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9. 旅人御用達の品物

 東の空が明るくなってきた頃、宿のドアを何度もノックする音で目が覚めた。厳密に言うと、起こされたという方が正しいのかもしれない。掛布を退けると、冷えた空気に晒される。

「カイトさん、お客ですよ。」

ドアを開けると、店主が眠そうな目を擦りながら用件を告げた。パンドラはあのけたたましいノックの音にも全く反応しておらず、幸せそうな顔をして寝息を立てている。

「……誰?」

思わず不機嫌な声を店主にぶつけてしまった。店主は俺の機嫌は関係ないとばかりにロビーに早く行けと促す。よっぽど店主も急かされたのだろう。

「誰だか知らんがもう少し常識的な時間に来いよ。…ったく。」

いくらなんでもそのまま出るのは失礼だろうと店主に告げ、顔を適度に洗ってから客室を出る。

「おはようございます!」

「……おはよう。」

ロビーには案の定というかなんというかマオが立っていて、俺に深々と頭を下げた。その礼儀正しさを訪問する時間に向けていただきたいと本気で思ってしまう。

「こんな早くに何の用だ?」

「旅に出るのを許可してもらったんです!だからカイトさんに挨拶しに来ました!」

「……それ、だけ?」

俺が聞くと、マオはとんでもないと首を振った。

「一週間以内に準備しろって言われたので相談しに来たんです。」

「準備も何も、ついてくるんだから必要な物も多くないだろ。一週間どころか2日3日で終わるさ。」

マオがポンと手を打ったのを見て心配になる。少し抜けてるのかもしれない。

「まあ、9時頃には店も開くだろう。旅行鞄でも見よう。」

マグラートにおける旅行鞄とは基本的に魔道具の事を指す。旅人はかさばる荷物を《物質変換》の魔法のかかった鞄に詰めて旅をするのである。基本的には《物質変換》の中でも《容積変換》か《質量変換》、若しくはその両方をかけた物がよく使われる。ただし重量を変化させる《質量変換》の魔法は熟練した魔術師でなければ扱うのは難しく、それほどの魔法が込められた魔道具となれば流通は少ない上に高価となるため、殆どの旅人は重さはそのままとなる《容積変換》の魔道具を使うのだ。俺の鞄にも小さくした鍋や外套が入っている。勿論重さはそのままだが。

「そうですね。」

「……まだ5時前だがな。」

ロビーに置いてある柱時計を見ると、短針は4時と5時の間を指している。まだまだ時間はありそうだ。

「一度家に帰って寝たらどうだ?俺ももう少し寝たい。」

「わかりました、じゃあまた9時頃には来ますね。」

あまり早く来すぎるなよ、と念を押してからマオを送り出す。マオは何度かこちらを振り返り頭を下げてから家路についた。


 再びベッドに入ったが、程無くして今度はパンドラに叩き起こされた。

「カイト、朝だよ!」

「うー…。」

パンドラに背を向けてベッドの上で丸くなると、突然頬に冷たいものが触れた。

「ひゃうっ!?」

「カイトー!早くご飯食べようよー!」

頬に触っていたのは薄青色の氷で出来た槍だった。《銀色の槍》の魔法である。こんなことに魔法を使うんじゃないと言いたい。

「……わかったから早くそれを仕舞ってくれ。」

「はーい。」

パンドラが元気よく返事をすると薄青色の槍は霧散し、パンドラが魔法を使うときに現れる黒い霧になって宝箱に吸い込まれた。パンドラは宝箱の外観がお気に入りなようで、持ち歩かないときはいつも箱を宝箱の形にしている。

「はぁ…。」

溜め息を吐いて懐中時計を開くと、針は7時50分を指していた。今から身支度を整えて食堂で食事を取れば9時になるだろう。

「眠そうだね、どうしたの?」

「明け方に起こされてさ。」

「ふーん…。」

パンドラは相槌を打つと藍色のワンピースを脱ぎ、ピンクのリボンがあしらわれた白いドロワーズを隠す素振りも見せずに宝箱に上半身を突っ込んでごそごそと中身を漁る。

「すぐ取り出せるだろうに…。」

パンドラの背後から覗き込んでみると、パンドラの上半身は黒い箱の底に飲み込まれている。

「大丈夫かパンドラ!?」

思わずパンドラの足を掴んで引き上げてしまった。宙吊りになっているが、パンドラは平然としている。そっと床に下ろしてやると、きょとんとした顔で首を傾げた。

「どうしたの、カイト?」

「い、いや、お前が箱に飲み込まれて……」

箱を見てみると、普通に底が見えた。不思議に思って箱の中に手を突っ込んでみると、堅く見えた箱の底は水のような波紋を浮かべ、容易に俺の腕を飲み込んだ。

「うわ!」

慌てて手を引っ込める俺を見て、パンドラはクスクスと笑っている。もう一度箱を覗き込んだが、箱の底は元に戻っていた。《容積変換》や《質量操作》といった類の魔法ではなくてもっと高位の魔法が込められているのだろうか。

「知りたい?ねえねえ、知りたい?教えてあげようか?」

パンドラが左右に体を揺らしながらニマニマしていたのが癪に触ったので、パンドラを抱えて箱に放り込み蓋を閉めた。蓋が簡単には開かないように蓋の上に鞄を置くと、中から箱を叩く音が聞こえる。

「やっ……やだ!開けて!カイト開けて!おねがい!」

煩いのが居ない内に身支度を済まそうかと思ったが、パンドラが箱の中で暴れているのかいつもより余計に煩い。

「あー、わかったわかった。開ける開ける。」

鞄を下ろしてから箱の蓋を開けてやると、箱の中から剣が伸びてきた。咄嗟に顔を傾けてかわしたが剣は頬を掠めた。剣の形に凍らせた右腕を突き出した姿勢のまま、パンドラは肩で息をしている。

「……パンドラ?」

殺されかかったと言えばそうなのだが、不思議と恐ろしくは感じなかった。それよりもパンドラが何故今まで何度も入っていた筈の箱の中から出られなかっただけでこんなにも怒っているのかを知りたくなった。

「何でそんなに怒ってるんだ、パンドラ?」

「……。」

パンドラの右腕の氷が魔素に変わると同時にパンドラの目から涙が零れた。透明な雫は留まることなく溢れ出し、淡いピンク色の下着に透明な染みを作る。

「っ……ぅ…えっ………うぅっ……」

「置いていかれると思ったのか?」

パンドラの目線に合わせて、優しく声をかける。すると、パンドラはゆっくり頷いた。

「うん……。」

「そうか……ごめん。」

パンドラは下着のシャツを捲り上げて涙を拭いたが、まだまだ止まりそうに無い。

「……お父さんがいなくなる時に箱が開かなくなったの。『箱の中でいい子にして待つんだぞ』って言って、お父さん、居なくなっちゃったの。私、お父さんの言った通りにいい子にしてたの。でも箱はずっと開かなくて…。」

パンドラは俺と父親を重ねていたのだろうか。

「箱が開いたときにはもう、お父さんもお家も無くなってて……箱が開かなくなったらまたひとりぼっちになっちゃうって思って……ごめんなさい。」

パンドラが懐いていたとはいえ、まだ出会ってそんなに時間は経っていない。不安がるのも当然だろう。それなのに俺はよく知りもせずにパンドラのトラウマを抉るような真似をしてしまった自分に怒りが沸いた。

「……ちょっと怖がらせたら、私の言うこともっと聞いてくれるかなって、ひとりぼっちにしないでくれるかなって思ったの。けど、そんなのおかしいよね。駄目だよね。」

溜まった涙を拭いながら、パンドラは懸命に笑顔を作った。

「……ごめん。ごめんな、パンドラ。」

こんなに小さな子供にそんな不安を抱えさせてしまった事を激しく後悔した。情けなくてもう土に埋まってしまいたい程だ。

「わたしも、ごめんね。」

頭を撫でてやると、パンドラは箱から出て俺の体に飛び付いた。

「カイト、だっこして?」

「…着替えてからな。風邪引くから。」

パンドラは素直に頷くと、箱から長袖のローブを取り出して頭から被るようにして着た。顔を覆うほどの大きなフードのついたモスグリーンのローブはパンドラのお気に入りである。

「おいで、パンドラ。」

パンドラをそっと右腕に座らせるようにして抱き上げると、首に抱き着いてきた。それを見て何となくだが胸がじんと暖かくなる感覚がする。親が子供に向ける愛おしいという感情はこういうものなのだろうか。

「むー、んー。うぬー。」

パンドラは心地良さそうに俺の肩に顎を乗せて謎の言語を発する。そんなパンドラを眺めていると、何処からかきゅるる…と寂しげな音がした。

「……朝飯、まだだったな。」

「うー…。」

恥ずかしそうに唸るパンドラ。

「じゃあ、ちょっと降りててくれ、着替えるからさ。」

「うん。」


 食堂にはまだ客はそう多くは居なかった。女給はメニューと木のコップに入った水をテーブルに置き、ごゆっくりと一声かけると厨房に戻っていった。

「私シチューにしようかな。」

パンドラにしては珍しく、野菜の多目な物を選んでいる。昨日の肉が胃にもたれたのだろうか。

「俺は……パンとスープでいいかな。パンドラもパン食べるか?」

「たべる!」


 温かいシチューと野菜たっぷりのスープ、そして黒パンが運ばれてきた。盛んに湯気が出ていて、いい香りが辺りに漂う。

「わぁ、おいしそう。」

パンドラは木のスプーンで乳白色のシチューを一掬いすると、息ですこし冷ましてから口にいれた。

「はふー、むー、ほふー。」

馬鈴薯が熱かったのか、涙目になりながら口を押さえると、パンドラは水を一口飲み、一息ついてから皿に乗った丸い黒パンに手を伸ばした。

「おいしいね、カイト。」

「そうだな。」

野菜がよく煮込まれてとろとろになったスープを掬い、口に運ぶ。どうやら獣人達はあまり濃い味付けのスープを好まないようで、とろとろに煮込まれている割に塩気が少ない。細かく刻まれた甘藍や人参、そして甘藷が入っている。

「うー、おいしー。」

黒パンを小さくちぎって美味しそうに食べるパンドラ。時折小さくしたパンをシチューに浸して食べ、頬を押さえて幸せそうな顔をする。

「オムライスもおいしいけど、私シチューも好きだなぁ。」

「一番は肉だろ?」

「うん!」

元気に頷くと、パンドラは最後の一切れのパンを口に放り込んだ。


 食堂から宿のロビーに戻り、柱時計を確認する。9時10分。少し遅れてしまったか。

「カイトさん、おはようございます!」

ロビーの椅子に腰掛けていたマオが俺を見つけて勢いよく立ち上がった。

「あれれ?何でマオがここにいるの?」

「俺が誘ったんだ、一緒に行かないかって。」

「そうなんだ。賑やかになるねっ!」

パンドラは嬉しそうに飛び跳ね、マオにペコリとお辞儀し、右手を差し出した。

「パンドラっていうの。よろしくね!」

「改めて、マオです。よろしく。」

差し出された右手をそっと握り、マオはパンドラに笑いかける。一先ず安心だ。

「……で、具体的には何をしたらいいんですかね?」

「うーん、冒険者ギルドの登録と荷物の準備と……まあ必須なのはそのぐらいだな。」

「カイト、ぎるどってなに?」

首を傾げるパンドラを見てからマオを見ると、こちらも首を傾げている。これから旅をしようって奴がそんなんでいいのか。

「冒険者ギルドっていうのは、マグラートにいる冒険者達のほとんどが加入している冒険者を支援する組合の事だ。各地に支部があって周辺住民の依頼を冒険者に仲介する場所だな。」

パンドラもマオも何となく解ったというような顔をしている。

「要するに定職に就きづらい冒険者さんに仕事を紹介してあげようって事だ。」

ようやく解ったようで、2人ともすっきりした顔をした。

「まずは旅行鞄を買わないとな、ギルドの支給品を仕舞う物が必要だ。ギルドの登録はそれからでも大丈夫だろう。」

「お買いもの?やったぁ!」

別に自分の物を買うわけでもないのにはしゃぐパンドラ。見るだけでも楽しいのだろうか。

「それじゃ、行くか。」


 マオに案内されて大通りから1本外れた道沿いにある輸入雑貨店に入ると、商品棚に並んだ色とりどりの雑貨が出迎える。ここはマオのお気に入りの店なんだそうだ。

「やあ、マオ君じゃないか。今日は友達と?」

「友達というか何というか…。」

濃い金色の尾を揺らして、店主らしき若い獣人がマオに笑いかける。

「まあ、ゆっくり見ていってよ。お買い得だよ。」

目をきゅっと細めて店主が笑う。太く長い尾とピンと立った耳を見る限り、彼は狐を先祖に持つ獣人のようだ。

「このお店、色んな色があってお花畑みたいだね。」

地面と垂直な花畑とは斬新だな、と言いかけたが野暮なことは言わないでおく。

「えーと、旅行鞄は…。」

様々な形の鞄がある。トランクケース型や肩掛け型、背負い鞄もある。その中の1つ、2つで一揃いらしいベルトに装着する鞄にマオは目をつけたようだ。そっと手にとって目を輝かせている。

「早いな。」

「なんかビビっときて…。」

マオは藍染の革の鞄を見て目を輝かせていたが、値札を見て気後れしたのか、棚に鞄を戻した。その様子を見て、店主がマオに一声かけた。

「マオ君、それ少し安くしてもいいよ。」

「え?」

「それ、ヘイゼルから入ってきた鞄なんだけど、運んでくるときに一部色褪せたみたいでね。ちゃんと使えるんだけど、見映えが悪いだろう?」

確かに、よく見ると側面や蓋の裏側が若干色褪せてしまっている。

「値段は確か金貨5枚だから…そうだなぁ、金貨4枚、いや3枚で良いよ。」

金貨5枚から3枚はかなりの値引だ。

「カイト、何であんなに小さいのに高いの?」

パンドラの問いには俺ではなく店主が返した。

「《容積・質量変換》の魔法が施されてるからね、そりゃあ高くなるよ。」

「金貨3枚…」

マオは鞄を見つめてじっと動かない。

「……買います!」

思い切り良く宣言するとマオは鞄を二つカウンターに置いた。

「お買い上げありがとうございます。実を言うと、牛革の鞄なんてこの国じゃあんまり売れないからさ、早く捌きたかったんだよね。」

店主は困ったように笑う。獣人の国は争いの種が多そうだ。

「まあ色褪せ以外の品質は保証するよ。そうだなぁ、僕の見立てだと5年は軽く使えるだろうね。そっちのお客さんも何かどう?」

店主はマオから俺に目線を変え、ニッと笑う。

「うーん……パンドラ、何か欲しいものあるか?」

棚を見ていたパンドラに声をかける。どうやら硝子玉のアクセサリーを見ていたようだ。

「それが欲しいのか?」

「うっ、ううん?そんなことないよ?」

パンドラは顔を赤らめて首をぷるぷる振る。

「硝子玉ぐらいいいよ、遠慮するな。」

そう告げると、パンドラの顔がぱっと明るくなった。何とも分かりやすい奴だ。

「いいの?」

値札を確認する。大体銅貨10枚位、これなら余裕だ。

「好きなの一つな。」

パンドラは嬉しそうに頷くと、瑠璃色の硝子玉の嵌め込まれたバングルが欲しいと言った。

「本当に買ってくれるの?」

遠慮するなと言うと、パンドラは嬉しそうに跳び跳ねた。玩具のアクセサリーでこの喜びよう、何て幸せな奴だ。

「それじゃあ、これを…。」

「銅貨13枚だね。」

カウンターに銅貨をぴったり13枚置くと、店主は可愛らしい布の小袋にバングルを入れ、パンドラに手渡した。

「よかったね、お嬢さん。」

「うん!」

パンドラは元気良く頷くと、早速バングルを腕に着けて大袈裟にきゃいきゃいとはしゃぐ。

「カイト、ありがとう!」

「よく似合ってると思うぞ。」

ローブに青色の石が嵌められたバングルという出で立ちは何となく王宮の魔導士を想像するが、パンドラのローブは只の防寒具であり、バングルにいたっては硝子玉である。

「大事にするね。」

「そうしてくれ。」

買い物が終わったので輸入雑貨店を出ると、マオは名残惜しそうに雑貨店を振り返った。

「しばらく来れなくなると思うと寂しいです。」

「旅の途中にマカドミーに寄る用事があれば様子を見に行けばいいじゃないか。」

「そうですね。」

ふふっと笑って、マオは雑貨店に背を向けた。

「……さて、次はギルドか。」

まだ日は昇りきっていない。この分だと今日中にギルドへの登録を済ませられるだろう。

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