第3話その4
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後感想下さい!
〈ちょっとそれ本当?!〉
悲鳴に近い叫びを上げてしまうのも、月が破壊されるとなれば無理からぬ事だ。
〈それだけで破壊出来る訳ではない。しかし容易になってしまうのだ〉
P・Eは一定の範囲内にある物質を全て情報に転換してしまうもの。それを深部環境再現で人工的に作り出された物質で包み込めば、落とすだけの簡単な自動掘進機の出来上がりだ。更に推進器を作れば高速で月を貫通出来てしまう。この時点ではまだ月を破壊する事は不可能だ。しかし彼の言葉が、最高の演算機能を持つ彼女に最悪の事態をシミュレートさせてしまった。
衛星としては異例のサイズである月の潮汐力の働きは、地球の自転軸の保持や自転速度の抑制や生態系にまで影響している。もし月がなくなればこれらが全て狂うのだ。23度に保たれている自転軸が不安定になり気候の大変動が起こる。古代に起こった僅かな傾きにより緑地帯であったサハラが砂漠化したと言う説がある事を鑑みればそれがどれ程の事か分かるだろう。更に自転速度の抑制がなくなれば地球は超高速で自転し始め、1日の長さは3分の1に短縮される。更に空気の流れも高速化し時速数百kmの強風が荒れ狂う環境へと変化。
つまり地球は死の惑星になるのだ。
〈落ち着けフローネ、思考がこっちにダダ漏れだ。恐らくあのボーリングマシンがある場所は目標の1つだ。破壊力学的に見て破壊しやすい個所があるはずだ。奴らはそこに何かを仕掛けているはずだ〉
〈……あ、えっと前例がないから、すぐには分からない。ちょっと待って〉
〈焦るな。自分の仕事を見失わなければ大丈夫だ〉
〈分かってるわよ……〉
少しバツの悪そうな声色。勝手な想像に囚われていた事を自覚しているのだろう。
話している内にAERASの着用完了する。外観に特徴はないが、このAERASには2つの特殊機能が内蔵されていた。
1つは背部にある展開式ラウンドスラスター。1G以下の環境で使用されるもので、神経接続による操作と操縦桿の両方に対応している。またこれの最大の機能として、不測の事態により発生した体の回転を自動で止める事が挙げられる。
もう1つが左腕に内蔵されたワイヤーアンカー。打ち込み式と磁力による固定方法があり、ラウンドスラスターが使用不可の時に重宝するとしてユーザーの意見を反映する形で製造されたのだ。
この2つは1G以下の環境での活動では必須の存在となっており、AERASが持つ機能の中でも高い使用度を誇っていた。
混んでいる道をサイレンと信号操作で駆け抜ける。それでも限界があった。平時であれば前を走る車両を路肩に寄せさせるのだが、今はその隙間がなかった。空港まではまだ距離があり、フロネシスはまたも焦りを募らせ始めていた。
「フローネ、一番近い点検口はどこだ?」
『あ、そうか。そっちに行けばよかったのね』
けたたましい音を立て進路変更。幸いな事にそちらは現在地から比較的近い場所にあった。
拡張ユニットにSWH差し込む。
「光学迷彩を使うぞ」
「分かりました」
現時点での光学迷彩に意味はない。祭の日に物々しいAERASなど見たくないだろう、と言うセオなりの気遣いだった。
ドアロックを解除。景色が白塗りの味気のないものへと変化。祭の活気も人々の喧騒も遠くなる。長い通路を走り再びドアを潜り抜け、コロニーの外壁に沿って造られた通路へと出た。月面側の壁は全てガラス張りになっていた。イオンが大丈夫か気になったが、しっかりとした足取りで走っており問題はなさそうだった。
〈セオ聞こえるか?〉
〈どうした?〉
〈奴はどうやら私が来る事を分かっていたらしい。態々場所を指定し招待してくれた〉
〈……1人でいけるか?〉
〈腐った者達相手に後れを取ると思うか?〉
〈……武運を〉
〈そちらもな〉
『ボーリングマシンに一番近い出口は?』
『C12よ。少し距離があるわ。移動用カートをそっちにやるわ』
ややすると、背後から移動物体がやって来るとレーダーが示した。AERAS着用者が搭乗する事を想定した単純だが頑丈な造りの黒一色のカート。徐行運転になったカートに乗り込み、アクセルを踏み込む。しかし速度重視の造りではないため、ベタ踏みでも精々30kmしか出なかった。
視線を横に向けると、まだBブロックだった。カートの遅さに焦れたセオは、フロネシスにリミッター解除を頼む事にした。
「フロー、!」
『何、セオどうした?』
言葉が不意に途切れたのは、不測の事態が起きたからに他ならない。
斜め後方からやって来たそれはガラスを破壊し、2人を葬らんと襲い掛かった。人は全く予想しない事が起こるとそれだけで心が硬直、体もそれに引き摺られる。襲撃者はその一瞬の間で仕留める自信があった。それは自身の経験から来る確かなものだった。しかし破壊出来たのはカートだけだった。
ガラスに遮られソナーでも見逃すそれを感知出来たのは、襲撃者と同じく長年の経験から来るセオの直感のおかげだった。
破られたガラスにシャッターで塞がれるまで、誰も動く事は出来ない。しかしやれる事はある。
『先に行け』
『分かりました』
シャッターが閉まり切る直前にイオンが走り出す。それを阻止すべく動く襲撃者と、襲撃者を阻止すべく発砲するセオ。直撃ではなく、あくまで進路を制限する威嚇射撃。それを強行突破しようものならば、光弾は体をボロ雑巾にするだけ。だから目論見を看破出来たところで襲撃者はセオの思惑通りに動くしか出来なかった。
SWHのバッテリーが切れ、襲撃者が回避運動を止める頃にはイオンは100m以上も走っていた。
「ふうむ、奇襲の回避と言い射撃の正確さと言い、殲滅課は厄介な者を送り込んでくれたな」
「お互い様だ」
防犯カメラで確認した内の1人だった。
襲撃者の持つ武器は右前腕部から逆手に展開された大きなブレード、それだけだ。仕舞う素振りも見せないのは、それがAERASに対して有効であるからだ。うっすらと赤熱しているそれを見て、セオの脳裏に該当する武器が浮かぶ。
熱単分子ブレード。あらゆる物質を構成する最小粒子である原子により構成されている分子。刃の先端を1つの分子で構成されたブレードは、分子結合の間に入り込みその結合を解く。そして熱により分子を破壊し結合を不可能にする。
あれに斬られればAERASとて容易に切断される。無論コーティングにより分子の隙間を埋めると言う対策はある。しかしいつ遭遇するかも分からない装備のために金の掛かるコーティングなど出来ないと言う判断で着用しているAERASには施されていなかった。当たれば死ぬ。
肌を焼くようなジリジリとした空気。襲撃者が間合いを計る。セオがリロードのタイミングを計る。
バッテリーが落ちたその瞬間、襲撃者が極限まで前傾姿勢となり駆け出した。真っ直ぐに突っ込んで来るのは、リロードよりも速く辿り着くと言う自信の表れか。実際それだけの速さがあった。
セオは内心舌を巻いていた。その驚異的な速度にではなく、己が目的を果たさんとする鉄の意志にだ。殺す事に一切戸惑いを感じていない。命の重さを知りながら目的のために殺せる者は強い。
しかしそれで片が付くほど温い男ではない。落ちるバッテリーを襲撃者目掛け蹴る。大した速度もないそれを躱す事など容易い。そしてそれこそがセオの狙い。手で弾く、体を軽く動かし回避、ブレードで破壊。どれもワンアクションが必要になる。それで生じる隙など極僅か。しかしリロードはそれで十分だ。
今度は襲撃者が舌を巻いた。咄嗟の判断力に、磨き上げられた技術に。これで一方的な決着はなくなった。連射される光弾を蛇行で回避し接近しながらそう思った。
襲撃者の間合いに入る。後ろに振りかぶられたを腕が動く。まだ遠い、そう感じたがブレードが基部を中心に逆手から順手に変わっていた。腕を隠す事で間合いが変わっている事を悟らせなかったのだ。舌打ちしながら逃げずに前進。間合いの内側に入り、前腕部に自分の腕をぶつけブロック。SWHを拡張ユニットから取り外し胴体を撃とうとするが、手で押さえられる。
力は互角、拮抗状態になっていた。それを崩すべくセオは襲撃者の足を刈り取った。足が浮いた一瞬の隙に体を押し込み倒す。SWHを構えるが、器用に脚部を使い弾き飛ばされる。取りに行きたいが、この実力者相手に背中を向ける事は自殺行為だった。無手となったセオに襲撃者の猛攻が迫る。必殺のブレードだけでなく、全身から繰り出される猛攻を凌ぐのは至難だった。ブレード以外の攻撃がダメージにならないからと言って無視出来る訳でもない。攻撃が当たれば動きが止められる。熟練者ならばそれで十分だ。
セオにも近接武器はある。しかしそれを取り出す隙がなかった。
フェイントを織り交ぜた巧みな攻撃をセオはよく凌いでいた。時間を稼がれている事にセオは焦るが、襲撃者も焦れていた。自分の相手がこれだけの実力者なのだ、先を行かれたもう1人も同じレベルだと考えられた。勝ちを疑う訳ではない。しかし万一もある。故に奥の手を使う事を決意した。
一進一退の攻防が続く中、不意に襲撃者が口を大きく開けた。それが何を意味するのか、身を以て理解した。1発の弾丸が肩部に直撃。貫通はしない。しかし動きを止めるには十分だった。ふらつくセオの腹部に襲撃者はブレードを突き立てた。
腹の向こう側へと突き抜けたブレードに付着した血が滴り落ちる。
メットの内部で血を吐き出す。洗浄が開始されるが間に合わない。
ブレードが引き抜かれ、倒れ伏したセオの腹部から夥しい量の血が床に広がる。
人類のために戦い続けた同胞を殺す事に何も感じない訳がなかった。しかし口でも心でも謝る事はしなかった。それは自分達には許されぬ事。何も言わず、何もせずそこを立ち去るだけ。
*
『余所者がデカい顔すんな』
『お前らのせいで何でこっちが苦しい思いしなきゃならねぇんだ』
『兄さん、私達は平気だから戦争になんていかないで』
『君の入隊が受理された』
『死んででも奴らを殺せ』
『よろしくな、相棒』
『部隊は君を除いて全滅したよ』
『死なない体が欲しくありませんか?』
『私達は同じ。一蓮托生。だから信じて』
『もう戦わなくていいんだ……』
『何で何も言わない! 私達は家族だろう?!』
ぶつ切りで上映される記憶。これが走馬灯と言う奴なのだろうか、とセオは妙に他人事な気分で思っていた。
兵士になる前。兵士になった後。一度死んだ後。生き返った後。戦争が終わった時。逃げ出した時。多くのものをなくし、代わりのものを手に入れ、また失い、再び得て、そして投げ出した。それがセオを構成するもの。
失ったものを、自ら投げ出してしまったものを見せ付けられるのは懐旧と苦痛を孕んでいた。それを止めたのは遠くから聞こえる自分を呼ぶ声だった。
『セオ! セオ!』
ゆっくりと目を開ける。AERASと着用者の損傷を知らせる警告。久しぶりに致命傷を受けたようだった。セオの体内では損傷を感知したアウター細胞が傷口を塞ぐべく、増殖している真っ最中だった。活性剤を使用しない場合の増殖はそこまで速くなく、再び口から血が零れ出た。しかし体は動く。
〈奴は?〉
『そんな事より自分の心配を……!』
〈割とすぐに感情的になるのがお前の悪い癖だ。奴は?〉
『――――! 10m前方にいるわ。SWHは遠いし……ナイフしかないわ』
〈それで十分だ〉
未だ強い痛みを、歯を食いしばり耐え、体を一気に動かす。右の大腿部にある熱単分子ナイフ。フロネシスにより起動されているそれを無駄のない、神速にも思える程の速度で抜き取り射出。音に気付いた襲撃者が振り返る。ナイフは見えていた。しかし殺したと思っていた男が生きており、あまつさえ何事もなかったように動いていた事態に、心身が硬直してしまう。結果、放たれたナイフは襲撃者の胸に吸い込まれ脊椎を破壊。糸の切れた人形のように倒れ伏した。
それを見届けたセオも再び倒れ込む。いくら傷口が塞がりつつあるとは言え本来なら死んでいるレベルなのだ。ダメージは大きかった。しかしここで再び失神する訳にはいかなかった。セオは襲撃者が自分を排除してからイオンを追うのに、走り出していなかった事を危惧していた。それはつまり自分が行かなくとも、大丈夫だと考えているからであり、それはもう1人いると言う事を示しているのだ。
何度も咳き込みながら立ち上がる。よたつきながらSWHと拡張ユニットを拾う。
「そうか……お前特殊生体兵なのか」
「そうだ。こんなに、痛い思い、したのは久しぶりだけどな。残念だったか?」
襲撃者のすぐ後ろに落ちているナイフを拾い、柄に差し込む。
「……いや、戦友を殺さずに済んでよかった」
笑いながらそう言った。悔恨の念がある反面、憑き物が落ちたような晴れ晴れとした気分になっていた。目的を成し遂げると言う鉄の意志がある一方で、楽になりたいと言う気持ちがあったのかもしれない。
「早く行け。仲間がどうなっても知らんぞ?」
「言われんでも分かってるさ」
無意識に傷口を押さえそうになるのを堪え、走り出した。