかな戦い方を、女がするとは普通は考えない。背丈の低い男と勘違いしている可能性は、十分にある。
大通りから、人々を押しのける兵士の声と、それに対する怒りの声が聞こえてきた。
ユアンはその瞬間、ルチカの髪紐を取った。肩より少し下の、長い髪が解ける。驚いた彼女が声を発する間もなく、ユアンはルチカを抱き寄せていた。
「ユ―」
ルチカの声は途中で掻き消えた。ユアンは彼女の顎を持ち上げ、その唇を、強引に自分の唇で塞いでいた。
腕の中で、ルチカの体が強張る。抱く腕に力を込めると、ルチカはユアンの胸の当たりを強く掴んだ。
すぐ側を、兵士たちが通り過ぎていく。周囲を見渡しながら、こちらにも一瞬視線を寄越した。しかし彼らはそのまま大通りを走り去る。
それを横目で確認してから、ユアンはようやくルチカを解放した。
「…………」
ルチカは茫然と目を見開いて、体を固まらせていた。ユアンは手に持っていた髪紐を、彼女に返す。
無言のままそれを受取った彼女に、ユアンは小さく息をついた。
「悪かったな」
拳の一発くらいは受ける必要があるかと、ユアンは既に覚悟していた。
しかしルチカは、視線を落とし、こめかみに軽く手をあてる。起こった事実を、必死で整理しようとつとめているようだ。
「お前の気が済むなら、殴ってもいいけど」
「……いや、これも任務だから」
ルチカは目を閉じ、息をついた。髪を結び直すと、もう納得した、そんな様子で顔を上げた。
「うまく追手を躱せたし、別にいい。ただ少し、驚いただけ」
まだぎこちない彼女の様子に、ユアンは思わず口にしてしまう。
「まさか初めてだとは、言わないよな」
ルチカは露骨に嫌な顔をした。それを見てユアンは、自分の計画の失敗を悟る。
ユアンはため息を漏らす。さすがに、もう一度謝る必要があるようだ。
「……悪かった」
ルチカは頭の中の余計な考えを振り払うように、何度か首を振った。
「もういい」
そうして彼女は、背筋を伸ばして踵を返す。ユアンはもう一度嘆息して、彼女に続いた。
念のため回り道をして、時間をかけて屋敷へとたどり着いた。ようやく緊張から解き放たれ、どっと倦怠感が体を襲う。
扉を開け、中に入ると、既に戻っていたラウラが二人の姿を見て、一瞬動きを止めた。
「……その血は、自分のものではないんだな?」
言われて、ユアンは自分の姿を改めて見直した。あちこちに返り血。ルチカも似たような状況だ。
ユアンが頷くと、ラウラは小さく息をついた。
「相手の被害は?」
「……致命傷には至っていないかと」
ユアンの言葉に、ルチカも同意するように頷いた。
「それは何よりだ」
ラウラは二人を労うように、それぞれの肩を軽く叩いた。
「シオンも戻っている。ひとまず体の汚れを落として、食べて、それから眠りなさい。話は明日、また改めてしよう」