その先にあるもの 05
己の体に流れる血を、ひどく嫌悪するようになったのは、いったい何時の頃からだろう。
求められたのは、いつもラングハート家の人間として、ユリアスの息子としてだった。そんなことのために、母親は犠牲になり、アスファリアを去った。
我が身に流れるこの血に、一体何の価値があるというのか。ユアンは遂にその答えを見出すことができなかった。血は血でしかない。ただの、体の構成物質の一つだ。
そう思いながらも、ラングハート家を敵には回せなかった。アスファリアから遠く離れた、たった一人の家族が、不自由なく暮らしていくために、自分は価値ある人間として生きなければならない。くだらない。己に価値などありはしないのに。
いつだったか、母親は、とっくの昔に新しい家族と新しい生活をはじめているのだと聞かされた。
しがみついていたのは自分だけ。そう悟ったとき、いよいよ自分の存在などどうでも良くなった。何も感じない。何をして、どう非難されても。どこに行って、どう傷ついても。
しかし、もしラングハート家の意に沿わぬ行動をすれば、幸せになった母親に迷惑がかかるかもしれない。それで結局、ユアンには選ぶことなどできなかった。
そんな状態で、生きていかなければならないことが苦痛だった。だがラウラから、アデルの存在を教えられたとき、ユアンにはようやく光が見えた。
それは死だ。ラングハート家を満足させるだけの結果を伴う、死。ユリアスが死後に叙勲されたように、ユアンもそれに値するだけのものを成し遂げれば良い。ラングハート家は満足し、母は生活を脅かされることなく、そしてユアンは解放される。
アデルの存在は、その願いを叶えるものになりえた。それで、ようやく終わることができる。
生への執着がもし自分にあったのなら。ユアンは一瞬浮かんだその考えを、すぐに打ち消した。馬鹿馬鹿しい。人は他人にはなれない。決して。
自らの思考を消し去って、ユアンは再びルチカに目を向ける。ルチカはこちらの意図をはかりかねている様子だ。
「お前の選択に、口を挟むつもりはない。ただ、俺のことは、もう構うな。お前に守ってもらう義理も、必要もない」
僅かに眉を寄せたルチカに、ユアンは畳み掛けるように言った。
「お前にはお前の理由があるように、俺は俺で理由があって行動している。お前には理解できない。お前だって簡単に理解されたくはないはずだ。そうだろ」
まるで自分自身に言い聞かせるような、有無を言わせぬ口調になっていた。他人と理解しあえるなんて幻想だ。ユアンはずっとそう思って生きてきた。
ややして、ルチカは頷いた。
「ユアンにも事情があることは、わかった」
でも、と彼女は言葉を続ける。再びあの強い光が瞳に戻る。
「ユアンのことは守るよ。あの方の息子としてではなく、仲間として」
それを最後に、ルチカは立ち上がった。それじゃあ、また明日。そう言って彼女は背を向ける。
ユアンも背中をベッドに戻し、ゆっくりと目を閉じた。そろそろ、体力も限界だった。
遠ざかる彼女に、瞑目したままひとつ言った。
「子供が親を追うのは当然だ。その子供が、危険に晒されたのなら、守るのも当然のことだ。アスファリアの騎士団員であれば、誰でもそうする」
彼女が振り返る気配を感じた。だがユアンは動かずに、そのまま眠りにつく。
ややして、扉が開く音が聞こえた。
「……ありがとう。おやすみ」