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潜入調査 04

「お願いと言うからには、ちゃんと了承をとってからやってほしいね」


 言いながら、ユアンはきつい視線をフィオナに向ける。


「じゃあ、もし私がキスしてよって言ったら、してくれた?」


 頬杖をついて、フィオナはじっとユアンを見つめていた。大きな瞳がいたずら猫のようだ。


「……するわけないだろ」


 ユアンは不愉快さを隠そうともせずにわざとらしくため息をつく。

 本を閉じて席を立ち、フィオナから一番離れた場所まで移動した。


「あ、嫌な感じ」


 むくれるフィオナを無視して、もう一度本を開く。


「……怒ったの?」

「別に。怒ってないから、もう話し掛けるな」


 はっきりと言い切って見えない壁をつくる。するとフィオナは、こちらに聞こえるほど大きな落胆の息をついた。


「あなたなら、遊んでくれると思ったんだけどな」

「……なんだって」


 一瞬我が耳を疑った。信じられないという表情でユアンは顔を上げる。もう話し掛けるなと言った自分の言葉には反するが、今の言葉は聞き捨てならない。


 いぶかしげに見つめる先で、フィオナは肩をすくめる。


「だから、遊んでほしかったの。私と」


 呆れて二の句が告げなかった。付き合った女は何人もいたものの、こんな女はさすがにいなかった。「遊びでもいい」と妥協するのならまだわかるとして、「遊んでほしい」とは一体どういうつもりなのか。


「だってあなた、慣れてるでしょう? そんな綺麗な顔してるんだから、絶対そうよね。だから、丁度良いと思って」


 女に慣れているという事実は、確かに否定できなかった。見る目があるのは、さすがに商人なのだろうか。

 ユアンは苦笑しながら本を閉じ、片肘をついて彼女を見る。


「つまり、誰でもいいから相手をしてほしかったってわけか」


 それなら遊んでほしいという言葉にも合点がいく。丁度良いというのはつまり、あとくされのない関係としてということだろう。


 だがユアンの考えとは反して、フィオナは心外だとでもいいたげに眉間に皺を寄せた。


「ちょっと、失礼な言い方しないで。まるで私が男に飢えてるみたいじゃない」

「何が違うんだ」


 ユアンとしてははっきりとそう認識していたのだが、フィオナは断固としてそれを否定した。


「全然違うわ! 誰でもいいってわけじゃないんだから。それなら、夜中に街でうろうろしてれば馬鹿な男がいくらでも寄ってくるもの。でも、あんな酒臭くてむさくるしい男なんて、絶対いや」

「……我儘(わがまま)な女だな」

「いいじゃない。選ぶ権利くらいあると思うわ。まだ若いし。それに私、はじ―」


 言葉の途中でフィオナは慌てて口をつぐんだ。ユアンは察しをつけ、小さく笑う。


「とにかく! 誰でもいいってわけじゃないの!」


 顔を紅潮させながらフィオナはどん、と拳を机の上にたたきつけた。


 結局彼女がどういうつもりなのかは良くわからなかったが、それはそれでどうでも良くなった。話に興味を失ったユアンは、適当に会話を切り上げる。


「まだ若いと言うのなら、そんなくだらないことをする必要なんてないだろ。馬鹿な話につきあうほど俺も暇じゃない。よそをあたってくれ」


 言いながら、ユアンは再び本を開いた。自分の世界に戻っていく。

 しかし、そんな彼をフィオナの言葉がすぐに引き止めていた。今までの明るい調子とはうってかわって、低く暗い声が響く。


「他をあたる余裕なんて、もうないの」


 思わず視線をあげれば、表情のないフィオナの顔がそこにあった。


「言ったでしょ。もうすぐここを離れて父さんのところへ向かうって」


 彼女はもうユアンを見てはいなかった。いたずら猫のようにくるくると動いていた瞳は深く沈み、ただじっと机の上におかれた自身の両手を見つめている。


「あっちには私の婚約者も待っているんですって。お互い顔も知らないの。おかしいでしょ」


 それでようやく理解がいった。親に決められた相手と結婚させられる前の、最初で最後の抵抗というところなのだろう。


「嫌なのか、結婚」


 そう尋ねると、フィオナははっとしたように顔を上げ、陰気な雰囲気を振り払うように慌てて明るい表情で取り繕った。


「嫌ってわけじゃないのよ。父さんの決めた人だもの、きっといい人よ。私、好きになれると思う」


 そうは言いながら、フィオナは最後に苦笑いをする。


「でも、やっぱり少しくらいは思い出がほしいなあって思ってみただけ。そんな時に、あなたみたいな人がいたから、丁度いいかな、なんて」


 おどけるように場をごまかしたフィオナに、ユアンは疑問を持たずにはいられなかった。


「顔も知らない相手を好きになれると、どうして言い切れるんだ」


 父親を信頼しているというだけでそう思えるものなのだろうか。ユアンにはそれが理解できなかった。


 フィオナはああ、と小さく笑ってからそれに答えた。


「うちの父さん、すごく働き者でね。特に母さんが亡くなってからは、私とノアの二人に苦労させないようにって、本当に休む間もなく働きっぱなし」


 フィオナとノアの母親が既に他界していたのだと、ユアンはこのとき初めて知った。父親と一緒に家を離れているのだろうと勝手に予想していたのだが、どうやら違っていたようだ。


「私、早く父さんに楽させてあげたい。私が結婚する相手っていうのがね、父さんが将来を有望視している人なんですって。だったら、その人と一緒になれば、父さんも安心して少しは体を休めてくれると思うの。そうすれば、ノアだって父さんと過ごせる時間が増えるし。あの子、口には出さないけど、結構寂しい思いをしていると思うから」


 真面目な話をされて、思いがけず彼女のしおらしい一面を見たような気がしていた。

 おそらく意外そうな顔をしている自分を見て、フィオナは例のいたずら猫の目でにっと笑った。


「あ、意外とかわいいなって顔してる。どう? 私と遊んで見る気になった?」


 めげないフィオナに、ユアンはやれやれとため息をつく。


「お断り」

「けち。いいじゃない、減るものじゃあるまいし。男の癖に、意気地なしね」


 不満を口にして、最後にフィオナははあ、と大きな息をもらして再び頬杖をついた。そのままユアンの存在すら忘れたように、ぼんやりと上の空になる。


 ユアンは彼女を見ながら少し考え、やがて音を立てて本を閉じた。


「そうだな、気がかわった」

「……え?」


 席を立ち、本を片手につかつかとフィオナの横までいく。驚いている彼女の腕に手をかけ、強引に立ち上がらせた。

 え、え、とフィオナが目を白黒させている間にも、ユアンは話をすすめる。


「一回限りでいいんだろ?」

「え、ちょ、ま……」


 蒼白になったフィオナを抱き寄せ、(あご)を持ち上げる。顔を傾けるようにして二人の距離を強引に縮めていくと、フィオナは慌てて目を閉じて顔をそらした。


 思い切り体を硬直させるフィオナに、ユアンは内心で小さくため息をついた。

 腕を解き、彼女を解放する。机に置いていた本を再び手にし、彼女の頭に軽く当ててやった。


「……痛い」

「初めてのくせに、簡単に男を誘ったりするな」


 おそるおそると目を開くフィオナに、強い口調でユアンは続ける。


「男はな、誰だって抱けるんだよ。そんなことやってたら、今にぼろぼろにされるぞ」


 一芝居打たれたことに気がついたのか、見る間にフィオナは顔を赤くして頬を膨らませた。


「嘘。そんなのあなたみたいな人だけでしょ」

「お前な、喧嘩売ってるのか」

「……ごめんなさい」


 しゅんとするフィオナに、ユアンは再度嘆息する。


「どうせなら、もっとまともに相手を探せよ。時間がないからって、自棄(やけ)になるな」


 そう言うと、フィオナは目を丸めてまじまじとこちらを見返す。


「驚いた。そんな真面目なことを言うのね。意外……」

「……悪かったな」


 持っていた本をフィオナに押し付けるように渡し、ユアンは立ち去ろうとする。

 フィオナが慌ててその袖をつかんだ。


「やだな、冗談だってば。怒んないでよ」

「別に怒ってない。あいつを探して、もう戻る」


 離せと視線で合図をすると、フィオナは口を尖らせてしぶしぶとそれに従う。

 扉に手をかけようとしたとき、フィオナの声が再びユアンの足をとめた。


「あの、ありがとう」


 ユアンは思わず振り返る。

 フィオナは自分で言っておきながら、自分自身に驚いた様子で慌てて言葉を探している。


「……だから、その、良くわからないけど、言いたかったから、それだけ!」


 ユアンは腕を組んで扉に背を預け、ふっと穏やかに相好を崩した。


「もう、遊びなれてもいないくせに男を誘ったりするなよ」


 フィオナは大きく瞬きをして、一瞬顔を赤くする。

 慌てて視線を逸らした後、彼女はまた膨れ面になってユアンを睨んだ。


「……うるさいわね。もう言わないで」


 くやしそうな、怒ったような表情をするフィオナ。

 ユアンはからかうような様子でもう一度小さく笑い、背を向けて扉を押した。


 シオンと別れた場所に戻ると、丁度シオンも姿を現したところだった。


「待たせて悪かった」


 そう言ってシオンは、二人の雰囲気の変化を察したのか、小首をかしげる。


「……どうかした?」

「べ、別に、何もないわよ。さ、帰りましょ!」


 フィオナは慌てて笑顔をつくり、そそくさとその場を去った。

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