潜入調査 01
早朝にはトゥーレを発ち、レガリスへ向かう街道に入った。
行程は、何事もなく進んだ。国境を越えてフォワ公の領地へ向かう。トゥーレを出て二日後には、予定通り到着していた。
そこは、フォワ公の城を含む、街ごとをぐるりと城壁に囲まれた都市だった。
正面中央にある城門からは、その端が見えることはない。一見するところ、街全体が城砦のようであった。国境が近いせいもあるのだろう。
街の中へ足を踏み入れたとき、そこはうるさいほどの活気に満ち満ちていた。
軒を連ねる武器、防具、あるいは何か得体の知れないものを売る店々。路上には露天が開かれ、肉や魚、果物からはじまってアクセサリーやどこかの地方の名産品など、雑多なものがところ狭しと売られていた。そんな通りを陽気に声をあげながら、さまざまな人間が歩いていく。時折罵声や怒鳴り声が聞こえるが、誰も気にとめてはいないようだ。
不穏な気配は、今のところ感じられなかった。ユアンたちはとりあえず拠点となる屋敷を確保し、調査に動きだす。ここまで共に行動した行商人の一団とは、既に別れていた。
「私は少し出かける。シオン、二人と街を調べてくれ」
そう言い残して、ラウラは一人、街の雑踏へと消えていった。
何の用件かと怪訝に思ったが、詮索はしなかった。任務に必要なことであることは間違いがないだろう。
「ルチカ、以前の話をもう一度いいかな」
シオンに促されて、ルチカは頷いた。
「街の西に、鍛冶屋の集まる区画がある。そこでアデルを見かけて、追ったんだ。アデルは鍛冶職人の組合から出てきた。それからフォワ公の城の方角へ。城に侵入した途中で気づかれてしまって、兵士に追われてしまった。数が多くて、逃げるのが精一杯だったから、結局アデルが何をしていたのかは、わからなかった」
「……とりあえず、ギルドからだな」
ユアンが言うと、二人は頷いた。
「行ってみて、情報を集めよう」
シオンに促され、建物を出る。ルチカの導きで、西の区画へと向かう。
石造りの建物が続く。製錬所から運ばれる鉄が、次々と建物の中へと運ばれていく。どこからともなく金属の打ち合う音が響いている。
「あの角を曲がったら、ギルドが見える」
ルチカが指示した方角へ。曲がり角に差し掛かったとき。先頭を歩いていたユアンの体に鈍い衝撃が走っていた。どん、という音と共に体が一歩後ろに下がる。
驚いて目を見張れば、十歳ほどの小柄な少年が、尻餅をついてうなり声を上げているところだった。
燃える夕日のように鮮やかな赤毛と、朽葉色の瞳を持った少年であった。
ちょうど角を曲がったところで、ユアンに運悪く正面からぶつかってしまったらしい。よほど勢い良く駆け抜けようとしていたのか、その反動で大きく後ろに倒れてしまったようだ。辺りには少年が抱えていた荷物がばらばらと散乱している。
「大丈夫か」
自分がいた場所が悪かったかと、ユアンは一応は心配したつもりで声をかけた。
しかし少年は、きっと視線をあげ、ユアンを睨みつける。かと思ったら、きんきんとした声で叫びだした。
「痛ってえな! どこ見てるんだ!」
ユアンは差し出しかけた手を止める。
「荷物が台無しじゃないか! 弁償しろ!」
「…………」
一瞬、聞き間違えではないかと本気で思った。
「あと、慰謝料もだからな! ぶつかって怪我させたんだから、払うもん払えよ!」
「……クソガキ」
両の拳をぼきりと鳴らす。慌てて制止したのはルチカだ。
「ユアン」
彼女は少年の側にひざまずき、気づかうように優しく声をかける。
「大丈夫? どこを怪我した?」
本気で殴る気もなかったが、それにしてもこの不愉快な状況を一体どう処理すればいいだろう。ユアンは忌々しげに大きなため息をついた。
ルチカを目の前にして、少年は目を丸めた。見る間にその顔が赤くなる。彼は慌てて下を向いた。
「あの、いえ、だ、大丈夫……」
途端に態度を変えてもじもじと答える少年に、腕を組んだユアンは呆れたように冷たい目を向けた。
「ガキのくせに色気づくな」
「ユアン」
ルチカからたしなめるような視線を向けられ、ユアンは実に面白くないといった表情で横を向く。
「これで全部かな」
少年の落とした物を拾い集めていたシオンがそう言って、紙袋に詰めなおした荷物を少年に渡した。
「あ、うん。ありがと……」
すっかり毒気を抜かれた少年が、ルチカの手をかりて立ち上がる。
シオンから荷物を受け取ろうとした丁度その時、少年の後方で若い娘の声が聞こえた。
「ノア?」
驚いて振り向いた少年と共に、ユアンたちも声の方へ視線を向ける。立っていたのはユアンたちとそう年も変わらないであろう、若い娘であった。
きょとんとした顔で小首をかしげている。面影が少年と良く似ていた。朽葉色の大きな瞳は瓜二つといっていい。
少年は彼女の元に走り寄り、ことの流れを説明する。彼女はそれを聞いて、こちらに近づいてきた。
娘はにこりと愛嬌の良い笑顔を見せた。
「弟が迷惑かけたみたいで、ごめんね」
「違うよ! こいつの方が俺にぶつかったって言ってるじゃないか!」
思わずユアンを指差して非難しようとした少年であったが、娘から握りこぶしを向けられると、しゅんとして黙りこむ。
「たまにこうなの。ごめんね。良く言い聞かせるから許してやってくれない? 馬鹿だけど、悪気はないの」
謝って娘は、三人に順に視線を送る。
「ところであなたたち、こんなところで何をしているの?」
探るような眼差し。それに答えたのはシオンだった。
「この区画は、鍛冶屋が軒を連ねると聞いて」
「そうね、見ての通り。何を探しているの?」
「武器と防具を」
シオンの言葉に、ユアンは内心で驚く。一体何を話すつもりなのだろう。しかしシオンはいつもの穏やかな表情のままだ。
「……武器と防具、ね」
娘は遠慮なく、三人を観察するような眼差しをぶつけた。
シオンは僅かな動揺も見せずに、さらりと答える。
「然るお方のご依頼で、まとまった数が必要なんだ」
「……その人ってどういう人?」
「フォワ公と親しいお方だよ。これ以上は言えない」
「…………」
娘は考えあぐねているようだった。堂々たる嘘は、いかにも真実らしい。シオンの意外な一面だった。任務のためなら嘘も厭わない、というところだろうか。
やがて娘は、何かを考え付いたように一つ大きく頷くと、こちらに提案した。
「うちにきて。ギルドを通すより、安く卸すわ」
果たして彼女から、何か有益な情報が引き出せるものなのか。
無駄にならなければいいが。ユアンは内心で独り言ちた。