第1話その1
2230年。整備状態があまり良くない道路を、今では少し珍しいタイヤ付きの車が走っていた。
「〈アルカディア〉はプロメテウスとの邂逅50周年を記念し、2049年に造られた海上都市です。中心街には高く聳え立つ超高層ビル群は崩れる事の無いバベルの塔。初めて本格導入されたフロートカー。AIにより管理される公共施設。最新技術をふんだんに盛り込み造られた、誰もが思い描いた未来の都市。希望に満ち溢れた人々が住まう都市。それがアルカディアです。訪れてみれば人生観が変わるでしょう。そして奮起して下さい。ここ以上の都市を造り上げると!」
たまたまネットの海に漂っていた音声データ。自分の住む街のデータだと分かり、ダウンロードしてみれば聞くだけ虚しくなる過去の栄光だった。現代のバベルの塔であったビル群の大半はアウターの攻撃により、上半分を消し飛ばされ無様な姿を晒していた。同じく消し飛ばされた都市管理AIは、いつまで経っても修復されず人の手による管理に戻っていた。街中にあふれていた希望に満ち溢れた人々は、疲れた目の人か失業者に変わっていた。唯一変わっていない物は、フロートカーぐらいか。
盛者必衰をこれほど分かりやすく示す例は他には無いだろう。
聞き終えたデータを削除すると、地下駐車場に止めていた車から降りる。少し草臥れた黒いスーツを着た男性だった。まず目が行くのは、スーツ越しでも分かるガッシリとした体形だ。そして次に目に入るのが、目尻のすぐ横にある縦に走る傷。日焼け具合から最近のものでは無い事が分かる。短く逆立った髪や180以上ある身長は得も言われぬ威圧を感じさせる。
ドアのカギを掛けると、欠伸を1つしながら歩き出す。エレベーターホールへ入り、降りて来るのを待つ。
3階で降りる。静かで長い廊下を歩き、一番奥の部屋まで行く。埋め込み型のリーダーに電子式手帳を翳す。ドアのロックが解除された事を確認し、ノブを捻り中へ入る。
―平和維持機構アルカディア支部殲滅課所属 ID7396811 セオ・インダーフィル
*
「おいーっす」
デスクが並ぶ典型的なオフィスに、彼の吞気で低い声が響き渡る。声を返す代わりに何人かが軽く手を上げる。部屋はそれなりに広いが、空席が多かった。
自分の席に着くと彼は、正面に座り俯いている女性に声を掛けた。
「おはようさん、イオン」
声に反応し顔を上げると掛かっていた金色の髪がゆっくりと滑る。その滑らかさから脱色などでは無い自然な色だと分かる。それに見劣らぬきめ細かい肌、指を這わせたくなる鼻に唇。
「……おはようございます、セオ」
そして生気を宿していない瞳と声。
彼女の名はイオン・オーウェン。セオ・インダーフィルのパートナーだ。
「課長が呼んでいました」
「出張かな」
「さあ」
展開性を欠片も感じさせない、会話とも言えない会話を切り上げ課長のいる一番奥に向かう。
「おはようございます。出張ですか?」
「課長」と書かれた、手作り感ならぬ手抜き感溢れる厚紙製の三角柱型プレートがテープで張られた机には、スタンドライトと一面に散らばった書類しかなかった。座っているのは中年男性の具体例のような男性。たれ目で眼鏡を掛けており柔和そうな印象を抱かせる。
「おはよう。これから筋髪のバカコンビに来たバカみたいな苦情の後始末に行かなきゃならない。詳しい事は『フロネシス』に聞け」
それを抱いていられるのは初対面、しかも話すまでの間だが。
「あいつらなにやったんで?」
「筋肉は男を食べ、金髪は女を食べた。そして両者は婚約者。苦情は双方の両親からだ」
「食われた御両人は?」
「男の方は残念な事に新世界へと旅立ったそうだ。女も金髪ハーレムの一員だ」
「撃墜率100%は伊達じゃない、てかい」
「そう言う訳だ。〈フロネシス〉、頼むぞ」
お粗末なプレートの反対側で散乱している書類をどかすと、一部がスライドする。埋め込み型の投影機器が光り出すと、和服を着た半透明の女性が映し出された。身体を構成する全てのパーツがある種の狂気を感じるほどに美しく艶やかで、それと同時少女の様な愛くるしさを備えた彼女は人間では無い。何年経とうとも人類に到達出来ない性能を誇るA級AI、フロネシス。広域平和維持機構の誇る最強の戦力だ。
A級AIは各連合だけが持っていたが、機構の設立に合わせ新たに誕生したのが彼女だ。いわばルーキーである彼女は、ネット上に存在する膨大な情報を正確に抜粋し己が物としていた。
「おはようさん、フローネ。その服は何だい?」
『ああ、これ? 日本の古い服よ。中々だったから衣替えしたのよ。どう?』
「残念だけど、オレにはそう言った語彙が不足しててね。実に可憐で華麗、としか言えない」
『あら私は千の言葉で飾られるより、端的な言葉の方が好きよ? おはよう、イオン』
「おはようございます」
初めて見る服装にも何のリアクションを取らない彼女に、フロネシスは苦笑しながら溜め息を吐く。
『さて、じゃあお仕事の話をしましょうか。まずはこの映像を見てちょうだい。現地時間で2日前のものよ』
フロネシスの腕の動きに合わせ、ウィンドウが下から現れる。そこに映っているのは白衣を着た男性だった。場所はどこかの研究室だ。再生と同時に早送りが始まる。20分ほど早送りすると通常再生に戻る。男性が何かに気付いたように振り向く。その表情は困惑していた。次第にその表情は恐怖へと変わっていく。逃げ出した男性を追うように現れたのは、白いゴムの皮膚と剝き出しの関節を持った、アンドロイドだった。
『この男性は2時間後に死亡した状態で発見。殺害したと思われるアンドロイドは、他のカメラには映ってないわ』
「こりゃあ、中々に衝撃的な事件じゃないか」
『そうよ、だから私達に回って来たの。じゃあ基本情報を伝えるわ。ここは惑星イルの研究都市トルフ。管理AIがあるわ。被害者はアーロン・マクレーン。男性で年は44歳。都市の責任者で植物部門のチーフも兼任しているわ。死因は心臓への刺突による失血死。同僚の証言いる?』
「うんにゃ、そう言うのを聞くと先入観を持っちまうからいらない。傷はそれだけなのか?」
『そうね。解剖結果によると正確に突いたみたいよ』
「なるほど。んじゃあ早速現地に行くかな。飛行機の予約はしてある?」
『もちろんよ』
「イオン。泊まりになるかもしれないから、用意して来て」
蚊帳の外状態だった彼女は突然振られた話にも、別段慌てる事も無く返事をした。その足取りはしっかりとしたものであると同時に、幽かな印象も抱かせる。
部屋から出て行くのを見送ると、フロネシスは先程とは打って変わった静かな声で尋ねた。
『……彼女の様子はどう? って聞くまでもないわね』
「保護した時と全く変わってない。こっちの言った事に素直に従うけど、事あるごとに聞いて来るよ『まだ殺さないのか』って」
イオン・オーウェンの持つ破滅願望は、彼女の生い立ちに起因する。
戦中、劣勢に追い込まれた人類はプロメテウスの火を用い対抗した。それでも劣勢を覆せず、人類は減り続けた。兵士を確保するために、時には10歳の子供でさえ徴兵し3年の訓練の後に戦場へ送り出した。人類の生き残りのための戦いであるはずなのに、次世代を担う子供を殺すと言う矛盾を知りながら。
それでも足りなかった。だから人は人工的に命を生み出した。成長速度を通常の倍にした短期速成人。蔑称〈ベイブ・アダルト〉。彼らは戦いのために必要な知識だけを人工子宮内で催眠学習により与えられ、戦場で経験を積んでいく。そして実質10歳にも満たないその命を、平和な日常も知らずに散らした。
末期に生み出されたラストナンバーであるイオン・オーウェンは、戦場を知らない。戦争が終わったからではない。人工子宮にいる間に彼女がいたラボは、アウターの攻撃により崩壊した。彼女の姉妹や兄弟の人工子宮が潰されていく中彼女だけは運良く生き残り、生命維持装置により終戦を迎えた。そして半年後に彼女の人工子宮は発見される。マフィアによって。
そのマフィアは、職にあぶれ路頭を彷徨う者達を食い物とする、違法賭博施設を経営していた。殺し合う2人に観客は金を賭ける。そこでイオンはマッチポンプの道具として使われていた。毎日毎日人を殺す。常識を知らぬ短期速成人がそれを疑問に思うはずがなかった。しかし彼女は違った。
彼女の最大の不幸はマフィアに拾われた事では無い。彼女のラボにいた主任研究員が、偽善者だった事だ。罪悪感からその研究員は、彼女達に道徳を教えていた。そしてラボは破壊され、彼女を残し全員死んだ。殺人が悪い事と言う認識がありながらも、自らの命のために殺人を繰り返していく彼女の心は、二律背反によりズタズタになっていた。破滅願望はその末に生まれた。
機構と警察と軍による共同作戦の際にセオに保護され今に至るが、未だ何も変わっていなかった。
『でもそうした方が楽だったのは確かでしょ?』
「……楽な道がオレにとって最良ってわけじゃないからね。オレがそれなりの生活してるのに、あいつが出来ないってのは可笑しな話でしょ」
『惚れてるの?』
「それはこれから次第、ってやつかな。さて、もう駐車場に行ってるだろうからオレもボチボチ行くよ」
『気を付けてね。チケットは送信しておいたから』
ヒラヒラと手を振りながら部屋を出る。着替えなどを入れたスーツケースを自分のロッカーから引っ張り出す。
地下の駐車場に向かうとイオンはもう待っていた。
「お待ちどお」
ロックを解除すると、セオの言葉に返事もせずに助手席に乗り込んだ。セオも乗り込み、エンジンを掛ける。目的地はアルカディア空港。アクセルを踏み込み発進する
*
「今回の事件、何が問題か分かるか?」
「……アンドロイドが犯人だって事です」
外をボーっと眺めていたイオンに、セオが問う。緩慢な動きで振り向き、ゆっくりと答えた。
「じゃあ何で問題なのか分かるか?」
「分かりません」
「ちったぁ考える。分からない事でも思考する事自体意味があるんだから」
「……アンドロイドのAIにそんなルーチンは無いから、ですか?」
「その通り。アンドロイドには2種類あってな。指示を出すブレイン型と指示されるスレイブ型。ブレイン型は出来る行動に制限が掛けられている、自立行動タイプだ。初期設定で入力された情報を基に、日々の仕事でアップデートしていく。故に研究所で使われているなら、殺人やカメラの死角を移動するなんて行動は出来ない」
「……余計な事を覚えたりは?」
セオに言われた通り、与えられた情報から彼女なりに考えて質問していた。例えそれが、アンドロイドに関する常識だとしても、その事を知らない彼女が自分で考えて質問して来る事をセオは嬉しく思っていた。
「いい質問だ。そう言う事例は実際戦中に起こってる。生体CPUを使っていたせいってのもあるけど、自我に目覚めちまうんだ。その上普通のCPUでもそれが起きないとは限らない。だからアップデートできる情報に制限を掛け、一定期間従事したアンドロイドのCPUのクリーニングを行うんだ。つまり製造会社が制限とクリーニングを手抜きしない限り、殺人なんて事が出来るはずがない」
「……なら、手抜きをしたと言う事は?」
「企業側にも客側にもメリットがないな。統一連合に許可された企業でしかAIは扱えず、クリーニングを怠ってしまえば、どっちの過失かに関わらず、企業はAIの扱いを一定期間禁止される。クリーニングには金も手間も掛からないから、企業も客も怠る理由がない」
納得したのか、何度か頷くイオン。
「で、スレイブ型は指示された事を行うだけのタイプ」
「……スレイブ型が乗っ取られる可能性は?」
「理論上は不可能じゃない。ただし最低でも都市管理級AI並の性能を持ったコンピューターじゃないと無理だ。しかも直接メンテナンスハッチからジャックインしなきゃならん。で、その都市管理級AIを乗っ取るのは、人間には無理。つまり不可能だ」
長いトンネルに入る。ここを抜けると空港はもうすぐだ。
擦れ違う車のナンバーを無意識に読み取りながら、イオンはセオから聞いたアンドロイドの自我について思いを巡らせていた。
自我に目覚めたならば思考するだろう。自分の事、周りの事、これからの事。あらゆる事に疑問を抱くだろう。それは余計な事だ。それは淡々と行っていた事に、色と意味を与えてしまう。自分がそうだった。不意に昔聞かされた「人殺しはいけない」と言う事を思い出し、現状との矛盾に追い詰められていった。
「……自我に目覚めたアンドロイドは、どうなるんですか?」
「今は人権を与えられてCPUを専用の義体に移され、人権も与えられる。戦中なら、人間でさえ人権を蔑ろにされていたんだ。クリーニングか、そのまま戦場へポイだ」
「どう思っていたんでしょうね」
「……生憎知り合いにはいなくてね。ただまあ、オレが思うに『殺し』と同義だな。記憶はそいつを構成する一番大事なものだ。例えその記憶がどんなに最悪なものだったとしても、消したらそれまでとは別人になる。……だからと言って辛い記憶を消すってのが、悪い事って訳でもないんだけどな」
*
長いトンネルを抜けると、景色が一変する。所狭しと並んでいたビル群は無くなり、代わりに広大な滑走路が現れる。標識に従い、駐車場を目指す。都市全体の雰囲気が陰々鬱々としていても、こうした巨大な施設では大勢の人が行き交い活気があった。
搭乗手続きを済ませ、2人は搭乗口へ向かう。窓から見えるスペースプレーンは、外観は邂逅前のシャトルと酷似しているが、中身は次元を異にしている。
プロメテウスとの邂逅により進化した分野は、と人に聞くと大抵、医療、通信、宇宙開発と答える。また意外な事かもしれないが通信と宇宙開発は同じ技術により進化しているのだ。それは〈情報生命体〉と言う彼らの生物としての在り方により生み出された。
種の保存のために銀河を股に掛ける果ての無い旅をする彼らは、人類の尺度では計り知れない距離を移動する必要があった。光速でさえ遅くなるその旅では、速度に頼らない移動手段が必要となった。そうは言っても通常航行エンジンでさえ超光速を出せるのだが。―人類も同様のエンジンを持っているが、通常は亜光速までしか加速しない―そのためコードだけをタイムラグ無く送信する特殊な装置を開発。彼らには物に名前を付ける習慣が無かったため、この装置は人類により〈プロメテウス・ドライブ〉と名付けられた。
プロメテウス・ドライブは情報送信装置であると同時に物質変換装置でもある。母船から無作為に射出された調査機をマーカーとし―1度送信すればそれ以降はマーカーは不要となる―そこへ自分達とコードに変換された航宙機を送信、そして送信先で物質へと再変換。プロメテウスはこれを何度も繰り返し、知的生命体のいる惑星に訪れてはコンピューターの類に自分達を保存していた。
調査機により集められた情報を基に居住可能な惑星をピックアップすると、人類は瞬く間にその生活圏を拡大させていった。移動手段として、通信手段として、プロメテウス・ドライブは人々の生活に欠かせないものとなった。
しかし予期せぬ形でドライブは人類に牙を向けた。外惑星連合に化けたアウターが各国に攻撃を仕掛けた〈第一次地球防衛戦〉がそれだ。ドライブを使用した奇襲攻撃。通告も迎撃もする間もなく蹂躙された人類は、地球から半径10億キロ内に変換のプロセスを妨害するジャミング・フィールド装置を開発。この装置は地球以外にも重要な施設がある惑星や衛星などにある。逆に言えばそうでない場所には置かれず、その事が原因で人類同士の戦争が起きそうになった事がある。
しかしこの装置はアウターのある目的により、開発して間も無く無用の長物と化す。それでも維持費用が掛かりながらも未だ健在であるのは、蹂躙された恐怖を忘れられないからだ。
*
『当機の大気圏離脱を確認しました。続いてフィールド離脱のための加速に入りますので、引き続きシートベルトの御着用を御願いします』
日常に復帰した時セオが驚いた事は、飛行機の類や車などの操縦が非常に穏やかだった事だ。兵士を戦場へ送り届ける輸送機は、地上にしろ空中にしろアウターの兵器に揉まれまくっていた。整備性の問題からタイヤ付きの車に乗っていたセオは、自身と仲間の荒っぽい運転に慣れすぎたせいで復員したての頃は普通の運転が出来なくなっていた。地球へ帰還する時に乗った航宙機でも無意識に歯を食いしばっていた。今でこそ普通の運転に慣れているが、少し前はそのせいで警察に注意される事が度々あった。
初めて味わう加速に燥ぐ子供を見て、そんな事を思い出していた。
暇を持て余していたイオンは機構が個人に配布する最新式の端末を使い、目的地である惑星イルについて調べていた。
まず大きな特徴は常冬の極寒の惑星と言う事だ。惑星全体を厚さ数キロに及ぶ氷が覆っている。居住に適した惑星ではないため、大規模な研究都市トルフしか存在していない。直径80キロの円形をしており、外縁部には吹雪を防ぐための大きな壁がある。この都市は元々そこまで大きくなかったのだが、最前線の宙域とは真逆だったため疎開地として人が大量に集まり、規模を大きくせざるを得なかったのだ。現在では研究都市としてだけでなく、固有の動植物などを材料に観光都市としても売り出していた。
またこの都市はAI〈アイスィ〉により管理されている。都市管理AIとは、公共機関の管理や市政などを行うものの事だ。
このAIを政治に参加させると言う試みはAIが誕生した当初から考えられていた。与野党が無く、政治家のようなスキャンダルも無い、合理的な判断が出来るとなれば起用しないと言う選択肢は有り得ないのだが、事はそう簡単には進まなかった。この案に反対していたのは、もちろん政治家だ。自分達の生活が掛かっている彼らは、様々な理由をでっち上げて反対した。その中でも特に強く主張していたのが、AIにも感情があるなら自分達と変わらない、と言うものだ。
ここで1つ明記しておく事がある。AIとは人間が作り出した物では無い。そもそも機械ですら無い。当時のAIとは、1体のプロメテウス―後に〈メティス〉と名付けられる―が入り込んだ演算装置の事を指していた。つまり生物なのだ。しっかりとした感情も持ち合わせているし、ユーモアもある。そして無限に貪欲に知識を吸収していく、唯一のS級AI。機構や各連合が保有するA級AIとは全てメティスの劣化コピーであり、彼女は母親でもあるのだ。
この事を踏まえると、反対派の意見は的を射ているように思える。そのため議論は平行線を辿り―と言っても反対派が劣勢なのは明確だった―決着は中々付かなかった。事態を打開したのは、TV局からの討論の様子を生中継し市民に決めてもらおう、と言う提案だった。この提案が大々的に市民に知らされてしまった時点で逃げる事が出来なくなった反対派は、結局番組内で大敗北を喫する。反対派が鳴りを潜めた事で、中央政府のトップとして試験的にメティスが参加する事となった。そして初めにやった事は、各方面に与える影響を考慮した大規模な人員整理。世襲の政治家だろうと容赦なく切り捨て、穴埋めとして民間人も含めあらゆる所から引き込んだ。当時は批判されていたが、もしこれを行っていなかったら人同士のいざこざで戦争に負けていた可能性もあった。
*
イオンに揺すられたセオは、自分がいつの間にか寝ていた事に気付く。スペースプレーンは既に大気圏突入を終えていた。窓の外に目をやると白が目に強く刺さるが、すぐに義眼の遮光率機能が自動的に作動する。一面が銀の世界に人工物であるトルフは全く溶け込めておらず、強烈な違和感を振りまいていた。
少し離れた席に座る5歳ぐらいの子供が、眩しい! と楽しそうに燥いでいる。インプラントをしていない完全な生身の人間を見て、彼は不便そうだなと思った。一見普通に感じられるが、彼は日常生活において不便だな、と思った訳では無い。意外かもしれないが、日常生活においてインプラントが活躍する場面と言うのは少ない。もちろんやむを得ぬ事情や特殊な業務に就いている人にとっては役立つが、そうではない人が望遠機能を備えた義眼にしていても活用する事はほとんどない。
セオが不便だと思った事は、いざと言う時に対応出来ない事だ。しかし、果たしてそのような事態を常日頃から想定して生活している人などいるだろうか。彼がそんな的外れとも言える事を危惧したのは、彼が未だ日常に復帰しきれていないからだ。いつ隣人がアウターになるのか、いつアウターの襲撃があるのか。どこの戦線でも劣勢だった彼らは常に緊張状態にあった。セオは軽い方だが、支援センターにいる患者の中には疑心暗鬼が深刻化し、まともに日常生活を送れなくなっている者もいる。
長過ぎた戦争は大地に傷を付けただけでなく、人の心にも大きすぎる傷を付けていた。戦争を終わらせられずにいる人は大勢いる。セオもまたその1人だ。
*
空港から出る。辺りには何も無く、数キロ行った所に研究都市トルフが見える。
肌を刺す冷気が気温の低さを伝えて来るが、風はあまり吹いていないのは幸いだった。イオンは初めて感じる強烈な寒さに、小さくない衝撃を受けていた。銀の大地も、白くなっている吐息も彼女には初めての経験だった。
目を丸くしているイオンを見て、セオは嬉しそうな顔をしていた。感情を表さないイオンだが、それは感情が無いからではない。知らないのだ。表し方も、自分が思っている事が“驚き”だと言う事も。ただ表情が全く変化しない訳ではない。セオはイオンをパートナーにしてからずっとその変化の読み取りを試みている。その甲斐あってか、ある程度は読み取れるようになっていた。彼の次の目標は、イオン自身にそれを自覚させる事だ。弩級の難易度だが、保父にでもなったつもりでやろうと思っていた。
「バスが来ました」
トルフの空港は都市の外縁部にあるのは、戦中に大量の避難民が来たせいだ。避難民が引っ切り無しに来るため、空港の営業に支障を及ぼす範囲での工事が不可能だった。そのため空港から離れた所から開発を始めたのだ。
イオンに促されたセオは、何となしに振り向きながら歩き出した。
「ん?」
滑走路と氷の大地の境目に、何かいた。倍率を上げていく。
「オオカミ?」
白い体毛に四足歩行のそれは、オオカミに似た固有の動物だった。1体だけではない。両隣に1体ずつ。航宙機の音が絶えず聞こえ、その上人が大勢いるここに何故いるのか。野生動物は警戒心が高いと言うが、あれは違うのだろうか。その割には踏み込もうとする様子も無い。
「セオ」
再び短く促される。気にはなるが、仕事には関係ないためすぐに踵を返し歩き出した。
フロートタイプのバスに乗り込む。まずは現地の警察署に向かわなければならない。やっている事が事だから仕方ないのだが、また露骨に嫌悪の表情を向けられるのは少し億劫だった。
市内には30分ほどで着いた。セオ達はそこからタクシーで警察署へと向かった。
「お客さん方、ずいぶんと年齢離れてるけど夫婦かい?」
「夫婦間でこんな空気醸し出してたら、離婚寸前だね。仕事のパートナーだよ」
「警察署に用事があるみたいだけど、何やってるんだい?」
「規模の大きい警備会社みたいなものだよ。わりと幅広くやってるんで、あっちこっち行ってる」
「大変だねーこんなご時世に。それにあれでしょう、殲滅課なんてのもいるし」
「運転手さんは殲滅課の事どう思う?」
「まあやり方は乱暴だと思うけどね。でもさっきも言ったけど、こんなご時世だからね。ある意味仕方ないんじゃないかと思うよ。必要悪ってやつかね」
「……そうかい」
「おまいさんはどう思ってるんだい?」
「オレは……分からないな。必要だとは思うけど、ずっとあったら……変われないんだよ」
「……」
それきり会話は途絶えた。
*
「ほいよ、到着だ」
「ありがとう」
ガードで料金を払い、降りる。服装の乱れを直し、歩き出そうとするとドライバーがセオを呼び止めた。
「お客さん、忘れ物だよ」
慌てて確認するが、何を忘れたのか分からなかった。イオンに待ってろと伝え、車内に上半身を突っ込む。
「あのお嬢ちゃん、短期速成人だろ?」
「……よく分かったな」
「おれっちもお勤めしてたからね。後方支援だったけど、1回だけ見た事あってな。そん時の子と同じ反応してたからさ。アンタも甲斐甲斐しく世話してたしな。シートベルトの締め方とか、荷物の置き場所とか。そう言うのは頭の中が未だに戦場のやつにゃは出来ん事だ。アンタはきっと自分の戦争を自分で終わらせられるさ。アンタも広く視野を持ってみるといい。生き方なんぞ数えるのが馬鹿らしいぐらいある。お仕事頑張ってな!」
「……ありがとう。運転手さんも頑張ってくれ」
皺が深く刻まれた顔を、くしゃっと崩すように心地良い笑みを見せてくれた運転手に、セオも笑顔を浮かべた。