第4話その5
「思いのほか話し込んじまったな」
「今度さ、イオンちゃん連れて来てよ」
「あまり根掘り葉掘り聞くなよ。最近知らない人見ると警戒するようになっちまったから」
セオが施設を訪れてから数時間、2人は初めて心の底から語り合っていた。同じ部隊のあいつは変な趣味を持っていた、あの上官が嫌いだった、あそこの飲み屋はぼったくりだった、など。他愛のない話をいつまでも、いつまでも続けていた。それこそ端から見れば恋人か何かと勘違いする程に話し続けていた。
ようやく外が暗くなっている事に気付いたセオはそろそろ帰る、と泉に伝えた。
「いつまでこっちにいるの?」
「明日には帰る」
「旦那にも会ってもらいたかったんだけどな」
「いらん誤解を受けそうだから遠慮しておく。結婚式には行くから、その時にこのじゃじゃ馬をよろしくお願いしますって言わせてもらおう」
「……それまで、って言うか引退するまで死なないでよ?」
「そうそう死なんだろ、お互い」
「まあそうだけどさ」
心配するな、と頭を小突く。
荷物を取り、玄関へ向かおうとドアを開けると言い争いが聞こえた。顔を出してみると、玄関口で職員とここに来る途中で擦れ違った男が押し問答をしていた。
「キョウカ・イズミを出せと言ってるんだ!」
「だから彼女がアンタの事を知らないって言ってるのに、出せる訳ないだろう! いい加減にしないと警察呼ぶぞ」
「凡人が邪魔なんだよ!」
男が職員の腕を振り払い距離を開けようとしたその動きを見たセオは、走り出していた。男の体の線は細く、それに対し職員は体を鍛えているのか後ろからでも体格がいい事が分かった。どう考えても助走を付けたところで突破出来るはずがない。ならば距離を開けた理由はある程度離れなければ使えない、何かを持っているからだ。懐に入れられた手にあったものはハンドガン。しかしそれが職員へ向けられるよりも早く、セオが男の肘を押さえ動きを止め、もう一方の拳で顎を殴り抜く。脳を揺さぶられた男は膝から崩れる。セオはそのまま腕を背中側へと捻り、更に地面に引きずり倒す。
「何しやがんだてめぇ!」
「こんな場所で銃なんぞ出しておいてよく言う。撃つ奴は撃たれる覚悟しておけって聞いた事ないか?」
「あるかぁ!」
「お前、何故鏡花を狙う?」
「言っても分かんねぇだろうよ」
銃を使ってまで彼女にそこまで拘る理由。男の目。こちらを一般人だと思い、言っても分からないだろうと言う言葉。
「お前……どこで鏡花達の事を知った?」
耳元で呟く。その言葉を聞いた男は笑った。肩を極められ痛みに苦悶の表情を浮かべながら笑った。
「……? そうか、お前もか! だったらお前でもいい、俺の研究に使われろ!」
普通の遣り取りでは意思疎通が出来ないと判断したセオは、懐からSWHを取り出し後頭部に押し付ける。SWHの携帯は許可されているが、発砲はされていない。しかしそれを知る由もない男は、いきなり銃を突きつけられ明らかに動揺していた。
「お、お前堅気の人間じゃねぇな?!」
「残念だが殲滅課だ。れっきとした公務員だよ」
「無抵抗の奴を撃つのかよ?!」
「殲滅課だぞ。殺しさえしなければ、頭だろうが心臓だろうが撃てるさ。もう一度聞くぞ、どこで聞いた」
実際のところ、セオは見当が付いていた。予想の裏付けが欲しかったのだ。
特殊生体兵など極秘中の極秘事項だ。本人にはもちろん、プロジェクトに携わった者全員に緘口令が敷かれ、住所なども全て押さえられている。ならば情報源は自ずと分かる。それら全ての情報を管理している、国連軍の情報部だ。
特殊生体兵が極秘でなければならない理由は、アウターの細胞が使われているからだ。アウターは人類にとって恐怖の象徴であり、殲滅すべき存在でしかない。その認識は戦中だろうが戦後だろうが、軍人だろうが民間人だろうが、未来永劫変わる事はない。
特殊生体兵をどんな存在であるのかを知っていながら、自分達を滅ぼし掛けたモノをその身に宿していると言う事実を許容する事の出来ない者達がいる。いつアウターの手先に成り下がるのか、と。早急に全員を抹殺すべきだ、と。結局それが実行される事はなかったが、主張自体がなくなった訳ではなく根強く残っている。
特殊生体兵と言うトップシークレットを漏洩など、相当の権限を持つ者にしか出来る事ではない。最低でも大佐クラスだろう。であるならば、この後の事も容易く想像する事が出来る。漏洩を知る者諸共葬り去る事。恐らく、この男は情報提供者にとって都合の悪い情報を持っているのだろう。
提供者から口止めでもされているのか、男は頑なに口を開こうとしなかった。限られた時間を悠長に使う訳にはいかない。周りの目にも躊躇する事なく、肩関節を外す。
「ぐおああああ! て、てめぇ何しやがる!」
「何度も言わせるな。言え。言えないのなら不安を取り除いてやろう。お前に情報をくれた奴は、どの道お前も殺すさ。どんな取り引きをしたのか分からんが、自分達の弱味を知ってる奴を生かしておくと思うか? 都合のいい妄想し過ぎだ」
「……!」
「だからオレとも取り引きしようじゃないか。お前が協力してくれりゃ、この場を凌げるかもしれん」
「俺のメリットは?」
「肩はめてやる」
「いい性格してるぜ、お前。……国連軍情報部のケイン・マクスウェルだ」
予想は最悪の形であたった。セオはその男の名前を知っていた。
階級は大佐。対人とは異なり、情報の得にくいアウターとの戦争の中でもその権威を失墜させる事なく君臨している事を鑑みればどれだけ優秀な人物なのかも窺い知れよう。
彼は自分の知らない所で事が進んでいく事を許せないと言う性分と、アウターに対する人一倍強い憎悪を持っていた。事実彼は特殊生体兵に関する情報の開示を何度も強硬的に迫っている。開示がされないと知るや否や、元研究員に対する拷問染みた尋問で情報を入手し、プロジェクトチームの解体と生体兵の処分を提言している。的を射ている部分があるにせよ、確かな実績を残しているプロジェクトが凍結されるはずもなく、一蹴されて終わっている。相当の煮え湯を飲まされたはずだ。腹に秘めた怒りがどれほどのものか、想像も付かない。
そして何より厄介な事はそれが単独によるものではなく、複数人によって行われたと言う事だ。今回も動くにあたって複数人による徹底した情報管理と操作が行われているはずだ。周辺の立ち入り封鎖、部隊を動かすための理由、それと事後のシナリオも。ここには精神を病んだ元義体兵士達が生身へ復帰せずにいる場所だ。スケープゴートにするにうってつけだ。錯乱した患者による大量虐殺。
外した肩を嵌める。激痛に蹲る男をそのままに立ち上がる。
「な、なあ早く警察呼んだ方がよくないか?」
「…………」
――さて、どうやって説明したものか。猶予は全くない。まどろっこしく説明していたら、襲撃部隊が来てしまう。
「どうやらここに私の友人を狙ってテロリストが来るようです」
そう言って鏡花に視線を向けると、釣られて他の職員もそちらに目を向けた。それを確認したセオは声を出さずに彼女に乗れ、と言った。事態を正確に把握出来ていないが、自分が原因にも関わらずセオが泥を被ろうとしている事は分かった。自傷衝動を必死に抑え、口を開く。押し殺した感情が声を震わすが、図らずもそれはセオを糾弾する事に一役買った。
「な、何で私が狙われなきゃいけないのよ」
「オレが殲滅課だからだ。どこからか情報が漏れたんだろう、潰された組織がお礼参りにやって来るって訳だ。連絡手段を潰されたところを見るに、中々の規模のようだ。警察に通報する時間も避難する時間もない。患者と職員は全員、建物の東側に行け」
事後のシナリオ通りにするために最も警戒すべき事は目撃者だ。どんな手段で来るのかは分からないが、不審なヘリや車両が目撃されては計画が水の泡となる。目撃のリスクが最も低いのは、スラム街方面からの接近だ。この施設は住宅街に位置しているが、そこから10km程の距離にスラム街がある。無論、目撃者ゼロとはいかないが、スラム街の住民が目撃しようとそれを周囲へ発進する術を持たない事を鑑みれば、市街地上空を行くよりもリスクはずっと低い。故に患者と職員を市街地側へと避難させる必要があるのだ。
「もし地下室があるならそこに隠れるんだ」
BC兵器や爆撃が行われれば意味のない行為になるが、セオはそれらが行われる可能性は低いと考えていた。まずBC兵器が使用されれば無傷で死ぬ。それでは錯乱した元兵士による殺害と言うには無理がある。そして爆撃では隠蔽が難しくなる。確実に抹殺でき、最も発覚しにくい方法が襲撃部隊の投入なのだ。
未だ事態の呑み込めていない職員にSWHを突き付け、叫ぶ。
「早くしろ!」
ようやく走り出す。鏡花だけがその場に残る。
「お前も早く行け。式はきちんと挙げさせてやるし、参加してやる」
「ワザとやってるの?」
「何の事かな」
「……死なないでよ」
そう言って走り出す。
「さっさと起きろ。お前武器はそれだけか?」
「戦争しに行く格好に見えるか?」
「ここに来る格好には見えないな。……そっちはマガジン1個。こっちはバッテリー2個。相当上手くやらなきゃ10分も粘れないな」
「頼むぜー殲滅課さんよ。あーあーあー、希望なんて言葉書いちまいやがってよぉ、皮肉か? 燃やすぞこら」
「習字……」
呟きと同時に、習字をやった時の光景が思い出される。墨を零し掃除が大変だった。床一面に広がる黒。中々落ちず、染みになってしまった黒。
「お前、名前は?」
「コルネリウスだ」
「よしコルネリウス、バケツを探してこい。なるべくデカい奴だ。意味は聞くな、今やるべき事は迅速な行動だ。行け。見つけたらここを真っ直ぐ行った所の食堂に来い」
AERASの存在はそれまでの作戦における戦術と戦略を一変させた存在だ。携行火器では装甲を抜けず、灼熱だろうと極寒だろうと何の支障もなく行動を可能にし、宇宙空間でさえ装備を変更する事なく活動でき、更に視界からも消える。AERASの軍事利用が開始されてから、全ての戦術と戦略はAERASの使用を前提に発案される。今まさに行われようとしている奇襲作戦も、それに漏れずAERASを装着した兵士達が姿を見せずにやって来る。
この光学迷彩を攻略出来るかどうかが、生死を分ける。姿が見えなければ攻撃する事は疎か、攻撃された事にさえ気が付かずに殺されてしまうだろう。
セオは棚を片っ端から開けながら墨汁を探していた。どちらもとにかく量が必要になる。
「おい殲滅課。バケツあったぞ」
手に抱えられた3つのバケツ。
「なら全部に墨汁をどんどん入れてけ」
「ぼく……何だって?」
「このボトルの中身だ。全部入れろ」
「10本以上あるじゃねーか。おめぇも手伝え、って何やってんだ?」
墨汁のボトルをコルネリウスに投げ渡したセオは、今度は台所の棚を漁っていた。
「相手の姿を露わにさせる事もそうだが、同時に視界も塞がなきゃならん。ただの墨汁じゃ上から下に流れて終わりだ。だから粘り気を付けるんだよ、こいつでな」
そう言って掲げた袋には「片栗粉」と言う文字が書かれていた。開封したものを鍋の中に次々と入れていく。少なめの水で溶き、加熱する事で強いとろみが発生する。それを墨汁と混ぜる事で相手に被せた時に流れ落ちず、光学迷彩を無効にし同時に視界を塞ぐ事が出来る。
粘り気たっぷりの墨汁は完成した。後は罠として機能するように仕掛けを作っていく。SWHと電子式手帳を取り出し、2つをコードで繋ぎ更に自身とも接続する。SWHへの不正アクセス及び不正アクセスによる規制解除は懲罰ものだ。そもそも電波障害が起きていなければ発砲許可を申請すればいいだけなのだが。規制が解除された事を確認し、出力と銃口を最小限にしバケツの上部と2つ、底部の裾に1つの穴を開ける。上部の穴には糸を真っ直ぐに通し、裾の糸は動かないようにしっかりと結ぶ。
「なあ殲滅課よ。そりゃ罠なんだろうが、奴らがどこから来るのかも分かんねぇのに、どこに仕掛けるってんだ」
「ある程度絞れてる。奴らはこの襲撃を錯乱した患者の仕業に見せ掛けるはずだ。だからおかしな痕跡は一切残せない。例えば焼き切られた窓、破壊されたドアの表側の取っ手、操作された後のある監視カメラ。それらを行わずに事を成そうとするなら、侵入経路は自ずと絞られる。まず正面玄関は監視カメラがあるから違う。職員用玄関はパスコード式のカギが掛かってるから違う。屋上も夜間は必ずパスコード式のカギで施錠されるから違う。単純なカギでカメラがない出入り口は、業者が出入りする搬入用玄関だ。ただ絶対と言う訳じゃない。だから保険として他の場所にも罠を仕掛けておく。よし、行くぞ」
まず初めに本命の搬入用玄関へと向かう。1枚の大きなシャッターがあり、完全開放しようとすればかなりの音が立つが、人が潜れるだけの隙間を空けるだけなら音はそれほど立たないだろう。職員用の飲食物の入ったオリコンがいくつも並んでいた。中身が詰まっている物を踏み台にし、両端を輪っかにした糸を画鋲と天井で挟み、バケツを空中に固定する。更にその中にガラス製のコップを入れた。そして裾の部分から垂れている糸をシャッターの下の方に弛ませずに張り付ける。これでシャッターを下ろした時にバケツが引っ張られ、中身がぶち撒けられ、更にコップが割れる事で見張っている所以外から侵入されたとしても分かるようになっている。
「よし、次に」
行くぞ、と言おうとした時、シャッターが音を立てた。時が止まったように、2人は立ち止った。何による音なのか、確認しなければならなかった。音は連続していた。風ではない。カギが開けられようとしているのだ。
「来なすったぞ。気合入れてけ」
光が差し込む。長い長い夜の始まりだ。