第4話その2
終わりの見えない戦い、生き残れば残るほどに数を減らしていく戦友、減り続ける物資、絶えないトラブル。避難民を伴った長距離の撤退戦。あらゆる事柄が兵士達の精神を抉っていた。戦闘と撤退を繰り返し、敗残兵となった彼らは醒めない悪夢を見続けているようだと力なく呟いていた。
その日もアウターの追撃部隊を辛うじて退け、死亡した兵士の回収出来た分の遺体だけを1ヶ所に集めていた。死体と行方不明者との照らし合わせが、事務作業のように淡々と行われていた。戦友の死が、当たり前になっていた。誰もが重い沈黙を保つ中で、セオもまた限界を超えた疲労に心身を蝕まれていた。そんな現世の地獄のような状況の中で、彼女は自分の夢を語った。
一時的な拠点として利用している廃村。そこにある苔の生い茂った石垣に座って寄り掛かり、AERASにこびり付いた血と硝煙の臭いを嗅ぎながら微睡んでいた彼に彼女が話し掛けた。
「ねえセオ、ちょっと起きて」
足を足で小突き乱暴に起こしてくる彼女に若干イラつきながら目を開けた。微睡んでいたところを起こされたせいか、頭痛がしていた。
長い黒髪を結わえ、勝ち気な表情をした少女から脱却しつつある容姿。碌に風呂も入れず、髪の手入れも出来ない状況の中でもその可憐さが分かるのは、一種の才能だろう。AERASを着ていても、宣伝用のモデルだ、と、こんなご時世でなければ芸能界で活躍出来ただろうに、とは彼女を見た者達が口を揃えて言う言葉だ。ただ彼はそうは思わなかった。
「どうした」
億劫そうに尋ねるセオ。頭痛のせいか、少し声に棘があった。
「そ、そんな露骨にメンドくさそうな顔しないでよ」
訂正、顔にも出ていたようだった。あからさまに歓迎されていない声と表情に、彼女は眉尻の下がった顔で控えめに抗議した。そんな表情と声に罪悪感を攻撃され一言謝罪し、もう一度用件を尋ねた。
「……ちょっと進路相談」
「は?」
全く予想していなかった内容に、呆れと疑問の混じった声で聞き返す。
「そ、そんな反応しないでよ」
「無茶言うな」
こんな1分先でさえ生きているのか分からぬ状況の中で、将来について相談したいと言われて「任せろ」などと言える者がいるだろうか。
そう言うと正論に怯みながらも、彼女は自分になりの考えを述べた。
「だ、だからこそ将来に思いを馳せてモチベーション保ちたいなって思うんだけど」
「……まあ分からんでもない。分かった、話してみろ」
断られると思っていたのか、了承の返事を聞き嬉しそうに笑った。
「福祉系の施設で働いてみたいんだ」
「そう言えば面と向かって礼を言われるのが好きって言ってたな」
だからセオは彼女に芸能界は向かないと思っているのだ。直に人と接するのが好きな人物が、画面を隔てての仕事をしたいとは思わないだろう。
そう言う思いから出た言葉なのだが、それを聞いた彼女の反応は奇妙なものだった。紅潮した頬に手を添え、身を捩じらせる。つまり照れていたのだ。
「も、もうセオったらそんな露骨なアピールしなくてもいいのに」
セオが述べた事を本人が口にしたのは随分と前の事だった。それを覚えていると言う事はイコール自分の事が好き、と言う乙女理論に基づく反応だった。
「素敵な勘違いしてるところ悪いが、この事は全員知ってるぞ」
だが残念な事に彼女がそれを口にしなくとも、行動に如実に表れているのだが忘れようもなかった。そもそもこの一連の遣り取り自体幾度繰り返したかも分からない程に常習化したものだ。態とやっているのか無意識にやっているのかは分からないが。
一頻り身を捩らせ終えた彼女は続きを話し始めた。
「理由はその通りだよ。私って今のところ壊すとか殺すとかしてないじゃん。人生をさ、それだけで終わらせたくないんだ。折角生まれてきたのに感謝より怨嗟の声を浴びた方が多いとか、悲しいじゃん」
こいつらしいな、と思った。夢を語る彼女は輝いていた。絶望的な戦況に慣れ、諦観の念を抱く者しかいない中で、生きようとする強い意志が眼に宿っていた。こんな状況の中でもそんな風に強くいられる彼女が羨ましかった。
一方でその彼女を冷めた目線で見ている彼もいた。
壊す事、殺す事。人の形をしたものを屠る事に何も感じなくなっていた。今更この狂った感覚を戻す事など出来やしない。そもそも自分達が生きている間に戦争が終わるかも分からないのだ。夢半ばで朽ちるなら、希望を絶望に砕かれるなら、何の夢を抱かず平穏な絶望と諦観の中で死んでいきたい。希望なんて抱いても、砕かれた時にただ心が裂かれるだけなのだ。
「もし身の振り方を考えなきゃいけなくなったらさ、セオも一緒にやろうよ。大変だけど、楽しいと思うよ」
「……考えておくよ」
無下に否定すれば落ち込む。だから濁した。だと言うのに、満足そうに彼女は笑う。そんな笑顔を向けられ、居た堪れなくなり顔を逸らした。
『西方の観測班より入電! 100Km地点に航空タイプのアウターを発見。撤退の準備を!』
傍らに無造作に置かれていたメットを掴み被る。夢を語る彼女はそこにはいなく、屈強なる兵士がいた。今現在、この部隊の戦力は雀の涙と言っていい程になっていた。航空戦力などある訳がなかった。
大地が揺れる。何に向かって何を投下したのかは分からないが、悠長に準備している暇はなかった。
『更に入電! 投下物から地上部隊の出現を確認』
泣きっ面に蜂どころではない。クソッタレ、と誰もが叫びたかった。脅威はアウターだけじゃない。蓄積された疲労、恐慌状態になっている民間人、徒歩で移動するには厳しい地形。あらゆるものが、敵となって彼らを殺そうとしている。どれだけ抗い続ければ報われる? どれだけ抗い続ければ終わる? 誰も答えを持っていない。
司令官の命により兵士を民間人の誘導と殿部隊に分ける。セオと彼女は勿論殿部隊だ。武器を手に取り、構築された防衛線へと向かう。戦闘になるかは定かではない。避難誘導が迅速に出来れば戦線は開かれず、アウターの行軍速度の方が速ければ迎撃しなければならない。そうなれば少なくない被害が出る。セオが死ぬかもしれないし、彼女が死ぬかもしれない。
アウターの数は膨大だ。殺しても死体があれば増え続ける。勝てるのか? 生き残れるのか? ネガティブな思考に埋没しながら、装備の確認を行っていく。
「セオさ、私の誘いに対して曖昧に答えたじゃん。だからさ、無事にセルト基地まで撤退出来たら入るって断言して欲しいんだけど」
「……お前、態とやってんのか?」
「な、何がよ」
「さっきと言い今と言い……イヤ、いいか。……無事退役出来たらな」
「言質取ったからね」
不確かな口約束。言ってないと言ってしまえば、それだけで反故になりかねない、曖昧な約束。なのに、彼女はそれだけで笑う。地獄がやって来ているのに、笑う。だから、彼は目を逸らしてしまう。逸らしてしまった。
*
途中で昼食を取り、幾つかの路線を乗り継ぎ辿り着いた。下町の閑静な住宅街にある、戦傷者社会復帰支援センター。広い敷地にある4階建ての施設。屋外レクリエーションだろうか、職員と入居者がサッカーに興じていた。その中に、知っている顔はない。楽しげな光景を横目で見ながら、玄関に向かう。すると、乱暴に開かれた玄関から男が毒づきながら出て来た。痩けた頬に、ギラついた眼。この施設どころか、日常と言うものに対してすら場違いな男だった。いるだけで毒を撒き散らす、そんな印象を抱かせた。
そんな男がこんな施設に何をしに来たと言うのか。顔を歪めながら横を通り過ぎて行く。自分の意見が通らなかった時の表情だった。自分の意見が圧倒的に正しいと自負しているのに、周りの人間はそれが分からない。そんな言葉が聞こえてきそうな表情だった。
振り返りその背中を見る。丸まった背中は、彼の性格を表しているかのようだった。
疑問を残しながらも歩を進め、玄関に辿り着いた。その向こうには先程の男の相手をしていたのか、2人の男性が疲れた表情で話していた。
「ごめん下さい」
「こんにちは」
「こんにちは」
ガタイの大きな外国人に少し萎縮したのか、それまでの声からすると随分と小さな声でのあいさつだった。
「ここにキョウカ、いや、泉鏡花と言う職員の方がいると思うんですが」
「ま、またですか」
と、げんなりとした表情で言われた。
「また? ……さっきの男がどんな用件で尋ねたのかは知らないが、セオ・インダーフィルの名前を伝えてくれれば分かる」
胡散臭そうな表情をしながら、1人を残して奥の方に歩いていった。
「さっきの男はどんな用件で尋ねてきたんです?」
「……何でもスカウトしに来たとか。能力を生かせる仕事があるとか。雑なヘッドハンティングにも程がありますよ」
そんなものであるはずがない。あれは自ら望んで平和を受け入れなかったタイプだ。それどころか、平和を壊そうと企んでいてもおかしくない。そんな人物がよりによって、彼女に会いに来たと言うのか。何が目的なのか。
「人望もあって能力もある人なんですから、そうそう手放せませんよ。そうでなくても、最近あの人個人的に忙しいんですから」
「何かあったんですか?」
話していく内に普通の人だと判断したのか、徐々に饒舌になりだした。
「近々結婚するんですよ。式の日取りも決まってるから、時間を取るような事は起きないで欲しいですよ」
その事実が素直に嬉しかった。彼女は戦争に囚われていなかった。2度と武器を手に取らずに、生を全うして欲しいと願った。
ややすると、廊下を走って来る音が聞こえ始めた。少し奥に視線をやると、手にスリッパを持った女性が走って来ていた。そして見事なピッチングフォームでスリッパを投擲し、目の前の職員の後頭部に見事命中させる。
「あ」
「……結婚するんだから少しは落ち着けよ」
*
応接間に通されたセオはソファーに座り、飲み物を持って来ると言った彼女が戻って来るのを待っていた。
内装は全く変わっていなかった。ここに来るのにも迷わなかった。だと言うのに、ここにいた時の思い出は何もなかった。色が付いていないのだ。だから何か新鮮な気分になっていた。
「懐かしいでしょ」
「そうでもないな」
「そう?」
低いテーブルを挟んだ向かいのソファーに座った彼女は、徐に腕を振り上げチョップを繰り出した。不意打ちではあったが、簡単に止められてしまう。
「さっきと言い今と言い、一体何なんだ?」
「逃げた事これでチャラにするから、叩かせろ」
そう言った彼女は怒っていた。本当は心の内に溜まったものを、全部セオにぶつけたいのだろう。だが、彼女もセオが苦悩していた事は知っていた。自分の誘いに応えたばかりに、より苦しんでしまった事を知っていた。だから1度だけでいいと言ったのだ。
誘いを受けたのは自分、逃げ出したのも自分。だからセオもその一撃を甘んじて受けた。
「……セオは今何してるの?」
周囲を窺い、人がいない事を確認する。
「殲滅課をやってる」
「……そう、なんだ」
「オレは平和になった世界に適応出来なかった。あのままここにいれば、その内どんでもない事をしでかしてしまう、そんな気がしてならなかった。だからまたここに来て、殲滅課が解体される前に死のうと思っていた」
「セオ……」
「安心しろ、今はそんな事は思ってない。手間の掛かる部下が出来てな。世間知らずだわ、常識知らずだわ、暗がかりが怖いわ、笑った事がないわで目が離せない奴だ。だから死ねない」
喉を潤す。コップを置くと、鏡花が大きな溜め息を付いていた。
「安心した。私が見た事あるセオって、いつも死にそうな顔だったからさ。でも、少し嫉妬しちゃうな。セオってさ、私の気持ちに気付いてたでしょ」
「……ああ」
「セオが応えられなかったってのは分かる。でも、私じゃセオの心の傷を癒やす事が出来なかった。……セオが言った子、女の子でしょ」
「よく分かったな」
「やっぱりね。……だからさ、少し悔しいんだ。私、セオの事が、好きだったから。大好きだったから。ゴメンね、こんな事言って。でもこうしないと、ちゃんと失恋出来ないから」
「……」
「ありがとう、謝らないでくれて。うん、長年の片思いが漸く終わったよ。それで、今日はいきなりどうしたの?」
「逃げ出した事を謝りに来たんだ。お前に一言もなく姿を消して、すまなかった」
何度も言われたのだ。話してくれと。それの尽くを断り、挙げ句の果てに姿を消した。心配してくれていた者に対する仕打ちではない。本来ならば謝って済む話ではない。
「さっきチャラにするって言ったよ。私の方こそ、無理に誘っちゃってゴメンね。はい、謝罪合戦は終わり! ねえセオ、あれからの事とその子の事話してよ」
「後者はともかく、前者はそんなにおもしろい話じゃないぞ」
「それを決めるのは、私が聞いた後だから」
「……分かったよ」