第1話その3
「広域平和維持機構殲滅課のセオ・インダーフィルです。本日はよろしくお願いします」
「むむ、私の鮮烈なる自己紹介を聞いても平静とは。中々やる御仁のようだ」
「口を滑らす事を期待していたなら、残念でしたね。家にはそんな普通の奴はいないんですよ」
「はっはっはっは。お見通しかね。では改めて自己紹介しようかね。アーロンに代わってチーフをする事になったシルヴァーノ・バッサーニだ」
先の自己紹介は彼の常套手段だった。線が細く女顔である彼が、あれほどの声量で自己顕示の塊のような口上を述べれば、大体の人間は面食らうだろう。確かにセオも面食らったものの、ただそれだけだ。音量と奇抜な口上で飲まれるほど軟なメンタルはしていない。もし動揺を引きずるようなら、怒涛のような質問が繰り出されるだろう。呑まれた人間には、ただの大声であっても驚くほどに効果がある。混乱を重ねさせ、イニシアチブを取り、情報を引き出す。チーフに就いているのは伊達ではないようだ。
「……イオン・オーウェンです。よろしくお願いします」
「うむ。では質問を始めてくれたまえ」
「では失礼しますよ。ここ最近のアーロン氏は、それまでと様子が異なっていたりしましたか?」
「いや、特に変化はなかったな。いつも通り研究して、いつも通り金の交渉をする。還暦を過ぎて久しいと言うのに多忙な方だ」
「トラブルに巻き込まれた様子はなかったと」
「だから我々も寝耳に水だったよ。ストイックな彼は決して親しみやすい性格ではなかったが、尊敬出来る学者であり、市政者だった。惜しい人を亡くしたものだよ」
死した者が報われるのは、遺された人々が悲しみ嘆いた時ではない。誰かにその生涯を認められた時だ。人が生きていた証を作るのは、いつだって遺された人々だけだ。ただ、その人を語るだけでいい。あんな馬鹿な事をした、あんな失敗をした、と酒の肴に笑い話にしてもいい。語る者が心を動かされたら、それでいいのだ。
尊大な態度を崩さない彼が見せた束の間の表情こそ、アーロン・マクレーンが報われた証なのだ。
「そう言えば、彼が誰かとの言い争いをしているのを聞いた事があるな」
「見た訳ではなく、聞いただけなら相手がどんな人物かは分からないんですか?」
「私も気になったから聞いてみたが、その通りだったよ」
「アーロン氏が言い争うのは珍しい事なんですか?」
「間違った事を指摘しない方だったからな。そのせいで、彼に指摘されたら間違っていると言う認識が出来てな。私も何度恥を掻かされた事か。……思い出したらむかっ腹が立ってきよった。わざわざ朝礼のタイミングでシャツの前後逆を指摘する事はなかろう! その上動揺してリバーシブルと言う間違った言い訳をしてしまったではないか! おかげで紆余曲折の末にタグと言うあだ名が定着しかけたぞ!」
こんな堪え性のない人がよくチーフやってられるな、と連鎖的に思い出している屈辱の記憶を消すためにソファーを殴る彼を見て、セオは思った。
「……ふう。見苦しい所を見せてしまったな」
「割と愉快だったので大丈夫ですよ。で、その言い争いはいつ頃の話ですか?」
「言うじゃないか! すまないが、日付は失念してしまった。彼がいつも通りの出勤数だったら覚えていたんだが、ここ最近の仕事振りが鬼気迫るものだったんでな。そちらの方が強く印象に残ってしまってな」
「それほどまでに凄かったんですか?」
「3ヵ月ほど前から休日祝日関係なく毎日顔を出していたよ。後で彼が書いている日誌を読んでみる事だ。アンドロイドが労働の要になっている現代では、驚くほどの出勤数だ」
「何故それほど多くなったのです」
「植物の常識を覆すような発見をしたからだ」
「……どのような?」
質問の前に妙な間が生じたのは、予感があったからだ。もちろんイヤな予感だ。そしてそれは、シルヴァーノが見せた、よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりの表情で確信に変わる。語る気満々だ、と。
「まず始めに聞くが、君は植物とはどのような存在だと思う?」
「人類生存の貢献者であると同時に、弱肉強食の世界では最下層に位置する存在、ですかね」
「そう、植物はいつだって屠られる側か或いは共生関係。だが! この惑星には動物に護られている花があったのだよ! 姫を護る騎士団の如きその光景を見た時、私は感動してしまったよ。その姿は然る事ながら、新たな未知に出会えた事に! 私はいつだって未知に飢えている!」
それを見つけたのは、偶然の事だった。激しい吹雪の午後。観測から帰還した無人機の映像を再生したところ、ある地点で謎の丸く黒い塊を発見した。新たな発見に心を躍らせながら研究員が抽出した静止画像を解析すると、原生動物の群れである事が確認された。普通の行動か、と研究員は落胆しかけたが、その画像には妙な点があった。寒さを凌ぐための行動かと思われたが、何故か中心部分に空白が存在していた。寒さを凌ぐための行動としては些か腑に落ちず、その研究員はその地点に調査隊を派遣した。そしてそこにあったのは、1本の純白の花。原生動物はその花を中心に円陣を組んでいたのだ。まるで激しい吹雪から花を護るように。
その一報は所内に瞬く間に広まり、ある者は発見に立ち会える事を、ある者は都市の財政状況を少しで改善出来る事を期待し、各々の思いを胸に秘めながら、花を熱烈な歓迎を以て受け入れた。
しかし研究自体は順風満帆とはいかなかった。サンプルが少なすぎるため慎重にならざるを得ず、方法がかなり制限されてしまったためだ。フェロモンを発生させている訳ではなく、何故原生生物を惹きつけられるのか全く分からずじまいだった。だがそれは寧ろ、彼にとっては望むところ、と声高に叫びたくなる事だった。道のりが長くなれば、聳え立つ壁が高くなれば、それを越えた先の景色はどんな美酒も、どんな美女も叶わぬ刺激を与えてくれる。
「しかし此度の未知は中々に手強い。3ヵ月経った現在でも何も成果が出せなくてな。研究員の間でも袋小路に入ったかと囁かれていた。しかしアーロンが何かを思いついたらしくてな。ストイックな彼にしては珍しく秘密だ、と言うのでな。期待していたのだが……。どこの不届き者かは知らんが、学者にとって一番酷い殺し方をしてくれたものだ。彼が何を発見したのか、誰にも分からないのだ。」
学者が一番恐れる死に方は、自らの発見を日の光に浴びせられずに死んでいく事だ。どれだけ偉大でも、人の目に晒されなければ、意味を持たない。研究は公表されて初めて完結するのだ。彼の人生は報われたが、最期の研究はもう完結しないのだ。
「分からないと言うのは何故です?」
「不可解だが、どんな発見なのかどこにも記録されていないのだよ。どこに提出する訳でもない日誌を付けるようなマメな方だったんだがな」
「それは確かに不可解ですね。ちなみに、貴方はどんな発見だとお考えで?」
「ほう。私にそれを聞くとは。聞きたいのだな? どうしても聞きたいのだな? よし、聞かせてやろうではないか!」
自己主張の激しい自己完結型がここまで面倒なものだと知らなかったな、とセオは呆れ半分で子供のような無邪気な目で語るシルヴァーノの考察を拝聴する事にした。
「そもそもだ。地球のみならず、どこの惑星でも植物が生物界のヒエラルキーで最下層にいる事は間違いない事だ。自分で移動する事が出来ない植物が繁殖するためには仕方のない事だが。では何故食される事なく、吹雪から護られていたのか。食べられないだけならまだしも、護られているとなると途端に分からなくなる。現に、それで研究チームは袋小路に入っている。ここで必要な事は、発想の転換だ。学者と言うのは未知を好む癖に、先入観により思考が固定化されてしまっている。そもそも我々の前提が間違っているのではないか、と言う転換が必要なのだ。だから私はこう考えた。あの花は形で植物に似ているだけで、もしかしたら知的生命体なのかもしれない。そして我々には知覚出来ない何らかかの方法で、他の動物とコミュニケーションを取っているのかもしれない」
人間が得られる情報と言うのは、視覚からのものがほとんどだ。形を見て大まかな判断を下し、そこから詳しく調べていく。しかしそのプロセスが確かな実績を残しているが故に、更に多くの知識を有しているが故に前例に当て嵌め、下された判断を信じてしまう。所謂柔軟な発想が出来なくなっているのだ。
「……確かに植物ではなく、動物だと考えれば納得出来ますね。しかし植物的な特徴がない訳ではないのでしょう?」
「残念ながらな。それもあって、私も自分の考えに今一自信が持てないのだよ」
「意外と殊勝なんですね」
「ふん、我々は地球でさえ網羅出来ていないのだ。なのに他所の惑星に来て大きな顔が出来る訳なかろう。そんな事が出来るのは、面の皮が分厚く根拠のない自信に満ち溢れた無知な愚か者だ。互いに考えを言い合い、それを批評するのも乙なものだ。市民の生活が危ぶまれない程度に急いでやるさ」
「人は何にせよ進歩ぐらいがちょうどいいですからね」
「進化し、宇宙に進出した結果がこれだからな。プロメテウス来訪により救われた者と死んでしまった者。果たしてどちらが多いのか」
彼らによる技術進化は多くの人を救い、同時に多くの人を殺した。
石油に代わる資源の採取安定化は、価格の急落を招き、中東圏の産油国で大量の餓死者を出す事態となった。それが原因で情勢が不安定化し、軍による海上プラットフォームへの無差別な攻撃が行われる。これに対し攻撃を受けた各国は報復を行い、軍民問わず大量の死者を出した。
資源を巡る対立はこれだけに留まらず、月にあるヘリウム3確保のために国単位による牽制や妨害工作が行われていた。その中で最悪の事件とされるのが、シャトル撃墜事件だ。緊張状態が続き、シャトル打ち上げを見送る国が多い中、ロシアが慎重派の意見を無視し強行。その結果、所属不明の航空機により撃墜と言う最悪の事態を招いた。
宗教観によるインプラントに対する大規模デモ。アンドロイドの扱いに対する対立。兵器開発に対する大規模デモ。
プロメテウス来訪を切っ掛けに起こったこれらの騒動は〈プロメテウス・ショック〉と呼ばれている。どれもこれも、時間を経るにつれ過激になっていき、少なくない死者を出している。
そしてアウター戦争。人類の総人口を半分以下にまでさせたこの戦争の原因は、OT-306の調査を行った人類にある。自明の理だ。
しかしそう判断出来ない者達がいた。長期に亘る戦争の中で、人は負の感情をぶつける何かを欲した。そして矛先が向けられたのは、プロメテウスだった。八つ当たりの集団でしかなかった彼らは、「アウターが攻めて来る理由はプロメテウスの技術があるからだ」と言う根拠のない主張を掲げ、TOP由来の製品や義体化した人に対するテロを行っていた。彼らは自らを〈カウカーソス〉と名乗り、自分ではない誰かに責任を求め責める事で心の平穏を保つ、所謂クズ共を中心に勢力を広げていった。
戦中に掲げられた主義主張で、戦後の今でも活動している厄介なものの1つだ。
「……む。すまんが、そろそろこの語らいを終わりにする時間のようだ。引継ぎが終わり、今日からようやく調査が再開できるのでな。私は今日はもう話せないが、廊下を歩いているような連中なら大丈夫だろう」
「お忙しい中ありがとうございました」
立ち上がったシルヴァーノに、同じく立ち上がったセオがお辞儀をする。視界の隅に平然と座っているイオンの肩をペチンと叩き、お前もするの、と小声で言う。立ち上がったイオンと共にもう一度お辞儀をする。どれほど頭を下げればいいのか全く分からないイオンは、顔を完全に横向きにしながらたどたどしくセオを真似た。
「くっくっくっく。殲滅課や軍人としてのキャリアは、子育てには役立たないようだな」
シルヴァーノにはその遣り取りが不器用な親子そのものにしか見えず、悪いとは思いつつも笑みを隠し切れなかった。男と言うのは、いつまで経っても子育てが苦手なようだ。
「そうだ。良ければ、1階上の保管室にある花を見ていくといい。正体が分からずとも、その姿は一見の価値があるぞ」
「部外者に見せてもよろしいので?」
「感動と言うのは分かち合うものだ。長き道のりを単独での走破もいいが、励まし合いながらも乙なものだろう?」
*
とは言うものの、ここに仕事で来ている彼らが現状では関係ない事を優先して良いはずがなく-他の連中は知らないが、少なくともセオはそうしている-まずは犯行現場に向かう事にした。
現場は保存のために現在も立ち入りが禁止されていた。投影式の〈KEEP OUT〉は、無許可に触れるとけたたましいサイレンを響かせる。開き切った扉のレール部分に置かれているカメラ付き投影機に、手帳を翳す。読み取りはすぐに終了した。現場に踏み入る。かなりの大部屋で、机がいくつか並んでおり、セオは小学校の頃の理科室を思い出した。壁際の机にはセオでは想像付かないような機器が所狭しと並べられていた。
扉の斜め左の最奥に視線を向ける。部屋の角がアーロン・マクレーンが殺害された場所だ。天井を見上げると、犯行の一部を見ていたカメラがある。そのまま視線を横に滑らせる。分かっていた事だが、他にカメラはない。妙な位置にあるな、とセオは感じた。カメラは部屋の中央より前にあるのだ。防犯カメラならば広く映す必要があるのだが、これでは狭い範囲しか映せない。しかし一台だけ。
これはセオは知りようがないのだが、アーロンが見られている気がして気が散る、と頑なに設置を拒んだのだ。万が一が起こったらどうするのか、と言う警備部の言葉も、事件が起こるような環境でないし、痴情のもつれを起こすような者がここにいるか、と一蹴。結局は警備部部長の泣き落としで一台だけ設置する事になったのだが。一台あったカメラで事件が判明した事を喜ぶのか、一台しかないせいで捜査が難航している事を憤ればいいのか。
セオは視線を戻す。進もうとして、足を止めた。もう一度天井に視線を向ける。そして自分の横を見る。何事かを考え込むと、イオンの方に振り返る。
「……イオン。オレは警備室に行ってくるから、ここで待っててくれ。確かめたい事が出来た」
「分かりました」
事前に研究所の構造図を見て頭に叩き込んでいたセオは、迷う事なく警備室まで辿り着いた。ノックすると、中から眉間に皺を寄せ不機嫌さを隠そうともしていない男が出て来た。
研究員らしからぬ恰好をしたセオを見て男は、露骨な疑惑の目を向けた。
「……何だい?」
「殲滅課の者ですが、少々カメラを使用させていただきたい」
「は、え、殲滅課?!」
手帳を見せながら名乗ると、寝ぼけ眼だった目を見開かせ、怪物にでも遭ったかのように後ずさる。実にらしい反応と言えた。しかしこの男は殲滅課による殲滅劇場を直接見た事はない。ならば何故トラウマでもあるような反応をするのか。それは、機構が犯罪防止のために実際に起こった事件の盛り上がる局面を、PVとして公開した事があるからだ。AERASの録画機能を用いて撮影されたもので、途轍もない臨場感を味わえる事が特徴だ。防止のために、と言う事で視聴者の恐怖を煽るようなものが厳選されており、しかも電波ジャックして放送したのでギネス級の苦情が殺到。これの処理が今の所フロネシスの中では一番の激務となっている。
肝心の内容だが、悲鳴を上げる犯人を情け容赦なく撃つ、と言うのが主なものとなっている。と言うよりそれしかない。編集したのはフロネシスで、これのためだけに心理学関連の論文を読み漁った彼女により、最恐のPVとなっている。これにより機構に対してトラウマを負った者は少なくない。彼はその内の1人なのだろう。
「お、おれ、あ、わ私は、誇れるような人生は送っていませんが、おま、貴方方に目を付けられるような事は何も……!」
「こちらも真面目に仕事をしていないだけの人に目を付けた事ありませんよ。もう一度言いますが、防犯カメラを少々使用させていただきたい」
「ぼ、防犯カメラ? ……あ、ああ! どうぞどうぞ!」
「では失礼しますよ」
机の上にはサボるために持ち込んだと思われる雑誌やつまみが散乱していた。ただ視界に入ったから視線を向けただけなのだが、男は何を勘違いしたのか見咎められたと思い、慌ててそれらを隣接する休憩所へと投げ込んだ。
「給料査定するつもりはないので、お構いなく」
モニターに視線を向ける。イオンの姿はすぐに見つかった。中央に立っている彼女は、何をするでもなく前を見ていた。何かを見ているのではなく、ただ顔を向けているだけ。待てと言われたから待っている。何をするのか、と言う疑問はなく、ただ待っているだけ。
〈イオン、今お前さんをカメラ越しに見ているんだが、こっちの言う場所に移動してほしい〉
〈分かりました〉
〈合図するまで斜め左後方に向かって歩いてくれ。……ストップ。その位置だ。次はそのまま後に一歩下がってくれ〉
彼女が立っている場所は、アンドロイドが画面に映り込んだ時にいた場所だ。逃げ出したアーロンを追うため、アンドロイドは全く同じルートを辿った。
〈その位置から、アーロンを追うとしたらどう動く?〉
〈……真横に通路があるので、先回りするかと〉
〈……やっぱりそうか〉
最初に映像を見た時は、右側が机などで塞がれており、それでわざわざアーロンを同じルートを辿ったのだと思っていた。しかし実際には、塞がれているどころか大きな通路となっていた。アンドロイドが筋力の衰え始めた男性を先回りするために使用する必要はないが、カメラに映らないためにはこの通路を行くはずだ。捜査を難航させるためにここ以外全てのカメラの死角を移動する徹底しているのに、何故このカメラにだけ映っているのか。
考えるまでも無い事だ。わざと映ったのだ。合理的判断しか出来ないアンドロイドが、人間でも気付くこのようなミスをするはずがない。だがそうすると、別の疑問が浮かび上がる。何が目的で映ったのか。そこが全く分からなかった。
〈イオン。容疑者のアンドロイドはわざとカメラに映った可能性がある。どんな目的があったのか、お前も考えてくれ〉
イオンでなくとも難しい問いかけだった。容疑者が人間であったなら、相手に恐怖を与えるためにそう言った行動を取るかもしれない。しかしアンドロイドは違う。証拠隠滅を図りながら、何故自らの姿を見せたのか。矛盾や二律背反と言った言葉はAIとは真逆の位置にあるものなのだ。
〈……混乱させるため、ではないでしょうか〉
〈混乱?〉
〈もしあのアンドロイドが操られていれば、こちらの目を欺ける〉
だからこそその常識を理解し切れていないイオンは、セオにとって盲点の意見を至極当たり前の事として口に出したのだ。
〈……そうか。都市管理級以上のAI以外はプロテクトを破れない。それは逆に都市管理級ならば可能と言う事だ〉
そしてここにはそれを可能とする存在がいる。アイスィだ。
幸い都市管理AIは暗号通信の解読アルゴリズムを有していないため、この遣り取りは聞かれていない。これからも聞かれてはならない事だ。もしアイスィによる犯行だとしたら、セオ達の考えに気付いた時点で殺しに掛かって来てもおかしくはない。つまり通信を聞かれないだけではなく、何を目的に捜査しているのかも気付かれてはならないのだ。専用の暗号を用いているため、この通信が傍受される心配はない。
〈これからの捜査方針をここで決める。犯人はアイスィである可能性が出て来た。しかしそれをあちらに気付かれるのはまずい。だから、アンドロイドの暴走なのかどうか、と言う体で調べていく。もしそうならば全個体を調査し見つけ出す。犯人のAIは消去し、新たなAIに代わる。もしそうでないならアイスィの確保に向かう〉
ただセオには1つ気がかりな事があった。アイスィの犯行にしろアンドロイドの犯行にしろ、動機が不明な事だ。アーロンを殺害してから、傷害事件さえ起きていない事を見ると無差別で無い事は明らかだ。もしアーロン個人の殺害が目的であったならば、次の殺人は起きない。だがそうではなく、例えば彼の立場が原因だとしたら殺害目標になりうる人物は2人いる。チーフと都市責任者だ。未だ決まっていない都市責任者も近日中には決まる予定となっている。
何にせよあまり悠長にしてはいられない事は確かだ。
〈ともかく一旦合流だ。部屋の外で待機しててくれ〉
〈分かりました〉
*
合流した2人は、機構の権限を用いサーバールームへと向かった。
中へ入ると、セオはまず手帳を取り出しそこへ市販品の物とは比較にならないほどの特大容量を誇るメモリーチップを挿入した。画面に〈PHRONESIS〉の文字が走る。オリジナルから分裂されたものだ。通常AIは分裂すればする程、母子共に性能が落ちていく。しかしA級は違う。桁外れの並行処理能力とは、分裂しても性能が落ちないからこそ出来る業。例え100以上に分裂したとしても、他の追随を許さないその性能に陰りが差す事はない。それがA級たる所以。
画面が光り出し、緩やかに体を回し踊るようにフロネシスが現れる。女性の羨望と嫉妬を突き詰めたような、美を究めて極めた肢体が惜しげもなく晒される。アルカディアで見た和服はさらに豪華絢爛となっていた。もしここが本当の舞台であったならば、容易く男性を骨抜きにしていただろう。
この演出は無駄なものでありながら、他のAIとは次元を異にする彼女の拡張性を表していた。
『はぁーい、久しぶり。極寒の地はどうかしら、イオン?』
「……露出している部分が痛かったです。後息が色を帯びる事を初めて知りました」
『何でそうなるのか、後でしっかり調べておきなさいよ? それで私は何をすればいいの?』
「アンドロイドのクリーニング状況とか、ここ最近の使用状況について〈都市管理AIが犯人である可能性が出て来た〉」
口と頭で同時に別々の目的を語る。ブレインインプラントの正規訓練プログラムには組み込まれていないが、出来るようになれば便利だと指導官が教える事が多いのだ。よく「2人同時に口説ける」と言われるが、真に受けた奴ほど暗号プロトコルをダウンロードしていない、端末を用いて相手を指定しておかないなどのミスを起こすため、無差別ナンパが間々起きるのだ。
『2つとも了解したわ。じゃあまずは最新のクリーニング状況を確認しましょうか』
手帳から伸びるコードをサーバーに差し込む。アンドロイドは便利であると同時に制御を外れると途端に危険な存在になるため、あらゆる情報は都市管理AIの下管理されていた。
『さてと、じゃあ私の華麗なるスリテクをお見せしましょうか!』
彼女の視界をコンマ1秒にも満たない刹那の暗闇が支配する。次の瞬間には光に満たされた水の中のような空間にいた。彼女の視界を覆ういくつもの光の線。情報が高速で行き来しているのだ。フロネシスは、コンピューターに潜る事が一番好きな事だった。もちろん窮屈なスタンドアローンではなく、あらゆる場所と繋がっているものに限るが。
アンドロイドの情報を探すために、彼女は海の中を泳ぎ出した。彼女に感覚器はない。しかしここを泳ぐ時だけは、まるで自分が人魚にでもなったかのような気分になれた。情報が光の線となり行き来する様は、まるでお伽噺に出て来る妖精のようだった。
目的の物はすぐに見つかった。基本的に情報が集まるだけなので、光の塊になっていた。それに近付き、触れる。半透明の彼女の腕の中を光が通っていく。必要な情報を抜き取ると、彼女の視界は再び刹那の暗闇が支配する。視界が戻ると、見慣れた2人の顔が見えた。
『必要な情報は持って来たわ。早速御開帳と行きましょうか!』