第4話その3
人は己の生涯の中で、幾度も眼前に聳え立つ高い壁に出くわす。それが小学生の時なのか、中学生の時なのか、高校生の時なのか、大学生の時なのか、社会人の時なのかは人それぞれだ。そしてその壁に対しどう対処したのかも人それぞれだ。表現としては幾つもあるが、詰まる所進んだか、止まったか、下がったかに分けられる。
試練を自覚し、それを踏破し、進み続けられる者は例外なく優れた才能を持つ者だ。そう言った意味ではコルネリウス・バシュと言う男は類まれなる才能を持った男だった。幼少の頃より頭角を現し、それを腐らせる事なく試練を乗り越えながら確実に熟れさせていった。文武両道、才色兼備。創作物にしか出て来ないような存在であった彼は、何か歴史に名を残す偉業を成し遂げようと言う壮大でありながら手が届く夢のために邁進を続けていた。
そんな彼が国連の研究機関に入ったのは当然の事だろう。当時の国連は兵力強化のために優秀な研究者を独占的に囲い込み、様々な方面からのプロジェクトを提出させていた。人道や予算など二の次、少しでも幹部の目に留まれば人体実験が行われ、結果が出なければ凍結されていった。
すでに構想を描いていた彼は、すぐさま草案を作り上げ絶対の自信を抱きながらそれを提出しに行った。そしてそこで彼はどうしようも出来ない巨大な壁にぶち当たった。
今もなお自覚なく世界を混沌へと誘おうとしているフロル兄弟。
少し話しただけだった。偶然同じエレベーターに乗り、目的地が同じ階だと知り、何をしに来たのか分かったから。だからどんな程度なのか、それを見てやろうと思ったのだ。だが彼らはただの優秀な人物が理解出来るような存在ではなかった。何もかもが規格外。その発想も、手段も、人格も。それでもすぐにでも砕けてしまいそうなプライドを胸に、自分のプロジェクトを語った。それこそ幹部達を相手取っているかのように、力を込めて語った。それを聞いた彼らの感想は
「ふーん」
だけだった。一言すらない。それ以外何も言わず、一瞥もくれず、彼らは降りて行った。
力なく壁に寄り掛かるコルネリウスは幽鬼のような足取りでエレベーターを降りた。だがそんな状態でまともなプレゼンテーションが出来るはずもなく、本人も何を話したのか分からないうちに終わっていた。5分ずれていたら、あの兄弟とは出会わなかっただろう。その後にどこかで会う事になったとしても、こんな最悪の形にはならなかっただろう。
高く聳える壁に何もする事の出来なかった彼は、そのまま心を折られ、成熟したはずの実は腐って落ちた。しかしそんなものは、当時では3流の悲劇でしかなかった。信頼していた自身の才能が通用せず、挫けた者など数えるのも億劫になる程当たり前の存在だった。有数の才能を持った者は、数多の凡夫に成り下がっていた。
使えない者などいらない。規律として存在するこの言葉通り、彼は何も成果を残せないまま放逐される事になった。誰も庇おうとしない、同情すらしない。友人であった者達も。口に出さずともその才に嫉妬していたのだ。
だが捨てる神がいるなら拾う神もいる。戦線を支える重要な役割を担っている無人の兵器群。それに使用されている、複数の脳を基に作られた生体CPUの開発者であるカイサ・ベイロン。彼女はコルネリウスの行おうとしていた研究を人伝で、断片的に聞き及んでおり少し興味を持ったのだ。塞ぎ込む彼を訪ね、辛抱強く聞き出した結果、彼女は大いに興味を抱いた。埋もれさせるには惜しいと思ったのだ。問題は本人にやる気が全くなかった事だ。仕方なしに腹パンを数発叩き込み活を入れ、身の着のままに連れ出した。プロジェクトを成功させるためにも、彼女の性格的にもまずコルネリウスの腐った根性をどうにかする事が先決と考え、何日にも亘って彼を様々な場所へと連れ回した。社交的な性格のカイサに触発され、僅か一週間で生来の明るい性格へと戻った。元々天才肌だった彼は、挫折から立ち直った事とパートナーを得た彼は、あっと言う間に幹部を説き伏せ、予算と人員を確保し、プロジェクトをスタートさせるに至った。提唱した理論に基づき製造された反重力装置も期間は掛かったものの開発に成功し、プロジェクトは漸く本格始動を始めた。丁度この頃、2人は婚約した。コルネリウスにとってカイサは公私に亘る必要不可欠な存在であり、またカイサにとってもコルネリウスは同様の存在だった。何もかもが順風満帆。人生の絶頂期が始まったのだと、彼は幸せを噛み締めていた。
だが彼らの快進撃もそこまでだった。装置の移植による被験体の拒絶反応もなく、物体への作用も確認出来た。しかし複数回、下手をすると1回目で被験者が死亡する結果となった。装置にいくら改良を施しても、それは変わらなかった。数回の失敗なら挽回しようとする士気高揚に繋がる。しかしどれだけ続けても結果は改善されず、失敗と死体が積み重なっていくだけでは士気は下がる一方だ。それに加え、囚人が被験者とは言え何十人も無駄死にさせている事で、周囲からの視線は厳しいものになっていた。望んで殺している訳ではないのに、と発散する事の出来ないストレスや不満が溜まっていき、やがてコルネリウスとカイサに矛先が向けられる。一方でプロジェクトリーダーである2人は上からの重圧にも日々晒されていた。巨額の予算を確保した事が裏目に出ているのだ。ついには次の報告会までに結果を出せなければ計画を凍結すると言われ、そうでなくとも募っていた焦りが振り切れそうなほどになっていた。
そんな時だった。彼が再びあの兄弟と出会ったのは。
コルネリウスには忘れられるはずがなく、彼女も兄弟のプロジェクトが成功している事を聞いており優秀で変な研究者だと知っていた。もしこの時、カイサがコルネリウスから兄弟の事を聞いていれば、歴史は変わったかもしれない。優秀で変な研究者ではなく、夫を苦しめた、と言う認識だったならば助言など求めなかっただろう。
「失敗しているなら、それは理論が間違ってるって事。無駄に足掻いてないで、もっと建設的な事をすべき」
「君は何人も殺してるみたいだけど、僕には君にそんな価値があるようには思えないね。カイサ君の発明は素晴らしいものだと思うから、もう少し付き合いを考えた方が良いよ」
彼女は許せなかった。自分の夫を無価値だと言った事を、プロジェクトを無駄だと言った事を。止められなければ、2人を殴っていただろう。訂正させたかった。だが口でどう言ったとこで、兄妹が言葉を撤回するとは思えなかった。ならば理論を証明すればいいだけだ。泣いて止める夫を振り切り、彼女は自分を被験体に実験を行った。夫の理論を証明するために。結果として証明出来たのは、理論が間違っていたと言う事だけだった。奇跡など起きるはずもなく、他の被験者と同じように脳が著しく変形し死亡した。そしてその死を以てプロジェクトは凍結される事となり、莫大な予算を貰いながら何も出来なかった無能と罵られながらコルネリウスは研究所を去った。
だが彼が何よりも許せなかったのは、自分への罵倒ではない。確かな成果を上げていた彼女への、謂われなき言葉だった。死人に口なし。能力の懐疑に始まり、人格否定、成果の否定。まるで競争するかのように彼女への批判は日に日に増えていった。
何故彼女が死ななければならない。何故彼女の尊厳が踏みにじられなければならない。……あいつらのせいだ。あいつらさえ何も言わなければ、彼女が死ぬ事はなかった。
自問を繰り返すたびに兄弟への憎悪は膨らんでいった。
殺す。殺してやる。奴らが否定したもので奴らの全てを否定し、必ず殺してやる。
*
「分かっているとは思うが、万が一失敗したとしても私達の存在は公表するな」
『トカゲの尻尾は必要だもんなぁ』
「当たり前だ。失う物がない貴様と違って我々は今の世の中に必要な存在だ。念を押して言うぞ、コルネリウス。我々の存在を仄めかすような事は一切口にするな」
『疑り深い奴だなぁ。わかってるよ』
秘匿暗号通信による遣り取りが終わると、男はすぐさま別の場所へと連絡を入れた。
「私だ。ユニットを動かせるようにしておけ。あの狂人と、アウター共を全員始末する。少しずつでも世界を綺麗にしていかなければな」
*
「ここが日本かぁ。……人少ねぇな」
捜査のために東京入りした殲滅課の一行。スラム街への移動手段として用意されているパトカーに乗るため、駅を出たバートは辺りを見回しながらそう言った。
中国からのアウターの侵攻を食い止めきれずに上陸を許し、本土決戦となった日本。都道府県の数が変動する程の激戦が繰り広げられ、多くの兵士と国民が犠牲となった。人口の減少は生産力の低下を招き、生産力の低下は人口の流出を招いた。アンドロイド就労法の特例を使用しても補いきれるものではなく、難民の受け入れが現実味を帯び始めていた。
難民の受け入れはもろ刃の剣だ。働き手の確保は出来るが、治安の悪化は間違いない。また自国民と完全に同等に扱ってしまえば自国民から不満が噴出し、不平等では難民からの不満が噴出する。AIを交えた議論でも堂々巡りとなっており、結論はいつまで経っても出そうになかった。
外国人の3人組はこのご時世では全く珍しいものではないが、金髪の優男にスキンヘッドの筋肉、人形のように表情の動かない美女と言う組み合わせでは人目を引かない方が無理な事だった。
『警視庁から提供された情報によると、設備の整った闇医者はそう多くないみたい。捜査員の聞き込みである程度絞り込みは出来てるみたいだけど、断定まではまだ時間が掛かりそうね』
「発見出来たとしても、スムーズには行かないっすよねぇ。視界に入れただけで物体を壊せるとか恐ろしいっすわ」
重力操作への対抗手段はいくつかある。スモークで視界を潰す、飽和攻撃による処理への負担、視界外からの攻撃。但しどの手段にせよ、人数が必要になる。そのために
「戦いのプロじゃないならやりようはいくらでもあるわ。それこそ銃口見せるだけでも効果はあるわ。目線を逸らしたら俊敏なフットワークの出番よ」
「姐さん、そんなナリなのに蝶のように舞いますからね」
「動けない筋肉達磨なんて戦場じゃ求められないしね」
アンダースーツと同じ素材が織り込まれている、防弾性と防刃性に優れたブラックスーツの上からでも分かる隆起した筋肉。ナチュラルな肉体でありながら、見事なバランスで鍛え上げられた肉体。それに加えて長い戦歴に支えられた確かな技術と判断力は殲滅課の中でも屈指のものだった。
「そう言えば戦場に出たての頃は大変だったすねぇ。銃口を向けられるどころか、歩くだけでションベン漏らしそうでしたよ」
「私だってそうよぉ、アウター撃つのだってそれこそ大便……ねぇバート貴方、アウターだからって人の姿したあいつらすぐに撃てた?」
「いやぁ、ゲロ吐きそうになりながら撃ってましたよ」
懐かしそうに呟くが、何故そんな事を尋ねるのかと言う疑問が表情に出ていた。
「そうよね。人が人を殺すのは簡単じゃない。その場で脅されてたとしても、重力操作でどうとでも切り抜けられる。なのに何で素直に殺したの?」
「……装置に爆弾とか」
「フローネちゃんどうなの?」
『確認されてないわ』
「……どうにもならない新兵を使う時、貴方ならどうする?」
「……薬物に、催眠」
これらが使用されるのは新兵だけではない。シチュエーション的にそちらの方が近いから例として出しただけで、寧ろ使用頻度としてはPTSDを負った兵士を前線に立たせるために行われる事の方が多い。どちらにしろ、「短期間で戦えるまでに回復する」を主目的としているため、後遺症はかなり重度の物だった。未だに後遺症に苦しむ者がいる程だ。
戦後の今、そう言った技術を用いて生計を立てている者は少なからずいる。効き目抜群の方法を知っているなら、それを調整し強くも弱くもする事が出来る。そして熟知している者なら、改良する事だって可能だ。例えば任意のタイミングで暴れさせる、など。
「今すぐ捜査員達に一部の監視だけ残して撤退するように伝えて」
重力操作が行われればかえって貧民街のような、建物が所狭しと並んでいる場所の方が人的被害が大きくなってしまう。その事を危惧しての言葉だったのだが、フロネシスの焦りを含んだ声で何かが起きている事が分かってしまった。
『ゴア! どの車両でもいいから急いで先頭まで行って、私をコンソールに入れて!』
「何があったの?!」
『10名以上の住民が突然暴れ出したわ。コルネリウス側から操作でタガが外れたのは間違いないみたいね』
「って事は、奴が近くにいたって事じゃないっすか」
『でしょうね。だから慌てて住民のタガを外して逃げ出したんでしょう。重力操作も確認されたわ』
ホームを駆け上った3人は発車しようとしていた車両のドアを抉じ開ける。奇異の視線を向ける乗客を無視し先頭車両に向かう。ドアを壊さんばかりの勢いで開けるゴアに、迷惑そうな視線が追加される。その視線を彼が気にするはずがなく、注目を集めている中でも車掌室のドアノブをSWHで撃ち抜く。テロリストか強盗にしか見えないその行動で、乗客達は一斉に逃げ出した。残されたのは、今にも小便を漏らしそうな、目を離したら死にそうな表情の車掌だけだった。
「あんら、いい男。仕事じゃなかったらデートに誘いたいけど、取り敢えずどっかに行ってくれるかしら」
ブンブンと音が鳴りそうなほど勢いよく頷く車掌。
「入れるとこないわよ!」
『これだけ近ければ飛び移れるわ。よし、掌握。えー乗客の皆さんにお伝えします。この車両はたった今から殲滅課のタクシー代わりとなりましたので、皆様方の目的地には到着しませんがご了承ください。後、乱暴な運転になるのでしっかりと掴まってて下さい。以上、車掌からでした。じゃあ超特急で行くわよ!』