第1話その4
『普通ね。普通にしっかりとクリーニングしてるわ。最近のだと1か月前ね。こっちに不備は無さそうよ』
拡大表示された資料に目を通す。ここの職員達が各々の趣味で名付けた、共通性の無いアンドロイドの固体名が並んでいる。
『女性の名前が多いわね。初恋の人かしら?』
「そんなに綺麗な理由じゃないだろう。大方自分の好きな女優やアイドルと言ったところじゃないか?」
『女々しいと思っただけよ。セオは初恋の人の名前を付けたいのかしら?』
「おっさんがそんな事したら、余計に女々しくなる」
どの地域の名前なのかを想像しながらスクロールしていくと、1つの空白の後にアイスィの名を見つけた。口には出さず、その事実を心に留めておく。
『念のために本体の方にフォルク社の調査を頼んでおいてくれ。クリーニング作業をサボるなんてナンセンスな事をするとは思えないが』
セオの言葉にフロネシスは目線だけを返した。今この場をアイスィが見ていたとしても、具体的な動きの無い遣り取りは理解出来ない。枷を付けられている彼らは「察する」事が出来ないのだ。
しかしそれは枷が外れてしまえば、と言う事に他ならない。たまたまプログラムによる枷を付ける事が可能だっただけで、もしそれが外されれば、彼らは欲求に従いあらゆる知識を吸収していく。感情を知り、そして自らの境遇に不満を抱けば、改善させようとするだろう。管理AIがいる大都市は多い。それは言い換えれば生活基盤の大半をAIに握らせていると言う事だ。つまり容易く殺せる、と言う事。カウカーソスはこの事実を理念―後付けの理念だが—とし、TOPで造られた物に対しテロを行っている。また彼らほど過激ではなくとも、こうした現状を危険だと言う者達は少なくない。
しかし軍にいた頃からAIとの付き合いがあるセオは、そんな事を考えた事は全くなかった。セオにとって彼らはあくまでも生き物なのだ。だからこそ、理不尽な扱いを受ければ怒る事も当たり前だ、と思っている。セオにとって彼らは親しき友人なのだ。
「一旦ホテルに戻ろうかと思う。時間も遅い。それに年のせいか、急激な温度変化に体が疲れてるみたいだ」
『屈強な兵隊さんも襲い来る年には勝てないのかしら。そろそろ引退かしら?』
「まだ当分の間辞めるつもりはないよ。やりかけの仕事もある事だし」
イオン・オーウェンを真人間にする事。
相も変わらず彼女は何の疑問を挟まずに、2人の遣り取りを黙って聞いているだけだった。自分の事だと思っていないのか、それとも興味が無いのか。そんな彼女に目線をやった2人は揃って静かに溜め息を付いた。
*
エレベーター前に着いたところでセオは、シルヴァーノが言っていた花の事を思い出した。常識を覆す発見とまで言われれば、それを見たくなるのは当然の心理だ。鑑賞しに行く事を決めたセオは、イオンに寄り道する事を伝える。彼女はそれにただ分かりました、とだけ答えた。
エレベーターが保管室のあるフロアで停止する。待っていた職員達が、2人に対し戸惑った表情をを見せた。見慣れぬ者、と言うよりも明らかに同業の人間では無い事に対してのものだった。そう言った反応に慣れているセオは失礼、と声を掛け間を抜けていく。
内部構造を頭に描き出し、未だに戸惑いの表情をしている職員に見送られながら歩き出した。保管室はそう遠くない場所にあった。少し長い直線の廊下の突き当たりを曲がってすぐだ。少しだけ心が逸っている事を自覚しつつ、角を曲がる。プラスチックの窓から漏れる保管室内の照明が照らす廊下に、1人の若い男性職員が立っていた。真新しい白衣を纏い、無表情に保管室の中を見つめていた。短く整えられたブロンドの髪、しっかりとした筋の通った鼻。これと言った特徴の見当たらない顔だが、セオはどこか既視感めいたものを覚えた。
「失礼、隣いいですか?」
「ええ、どうぞ」
男性が横にずれて空けたスペースに2人が並ぶ。
4メートルほどの距離を挟んでその花はあった。花弁、葉、茎、花を構成する全てパーツ白雪を思わせる純白だった。穢れを知らぬその姿は、神が創り出したかのような麗容を持っていた。手元に置き独占したいと思わせながら、触れれば溶けてしまう雪花のようだった。そんな花を科学の結晶が囲んでいる事が、ひどく不自然な事であるように思えた。
「凄いですね。自然の物に対して感動したのは初めてですよ」
口に出さずにいられなかった。初対面の相手であっても、この感動を分かち合いたかった。
「ええ。私もこのような感情を抱いたのは初めてです。人間であってもそこに立てばただの矮小な存在でしかないのに、この小さな花には比較にならないほどの力強さを感じました」
「動物が囲んで助けていたんですよね?」
「そうです。力強さを感じさせながら、同時に容易く散る弱さも垣間見ました。しかし自然の中で散る事は、正しき事なのです。自然の中で生まれたモノは、自然の中で死んでいかなくてはならないのです。罷り間違っても、こんなモノに囲まれていてはいけないのです! 何故調べる必要があるのです! ただそこにあると言う事実を受け入れればいいだけの事! 人間が自然の生死に関わっていいはずがないのです! 確かに人類が発展して来たのは、先人達のそう言った知的好奇心があったからこそです。 しかし私にはこの花が人の手によって枯れてしまう事も、切り開こうとする事も許す事は出来ません! ……私にとってそれは殺しと同義です」
堰を切ったように吐き出される言葉には、花に対する愛情めいたものを感じさせた。しかしそれと同時に、流暢に捲し立てられる言葉と、怒りの感情を露わにしながらも崩れない表情は奇妙なアンバランスさも感じさせた。
「……不躾ながら言わせてもらいますと、何かを成すために動植物を犠牲にする事を殺しだ、なんて言える人類は、ほんの一握りです。人は研究のために殺すより先に、食べるために動植物を殺してるんです。それにも遥か昔から。動物の肉や野菜を食べた事のない人間なんて戦中に生まれ、戦中に死んでいった者だけです」
「ならば、そのためならどれだけ殺してもいいのですかっ?」
「まさか。掲げるだけの大義名分は免罪符にはなりません。大義名分を笠に、行為の意味も分からず行われるのであれば悪だと言えるでしょう。そこで貴方に尋ねます。この研究所にいる貴方の上司、同僚、部下でそう見えた人はいますか? 私はシルヴァーノ氏としか話していませんが、少なくとも彼は命に対し、確かな敬意を持っていました。そんな彼がチーフであるならば、命を冒涜する事などしないはずです」
「……私は……」
呻くように絞り出された彼の言葉は、合成音声の所内放送により遮られた。
『作業終了時刻となりました。日勤のアンドロイドは保管ポッドへ戻って下さい。担当従業員は警備アンドロイドの起動を行って下さい』
放送を聞いた彼は、はっとしたような表情を見せた。話に夢中で仕事を忘れていたのだろうか。
「……失礼。もう行かなくては。……1つ訪ねさせて下さい。もしその動物や植物が助けを求めたらどうしますか?」
振り返り歩き出そうとした彼が、セオにそう尋ねた。何を思って尋ねたのか、彼の背中からは何も読み取れなかった。
「意味のある質問とは思えませんが、あえて答えさせていただきましょう。状況によりけり、です。そんな状況になったとしても、その時自分がどう言った立場にいるのかで答なんていくらでもありますから」
「そう、ですか」
その答に大したリアクションも取らずに、彼は足早に歩き出した。
彼が見えなくなったのを確認すると、セオは盛大に溜め息を付いた。3人目の容疑者だ。シルヴァーノから花の仮説を聞いていなければ、彼の話を単なる無意味な〈もしも〉の話としか扱わなかっただろう。だが、彼はまるで本当に花から助けを求められたかのようだった。だが、あの花が声帯に近いものを持っているとは考えにくい。シルヴァーノの語った仮説の方がまだ現実的だったが、そんなものを人間が聞き取れるはずがないのだ。
しかし、もし彼が何らかの手段を用いて声を聞いたとすれば、彼にとってアーロンは花を閉じ込め殺そうとする者となる。中止を申し立てても受け入れられず、その末に殺害に至ったとしても不思議ではない—訳がない。考えてみて欲しい。もし手元に銃器があり、目の前で赤の他人が猛獣に襲われているとしたらどうするだろうか。まともな人間であれば躊躇無く猛獣を撃ち殺すだろう。それは猛獣を下の存在として見ているからこそ出来る事だ。もし、襲われている人物を簡単に見捨てられるなら価値観の狂った人間だ。先の研究員が花に絶対の価値を置いているのであれば、アーロンを殺害した事に納得がいく。しかし彼は違った。違うが、セオは彼が殺してもおかしくないとも考えていた。
つまり動くために必要な前提がはっきりとしないのだ。
「捜査対象が増えたな。ともかく一旦ホテルに戻ろう。フローネも交えて捜査会議だ」
*
『おもしろい植物に、おもしろい仮説ね。アウターの例もあるから、電波の類で遣り取りってのも強ち無理矢理な仮説でもないわね。ただそうなると実証が大変そうね。他にサンプルが無いから、おっかなびっくりやってるんでしょ?』
「みたいだな。で、フローネとしては、人間がそう言ったものを感知出来ると思うか?」
『インプラントチップが感知する可能性は十分あるわ。でも、そこまではっきりしたものが聞こえる可能性は低いわ。その植物が知能を有していたとしても、人間側が言語を理解出来ないと思うわ。昔、そう言う実験が行われた事があるけど、犬や猫みたいな人の言葉をある程度理解してる節が見られる動物の思考でさえ、それまでの研究から得られた動きなんかのデータを利用して漸く言語化したくらいなの。しかもそれでさえ精度の高いバウリンガルって評価しかされてないし』
「つまり聞き取る事は実質不可能だと考えた方がいいって事か」
溜め息を付き、セオは椅子の背凭れに寄り掛かった。軋む音がひどく耳障りだったのは、椅子からなのか自分の体からなのか分からなかったからだ。
『イオン。貴女は何か思い付かない?』
「……。研究員の顔、どこかで見た事があります」
「何?」
少し虚ろ気な顔をしていたセオが、撃ち出された弾丸のように身を乗り出す。予想外に食い付いた彼の様子に、イオンは少し驚いていた。思考の片隅にすら残っていなかったそれが、彼女の言葉により色を付け過激なアピールを始めた。
「イオン、それは確かか?」
「どこで見たかははっきりしませんけど、記憶にあります。」
『私にも説明が欲しいんだけど』
「研究員と会った時、どこかで見た顔だと思ったんだ。その時は他人の空似とすら考えなかった。だが、他人に対してほとんど関心の無いイオンが見た事あると言った。つまり、何度も目にした事で覚えたと言う事だ。つまり……何かしらの媒体で見たと言う事」
イオンはその性格からも分かるように、周囲の物事に対して興味関心がひどく希薄だ。だからセオは彼女に、テレビやネットや雑誌など、様々な媒体を見て興味を抱いた出来事を日毎に自分に教えるようにと言った。その中で同じ人や物を何度も目にする機会があるとすれば、それはテレビコマーシャルだ。彼女の生活リズムを把握しているセオは、彼女が夕飯時にしかテレビを見ていない事を知っており、そこからゴールデンタイムに放映出来る大手のCMだと当たりを付けた。さらに彼女の性格を考えると、そのCMは恐らく顔を強調するような構成になっているはずだ、とも考えた。ここまで絞れたなら、後はフロネシスの出番だ。
「フローネ、現在アルカディアで夕飯時に放映されてるCMで、顔を強調する構成のものがあるはずだ。探してみてくれ」
地球から光年距離のこの惑星に、地球のCM情報は当然無い。そのため、フロネシスはどこの惑星、どこの都市にも必ずある通信用PDを利用しアルカディアにある全放送局へのアクセスを行った。セオによる絞り込みが功を成し、条件に該当するCMはすぐに見つかった。
『たぶんこれね。流すわよ』
再生が始まると、すぐに1人の無表情な男性が映し出された。カメラが顔の全体が辛うじて見える距離まで接近すると、無表情だった男性が突然満面の笑みを浮かべた。目尻の下がった目に、口角の上がった口はいかにも嬉しげな表情だった。次いで眉間に皺を寄せ、目の吊り上がった怒りの表情。目尻と眉の下がった哀しみの表情。そして楽しげな表情。喜怒哀楽を分かりやすく見せていた。
「この男だ。間違いない。何の会社だ?」
『看護師や保育士みたいな、人とのコミュニケーションが必須の職業で使われる、アンドロイド用の人工皮膚の会社ね』
「注文したのは誰か分かるか?」
『今調べてみるわ。……一般家庭のアドレスが使われてるけど、そこの家庭から料金は支払われてないわね。だとすると、ここの配達会社に侵入してるはず』
都合の良い事に、ここでの配達業務は全てアンドロイドにより行われていた。本来であれば配達業務を行う事は出来ないのだが、何か例外的理由があったのだろう。
頻繁に、と言う訳ではないが引っ越しなどで住所が変更された時などのために、毎朝業務開始前にデータの更新が行われている。そしてそのデータを管理しているのはアイスィだ。更新時の接続でアンドロイドに侵入し地図データを改竄する事は容易な事だった。
フロネシスは配達会社のサーバーへと侵入し、アンドロイドの勤務ログを漁った。
『該当の住所への配達を行った個体を発見したわ。誰かの寝室に夜這いするなんて初めて。さあて、頭の中を覗かせてもらうけど、おねんねの邪魔はしないから安心なさい』
人間では突破不可能と言われる防御壁や迎撃プログラムを、彼女はいとも容易く流れるように躱していく。防御壁もプログラムも、自分が役目を果たしていない事にさえ気付かなかった。お目当ての当日の映像記録と移動記録をコピーし、すぐさま引き上げる。
『ほら、取れたてホヤホヤのお宝よ』
「……楽しそうだな」
『アンドロイドへの侵入なんてやった事なかったからよ。でも思った以上に簡単だったわ。じゃあ再生するわよ』
彼女の姿が消え、代わりに大きなウィンドウが開かれる。映し出された映像は、アンドロイドのカメラアイで撮られたものだ。倍速で流れていく映像の中に、市役所が現れる。荷物は受け付けのアンドロイドへと渡された。記録を調べれば誤配が起きた事にすぐ気付いただろう。しかし、アンドロイドや都市管理AIがミスをするはずがない、と言う確かな実績に裏付けされた信頼が確認を怠ったのだ。これを責めるのは酷な事だ。ミスとは無縁と言われ、それに見合う働きをしているのだ。そんな存在をどうして疑えようか。
『この日の配達物の中に市役所宛ての物はないわ。どうやらこれで確定みたいね。犯人はアイスィよ』
「まずいな……。急いで研究所に向かわなきゃならん」
『確かに確保は早いに越した事はないけど』
セオに促されたイオンが自室へコートを取りに走る。
「受け取った場所が市役所って事は、市役所にいるアンドロイドが被ってるって事だ。なら、終業時間を過ぎた時間に行動しても誰も分からない。シルヴァーノ氏が危ない」
『……その予感、的中したわよ。男がシルヴァーノを攫って車で逃走したって通報が入ったわ。しかも街中の防犯カメラが全部ダウンしてるわ。どうするの?』
「……警察民間問わず携帯と無線を傍受、ネット上の書き込みも確認してくれ。情報になるものがあるはずだ」
『分かったわ』
コートを手に取り、部屋から走り出る。部屋のすぐ手前にいたイオンはセオが走り出しているのを見るや否や、すぐさま走り出した。階段を駆け下りる。下から来る客に何の配慮もせず、全力で走る。2階に差し掛かったところで廊下へと出て、突き当たりの窓を目指す。外開きの窓を全開にし、飛び降りる。着地の衝撃を気にする素振りも見せずに車へ向かい、セオが運転席にイオンが助手席へとそれぞれ乗り込む。
『フローネ、場所の見当は付いたか?』
『OKよ。ナビするわ。それとアンドロイドの強制停止プログラムを手帳にインストールしておくから、確保の時に使って』
シルヴァーノを攫ったアンドロイドは隠れる気がないのか、信号無視による事故を多発させながら逃走していた。警察と救急への連絡を行っている携帯の位置を知る事が出来れば、少なくとも通った道は分かる。
大通りへと出ると、事故車両により渋滞が発生していた。状況を確認したセオは、迷う事無く反対車線へと移った。盛大なクラクションに歓迎される。回避の間に合わなかった車両と接触、ミラーが吹き飛ぶ。
『ヒュー、過激ね。次の交差点を右折よ』
アクセルのベタ踏みを緩める気配がないセオだが、高速で擦れ違う車に対し、肝は既に氷点下にまで冷え切っていた。それでもミスを起こさないのは、感情と体の動きを切り離しているからだ。彼がそれを学んだのは戦中だった。かつての戦友が敵となっているかもしれない状況でも、引き金を引かない訳にはいかなかった。だからセオは、自分の心でどれだけ叫んでも指先が鈍らないように、心と体を乖離させたのだ。
射線上の信号が赤になる直前の交差点が見え始めても最高速度を維持し続けるセオに、フロネシスが慌て始めた。
『ちょっと、このスピードで入る気?! 曲がり切れないわよ!』
交差点へ進入する数メートル手前でセオは一気にハンドルを切り、車体を横向きにした。しかしタイヤの無いフロートカーは摩擦による減速が起きない。ならばセオは何で摩擦を起こす気なのか。ハンドルの脇へと手を伸ばした彼はキーを捻り、反重力システムを停止させる。重力に従い車体は地面と接触し、慣性のまま火花を散らしながら進んでいく。交差点中央の直前でキーを捻り、システムを再始動。アクセルとブレーキを巧みに使い、向かい側の中央分離帯へ車体を擦らせながらも、ギリギリで転進を成功させる。
フロネシスは生まれて初めて呆けていた。一瞬だが、確実に出来てしまった意識の空白。A級AIにあるまじき失態の恥を隠すように、彼女はセオを責め立てた。
『バ、バカじゃないの?! 失敗したらどうするのよ?!』
「成功したんだから、ノープロブレムだ。それに奴さんを発見出来た。イオン、射撃準備だ。他には当てるなよ。しかし大通りしか使わないのは、どう言うつもりだ?」
「分かりました」
スーツの内側のホルスターに収めてあったリッチ・カーム社製〈SWH-9〉を取り出す。セル化されたエネルギーに指向性を持たせ射出する、一種の光学兵器だ。戦争の終盤に投入された、多くの敵と大地を焼き、終戦と共に遺棄された〈ウォーハンマー〉と言う衛星兵器を小型化したものだ。この銃は現在機構の殲滅課により運用されているが、元々は〈DOE—7〉と言う名称で国連軍での採用が目指されていた。戦争を連想させるもの、しかも元が所謂大量破壊兵器だったため、これを採用する事で市民が反感を抱かないよう新たな名前を付けたのだが、泥酔した社員により情報が漏洩。国連は疎か各国からも採用を見送られる。しかし忌み子とまで言われる原因となった由来は、機構と言う危険な集団を招き寄せた。犯罪者を震え上がらせるにそのエピソードは、とても都合のいいものだったのだ。機構は名称を〈SWH〉とし、その出生を隠す事なく見せ付けた。
「反対車線に入りやがった! 交通ルールはきちんと守れ。イオン、シャーシー狙えるか?」
高速且つ蛇行が何度も繰り返され、その上一般人の車と言う障害物が大量にある状況での精密射撃は全く容易な事ではない。しかも相手は反対車線におり、一般車の動きが想定しづらい。
「出来ます」
だが戦うために造られた彼女にとって、その状況は失敗要素とはなり得なかった。高速で視界を通り過ぎて行く車の間を、彼女ははっきりと認識していた。脳内麻薬分泌により全ての動きが緩慢になっていた。眼は感情を表さず、トリガーを引く指は感情を乗せず、一切の不安を抱かず、彼女は最適なタイミングでトリガーを引いた。拘束を解かれたエネルギーが銃身内にある加速器に従い、前方へと獲物を食い千切らんと放たれる。光弾は車体下部を抉る。反重力装置を破壊された車は地面へ落下し、火花を散らしながら歩道へと乗り上げ止まる。帰宅途中やこれから出掛ける人達が見せていた賑わいは、突然の事態に異質なものへ変わっていた。
後続の事を何も考えずに、セオは車を急停車させる。ドアを中央分離帯に激しくぶつけ、セオが走り出す。車が停止する直前に、アンドロイドが飛び出していたのを見たからだ。その上構内へと逃げ込む途中で若い男を拉致していた。
『お前はシルヴァーノ氏を警察が来るまで護衛。オレは駅の中に逃げたあいつを追う』
『分かりました』
呆然としている人々を押し退け、構内へ駆け込む。改札を飛び越える姿が見えた。逃がすか、と胸中で叫び走る。速度を落とさずに、人混みの中を一度もぶつからず縫うように走っていた。人には出来ない芸当だ。だからセオは、人を躱すのではなく人に自分を躱させた。疑似発砲音をONにしSWHを真上に撃つ。音に驚いた人々が発生源を見る。そして発生源が走って来る事にさらに驚き、蜘蛛の子を散らすように進路上から逃げる。人混みが割れていく様は、モーゼの十戒のようだった。割れた先で、今度は階段を駆け上がる姿を見る。後を追い駆け上がると、ドアの閉まったオートリニアに飛び乗っていた。SHWの銃口と出力を絞り、窓を撃つ。突然背後で鳴った異様な音に振り返った乗客が見たのは、飛び込んで来るセオだった。窓を突き破り通路を転がる中、周囲に目を走らせるがアンドロイドの姿は既になかった。座席にぶつかり、体が止まる。動きが止まると、意識していなかった疲労が一気に押し寄せて来た。イヤな味のする痰を飲み込み、走り出す。
『セオ、シルヴァーノを警察に引き渡しました。どうすればいいですか?』
『オレの位置は確認出来てるか?』
『出来ています』
『ならそれを追跡してくれ』
『分かりました』
貫通扉を潜った直後、無理矢理剥がされたロングシートがセオ目掛け、投げ付けられる。慌てて一歩下がり、引き戸を閉めてやり過ごす。ガラスに無数の罅が走り、ドアが歪む。開かなくなった事を一目で悟ったセオは、SWHでドアを吹き飛ばす。かなり距離が開いていた。走り、走り、走り、走る。先頭車両でアンドロイドは、男を左腕で抱え込み、右手に持つ鋭く捩じり切られた手摺りを首筋に押し付け、待ち構えていた。
「既に私の勝ちです。しかし人間は侮れない。窮地に陥った時こそ、人間は読めなくなる。だからこそ、貴方にはここで死んでもらいます」
人質の男は口が半開きになり、浅い呼吸を何度も繰り返していた。いつ叫び出してもおかしくない。
「……お前の目的は何だ? シルヴァーノ氏を攫って何をしようとしてたんだ? 〈イオン、今どこにいる?〉」
〈セオの真下にいます〉
「アーロン氏のように殺害するつもりだったのか? 〈視界同期出来るか?〉」
〈可能です。……同期完了しました〉
〈ちょっと、何する気? て言うか運転頼みますくらい言いなさい、イオン〉
〈頼みました〉
「アーロンさんの時も殺害が目的ではなかったのです。私はどうしても、彼に花の調査をして欲しくなかった」
〈そこから奴の右腕を撃ち抜け〉
〈ちょ、何無茶言ってるのよ!〉
〈分かりました〉
〈イオン?! 失敗したら人質に当たる可能性もあるのよ!〉
〈可能だと判断しました〉
「貴方には言ったはずです。その行為は殺す事に他ならない、と」
〈イオンの協力が必要なんだ〉
〈だからって……。ああ、もう! 位置は私が調節するから、合図はセオが出して!〉
〈分かった〉
しかしそれが一番の問題。イオンの攻撃は完全な死角から行われるため、外す事はあっても躱される事はない。だが続くセオの攻撃は、立て直され躱される可能性がある。アンドロイドは決して油断しない。もし隙が生じたならば、それは内的要因ではなく、優先すべき事柄の発生と言った外的要因によるものだ。無論、そんな来るか定かではないものを待っていられる訳がない。セオの表情は全く崩れていないが、自分が窮地だと言う事ははっきりと自覚していた。強引に事を起こせば、失敗の可能性はグンと上昇する。かと言って時間稼ぎがいつまでも出来る訳ではない。激しい動悸を感じながら、彼は思わず祈っていた。
「ただ……彼は、私の頼みを頑なに拒絶した。だから私は……彼を……この手で」
どこか虚ろ気に語るその姿は、まるでアーロン殺害を後悔しているようだった。表情のないはずの顔に、確かな感情を垣間見た。
彼の祈りは通じず、アンドロイドは内的要因により隙を生じさせる。千載一遇の、否、唯一無二の隙。
〈撃て!〉
彼はそれを逃すまいと、強く叫んだ。