前篇
人界きっての大国である六ツ国が一、茗帝国。『焔の女傑』の時代、『玄武』と呼ばれ女帝に重用された将軍がいた。
先帝の妃であった珠帝に見出され、『乱心』した帝を弑逆する大業を命じられ見事成し遂げた後、其の男は女帝の『剣』として長く仕え続けてきた。
対した相手を恐怖の底に突き落とす剣技や、名を聞いただけで敵将を震え上がらせる程の卓抜した軍略に、『西の猛禽』『女帝の鷹』などと、付いた異名は数知れない。
人界統一を目指す珠帝の下、戦場にて多くの勝利を収めて武勇を誇り、英雄の一人として名を馳せたが、其の荒く残忍な気性が禍いして同じ茗人からも酷く怖れられた。だが不思議なことに、如何に横暴な言動を取ろうと珠帝からの信頼が揺らぐことは無かった。
ある時其の玄武――緑鷹が、突如として帝都洛栄から『追い出された』。珠帝は彼に、敵国聖安の主要な貿易港随加に赴き、偵察にあたるよう命を下したのだ。
宿敵聖安帝国との開戦派筆頭だった緑鷹を、珠帝が煙たがったというのが通説であったし、緑鷹本人もそう考えていた。されど、女帝の真意は誰にも読み解くことが出来なかった。
腹立たしさを抑えながら、愛着の無い妻子や妾を残して田舎の港町へ行き、少しの間だけは大人しくしていた。誰もが想定していたことだが、そんな日々は長く続かなかった。
剣を振るう機会も無く、人を殺せる機会も無い。其れどころか、抱きたいと思えるまともな女も居ない状況で、緑鷹の我慢は早々に限界を超えた。
随加近海で横行しているという海賊の存在を知ると、真っ先に乗り込んで頭領を殺した。半ば脅すように賊たちを手懐けると、早速海賊の真似事を始めた。
海賊たちと共に船に乗り、聖安人の商船や客船を襲う。男はその場で殺して金目の物を奪い取り、女が居れば捕らえて凌辱し、気が済んだら殺して引き上げる。そんな狂気染みた蛮行を、数ヶ月もの間繰り返していた。
手頃な客船に目を付け、瞬く間に包囲し襲撃する。率いているのが烏合の衆であろうと、緑鷹の統率力を以てすれば自在に操ることが出来る。力の弱い、無抵抗な人々を殺戮し略奪するのは、かつて侵略した幾つもの町や村で行ってきた同様の悪逆を彷彿とさせた。
聖安も黙ってはおらず、地方軍を送り海賊の討伐に乗り出してきた。ところが茗随一の将軍である緑鷹に敵う将など、そう居ない。出航した軍船は尽く壊滅し、一人の男の暇潰しのため、聖安は大損害を被ったのだった。
先ず、男や子供を皆殺して女を集めさせ、最初に緑鷹が気に入った女を選ぶ。一人の時もあれば二人の時もあり、残った女たちは部下である海賊たちに分け与えてやった。
飽き易い緑鷹は、毎回違う年頃の女を選んでいた。若い女でもやや年増の女でも、生娘であろう少女でも、顔立ちのはっきりした見目の良い、濃艶な女を好んだ。
商船に佳い女が乗っていることは殆ど無いが、客船の場合は容姿端麗な貴人に当たる場合もままある。生粋の聖安人の肌は緑鷹好みの白色で、身分の高い女は特に手入れしているため香りも柔らかさも良く、彼を喜ばせた。
本国では為し得ない野蛮な所業は、不満を鬱積させていた緑鷹の胸を躍らせた。自分の顔を見た者は全て殺し、口封じさえしてしまえば、此の邪悪な享楽は何時までも続けられると信じていた。
とある日、客船での暴虐を愉しんでいた緑鷹は、女たちの中に異質な美女を見付けた。
未だ年若く、他の女とは次元の違う類稀な佳人。艶々とした黒髪を後ろで束ね、抜けるような真白い肌を持ち、着物の下には官能的な姿態を閉じ込めているのが見て取れる――緑鷹はたったの一目で其の娘を欲し、己のものにすると決めた。
他の人間が惨殺されるのを目にしても尚、女は顔色一つ変えていない。返り血を浴びて真っ赤に染まり、飢えた獣のような瞳を光らせた緑鷹に腕を掴まれても、怯える様子もない。珍しいとは思ったが、女の容色に捉われた今の彼にとっては大した問題ではなかった。
客室の一室に連れ込んで、簡素な寝台に女を押し倒す。改めて見ると、奇跡の如き美貌は己が目を疑ってしまう程。少しの欠点も見当たらぬ完璧な造形は、不可侵の神聖さを漂わせている一方で、男の理性を麻痺させる蠱惑的な色気を纏っている。そうした謎めいた不均衡さが、彼女の身体を、心を開かせ、全てを暴きたいという欲望を煽るのだろう。
誘われるままに女を抱き、恐ろしく具合の良い肉体に溺れ切ると、緑鷹の征服欲はかつて無い程満たされた。力の入らぬ女の身体を起こし、背後から抱き寄せる。両の乳房をやわやわと揉み、ほんのり赤く色付いている耳を甘く噛んで、彼にしては随分と優しげに問い掛けた。
「おまえ、名を何という?」
振り返った女は、彼と目が合うと濡れた唇の端を艶美に吊り上げた。
「瑠璃と、申します」
「瑠璃……」
何となしに其の名を呼んでから、彼は愛撫を再開し、瑠璃は肩を跳ねさせて身体を捩った。
「もう一度……良いな?」
緑鷹は自分の口から出る言葉に驚いたが、沸き上がる欲に耐え切れず直ぐに如何でも良く為った。此の神々しい裸身を何度でも汚し、善がり狂わせたくて仕方なかった。
「どうぞ……お好きに。お気の済むまで」
紫水晶の瞳が妖しく輝き、緑鷹を扇情する。自分が瑠璃を支配したと思ったのも束の間、忽ち立場が逆転したような感覚に陥る。
瑠璃の湛えた毒に侵され、命を吸い尽くされるのではないかという、恐怖にも似た歓喜――狂気の存在に気付きながらも、緑鷹は其れに抗おうとはしなかった。今は此の女を愉しみ、閉じ込めて逃さないと心に決めると、再び淫靡なる情欲に身を任せるのだった。