第4話その1
慣れぬ社会人生活の疲れが出たのか、ここの所ずっと10時就寝でした。ちょびちょびと書いていたら時間が掛かってしまいました。
「ああああああああああああああああ!!」
耳にするだけでその者が味わっている苦痛を共有してしまうような男の悲鳴が、廃工場内に響き渡る。しかしそれを聞き耳を塞ぐような者は、そこには存在していなかった。血走った眼で悲鳴を上げる男を凝視する初老の男に、それらを見て薄ら笑いを浮かべている頬の扱けた男。
際限なく続く悲鳴に別の音が重なり出した。十字架に張り付けられたような体勢の男の両腕が、強烈な力で引っ張られるように千切れだしていた。皮膚が裂け、筋肉が断裂し、骨が割れる。
間欠泉のように噴き出す血。咽るような濃い血の臭いにも一向に意に介さず、一心不乱にその光景を見続ける頬の痩けた男。
「いいぞいいぞいいぞいいぞ」
悪魔の笑みとしか形容できないものを浮かべていた男は、不意に表情を歪めた。視線の先では初老の男が頭部を捥げそうなほどの勢いで激しく震わせていた。やがてそれが止まると、顔中の穴から血が止めどなく流れ出る。
「ああもう! 何で成功しないんだよ?! 俺の理論は間違ってないのにっ。そうだよ、お前らの気合が足りないから成功しないんだよ!」
癇癪を起こした子供のように喚き立てる。爪が剥がれかけ出血している指で髪を掻き毟りながら、初老の男の死体に何度も蹴りを入れる。
「お前も! お前も! お前も! どいつもこいつも、気合が足りないんだよ! こんなんじゃいつまで経ってもあいつらを越せないだろうが!」
その廃工場には奇妙なものしか存在していなかった。捩じれた鉄骨、無理矢理丸められたような掌大の金属の球体、壁面にある散弾による広範囲の弾痕の中の人型、その前にあるうつ伏せの死体、四肢が引き千切られた死体、顔中の穴から出血している死体、高所から落下したように四散している死体。
その中で最も異常さが際立っているのはそのどれでもなく、複数ある死体に蹴りを何度も叩き込んでいる唯一の生者だと言う事が、この状況の異様さをより強くしていた。
「ゴミみたいにそこらにいる奴らじゃダメって事だな。でもそうするとどんな奴らなら気合足りてっかなぁ」
ようやくクールダウンしたのか、声のトーンを落とし手を顎に添えウロウロと血溜まりの中を歩く。そして掌を拳で叩きながら名案と言わんばかりの笑みを浮かべた。
「いるなぁ、殺しても死なない奴らが。あいつらの作品を使うってのは癪だけど、まあいっか」
ケラケラと笑いながら血の海を、まるで水溜まりにはしゃぐ子供のように歩いていく。
彼の名はコルネリウス・バシュ。戦争が生み出した負の遺産の1つ。
*
日本の東京で起きたこの事件は遊びに入った学生達の通報で発覚した。惨状の一言で片付けるにはあまりの奇妙さに、工場に駆け付けた警官達は気分を害するよりも先に「何だこれは?」と言う疑問を抱いた。そして同時にこれは自分達の手に負えないものであろう、とも思っていた。
普通ならば殲滅課に手柄を横取りされたと怒りに頭を沸騰させるところだが、こうまであからさまにおかしく、恐怖を感じさせるとなると逆に同情したくなってしまう。だからだろうか、調査を始めるにあたって不思議とネガティブな気分にはならずに済んだ。それで分かった事は、捩じれた鉄骨は強烈な力により曲げられたもの、金属球は元々車であった事、顔面から出血していた死体は脳が著しく変異し小型の機械が埋め込まれていた事、四散した死体は内側から爆ぜている事。その結果を聞いて捜査員達は改めて自分達の手に負えない事を実感した。
そしてその日の夜には捜査権が殲滅課に移譲された事が伝えられた。捜査権を奪われて喜ぶなど警察官としてあるまじき事だが、誰もが口に出さないだけで同じ事を思っていた。
人を護ろう、街を守ろうと言う使命感は持っている。アウターとの戦いでも命を掛けて戦った者もいる。だがアウターとの戦いを生き残った者だからこそ、戦前とは一線を画している凶悪犯罪に命を掛けられなくなっていた。何故身を粉にして人を守るために戦い抜いたのに、同じ人間に殺されなければならない、とそんな意識が蔓延していた。戦争を乗り越えたからこそ、皆臆病になっているのだ。
戦争とは麻薬のようなものだ。命を賭ける事が、命を犠牲にする事が当たり前の事だと思えてしまう。心身を挺して人を守る事に陶酔していく。
しかし正常な者達は戦争が終われば酔いから醒める。命を賭ける事に陶酔も快楽も感じなくなる。生きていたくなる。だがそれを責める事など誰にも出来ない。出来る者がいるとすれば、それは己自身だけだろう。
*
『被害者達はいずれも住所不定無職、身元を証明するものは何もないわ。たぶん日本海側の破棄区画のどこかから来たんでしょうね』
中国からのアウター侵攻により本土決戦を余儀なくされた日本は、特に日本海側で大きな被害を出していた。その被害は都道府県数が変動するレベルだ。
『被害者の死因は見ての通りよ。ただこの初老の男に関しては被害者であり、加害者でもあるわ』
「どう言う事?」
部屋の温度を数度は上げそうな暑苦しい見た目の巨漢のオカマ、ゴアが尋ねた。
『こいつの脳は著しい変異が起きていたの。そしてこの変異と類似したものがこれ』
空間に投影されていた資料が切り替わり、代わりに映し出された文字にゴアが眉を顰めた。
〈後天的兵士強化計画〉。短期速成人などとは異なる、後から身体を改造し戦闘力を上昇させる計画。特殊生体兵や広義的には義体化もこれに含まれるが、非人道的な内容から義体兵士は一緒くたにされるのを嫌っており、正面から言えば間違いなくトラブルになるだろう。
複数のプロジェクトが並行して進められていたこの計画は、極秘裏のものではなく大々的に志願者を募っていた。それ故にゴアのような一般の兵士でも悪名を知っているのだ。
『この中の1つでESPに関する計画があったのよ。まあESPって言っても、フロートカーとかに使われてる反重力システムを使った重力干渉なんだけどね。ただこれを使うと脳に対しても作用しちゃって、圧縮されたり膨張したりするの。初期の段階で発覚したけど成功すれば物資の消費が抑えられるって事で上層部は続行を支持。結局それでも改善は見られず、プロジェクトリーダーのカイサ・ベイロンが自ら被験者になり死亡した事で正式に凍結になったわ』
「人員の行方は分かってんスか?」
制服を着崩したバートが問う。
『1人を除いてね。コルネリウス・バシュ。カイサの公私に亘るパートナーだったみたいね。終戦と同時に退役、民間企業に入るも半年後に退社。その後は音信不通。東京の警察にも情報提供求めたけど、今の所見つかってないみたい』
「でも脳の外科手術なんて簡単に出来るモンじゃないでしょ? そこら辺から調べられない?」
『それも調査中よ。昨今のご時世じゃ非合法の病院なんて腐るほどあるわ。それを虱潰しであたってるんだから、時間はかかるわ』
ただ生きると言う事が困難なこの時代。多くの者が日向の道を外れ、常闇へと足を踏み入れている。一部の者を除けば、己を賭けなければ上へのし上がる事は出来ない。闇医者はその一部の者だ。まともな病院で
でも何でか知らないけど、今回は警察が妙に協力的なのよね』
「良い事っスね。汚物を見るような目で対応されると、流石の俺もきついっスわ」
『速い内に合流して合同捜査よ。各自の端末にチケット送信してあるから、確認しておくように。分かったのイオン』
その言葉に2人が振り向く。そこにはいつも通り無表情のイオンが座っていた。変わった箇所があるとすれば、その隣にいつもいるはずのセオの姿がない事か。そのせいか表情は変わらないものの、親と逸れた子供のような雰囲気を醸し出していた。実際、フロネシスが説明している最中に何度も隣に視線をやっていた。
『セオは今休暇でいないんだから、しっかりしなさいよ?』
「仕方ないわよね? お父さんがいないんなんて初めてなんだから」
「セオさんは父親ではありませんよ」
「最近スゴイ事になってんのに、自覚なかったんか」
シラカワでの一件以来、セオと共にいる事の安心感を覚えた彼女は親の跡を追う子のように彼と行動を共にしていた。
彼女の世界セオありきで成り立っている。それが良い事か悪い事かは定かではない。しかし例え正常ではない状態だとしても、彼女はようやく世界に目を向ける事が出来たのだ。それを否定する事など、出来ないしやりたくもなかった。
「私とセオさんに血縁関係はありません」
「血だけが親子の絆を証明するものじゃないのよ」
「血は水より濃いと言うけれど」
「血より濃い液体はいくらでもある」
「セオの旦那をお父さんと呼べば」
「セオは恥ずかしくて」
「イオンちゃんも恥ずかしくて」
「私達は」
「嬉しい」
「win」
「winさ」
『アホな事やってないでさっさと準備しなさいよ』
何故かムキに否定するイオンと、打ち合わせでもしてたのか、と突っ込みを入れたくなる筋髪コンビの遣り取り。セオがいないだけでこんなに緊張感がなくなるのかと、フロネシスはありもしない頭痛を感じていた。
*
暑いな、と飛行機から降りたセオはそう思った。日差しが強いだけでなく、湿度も高く不快な暑さだった。体にコールタールでも纏わりついているようだった。
有休を取った彼が今いるのは極東にある日本の東京。フォーマルな私服からも分かる通り、彼は仕事ではなく私用で訪れていた。
平和から逃げ出した時にも使った空港。しかしその時とは見え方が全く違っていた。あの時は全く精神的余裕がなく、一刻も早く危険へと逃げ出したかった。その時の彼には危険よりも平和の中で生きる事の方が難しかったのだ。
それは一生変わらないと思っていた。危険に身を投じる事で心の安寧を得て、そして殉職しようと思っていた。だがイオンを出会った事でその考えは変わった。幸せを何一つ知らない彼女に知って欲しいと、そう思ったのだ。それを教えていくには殉職など出来るはずがなかった。イオンがセオの存在で救われたように、彼も救われていたのだ。
自分の半分も生きていない女性に感化されて、ようやく逃げ出した事と向き合う決意が出来たのは情けない事この上ないが。
目的地までの路線を確認し、荷物を背負い直し空港内を歩き出した。
リニアレールに乗り込む。目的地まで1時間弱。個人のメールアドレスを失念してしまったため、連絡はしていない。アポを取らずに訪れるのはマナー的に如何なものかと思うが、言い訳を自分に与えてしまうとまた逃げてしまうかもしれないと考え、失礼を承知で向かう事を決意したのだ。
逃げ出してから4年。果たして自分は受け入れてもらえるのだろうか。何度も激戦を共に潜り抜け、その度に絆は強固になっていった。だが今はどうだろう。何も言わず姿を消すなど、泥を塗りたくり踏み潰すだけでは足りない程の侮辱だ。そう思っているのに、何も言わず受け入れていくれる事を期待しているのだから益々救いようがない。
いかんな、とネガティブな思考を追い出す。気分を変えようと車窓を覗き込む。本土決戦を強いられた日本だが、首都である東京はほとんど被害がなかった。しかしアウターの侵攻が一時山梨まで迫っていた事を考えれば、どれだけの激戦だったのか察しが付くだろう。己が大切なものを護るためにと、多くの者が志願し戦場で散っていった。その中には次代を担うはずの若者も多くいた。結果人口の激減した日本は移民を受け入れるべきか否かと言う存続の岐路に立たされ、国会はここ数年落ち着きを全く見せていなかった。労働力の確保を優先し、治安の悪化に目を瞑るのか。正解のない議論は喧々諤々と続いている。
施設でもその影響はあった。職員の3割程が外国人だったのだ。セオもその中に含まれている。当時と現在とでは状況に多少の変化があるだろうから、断定は出来ないが今でもそれは変わっていないだろう。
決して長い間日本にいた訳ではないが、良い国である事は間違いなかった。その日本がこうした危機的状況に陥っていると言うのは心穏やかではいられなかった。そうでなくとも、終戦から5年と言うタイミングで殲滅課が出張る事が多いのだ。何かを勘ぐってしまってもおかしくない。
降車駅に着く。結局ネガティブ思考は追い出せなかった。テーマが悪かったのだろう。何を考えるべきかと思い、ゴアに世話を任せて来たイオンの事が頭を過ぎった。少なくとも2日はいないと言う事を伝えた時の事を思い出すと、少し申し訳ない気分になる。無表情なのに何故ああも良心を責め立てるように見えるのだろう、と胸中で苦笑しながら思う。了承はしたものの何を言っても反応が薄くなり、結局そのままにして今に至るのだが、お土産でも買っていくかと売店を横目で見ながらエスカレーターに向かった。