5.
「ね、ユウカ、三上君の家に行ってみようか」
とつぜんひらめいて、美久が言った。
「えー! やだよ! ミクって、ふだんおとなしそうなのにさ、ときどき大たんなこと言うよね。この間の発言とかさ。あたし、そういうのには弱いのよ。からいばりする男子には強いけどね」
「でも、あと三日でいなくなっちゃうんだよ。最後の日まで来なかったらどうする?」
「どうするって・・・・」
「やっぱり、みんなの前で文集をあげたいでしょ? 乗りかかった船って言ったの、ユウカじゃない」
「そうだけど・・・・」
「あたし、三上君の家、知ってるの。同じ団地だから。幼稚園の時にさ、家の前まで行ったことがあるんだ」
「へえー」
友香は少し考えた。
「それじゃあさ、あたし、お母さんに言ってみる。だって、急に行くのは勇気がいるもん。お母さんにそれとはなしに、聞いてもらってみるよ」
いつもは友香の方がずうっとたくましくて、元気がいいのに、今回ばかりはずいぶん慎重だった。でも、先に聞いてくれた方が行きやすいかもしれない。美久は友香に感謝した。
その日の夕方、友香から電話があって、あしたの帰りに二人で三上君の家を訪ねることになった。
お母さんと一平は美久のうしろにあるソファに座っていて、一平の相手をして絵本を読んであげている時だった。電話で「三上君」という名前が出たから、なんだかまたお母さんに突っかかった時のことが思い出されて、後ろにいるお母さんのことが気になった。美久は緊張して話した。
「ねえ、だれ? だれ?」
電話が終わると、一平がしきりに聞いたけれど、お母さんは何も言わなかった。
「あのねー、お友だちのユウカちゃん」
一平に言うようにして、
「今度転校する三上君のお家にね、あしたね、いっしょに行くことにしたの」
お母さんにも聞こえるように、美久は言った。
「テンコーってなに?」
「ちがう学校に行くってこと」
「ぼくもガッコ行きたい」
「一平ももうすぐ行くことになるよ」
おやすみなさいをして、自分の部屋にもどるとき
「美久、よかったね」
お母さんは持っている絵本から顔を上げないで、静かに言った。
「うん」
むねにたまっていたものが、すっとなくなるような感じがした。
三上君は怪物でもなんでもないのに、なんだかすごい冒険をするような、高ぶった気持ちになって、なかなか寝つかれなかった。
その問題の日はどしゃぶりになってしまった。二人は、授業中もときどき外を見てはため息をついていた。
「どうする?」
放課後、下駄箱の所から外を恨めしそうに見ながら、友香はいつになく気弱な声を出して、美久を下から見上げた。
「行くわよ。もちろん」
美久はむねをどんとたたいて、雨の中にふみ出した。
「ねえねえミク、新しいお父さんと新しいお姉さんってどんなだと思う? ミクだったらどう思う?」
雨の音に消されないように、声を張り上げて、友香が聞いた。
美久は自分の家のことを考えたが、もともと弟の一平しかいないから、お姉さんがいるというのは、とてもすてきな感じがした。
「うちなんか、お姉ちゃんと妹だよー。今のお父さんが変わるのはいいとしても、もう、新しいお姉ちゃんなんかいらないや」
「あたしは下が弟で、五歳もはなれてるからね。いつもお兄ちゃんかお姉ちゃんがいたら、いいな・・・・って思ってたけど。でも、本当になったらどうなのかな・・・・」
美久の頭には一平が、大泣きしている顔が浮かんだ。
「そうかんたんにはいかないよね」
「そうかんたんにはいかないよね」
ふたりは同じことを繰り返した。
どしゃぶりの雨の中でも友香と話して歩くと気にならない。三上君の家にあっというまに着いた感じがした。美久がインターホンを押すと、
「はーい」
来客がだれかたしかめもしないで、三上君のお母さんがドアを開け、
「たいへんだったね。どしゃぶりなのにね。さあ、入って入って・・・・」
と、二人を招き入れた。
「はい、タオル。よくふいてね。カゼ引いたらたいへんだから。あたしはね、ちょっと買い物があるの。だからちょっと出かけるわね。親がうろうろしてたら、話づらいでしょ・・・・。リョウのところに女の子がたずねて来るなんて・・・・最初で最後かもしれないし・・・・とにかく、あなたたちで、かってにやってて。ジャンヌのショートケーキ買ってあるのよ。このあたりじゃあ一番しゃれたケーキ屋さん。知ってるでしょ? 女の子だもの。甘いもの好きでしょ。ジャンヌって、ご主人がフランスでパティシエの修行していらしたのよ。かっこいいでしょ」
お母さんが明るくしようとしているのがわかって、二人はよけいにかたくなり、目をパチクリした。
そのお母さんのうしろから、三上君がぬぼーっとはずかしそうに出てきて
「ちぇっ・・・・、よけいなことまでベラベラしゃべんなくていいよ。うるせーなー」
学校では見せないような、しかめつらをした。
美久と友香の心配は一気に吹っ飛んだ。
お母さんは、紙皿にのったケーキ、紙コップに入った紅茶をお盆ごとぽんと置くと、
「ごめんね、お客様用の食器なんか、全部しまっちゃったから・・・・」
と、言って、出て行ってしまった。