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第3話その5

 1人先行しているイオンは漸くC12と書かれたドアに辿り着いた。予め転送されていたパスコードを打ち込んでいく。この向こうにある通路を通ると更にドアがあり、それがエアロックの入口になっていた。車内での話し合いには全く参加していなかったが、何をすべきかと言う事は分かっていた。

 ゆっくりとスライドしてくドア。視界の中央を過ぎた瞬間、その向こうにある通路の奥で一瞬何かが光った。それが何であるのかを思考するよりも早く体が動く。軽い衝撃。素早くサイドの壁に身を隠す。彼女を追うように放たれていた銃弾が火花を散らす。

 被弾し箇所を確認する。白煙が出ているものの肩部に軽く掠る程度で済んでいた。

 この先に敵がいる。倒すべき敵がいる。

 倒すにはまず敵の位置を知る必要があった。頭部を壁の縁に近付け、蟀谷の部分から極小のカメラを伸ばす。エアロックへの入り口が開いており、その向こうにいるのだろうと当たりを付ける。しかしよく見ると入口から出口までの壁はフラットになっており、隠れるスペースは存在していなかった。ではどこにいる? 隠れられる場所はこの通路には存在していないのに。そう考えた時、何かに隠れずとも隠れられる事を思い出した。ここへ来る前自分達も使っていたものだ。

 光学迷彩。

 光学迷彩は有効活用すれば恐るべき性能を発揮する機能だ。不可視にするのは光学的にだけだが、対人ではそれだけで十分だ。サーマルやソナーと言った対抗手段は存在しているが、人は常に備えている事など出来ない。不可視と言うだけで十分過ぎる程のアドバンテージを得る事が出来る。それ故に非常に広く普及しており、AERASを着用せずとも専用の装備を用いれば生身でも使用可能なのだ。

 咄嗟に下がる。間一髪、視界の中央を細長い何かが奔り、拡張ユニットを両断される。思考から反射への接続が少しでも遅れていたら両断されていたのはイオンだ。改造を施された彼女だからこそその一撃を躱す事が出来たのだ。残骸となったそれを手放し、大腿部のホルスターからナイフを抜き取り構える。

 空間に紫電が奔り姿を現した敵は、機械の体を全て曝け出していた。全身は光沢を持つ黒に染まり、頭部にはナイフで傷を付け描かれた髑髏があった。右手にセオと戦った相手と同じブレードを携え、そいつは殺気を滾らせていた。

 彼女にはその黒がかつての地下を連想させ、その髑髏が自分をそこへ引きずり込もうとする死神に感じられた。昂りではなく、恐怖から心臓が高鳴る。死神が一歩足を踏み出す。後退るように足が動く。それを見て何かを感じたのか、蔑むように笑った。

「どんなのが来るのかと思いきや、戦場を前にしたルーキーみたいなのが来たな。だって言うのに、反応だけはいっちょまえ。フン、そのチグハグさ、お前ベイブアダルトだろ?」

 答えを期待した問いではない。言葉の中に黒々とした鬱屈の感情が籠もっていた。自分より下(・・・・・)だと確信出来たからだ。それは実力ではなくヒエラルキーだ。男は終戦してからひたすら辛酸を舐めさせられていた。それは気高き志を持ち、強きを挫き弱きを助けた男を容易く変えてしまうものだった。

 間合いを詰め始める。それに合わせ後退するイオン。怯えた小動物染みた動きが、男の加虐心を煽る。ゆっくりとした歩調から一気にトップスピードへ。腕ごと叩き付けるようにブレードを振るう。ナイフで受けるも、段違いの力に大きく体をふらつかせる。矢継ぎ早に繰り出される攻撃を何度も体勢を崩されながら受け止める。辛うじて防御は崩されていないが、攻撃の度に壁に打ち付けられ、その反動で立て直すの繰り返しだった。

 回転切りをバックステップで回避、しかし男はその回転のままに上段後ろ回し蹴りへ移行。脇を締めガード。しかし衝撃は来ず、疑問に思った瞬間、脇腹に衝撃。フェイントにまんまと引っ掛かってしまう。壁に強かにぶつかる。するとスイッチにでも当たったのか、ドアが上がる。それは緊急時に使用されるシラカワの制御室へと通じるドアだった。

 追撃を避けるためにそこへ逃げ込む。中は狭く、僅かな照明しかなく薄暗かった。その中でブレードだけが光る。イオンはその光でブレードの位置を判断し、ナイフで捌いていく。PVでバイザーモードを変更すればいいのだが、軽い恐慌状態になっている今の彼女にそれを思い付く事は出来なかった。

 狭い通路だろうと関係なく振るわれるブレードが壁に深い溝を作り、断続的な火花を散らせる。

 関節機構を無視した縦横無尽の攻撃。予測困難な攻撃を反射だけで捌き続けられるイオン、と言うより短期速成人の性能は驚異的だった。しかしその反射速度が弱点となり得る事を、男は先の攻撃で確信していた。イオンには経験が圧倒的に足りていなかった。見たままに、素直に反応してしまうのだ。先程のフェイントもそうだ。速度が遅く、頭部へ当てるつもりがない事を見抜けなかった。そして予測が外れた時も空白が生じ、すぐに動けない。

 男が後ろに腕を振りかぶる。勢いの付いた攻撃はしっかりと防御を固めて受けなければ崩される。イオンのその判断は正しかった。男のフルパワーならばAERASと言えど、不動ではいられない。だから彼女の判断は間違っていなかった。但しそれは攻撃が当たれば、の話だ。

 順手のブレードで繰り出された攻撃。壁を斬りながら頭部へ迫るブレードをしっかりと視界に収めていた。しかし再びその衝撃は来なかった。直前で逆手へと変え、意図的に外された攻撃。先程の同じように体を回転させ、後ろ蹴りを放つ。腹部へと直撃した蹴りは強烈なものだった。先程の頭部への蹴りは、直前の軌道変更でどうやっても勢いが多少落ちてしまう。しかし今回の蹴りは違った。AERAS越しでも吐き気を催す程のものだった。

 上に続く階段に亀裂が入る程の勢いで叩き付けられる。一瞬の硬直の後に、咳き込み胃液を吐く。グラグラと揺れる視界の中、男がゆっくりと近付いていた。まるで舌なめずりでもしているかのようだった。指を動かすと、ナイフがない事に気付く。倒れた衝撃で手放してしまっていた。

 投げ出された足のすぐ手前で止まる。

「表情の変化が見れねぇのが残念だが、死に顔はゆっくりと堪能させてもらうぜ!」

 顔目掛け迫るブレード。防御の手段はない。躱す事も出来ない。

 ブレードに死神が重なって見えた。恐怖がイオンの全身を駆け巡る。口から声にならない悲鳴が漏れる。全身を奔る恐怖は体を硬直させ、容易く彼女の限界を超える。瞬き、呼吸さえ止まる。歯の根が合わず、脳の奥に音を響かせる。涙で視界が滲む。鼻水が口に入っても気付かない。

 消える事のないそれは永遠と彼女の中を駆け巡り、思考をスパークさせた。そして逆転(・・)する。

 恐怖は体を竦めさせる。しかし同時に恐怖が自分の限界を超えた時、人はそれから逃れるために我武者羅に動き出す。パルスが神経を奔り、生きるために体が動き出す。

「ちッ!」

 眼前に迫ったブレードを両の手で挟み止める。PSFとイオン自身の膂力で挟み込まれたブレードを動かすのは容易い事ではなかった。

 だが不可能ではなかった。イオンは無限に力を入れられる事は出来ない。常人より長くとも、やがて筋肉の疲労が限界に達する。そしてⅡ型兵士たる男にはそれがなかった。彼女の失態は、受け止めただけで終わってしまった事だ。拮抗状態の中で形勢を対等に持ち込む事が出来れば状況は変わっていた。しかし恐怖に突き動かされている彼女にそれは出来なかった。

 僅かに、だが確実にブレードは動いていた。切っ先がバイザーに触れる。警告が響くが、イオンはそれ以上動けなかった。ゆっくりと迫る死。顔に熱を感じる程にブレードは接近していた。

「はーっはーっはーっ」

 イオンの恐怖が男に伝わる。大声で嗤いたい気分だった。彼女の生を蹂躙し、死を侮辱したいと言う昏い思考で頭が一杯になっていた。

――これまでに受けた屈辱を、何倍にもしてこれから人間共に返してやるよ! こいつはその1人目だ。自分の肉の焼ける臭いを嗅いで死んでゆけ!

 軽い衝撃。男はイオンが抵抗を止めたせいでブレードが貫通したのかと思っていた。だが体が勝手に後ろに下がった事で、体に力が入っていない事に気が付いた。そして自分の意志と関係なく崩れ落ち、漸く攻撃された事が分かった。

 空間に紫電が奔り、AERASが姿を現す。

 倒れて動かないイオンの傍らにしゃがみ、彼女の体を揺する。

「イオン、イオン。しっかりしろ」

 セオの何度目かの呼びかけで、力なく揺れるだけだった頭が動く。

「セ……セオ、さん……」

「立てるか?」

 聞いたはいいが、立てない事は明らかだった。肩を貸し立ち上がらせる。覚束ない足取り。1人で行かせた事を少し後悔する。

 肩を貸し起こす。

「残念だったよ、お前の部下を殺せなくて。どんな顔してるのか、見せてくれよ。ひどい顔してるだろ?」

「……」

「ハハハハ、憎いか? 憎いか?! てめェの部下を嬲った俺が! でもな憎しみなら俺の方が余程深いぜ!」

 男はセオが気に入らなかった。まるで自分がいないかのように部下と話す姿が。

――綺麗でいようとするなよ。口汚く罵倒しろよ。実感の籠もってない憎悪をぶち撒けろよ! 殴れよ! 蹴れよ! 撃てよ! じゃないと……

「オレはお前が哀れで仕方がないよ。どんな扱いを受ければそこまで歪むのか、オレには想像も付かない。だが」

 と、男の横に差し掛かったセオは足を止めた。そして足で軽く小突いた。まるで小石でも蹴るように。

「お前の言う通りさ。可愛い部下をこうまで嬲ってくれたお前が許せんさ。だから蹴らせてもらった」

 そう言いながらもその声は平坦そのものだった。本当に許せないと思っているのか、疑問になる程だ。しかしセオの言ったセリフは彼の偽らざる本音だった。彼は聖人君子などではない。自分の部下をこうまで甚振られ、何とも思わないなど出来る訳がなかった。だからこそ小突いた(・・・・・・・・・)のだ。男の言う通りに痛めつければ男と同じ下衆になってしまうだけだ。男にしてもそれで自分のプライドを保つ事も出来る。故に彼にしてみれば、その小突くと言う行為は辱められたに等しいものだった。

「あああああああああああああああ!!!」

 拳を握る事も出来ず、男はただ叫ぶ事しか出来なかった。


                        *


 壁にイオンを寄り掛からせ、座らせる。メットを外す。涙と鼻水に汚れ、憔悴しきっていた。

「お……温度機能、は、壊れて、ないのに、寒い、んです」

「……。フローネ、イオンのAERASを脱がしてくれ」

 背中側が開いたAERASを引っ張り、イオンを完全に外に出す。次いで彼も脱衣シークエンスを開始する。

 アンダースーツで口元の血を拭う。固まっておりあまり落とせなかった。

「イオン」

 返事をする余裕もなく、震える自分の体を両腕で抱き締めている彼女を抱き寄せる。突然の抱擁に彼女の体が一瞬だけ強く震える。セオはその震えを抑えるように、より強く抱き締める。

 アンダースーツ越しに相手の体温を感じる事など出来ない。だが彼女には触れ合っている所から温もりが広がっていくように感じられた。味わった事のない温もりが、筆舌に尽くし難い心地良さと安心感を彼女に与える。その心地良い温かさを彼女の心は貪欲に求めていた。少しも逃さぬようにと両腕がセオの背に回され、爪を立てながら抱き締める。少しでも多く触れようと、より体を密着させ頬を合わせる。

 どれぐらいそうしていただろうか。耳に入るのはお互いの心音だけだった。

 不意にイオンが口を開く。

「セオさん、血の臭いがします」

「やっと気付いたか」

 一度自覚すると、彼の体から濃厚な血の臭いが発せられている事に気付く。彼のアンダースーツの内側は血で満ちていた。彼自身相当に不快な気分にさせられるが、現時点ではどうする事も出来ないため我慢するしかなかった。

「あ、あの、えっと」

 イオンがセオに何かを伝えようとしていた。心の内に芽生えた感情を口にしなければ、と焦りに似たものを感じていたからだ。しかし彼女にはその感情の正体が分からなかった。恐怖でも、今まで感じていた安らぎとも違うもの。だから意味のある言葉を口にする事が出来なかった。

 言葉に出来ない感情など伝わらない。伝えたいのに伝える事の出来ないもどかしさが、彼女に苛立ちと不安を募らせていく。

「心配するな。もう大丈夫だ」

 セオの言葉がまるで自分の言葉であるかのように胸にスッと落ちた。

 自分を心から心配し思ってくれる人が傍にいるなら違う。例え言葉に出来ずとも伝わっている。

 人が見れば分からない程の変化であっても、彼には親の死に目に会ってしまった幼子のように見えていた。

「はい」

 大丈夫だと言う証拠などないのに、その言葉だけで彼女は心から安堵していた。以前のような思考が停止した返事ではない。彼女の中にセオが大丈夫だと言ったなら大丈夫だ、と言う信頼が芽生えていた。それは子が親に向ける信頼に似ていた。

 イオンはこの世に生まれて初めて誰かを心から信頼する事が出来た。彼女は漸く人生(・・)を歩み出したのだ。

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