第4話その4
スラム街にいる住民達は大抵がどこからかの難民と、職を失い流れて来た者と、孤児達だ。生産性のある人間などほとんどいなく、ボランティアによる炊き出しとゴミ拾いでその日毎に命を繋ぐ者達。しかし極少数だが、住民の中にも生産性を持った者達がいる。医者はその1つだ。しかしこう言った手合いは大抵表の世界で何かをしでかした者だ。そしてそう言う者は大抵碌でもない性格をしている。それはそうだろう、難民や孤児などと違い、望んでそこにいるのだから。こちらの方が都合がいいから。
だがそこにいる事に甘んじている訳ではなく、虎視眈々と戻る機会を窺っている。そのために必要なものは、まず金だった。医術と言うのは、スラム街で稼ぐには持ってこいの技術だった。良心的とは言い難い値段ながらも、払えない金額ではない。絶妙なさじ加減で行われる住民から搾取と、たまにやって来るマフィアやヤクザから支払われる莫大な金額により着々と準備を進めていった。
口も堅く技術も一流となれば、訳ありの案件はいくらでも来る。数日前にやって来たコルネリウスも、男にとってはその程度の認識しかなかった。驚くほどの鮮やかな手際で昏倒させられ、手術台の上で目を覚ますまでは。
「なんだなんだおい、随分と言い機材持ってるじゃないか。羨ましいねぇ」
「お、おいお前、何のつもりだ?!」
「起きたかい。何って、こんなつもりだ。何人死んでも問題ない人間が大量にいるスラムで医者をやっていて、更に軍で催眠治療を行っていたお前は天からの贈り物かと思う程に都合の良い存在なんだ」
「つ、都合って何のだよ?!」
「俺の、実験の都合に、決まってんだろうが! 流れで分かるだろうが! 聞けばここでのお前の評価はそれなりだそうじゃないか。治療もきちっとやり、患者に応じて絶妙な金額を払わせる。金を払ってもらうには住民に死んでもらっちゃ困るからね」
手に持つメスを器用に回しながら、男に背を向け機嫌よく話し続けるコルネリウス。一息つくと同時に全ての動作が止まる。クルリと振り返った彼の顔は、狂気に彩られた凄惨なものだった。ここに住んでそれなりに経ち、マフィアなどと金銭交渉をした際には恐喝もされた。それらを全部乗り越えてここに自分はいる
と言う事が、彼の中で自信になっていた。しかし脅すために作られたものではなく、感情の赴くまま表された表情は何よりも恐ろしかった。
「だからさ、そう言う奴が手駒になれば色々とやりやすいだろう? これ、なーんだ?」
そう言って取り出したのは5mm程の小さな円筒形のものだった。
何かなど分かるはずがなかった。
「正解は、必死こいて作った催眠装置です! これは君の頭に埋め込む事で、何と超従順な助手になります!」
「う……」
ウソだろ、と言う言葉は半分も言えぬまま口の中で消えた。コルネリウスの眼が言ってるのだ。本当にやるぞ、と。
「大丈夫だよ。ずっと夢うつつみないな状態になるだけだから。痛くも苦しくもないから、安心するといい」
ああ、これが悪魔なんだな、と彼は釣り上がった口角に血走った眼のコルネリウスを見てそう思った。
*
掘立小屋のような住居が所狭しと並ぶ、破棄区画に出来たスラム。そこらかしこに汚物が散乱し、酷い悪臭を放っている。元の色が分からない程に汚れた、ボロ雑巾のような服を着た老若男女が道端に座り込み、虚ろな目で目の前の空間を見つめていた。
何で出来ているのか分からない食料とボランティアの炊き出しで飢えを凌ぎ、ジャンクの山から嗜好品のために宝探しに精を出す。夢も悪夢も、希望も絶望もなく。血と硝煙の地獄を潜り抜けた者が辿り着いてしまった諦観の地。誰もが諦めているその場所は、皮肉な事に最も平和な場所なのかもしれない。
そんな平穏を揺らす何か。何が来たのかと、住民達は外へと目を向けた。そこには複数の大型トレーラー、軍からの払下げの装甲車が止まっていた。後部のハッチが開かれると、深い蒼が映える警察仕様のAERASを着用した機動隊が姿を見せた。胸部装甲に旭日章と警視庁の文字を携え、特殊警棒と暴徒鎮圧用非致死性火器を備えたAERASの姿は実に猛々しいものだった。
ここではまず見る事の出来ない勇気と希望の象徴。無気力に無為な日々を過ごす人々であっても、彼らに引き寄せられるように、遠巻きに集まりだしていた。各々が好き勝手憶測を言い合いながら何が起こるのかを見ようとしていた。
「いつ見ても自らの無力さを痛感させられる場所だなここは」
捜査の指揮にあたる警部が、装甲車から街を見て苦虫を噛み潰したように言った。
同じ日本に住み、同じ東京に住んでいるのに、何もかもが違う。住民の眼を見れば、全てを諦めている事が分かる。戦争が終われば全てが元通りになると思っていた。絶望に支配された人達も、生きる希望を失っている人達も、全員が幸福になれると思っていた。だが余裕が生まれ周りに目を向けてみれば、それが都合の良い幻想だと言う事がよく分かった。新兵の若造でさえ抱かないような幻想だ。現実はこれだ。戦争が終わってしまった事で不幸になる人は増えてしまった。ただ幸せに生きて欲しいと言う願いさえ叶わない程に、この世界は生きづらくなってしまった。自分が生きている間に元に戻る事はないだろう。子孫に大き過ぎる負債を背負わせてしまう事を申し訳なく思い、目の前にいる者達にさえ何も出来ない自分の無力を呪った。
陰々鬱々としてきた気分を払うように大きく溜め息を付き、帽子を被りなおす。無線のスイッチを入れ
「地上の出入口を封鎖し、ドローンを地下に展開しろ。何者も出入りさせるな。殲滅課の到着と同時に強制捜査を開始する」
自分達の頭上を通り過ぎて行くドローンを住民は目で追いながらも、どこか現実感を欠いていた。
ドローンの内の数機は上空で捜査対象の住居を監視していた。
「殲滅課は後どれぐらいで着く?」
「後1時間程です」
「各員気を緩めるな。何かしでかしたらあのガチムチを嗾けるからな」
ブーイングの嵐を聞き流す。機動隊と言う精鋭の集まりでも、ここまでの大規模な作戦を長らく行っていなかった。そもそも、命の遣り取りをする事自体、終戦してから初めての者だっている。つまり緊張しているのだ。その証拠に各員のバイタルは心拍数が通常よりも多くなっていた。現場に出て命の遣り取りをしない自分が作戦前に出来るのは、軽口を叩き緊張を解す事だけだ。
「警部、監視対象の住居から人が出て来ました」
ドローンから送信される映像をディスプレイで確認していたオペレーターの1人が言った。覗き込むと、開け放たれたドアから次から次へと人が出ていた。
「……様子がおかしい。ドローンを接近させてくれ」
ゆっくりと高度を下げていくと、住民達の足取りが明らかにおかしい事が分かった。まるで酔っているように、覚束ない足取りだった。その様子に気付いた他の住民が近付いた瞬間、捩じ切れた。千切り切れなかった内蔵が零れる。
一瞬のうちに起こったショッキングな事態にオペレーターは自分の職務を忘れ、大声で悲鳴を上げた。
「各員に告ぐ! 超能力兵士もどきが現れた。作戦を変更し、殲滅課の到着を待たずに開始する。油断せずに制圧しろ。どうも正気を失っているように見える」
『独断先行しろと?』
「私の命令だ。脅されたと言え。法は人を見殺しにしてまで守るものではない」
*
人が逃げ惑う中を逆走する機動隊。しかし下手に衝突し転倒させてしまえば、最悪踏み付けられ死ぬ可能性があり思うように進めていなかった。
突然住居の外壁が歪み、落下する。隊員がそれを受け止め事なきを得たが、それに誰も感謝する事なく、濁流の中にある岩を避けるように走り続けていた。
悲鳴が近くなる。地面の色が赤黒くなっている。まるでゴミのように落ちている死体。人としての尊厳など全く感じられないその様に、隊員達は吐き気を催した。
接近して来る隊員に気付いたもどきが、彼らを見た。咄嗟の事で反応出来なかった1人が、軽々しく吹き飛ばされる。地面を滑り住居の外壁にぶつかる。
AERASを着用している事で油断していた事と、目の前で重力操作による殺害の瞬間を見た彼らは完全に浮き足立っていた。許可を待たずにセミバーストのライフルを発砲する。撃ち出された弾丸は何にも当たる事なく、急激に速度を落とし軽い音を立てて地面に落ちた。その光景は武器さえあればどうにか出来ると言う彼らの常識を粉々にするものだった。隊員達の足が下がっているのを見た隊長は、戦闘の継続は不可能だと判断した。
「撤退の許可を!」
『撤退は許可出来ない。繰り返す、撤退は許可出来ない。戦闘能力を奪い、拘束しろ』
出来ない事など分かっていた。それでもこうして目の前で銃撃を止められれば、逃げ出したくなる。命令を無視し逃げろ、と言いたかった。いや逃げたかった。その言葉を喉で潰す。
「各員、遮蔽物に入れ!」
殲滅課からの情報提供で視界に入らなければ平気だと分かっていた。しかしいつまでもここに隠れている訳にはいかない。すでにもどきは覚束ないゾンビ染みた足取りで、B級映画のワンシーンのように逃げて行った住民達を追い始めていた。
「遮蔽物を使いながら接近する」
そう指示を出したが、返事がなかった。繰り返そうとした時、隊員の1人が震えを含んだ声で異を唱えた。
「殲滅課が来るなら、彼らに任せた方がいいのでは?」
ここは既に戦場だと言うのに、その言葉に一瞬我を失った。このままここに隠れていたいと、住民を見殺しにしろと、そう言っているのだ。
「お前……本気で言ってるのか?」
「人をあんな風に殺せるんですよ?! AERASを着てても死ぬかもしれないじゃないですか!」
そう叫ぶ隊員はまだ25歳の若者だった。彼も戦場の恐怖を知っている。死の恐怖を知っている。だが、その恐怖を克服する事は出来なかった。アウターはAERASを簡単に破壊する兵器をいくらでも持っていた。ならば生身の兵士など、紙屑のように容易く破壊すされてしまう。すぐ隣にいた同い年の女子が体を真っ二つにされて死んだ。誰だか分からない程に焼け焦げた死体もあった。仮初めの平和で忘れていたそれを、金属が磁石で引っ張りあげられるように思い出してしまったのだ。
戦争が終わって警察に入り、機動隊に志願したのは安心が欲しかったからだ。高価な装備に身を包めば、人間相手ならば死ぬ事はない。有事の際には最前線に立たなければならないが、AERASがあれば下手に避難するよりも余程安全だと、そう考えていたのだ。なのに、今目の前で呻き声を発しながら歩いている奴らは、重力操作で人を、建物を簡単に破壊してしまう。地面に横たわっている絞り過ぎて破れた雑巾みたいなのが、人の死体なのだ。AERASでも破壊される。そんな恐ろしい存在を相手にするなど、冗談ではない。そんなもの、常在戦場の殲滅課に任せればいいのだ。
誰もその言葉を否定しなかった。誰もが言外にそう思っているのだ。だが奇妙な事に、誰もそれを実行に移す者はいなかった。まるで隊長の言葉を待っているようだった。
全員から視線を向けられている隊長は、唇を噛み締めていた。それを真っ向から否定する事が出来ず、逆に痛いほどにその気持ちが分かるからだ。彼とて同じだ。アウターと戦い続けても戦場が恐ろしいのは変わらない。死が恐ろしいのは変わらない。
だが自分達はただ恐怖に晒され、為す術もなく蹂躙されていくだけの存在ではない。この身に纏うのは、人を護り続けた鋼鉄の鎧だ。
「確かに奴らはヤバい。終戦してから久々に怖いと感じてる。だけどなここの住民は降って湧いた理不尽な死にもっと恐怖を感じてる。抵抗する術なんてないんだからな。俺達はその理不尽に抵抗出来る。見殺しにして後悔を抱いて生きたくないだろ?」
その言葉に反論を言う者はいなかった。隊員達の言う行きたくないと言う言葉は間違いなく本音であるし、今もそう思っている。だが同時に行かなければと言う思いもあった。それは隊長も同じ事で、行きたくないと言う思いも抱いていた。正しき言葉を口にする事で、思いの量りのバランスを崩せる。茶番と笑う事なかれ。命を張る事が、どれだけ困難な事か。
「ゾンビもどきの数は10。こちらも同じ10人だ。奴らの能力は視界が大きく影響している。催涙弾を投射し、視界を殺す。そして電気警棒で制圧だ。風向きに注意しろ。大丈夫だ、あんなゾンビもどき」
腰のハードポイントに備え付けられている催涙弾を、アサルトライフルの銃身下に装着されたグレネードランチャーに装填し、仰角に構える。発射された催涙弾は放物線を描き狙い通りの場所に落ちた。噴き出すCNガスを吸い込み、超能力者もどき共がき悶え始める。際限なく流れ続ける涙、鼻水、くしゃみ。
その様子を確認した隊長はAERASのバイザー内でもどき1人1人に素早く視線を合わせていく。マーカーが付くと同時に隊員の名を頭に浮かべる。すると補足された者の下に隊員の名前が表示される。隊員の方には自分が対処すべき者のみにマーカーが付けられている。
「各員にターゲットを割り振った。間違えるなよ。目をほとんど潰しているからと油断するな。見えない訳じゃないんだ」
警棒を取り出し走る。その動きに恐怖はなかった。淀みない動作でもどき達を昏倒させていき、後ろに回した手を拘束用バンドで縛る。
「拘束完了!」
「同じく!」
「こちらも!」
「負傷者は?」
「いません」
「そうか。各員よくやってくれた」
安堵の息を吐くが、その余韻に浸る間もなく、捜査本部からの通信が入る。
『何故命令を無視し殲滅課の到着を待たなかった』
それに対し警部が反論する。
『緊急事態だったからです。到着を待っていては、被害は相当拡大していました』
『そこに守るべき人間がいるか?!』
「お言葉ですが、少なくとも私は守るべき対象だと判断しました」
『何故口を挟んだ……! さっき言った事を忘れたか!』
「忘れました」
『下らない茶番をいつまで続けている! 貴様ら全員覚悟しておけ、降格や減給で済むと思うなよ!』
どれだけ顔を赤くして唾を飛ばしながら怒っているのか、想像するだけで笑いが出て来そうだった。しかし一抹の後悔のようなものもある。間違った行動をしたとは思っていないが、無職になると宣言されればそう思ってしまうのも無理はない。ここの仲間入りかー、や、部長は家族持ちだから大変だ、と思っていると聞いた事のない声が割って入って来た。
『あら、何で立派に仕事をやり遂げた人が怒られてるのかしら』
聞いただけで美人だと分かる声。しかし警察の暗号無線に割って入るとは、尋常の人物ではないだろう。
『誰だ貴様は?!』
『あらあら、貴方方が媚を売りたい相手の秘密兵器の存在も知らないなんて。殲滅課のフロネシスよ。確かに殲滅課に案件を渡したら私達の指揮下に入るって決まってるけど、王様気取りたい訳じゃないのよ? 私達は貴方方に逆らいません、なんて見せしめみたいに切り捨てたって徳があるどころか、優秀な人材がいなくなって損するだけじゃない。と言う訳で現場の皆さんの独断先行は、私からの命令により行われた事になります。ほら、通信ログも残ってるしね』
言われるままに確認してみると、覚えのないログが突入前の時間帯に挟み込まれていた。とんでもない性能だとしみじみと思った。
『警部に隊員の皆さんには、殲滅課を代表して感謝させていただきます。我々はこれからコルネリウスを追いますので、また協力していただく事になりますがよろしくお願いします』
そう言ってバイザーに現れたA級AIは予想通り、非常に美しい女性だった。笑いかけたのはリップサービスだろうが、果たして今ので何人がやられただろうか。