6.
同じ団地だから、美久の家と間取りは同じなのだろうが、段ボールが積んであって、床も壁もきれいになっていて、がらんと広く感じた。
折り畳み式の小さいテーブルがキッチンに一つ出ていて、その周りに三人は座った。
何から話していいかわからなくて、三人はとりあえず、お茶をすすったり、ケーキをつついたりした。
「ねえ、あしたは学校に来るでしょ?」
美久が思い切って聞いた。
三上君は、だまったまま、あいまいな笑い方をした。
「最後の日だもん、来るよね」
「最後の日だから、行きたくないな」
「どうして?」
「どうしてって・・・・わかるだろ。行っても、おもしろくないし。いやなことばっかりだろ」
「そんなことないよ。最後だけは、来た方がいいよ」
友香はこういう場面に弱いようで、だまってケーキを食べていて、話に入ってこない。だから美久と三上君だけの会話になってしまった。
「ササオカだって、ぼくのこと、うそつきだと思ってるだろ」
急に、三上君が言うので、美久は口ごもってしまった。
「そうだよ。ぼくはうそつきさ。でも、それを本当に信じてた時もあったんだ。小さい時はみんなだってそうだったろ。ゆめみたいなことも、本当だと思っていたんだ」
「わかるよ。あたし、幼稚園のとき、三上君が言ったことを、うそだと思ったことなんかなかったよ」
「ほんとかよ」
「ほんとだよ。カタバミだって、名前はほんとうだったもん。それに・・・・さわると眠るってところは・・・・、あたし、死ぬまでカタバミの花にはぜったいに直接さわらないから、うそだってことは、証明できないよ。だからうそとは違うんだよ」
三上君は、くすくすと笑った。
友香は話がちんぷんかんぷんになって、急に話に入ってきた。
「なに? カタバミって・・・・」
「花の名前だよ」
「へえー」
「三上君が教えてくれた花の名前は全部うそじゃあなかったもん」
「ふーん」
「だって、うそだと思って言っていたわけじゃあないもん」
三上君がぽつんと言った。
「ね、長野へ行ったら、どうするの?」
「どうするって・・・・、新しい世界! ぼく、別人になれるんだぜ」
「別人?」
「そうだよ。お父さんも新しい人だし、お姉さんもできるし。友だちも全部新しいんだから、別の世界だろ。三上じゃあなくなるんだぜ。母さんはそのこと気にしてたけど、ぼく、名字が変わったほうがいいもん。ちがう人間になれるみたいで」
「さびしくないの?」
「どうして! アメリカントリオがいないってだけで、天国みたいな気がするよ」
「あ!」
美久が急に声を上げたので、三上君も友香もびっくりして美久の顔を見た。
「お、おばあちゃんは…?」
「ああ、おばあちゃんね。あそこだよ」
三上君が指さした先は、窓に張り出したたながあって。おばあちゃんの写真が置いてあった。三上君が何も言わずに家に飛び込んだ日のことが頭に浮かんだ。あの日もどしゃぶりだったのだ。
美久は次に何を言ったらいいのかわからなくなって、下を向いた。
三上君はさっぱりしていて、うれしそうに次の話をはじめた。
「お父さんとはぼくが幼稚園のときから会っているから、すごくいい人で頭もいい人だってわかってる。今度の家には天体望遠鏡があるんだぜ。それもでっかいの。天井の一部がぎーっと開いて、空を見るんだ」
急に生き生きと話し出した三上君の話をどこまで信じたらいいのかわからなくて、美久と友香はそっと目くばせした。
「今度のお父さんは天文学者なんだ。こんどお父さんがつとめる天文台にはもっとでかい望遠鏡があって、イスごと動くんだぜ」
美久と友香はだまってしまった。
「ぼく、すい星を見つけて、名前をつけるんだ・・・・」
美久は、心の中で思っていた。(三上君って、ちっとも変わらないな・・・・。半分本当みたいなうそみたいな話をするところも)。
「引っ越しのために、ぼくの物も全部段ボールに入れちゃったから、見せられないけどさ、星雲の写真もあるんだぜ。お父さんが撮ったの」
「セイウン?」
美久と友香は同じように声を出して、三人は苦笑いをした。
美久と友香にとっては、まったくわからない話、どうでもいい話だったので、三上君がベラベラしゃべるにつれて、二人はすっかりしらけ切ってしまった。
三上君のお母さんが、帰って来て、美久も友香もほっとした。それで、それを合図に二人は立ち上がった。
「あらあ、もう帰るの。なんだったら、夕飯も食べて行って・・・・」
「いえ、もう、いいです」
「ごちそうさまでした!」
二人は逃げるように三上君の家を出て、
「ねえ、いがいと元気だったね」
「ほんとうだね。生きかえったっていう感じだったよね」
二人とも疲れて、しょんぼりしてしまっていた。
それでも、二人が訪ねたかいがあって、三上君は最後の日の最後のホームルームにだけ顔を出した。
三上君へ送る文集は「三年生の思い出」というタイトルになり、緑の表紙に黒い文字の印刷。三上君にあげる一冊だけは、特別に色鉛筆で手塗りしてあり、カラーしあげになっていた。
言い出した美久と友香が、うやうやしく三上君にそれを贈呈した。
「ありがとう」
三上君が一言それだけ言うと、
「よおよお、空飛んだら、写真送れよ!」
と、ジョージがはやし立て、
「そおそお、ニュースになったら教えてよ!」
「えらくなったら、おごってね!」
またトリオがそれぞれに勝手な発言をして、
「よくわかりました」
三上君がトンチンカンな答えをしたので、しんみりならず、あきれながら、笑いながらさよならができた。
「じゃ、みんな元気で」
三上君がさばさばと、あっけなく言って、一人だけ教室を出て行くと、美久はなんだか取り残されたような気分になった。
何を期待していたのだろう・・・・と、美久は思った。大感激する三上君を見たかったのか? ジョージたちと仲なおりして、抱き合うようなドラマ?
もし、三上君があのまま学校に来なかったらどうだっただろう。美久はきっとどこかうしろめたい気分を味わったかもしれない。三上君が一人家で、さびしく、つまらない思いをしていると、勝手に想像していたのだ。そしてその責任は少し自分にもあると感じていたのだ。
美久は自分の手元にも配られた、「三年生の思い出」をパラパラとめくって見た。友香の作文がちらりと目に入った。タイトルは『長野はうまい』。
『長野って、わさびもできる。トウモロコシもおいしい。山もあるし、温泉もあるし、おそばもおいしい。ちょっとうらやましいです』
書いてある文章はたったそれだけ。畑と山と、へのへのもへじのカカシの絵が描いてある。なんだかほのぼのおかしい。
美久の書いた作文は、ずばり『三上君へ』だった。
「長野に行っても、元気で、楽しくやって下さい。三上君の話をわかってくれる友だちができるといいですね」
最後の二行を見て、美久はなんだか、やけにまじめに心配している自分にむしょうに腹が立った。パラパラとめくったかぎりでは、美久の作文が一番長い感じだ。ぎっしり字が詰まっている。ほかの友だちのは絵が描いてあったり、マンガの切り抜きや写真を貼っている人もいて、力がぬけている。運動会や遠足の思い出を書いている人もいる。
だって文集のタイトルは『三年生の思い出』になったのだから、それでいいのだ。美久は三上君への手紙ということばかりを考えて、力を入れすぎたみたいで、なんだかすごくかっこう悪く思えて、恥ずかしかった。