6. 少年マオ
獣人の国なのだから、さぞかし色々な食べ物が置いてあるだろうと意気込んで小さな食料品店に入る。しかし棚に並んでいる品物は少なく、店長の顔にも覇気がない。
「見ない顔だね、お客さん旅人かい?」
「ええ。」
「そうかい。何もないが見ていっとくれ。」
牛柄のエプロンをつけた、恐らく店長であろう恰幅のいい女性は、投げ遣りに言うと大きなため息を吐いた。
「カイトー、干し肉がないよー?」
確かに、パンドラの言う通り干し肉がどこにもない。それどころか、保存の利きそうな食べ物は全て置いていなかった。
「ああ、ウチにある保存食は全部国が買い上げたよ。」
「え?」
「黒の風から避難する時の住民の食料だよ。普段なら森の国からも買ったりするから、根こそぎ無くなるってことはないんだけどねぇ。」
森に入れないんじゃ、買い付けにいけないからねぇ。と付け加え、女性は木製のカウンターに頬杖をついた。異常事態とはいえ、この接客態度は良いのだろうか。
「お客さんは何を買いに来たの?」
「獣人の国には初めて来るので、どんなものがあるのか見てみたくて来たんです。」
冷やかしに来たみたいな言い方をしてしまったと少し焦ったが、女性は豪快に笑い飛ばしてくれた。
「冷やかされちゃたまんないね、これサービスしてあげるから何かひとつは買って行きな!」
そう言って、女性は店の奥から皿に乗ったケーキのようなものを持ってきた。
「これなあに?」
「食べてみたらどうだ?」
パンドラは皿に乗った黄色い物体をしげしげと見つめて首をかしげる。ケーキにしてはずっしりとした重みだ。
「んむんむ……。んー、おいしー。」
「これはここの伝統料理で、甘藷のケーキって呼ばれてるんだよ。」
「かんしょ?」
女性は店の奥から何か持ってくると、首をかしげるパンドラにしゃがんで目線を合わせてから紫色の長細い物体を見せた。甘藷とはどうやらこの紫色のもののことらしい。
「春に苗を畑に植えると、秋には土のなかでこんなに大きくなるんだよ。とっても甘いからきっとお嬢ちゃんも気に入るよ。」
「だってさ、カイトおじょーちゃん。」
パンドラは俺を見上げてにまにまと笑う。少しムカつくので反撃することにした。
「あー、こいつは人参が大好きなんですよ。」
「え゛っ」
「あら、小さいのに偉いねぇ。おばちゃん感心したよ。人参のクッキー食べる?」
どうやらこの国はお菓子に野菜を混ぜるのが主流らしい。
「それにしても、どうして野菜をお菓子に?」
「この国は野菜嫌いの子供が多くてねぇ。子供にわからないように野菜をお菓子に混ぜ始めたのが始まりで、今では大人も子供も食べるんだよ。」
確かに好きなものに混ぜれば嫌いなものも食べられるかもしれないと思いパンドラをちらっと見ると、頬をぷーと膨らませてそっぽを向いた。流石に怒っているようだ。
「案外美味しいかもしれないぞ、食べてみないとわからないだろ?」
「じゃあカイトもカレー食べてよね、かっらいやつ!」
パンドラは更に頬を膨らませた。
「辛いカレーも食べないと美味しさはわからないもんね!」
「…パンドラが人参食ったら考える。」
「ぐぬぬ」
あまり長居しても悪いので、試しに甘藷を1本と甘藷のケーキを2つ買って店を出た。通りは閑散としていて、ぽつりぽつりと人影が見える程度だ。井戸とベンチのある広場にも誰も居ない。
「静かだねぇ。」
「だな。」
のんびりと歩いていると、路地から硝子の割れる音が聞こえ、それに続いて固いものが石畳にぶつかる音がした。
「パンドラ、危ないからここで待ってろ。」
そうパンドラに言い聞かせると、音の聞こえた方へ走る。すると急に路地から出てきた大柄の獣人の男とぶつかり尻餅をついた。獅子のような風貌をした男は不機嫌そうにこちらを見下ろしている。
「いててて……何なんだよ一体。」
ズボンを叩きながら立ち上がると、男の取り巻きらしい小柄な獣人の男達に囲まれ、野次を飛ばされる。
「お前、この人が誰かわかってんのか?」
「ライオさんだぞ!」
「はぁ?」
勿論余所者の俺はライオさんと呼ばれた獣人の男なぞ知らない。正直どうでもいい。
「そんなもん知るか。」
「ライオさん、こんな生意気な奴やっちゃって下さいよ、さっきみたいに!」
取り巻きの言葉に剣を手をかけて構えたが、ライオは焚き付けようとした取り巻きの胸倉を掴んで放り投げた。
「虫の居所が悪いんだ。さっさと行くぞ。」
ライオは俺を突き飛ばすようにして俺が来た方とは反対に歩いていった。取り巻きたちもライオを追ってパタパタと走っていった。
「ったく、ああいうの一番嫌いなんだよ。特にあの腰巾着、イラッとくる。」
遠ざかる獅子の尾を見ながら呟く。そこに先程待っていろと言ったはずのパンドラがパタパタと駆け寄ってきた。
「カイト、大丈夫?」
「おう。それより確かこっちの方で音がしたはずなんだけどな。」
路地をちらっと見てみると、ひっくり返されたゴミ箱やら、割れた酒瓶やらが散乱している。
「生ごみじゃなくてよかったね。」
「硝子に触るなよ、危ないから。」
恐らくさっきの音は酒瓶が割れた音だろう。
「カイト、あれ人だよ。何でゴミと一緒なの?」
パンドラが指で示した先には、ゴミに埋もれて見えにくいが人の足があった。
「掘り出せ!」
あわててゴミの山に手をかけると、パンドラもそれに続く。
「あいあいさー!」
ゴミやへこんだゴミ箱を退けると、獣人の少年がうつ伏せに倒れているのが目に入った。しゃがんで様子を見ると、どうやら気を失っているようだ。
「怪我してるみたいだな。パンドラ、人を呼んできてくれ。」
「うん、わかった。どうすればいいの?」
「その辺の家ノックして、『倒れてる人がいますー』って」
そこまで言ったところで、気がついたらしい少年に腕を掴まれた。結構な力で掴まれていて、少し痛い。
「人なんて呼ばなくていい……です。」
「そうもいかねぇだろ。怪我してるし。」
「余計なお世話だ!」
少年は声を荒らげ、掴んでいた俺の腕を乱暴に振りほどいた。ふと少年の顔を見ると、目からは大粒の涙がボロボロと零れている。多分ライオとか言うやつに喧嘩売って返り討ちになったんだろうな、と一人で合点した。
「そんなに嫌なら誰も呼ばない。その代わり手当てぐらいはさせてくれ。怪我人を放っとくのが嫌なんだよ。」
そう少年を宥め、少年に肩を貸しつつ広場の井戸まで歩く。
「……なんか、申し訳ないです。初対面なのに。」
「良いんだよ、俺が勝手にやってることだし。」
「カイトってお人好しだもんね。」
パンドラはそう言って、にししと笑う。
「よし、まずは傷口を洗って……。」
水を汲んだ桶を座らせた少年の横に置くと、少年の肩が大きく跳ねた。
「ん?どうした?」
「え、えと、何でもないです。」
桶に手を入れて水を掬うと、手から溢れ落ちた水は爽やかな水音を立てる。それにも少年は身を固くする。悪いがちょっと面白い。
「水、苦手か?」
「そっ、そんなわけ……」
よく見ると、少年にはピンと立った耳がついている。猫型の獣人なら、水が苦手なのも納得がいく。
「毛、逆立ってるぞ。」
水が滴る手を近付けると、少年の腕や耳の毛が一斉に逆立ち一回り膨らんで見える。
「これはその、あの…」
「強がるなよ。誰にだって嫌いなものの1つや2つあるだろ。言ってくれればいくらでもやりようはあるんだし。」
鞄からハンカチを2枚取り出し、1枚を桶に浸ける。それを軽く絞り、もう一枚で手をよく拭った後、水を含んだハンカチで傷口にそっと触れた。
「全く、酷いことするもんだよな。」
「えっ?あ、ああ、はい。そうですよね。」
少年は戸惑いつつも頷いた。
「獅子っぽい見た目の癖に、あんな虎の威を借るような奴等連れてたら小物臭く見えるだけだよな。」
試しにさっきの獣人のことを茶化してみたが、少年がクスッと笑ったところを見るとどうやら目論みは成功したようだ。
「あいつら、店で出された物にケチつけたり、ツケ払わなかったり横暴に振る舞うんですよ。」
「なるほど、確かに嫌な奴等だな。飯に文句言うとかそれだけでも万死に値する。」
「あ゛ー!もう思い出すだけで腹立つ!」
少年はじたばたと足を動かす。
「あんまり怒ると血が止まらなくなるぞ。」
「うー…」
悔しそうに歯噛みする少年。
「ま、怒る元気があるようなら大丈夫だな。ほら、これでも食うか?」
少年の肩をポンと叩いて、先程買った甘藷のケーキを袋から出して手渡す。少し名残惜しいが、また買えばいい話だ。
「ありがとうございます。俺、これ好きなんです。」
「甘いものっていいよな。」
もりもりと甘藷のケーキを食べる少年を横目で見つつ、洗い終わった足の傷に塗り薬を塗っていく。すると少年の足がビクッと痙攣した。この塗り薬は効果はあるのだが、かなり染みると話題の品である。当然の反応だろう。
「ひっ…ぅ?」
声にならない叫びを上げる少年。流石に予告なしではまずかっただろうか。
「痛いだろうけど効くぞ。」
「そっ、ゆこと、は、早、くっ……はっ、言って……」
涙目で耐える少年の腕に手を伸ばすと、流石に断られた。
「痛いのはもう嫌です…。」
「わかったわかった、じゃあ包帯な。」
当て布をしてから足に包帯をくるくると気持ちきつめに巻いて、端を結ぶ。
「まあこれ初めてでギャーギャー騒がないのは中々すごいと思うぞ。」
そう言いつつ、当て布に薬を塗って腕の傷に当てる。
「!うぅ……ぅ」
「カイト、笑ってると趣味悪い人に見えるよ……。」
パンドラに言われて気づいたが、若干口角が上がっていたようだ。
「悪い、素が出た。」
「今明かされる衝撃の真実だよ!」
「言ってなかったからな。」
パンドラが非難の目でこちらを見てくる。別に気にしないが。
「カイト、相手は怪我人だよ?」
「歴とした治療行為だから問題ないだろ。」
「むうぅ…」
言い負かされて頬を膨らませるパンドラ。
「よし、終わったぞ。」
「…ありがとうございます。」
少年は立ち上がり、一礼すると…その場に崩れ落ちた。
「終わったとは言ったが立って歩けるとは言ってないだろ。家は何処だ?送るぞ。」
「ありがとうございます……。」
少年に肩を貸してやりながら、少年の言う方向に歩いていく。
「カイトって背低いの?」
「どういう意味だ、それ。」
聞かずとも俺と少年を比べての言葉だろうが。確かに少年の方が俺より背が高い。が、そういう事に言及するのはマナー違反じゃないかと思う。なきたい。
「……どうして助けてくれたんですか?」
少し歩くと、少年がぽつりと尋ねた。
「んー、通りがかったからかな。」
「見たところ旅の人ですよね。俺とは何の関係もないじゃないですか。」
「旅人だからこそかもしれないな。」
少年は納得いかないような顔で首を傾げた。
「…変な人。」
「聞こえてるぞ。」
早速舐められている俺を見て、パンドラはクスクスと笑っている。振り向いて笑顔を向けると、パンドラが一瞬凍りついた。
「俺はカイト。お前は何て言うんだ?名前。」
「マオって言います。」
「かわいい名前だね!」
パンドラのはしゃいだ声に、マオが固まる。恐らく地雷だったのだろう。
「……悪気はないんだ、大目に見てやってくれ。」
マオを連れて更に歩いていくと、どこか見覚えのある獣人の群れと鉢合わせた。
「あー!」
「あん?」
思わず指を指して声をあげてしまった。これはまずい。
「誰かと思えばさっきの糞ガキ!」
取り巻きの1人がマオを指差して忌々しげに声をあげる。
「パンドラ、マオを頼む。」
マオを道の脇に座らせ、パンドラをその横に立たせる。
「私はどうしたらいい?」
「マオに怪我をさせないように守れ。」
「わかった。」
パンドラは強く頷いた。
「あいつ、あんなちびっこに守られてやんの。だっさー!」
別の取り巻きがマオを笑い、ライオさんサイドに笑いが起きる。
「……マオ、あいつらボコボコにしていいよな。」
「え?」
「安心しろ、取り巻きの6人なんざ1人分にもならねーよ。」
勿論、心底そう思っての言葉だ。
「大丈夫なんですか?」
「カイトなら大丈夫だよ、多分!」
最後に余計な言葉が入ったが、信頼の言葉を頂いた。
「舐めやがって!」
「おう、舐めてるぞ。だってお前6人全員1人じゃマオにのされるだろ。」
ニヤニヤしていたら、6人のうち2人が飛び掛かって来た。キレやすい若者ってこわい。そんなことを思いつつ向かってくる2人に集中する。
「よっと」
1人を投げ飛ばし、もう1人の足を払うと綺麗に転んだ。転んだ男の襟首を掴んで残りの取り巻き4人に投げ返してやると、ギャーギャーと歓声を上げている。どうやら喜んでくれたみたいだ。
「よっわ……。」
「すごーい、手品みたい!」
パンドラが手を叩いて喜んだが、マオもライオも取り巻きも押し黙っている。
「まだやるか?」
腰の剣に手をかけながら挑発を続ける。さっさと群れのボスを片付けて帰りたいところだが、取り巻き達は互いにお前が行けよと目配せしあっていて、全く動こうとしない。
「はーあ、こんな臆病者共を勘違いさせられるリーダーの顔が見てみたいなー。さぞかしおっかない虎なんだろうなー。虎の威を借る狐って言うし。」
ライオの顔をチラチラ見ながら大きな独り言を言ってみる。するとライオの顔がみるみる紅潮していった。やはり最近の若者はキレやすいのだろうか。
「…剣は抜かないでおいてやるよ。あぁ、むしろもっと手加減しないと駄目か。」
『手加減』を強調してやると、堪忍袋の緒が切れたのか、ライオが俺の前に立った。
「口の聞き方も知らねぇ糞ガキが…。」
身長が低いだけで別にガキではない。18歳は人間の国なら酒も飲めるし煙草も吸える。吸わないけど。
「口の聞き方も知らない糞ガキに負けるのか、傑作だな。」
鼻で笑ってやると、目と鼻の先に拳が突きつけられる。
「そこの猫みたいになりたいようだな。」
「その言葉、そのまま返してやるよ。」
軽く後ろに跳び、手袋を嵌めなおす。そして相手の様子を注意深く見つめる。
「流石に子分共よりは一筋縄じゃいかなそうだな。」
相手は体格のいい獣人。恐らく普通の人間の男より一回り、いや二回り程背が高い上に獣人特有のしなやかな筋肉がついている。普通に素手で戦おうとすれば5、6回は死ぬだろう。逃げても確実に追い付かれる。
「となると、やることは1つ。」
勿論、限りなくグレーな事だ。相手の一挙一動を逃さないように目を開き、ライオさんサイドに見えないようにベルトに手をかけ鞘ごとベルトから剣を取り外す。次の瞬間、ライオが石畳を蹴ってこちらに突っ込んできた。速いが直線的な挙動だ。
「……かわせる!」
爪が額に届く寸前に身を捩ってかわし、背後に回る。そしてライオの後頭部を昏倒する程度に思いっきり剣で叩きつけた。
「ち、ちょっと待て。剣は抜かないっていったはずじゃ…」
狼狽する取り巻きに、ライオの頭を踏みつけながら笑顔で答えてやった。
「抜かないとは言ったが、使わないとも、振り回さないとも言ってないよな?」
「カイト、それズルいよ…」
パンドラの顔は見ないでおいた。
「まあ剣がダメなら他にも色々あるんだけどな。」
上着の袖に仕込んであるナイフや針、そして鞄からロープを取り出して見せると、文句の声が一層強まった。
「お前らがちゃんと確認しないのが悪いんだろうが。安い挑発に乗って突っ込んでくるのが悪い。」
「どう考えてもお前がおかしいだろ!」
埒が明かないので文句を垂れる5人に背を向け、てきぱきとライオを縛り上げていく。
「え?カイトさん、何やってるんですか?」
「反撃されたら困るからな。不意討ちを警戒してる奴ほど戦いにくいし、気絶してるうちに縛っておこうと思って。」
大柄なライオを縛り上げるのに約3分。もしすぐに目を覚ましてもそう簡単には身動きがとれない程度にしっかりと結んでやった。
「さてと、次は誰だ?」
取り巻きをちらりと見ると、情けない声をあげて1人残らず逃げ出した。
「……情けねーなー。」
取り巻き達が消えていった道の先を見て舌打ちすると、パンドラが袖口をくいくいと引いた。
「ん?」
「あの人どうする?」
パンドラの指差した先には、さっき投げ飛ばした取り巻きの1人が転がっている。投げ飛ばした衝撃で気絶しているようだ。
「あー……縛って逃げるか。」
「また?」
時間をかけていられないと、細い紐で両手の親指同士をくっつけて背中で縛る。両足首を適度に縛っておくのも忘れない。
「よし、放置だ。」
気絶したままの2人を地面に転がして、パンドラとマオを連れそそくさとその場を離れた。
目的地とは全く逆の方向に来てしまったが、疲れたので少し休憩することにした。
「あー、何かスッキリした。」
街路樹に寄りかかって伸びをしていると、マオが急にクスクスと笑いだした。
「どうした?」
「あいつらのあの情けない顔…ふふっ」
どうやら逃げ出した取り巻き達を思い出していたようだ。マオの言葉を聞いてパンドラもその顔を思い出したのか、けたけたと笑いだす。
「ひえーって言ってたね。別に縛られて転がされるだけなのに、大げさだねェ。」
「随分平和な考え方だな。」
「違うの?」
パンドラの問いには曖昧な笑みで返しておいた。流石に小さな子供に爪と指の間に針を刺していくとか、固定して額に水を垂らしていくとかそういう事を聞かせるのは教育に悪い。
「カイトさん、大丈夫ですか?」
「何が?」
「またあいつらに会ったりしたら…」
マオが心配そうに聞いてきたが、俺は全く心配していない。
「縛られて道端に放置されて堂々とその辺歩いてられるかね?それに次があるならこれ投げて逃げればいいし、最悪剣抜くしパンドラに援護させるし。」
鞄から取り出したのは、手のひらサイズの《発光》の魔道具。使いきりだが安いのが特徴である。
「何で先に逃げることから考えるんですか?」
「爺さんの形見を人斬り包丁にしたくないんでね。」
すらりと剣を抜き、パンドラとマオに見せる。無骨な鋼製の剣だ。
「あれ、この剣片刃ですね?」
「爺さんは鍛冶屋でさ。ここからずっと東の島にあるカタナって言う恐ろしく斬れる剣に憧れてたらしい。それを再現しようとしてこんな形になったんだと。」
変な爺さんだろ、と言うとパンドラがふふっと笑った。
「なんかカイト嬉しそう。」
「そうか?……まあ、自慢の爺さんだからな。」
だいぶ日が落ちてきた。そろそろマオを送り届けないとエスタを待たせてしまいそうだ。
「よし、そろそろ行くか。マオ、歩けそうか?」
「あ、はい。」
少し危なっかしいが充分歩けそうだ。
「じゃあ道案内頼むぞ。」
「わかりました。……まあ、自分の家に帰るだけなんですけどね。」
道中、特に何事もなくマオの家に到着した。
「にんむかんりょー、だね!」
楽しそうに笑うパンドラ。マオは少し困ったように笑っている。
「マオ?」
「…何でもないです。」
「家族と何かあったのか?」
何を聞いても何でもない、としか答えない。
「マオ、何かあったらあなぐま亭まで来い。場所はわかるよな。」
あなぐま亭というのは、俺達が今日泊まる予定の宿の名前だ。
「え?」
「浮かない顔してたからな。何もなきゃそれでいい。」
「…ありがとう、ございます。」
一言礼を言うと、マオは足早に家に帰っていった。