7. 獣人達の食事情
エスタが用意してくれた食事というのは、マカドミーで一番美味しいという料理店での食事だった。落ち着いた雰囲気の店の丸いテーブルを囲むように俺、パンドラ、ティート、エスタの4人で座ると、白く長い耳を持った給仕が注文を取りに来た。テーブルには清潔な白いテーブルクロスがかけられていて、1人1セット置かれた銀食器は、顔が映るほどに磨きあげられている。ドレスコードでもありそうな店の雰囲気に戸惑ったが、多少ラフな服装でも通してくれた。幸いなことに、パンドラは俺の渡した藍色のワンピースを着ていた為、後ろ指を指されることは無さそうだ。チラチラ見られるのは俺だけでいい。
「この店のおすすめを。」
洒落た注文方法だな、と思ったが会計が怖くてとても真似できそうに無い。エスタが食前酒を2人分、ジュースを2人分頼むと、給仕は一礼して奥にある厨房に去った。濡羽色のベストと純白のシャツ、そしてベストと同じ色のズボンを着こなし尚且つ無駄のない動きできびきびと仕事をこなす給仕を見ていると、こちらの背筋も心なしかピンと伸びる。人の振り見て我が振り直せとはまさにこの事である。
「マカドミーは料理を提供している店が多いんですね。泊まる宿も食事を売りにしていたし。」
「ええ。美味しく食べることは食物に対する礼儀ですから。」
食事の時の挨拶と似たようなものだろうか。
「この国には重篤な魔素中毒を起こした獣達を食べる習慣があるというのは知っていますか?」
首を振ると、エスタは一呼吸置いてから続けた。
「獣は同族のようなものですから、治療が不可能だと判断した場合、長く苦しませない為に獣を殺める場合があるんです。」
「それを食べるんですか?」
「ええ。獣人の殆どが信仰している教えの1つに『奪った命は誠意を持ってあなたの糧にしなさい』というものがあります。皆この教えに従って、殺めた獣を糧としているのです。」
隣を見ると、パンドラは既に全くわからんと言いたげな顔をしていた。
「ご飯の為に動物を殺すわけじゃないってこと?」
パンドラが首を傾げながら尋ねる。
「ええ。そんなことしたら内乱ですよ。ですから、乳製品や卵も輸入に頼っているんです。……まあ、国内だけの決まりなのですが。」
確かに牛型の獣人は元気な牛を殺したりしたら怒り狂うだろうな、と想像を巡らせてみる。
「それで先祖の同じ獣人に対する礼儀の意味も兼ねて、美味しく料理するって事ですか。」
「ええ。それに、料理が美味しいと食べ残しも少なくなるでしょう?だから料理の文化が発達したんです。」
食べ残しを減らすためと聞いて、甘藷のケーキを思い出す。野菜のお菓子はここから来ていたのか、と感心する。
「合理的ですね。」
「フフ。料理を通じて『命を戴く』という考えが広まってくれると良いのですが。」
そんなことを話していると、食前酒が運ばれてきた。透き通った白い洋酒だ。
「ジュースみたいだね。」
「お前にはジュースが来るから、飲んじゃ駄目だぞ。ほら来た。」
パンドラとティートの前には、グラスに入った葡萄ジュースが置かれた。
「やったぁ。」
パンドラは笑顔でストローに口をつけ、濃い紫色のジュースを堪能する。
「それじゃあ、戴きます。」
とは言ったものの、洋酒の飲み方なんてわからない。仕方がないのでエスタをチラチラと見て学習する。初めはくるくるとグラスを回して匂いを楽しむらしい。
「う……。」
案の定酒臭い。気を取り直してエスタを観察する。口にワインを含んだが中々喉が動かない。ゆっくり味を見ろと言うことだろうか。
「ん……、うん。」
正直、酒の味なんぞ分からない。しかし、以前出会った冒険者に付き合わされた安酒の数倍は飲みやすかった。
「どうですか?」
「あ…えっと、すごく飲みやすいです。」
舌も喉もヒリヒリしない。冒険者に飲まされたのは毒だったのかもしれないとつい思ってしまった。
「それは良かった。」
エスタは人の良さそうな笑みを浮かべる。
「それにしても、良いお店ですね。」
四人掛けの丸テーブルが2つと、ソファ席が2つ、そして2人掛けの角テーブルが4つと、あまり広くない店内を見回しながらエスタに話を振る。ランプの優しい灯りが落ち着いた気持ちにさせてくれる。
「雰囲気だけじゃなくて、味も良いんですよ。」
「楽しみです。」
そんな話をしていると、給仕がお盆を持ってやって来た。チーズの良い香りがする。
「前菜をどうぞ。」
出てきたのは、暖かい湯気を上げるタルト生地のケーキのようなものだ。野菜の香りでこれは甘くないなとすぐに解ったが。
「いただきまーす。」
パンドラは慣れない手つきでもたもたと甘くないタルトを切り分け、口に運ぶ。
「む……あふい、おいひい……。」
口の端からチーズの糸を垂らしながらもきゅもきゅと口を動かすパンドラ。
「ほら、ついてるぞ。」
パンドラが首から下げたナフキンで口元を拭ってやる。
「ありがと。」
「俺も食べてみるか。」
少し気を使いながらタルトを切り分けるが、タルトが上手く切れてくれるはずもなく、ぱきんと真っ二つになる。
「あ……。」
トロトロと皿に流れ出すチーズに焦ってフォークを生地まで突き刺してしまった。当然タルトは割れる。
「カイト、大丈夫?」
パンドラは何の苦労もなくタルトをフォークにのせて食べている。慣れない物に関してはパンドラより順応性が低いのかと思い若干落ち込んだ。
「ゆっくり食べてくださいね。」
にこやかに声をかけてくるエスタさんの皿は流石と言うか美しい。
「お、落ち着けー…タルトは何度も食べた、大丈夫、綺麗に食える。」
小声で自分に言い聞かせて、チーズを切れたタルトに少しつけて食べる。チーズの香りが口のなかにふわりと広がった。
「おいしい。」
思わず率直な感想が出てしまった。
「ねえ、どうしてエスタさんはティートを助けに来なかったの?」
「こら!失礼だろ!」
急にとんでもない事を口走ったパンドラを咎めるが、エスタは失礼な事を言ったパンドラに対して全く気分を害した様子も見せない。
「ティートが居ないことに気付いた時に森に引き返したのですが、森で会った兵士に無理矢理連れて行かれまして…。言い訳のように聞こえるかもしれませんね。」
「むー、兵士ってやな奴だね。」
仮にも一国の兵士に対してやな奴呼ばわりするパンドラ。
「良くも悪くも、王の命令に忠実なんですよ。」
エスタは苦笑いするとタルトの最後の一切れを口に運んだ。達観しているように見えるが、この人はいったい何者なんだろうか。
「ん!カイト、お肉の匂いがする!」
香ばしい香りにいち早く気づいたパンドラが楽しげな声を上げる。
「はうー、楽しみー。」
少し冷めて食べやすくなったタルトを食べきった頃、見計らったかのように次の料理が運ばれてきた。
「わぁ……。」
白い皿に乗った肉。特徴的な匂いから恐らく羊肉だろう。それにしてもかなりの量である。
「カイトさん、それで足りますか?」
人間の国で出てくる大きさの羊肉のステーキが3枚乗っている皿を見てむしろ多い位だと答えると、エスタは満足そうな顔をした。パンドラの皿をちらっと見ると、皿に乗っているステーキは2枚。減らしたのだろうがそれでも子供には多過ぎやしないだろうか。
「パンと共にお召し上がり下さい。」
給仕は音を立てること無く、そっと丸いパンの乗ったパン皿を1枚ずつ置いた。
「わーい、お肉お肉~。」
ソースも何もない、一見ただ焼いただけのように見える肉だ。しかし、ナイフが容易に入っていく程に柔らかい。切り口はピンク色で、湯気がほわほわと上がっている。口に入れると、肉汁が肉片から染み出す。適度に振りかけられた黒胡椒が後味を引き締める。
「ふー、ふー…。んむ……んむ……。」
パンドラは小さく切った肉に息を吹きかけてから口に入れ、目を閉じてゆっくりと咀嚼した。
「ふあぁ……おいしい……。」
目を蕩けさせ、両手を頬に当てて幸せそうな顔をするパンドラ。
「はうぅぅ……。」
パンドラは一口、また一口と肉を頬張り、幸せそうに吐息を吐く。美味しそうに食べる姿は大層微笑ましい。
やっと3枚の肉とパンを食べ終えたと思ったら、大きめに切り分けられた桜桃があしらわれたケーキの乗った皿が出てきた。黄、橙、緑の3色のクッキーと甘藷のケーキまで添えられている。甘いものと言えど3枚のステーキとパンを食べた後にこの量は暴力的だ。
「おいしそう!」
パンドラの様子を見る限り、まだまだ余裕らしい。ティートも美味しそうにケーキに手を付けている。あんな小さな体の何処に入るのだろうか。
「カイトが甘いもの見て嬉しくないなんて珍しいね。」
「や、凄く嬉しいんだけどさ。この量は多いんじゃないかなー…と思ってさ。」
ティートもエスタも首を傾げる。獣人にとってはこれが普通の食事量らしい。
「たべてあげようか?」
「いや、大丈夫だ、うん。」
パンドラの提案を断り、桜桃のケーキを一切れ口に運ぶ。
「ん……。」
桜桃の砂糖漬けとクリームで一見甘ったるそうだが、間に挟まれた桜桃の甘酸っぱさで調和がとれている。
「……。」
あまりの美味しさに言葉を失ってしまった。
「どうですか?」
「あ……おいしい、です。」
エスタの問いに半ば放心状態で答え、二口目三口目と立て続けにケーキを食べる。
「カイト、このクッキーも美味しいよ。」
三色の丸いクッキーを美味しそうに頬張ると、パンドラは俺にもクッキーを食べるように促す。
「ん…甘すぎなくて食べやすいな。」
色を見る限り、これが野菜のクッキーと言うやつなのだろう。甘さは控えめで飽きの来ない味だ。ジャムを付けてもいいかもしれないと、このクッキーをいかに美味しく食べるか思案してみる。
「カイトはもっと甘い方が好きなんじゃない?」
「いや、このケーキとクッキーはこれが丁度良い思う。素材の味が生きてる。」
まだ手を付けていない甘藷のケーキにフォークを入れる。表面には焼き色がついていて、香ばしそうだ。
「ん…」
これは先程の二つと比べるとかなり甘く作られている。そしてふんだんに使われたバターの香りが口いっぱいに広がった。恐らく、このデザートの皿の主役はこの甘藷のケーキだろう。食べ比べたときの存在感が明らかに違う。敢えて目立つ桜桃のケーキを爽やかにまとめ、野菜の味を活かしたクッキーで単調になりすぎないように調整する。その上でこの濃厚な甘藷のケーキを持ってくるとは。確かに甘藷のケーキばかり食べればバターが重い。かといって甘藷のケーキと桜桃のケーキだけではいくら甘酸っぱい桜桃が挟まれているとはいえ甘いものばかりで飽きてしまう。甘藷のケーキを主役にするために桜桃のケーキを引き立て役に持ってくる大胆さは尊敬に値する。
「カイト?カイトー?」
「……はっ!」
甘藷のケーキを一番美味しく食べるための布陣に感動してパンドラの声が全く聞こえていなかった。
「どうした?」
「カイトがボーッとしてる間に食べ終わっちゃったからさ。」
「えっ」
驚いて周りを見ると、確かに皆皿が空になっていて、俺の皿にはまだ半分ほどケーキが残っている。
「急いで食べると勿体ないですよ。味わって食べてください。」
「あはは……すいません。」
少し申し訳ない気分だが、お言葉に甘えて適度に味わって食べることにした。
料理店を出たあと、エスタ達と別れてあなぐま亭に戻った。会計するところをそれとなく見ていたが、どう考えても人間の国より物価が安い。絶対おかしい。
「動けねー…」
「カイト、食べてすぐ寝ると牛になっちゃうよ!」
部屋に着くなり清潔なシーツの敷かれたベッドに横になる俺の背中をぺちぺちと叩きながらパンドラが騒ぐ。
「苦しい…」
明らかに許容量を越えた食事だった。もう3日は食べなくて済むかもしれないと思ってしまうほどに。
「カイトはあんまり食べないんだねぇ。」
「……人間にしては健闘した方だと思うんだけどな。」
まさかパンドラがあんなに食べるとは思わなかったが。
「パンドラ、今まで足りなかったとは言わないよな?」
「たくさん食べれるだけでたくさん食べなきゃいけない訳じゃないから、今まで通りで大丈夫だよ。」
少しホッとした。流石にあの量を毎日食べさせてやる甲斐性は無い。
「ふー…。」
ベッドの上で大の字になる。安い宿でもベッドが狭苦しくないのことだけが今まで身長が低くて良かったと思う事柄である。標準的な男性より一回り以上小さい俺の身長でのびのび寝られないベッドは子供用ぐらいのものだ。
「カイト、ご飯おいしかったね。」
「そうだな。」
ふう、と一息吐くとパンドラはベッドの脇に座った。
「ん?」
パンドラに顔を向けると、パンドラは何も言わずにただこちらの顔を覗きこんでいる。他の何でもなく俺に向けられたパンドラの黒に近い赤と深黒が渦を巻く不思議な双眸は、息を飲む程に美しく、それでいてどこか不気味だった。
「カイトの髪の毛、綺麗な緋色だね。」
パンドラは自身の細い指で俺の髪を撫でた。
「眼も金色で綺麗。」
「そうか、ありがとう。」
パンドラに笑って返し、パンドラの頭をぽんぽん撫でる。
「カイトの家族も同じ緋色なの?」
「……いや、みんな金髪だ。」
「なんで?」
パンドラはくりんと首をかしげた。
「俺は両親と血が繋がってないからさ。」
「血?」
「拾われてきた子供ってことだよ。」
うんうんと相槌を打ち、パンドラはポンと手を打った。
「でも、よかった。」
「何がだよ。」
「カイトには赤が似合うもん。私はこの色大好きだよ。炎みたいで格好いい。」
そう言って、また俺の髪を撫でる。
「パンドラの銀髪も、綺麗だよ。」
「むにぃ……。」
パンドラの髪を撫で返すと、パンドラは眼を瞑ってベッドに突っ伏す。細い銀髪は絹のように柔らかい。
「って、変態か俺は……。」
慌てて手を引っ込めると、パンドラは名残惜しそうに唸った。
「むー。」
「何だよ。」
「カイトの手、暖かくてお父さんみたいだったから……。」
そこまで言うと、糸が切れたようにパンドラはベッドに顔を押し付けて眠り始めた。
「全く、風邪引くぞ。」
起き上がってベッドにパンドラを寝かせ、そっと毛布を掛けた。パンドラは幸せそうな顔をして寝返りを打つ。ふと窓の外に目を向けると、雨の滴がぽつりぽつりと窓を濡らしているのが見えた。